ブリュラール・ド・レオンのサイファーディスクと暗号論

フランス国立図書館のBnF fr.17538 (Gallica)(16世紀前半に活躍した外交官ブリュラール・ド・レオンに関連する文書)には精巧な紙製のサイファーディスクが保存されている(f.48v)。「暗号論」(traicte des chifres; f.48-81)と題する付属の文書にはフランシス・ベーコンの二文字暗号に似たものも含め、いろいろな暗号方式が紹介されている。文書の成立年代が1590年であることをうかがわせる記述もあり、もしそうだとしたら、フランシス・ベーコンよりも早く同様の考えに達していた人がいたことになる。

成立年代

内容の紹介の前に、この文書が、いつ、誰によって書かれたかを考えておく。

BnF fr.17538はカタログではMélanges politiques et diplomatiques de "M. [BRÛLART] DE LÉON"とされており、見返し(f.1の前)に"Extraicts faicts par Monsieur de Léon, où est à la fin un traicté des chifres et la manière de s'en servir pour le secret de l'Estat par une roue qui y est."と書かれている。つまり全体がブリュラール・ド・レオンによって作成された抜き書き集ということだ。

f.1vに貼付されている紙片には活字で"Ex Bibliotheca MSS. COISLINIANA, olim SEGUERIANA, quam Illust. HENRICUS DU CAMBOUT, Dux DE COISLIN, Par [F]ranciae, [E]piscopus Metensis, &c. Monasterio S. Germani à Paris legavit. An. M. DCC. XXXII."とある。同じ蔵書(Séguier-Coislin)に由来するものが多数あるので、それらに貼られているようだ。ピエール・セギエ(1588-1672)(Wikipedia)は1635年にリシュリューに大法官に取り立てられた人物だが、その蔵書は王室以外では並ぶものがなかったという。初代コワスリン公爵(Wikipedia)(おそらくセギエの娘の子)によってカタログが作成され(1685-1686)、その子でセギエのひ孫に当たるメッス司教のアンリ・シャルル・ド・コワスリン(Wikipedia)はギリシャ語手稿のカタログを作成させた。こうした由来を考えると、外交官ブリュラール・ド・レオンから大法官セギエに引き継がれた文書であることは間違いないだろう。

BnF fr.17538について言及しているのは、検索エンジンで調べた限り、カミーユ・ドサンクロ氏だけだ(Camille Desenclos (2017), "Transposer pour mieux transporter: Pratiques du chiffre dans les correspondances diplomatiques du premier xviie siècle", in Thérèse Bru et al., Matière à écrire, pp.125-143)。それによれば、ブリュラール・ド・レオン(1649没)は外交官で、ヴェネツィア駐在大使(1611-1620)を務め、1625年にはアヴィニョンに、1628年と1630年にはスイス、レーゲンスブルク(Wikipedia)に派遣された。文書の成立年代を示すものはないが、書かれたのは外交官としての務めが終わった後の1630〜1649年の間とみられ、その内容には外交官としての経験が大いに反映されているという。フランス国立図書館のカタログにも、扱う暗号はルイ13世時代のものとある。

ところが、暗号に登録する語彙の例として1590という年号が出てくる箇所がある(f.74)。こういう場合、その暗号作成時の年号がはいることが多い。さらに、挙げられている固有名(f.74v-75)も、1630年以降というよりは1590年に整合するものがある(後述)。もちろん後年の暗号論で1590年を想定した例を使うことはありえなくはないのだが、それよりは文書の成立が1590年としたほうが素直な解釈だと思われる。だとすれば、「暗号論」には筆者の経験が反映していると思われる記述もあるので、ブリュラール・ド・レオンが自らの経験に基づいて執筆したわけではなく、1590年に書かれた何らかの文書からの「抜き書き」をしたということになるのだろうか。(1590年というと、ちょうど名高い暗号解読者フランソワ・ヴィエトが活躍した時期に当たり、ブレーズ・ド・ヴィジュネルの『暗号論』刊行の4年後だ。そう思ってヴィジュネルの『暗号論』を見たところ、やはり「二文字暗号」に関連する暗号が記載されていた。情報をA,B,Cなどの限られた3文字などで表わすという発想そのものはさらに前のポルタも記述している(別稿(英文))。)

だが「抜き書き」にしては、推敲の跡らしい修正が随所にある。BnF fr.17538冒頭には"Pour la pacification des troubles de france"という手稿があって、同じ筆跡らしく、同じような推敲の跡がみられるのだが、このあたりから文書の成立年代のヒントが得られないだろうか。

1590年だとしたら作者は外交官ブリュラール・ド・レオンではない可能性が高くなるが、本稿では便宜上、「ブリュラール・ド・レオンの暗号論」、「ブリュラール・ド・レオンのサイファーディスク」という呼称を使う。

ブリュラール・ド・レオンの暗号論

フランス国立公文書館のサイトでchiffreで検索してみつかる多数の文書のうちBnF fr.17538を詳しく見てみようと思ったのは、やはりその精巧なサイファーディスクを見たからだ。以下、サイファーディスクに付随する「暗号論」の内容を紹介するが、昔の手書き文字の判読が難しく、確定的な記述ができない箇所が多々あることをお断りしておく。

記載されている暗号技法は、独自のサイファーディスクのさまざまな応用のほか、フランシス・ベーコンの二文字暗号(biliteral cipher)(別稿)にも似た、3つまたは5つといった少数の要素からなる文字セットで情報を表わす方式に紙数が割かれている。一つの暗号文で二つの平文を表わす方式も興味深い。使用する記号にこだわりがあるのも特徴で、「主記号」に「付加記号」を組み合わせる方式が提案されている。そのほか綴字換字(digraphic substitution cipher)(二文字暗号と訳したこともあったかもしれないが、上記のbiliteralと同じになってしまうので旧陸軍でも使われていたらしいこの用語をもってきた)や転置式暗号も紹介されている。

ブリュラール・ド・レオンのサイファーディスク

サイファーディスク(暗号円盤)というのは、大小二つの円の周上に平文文字と暗号記号を記しておき、円を回転させることで平文と記号の対応を変えることのできるもので、15世紀にはすでにアルベルティによって記載されているのをはじめ、歴史上たびたび登場する。だがブリュラール・ド・レオンのサイファーディスクは普通のものよりはるかに複雑だ。

まず目を引くのは、たくさんの円環を含む構造だ。これは単にいろいろな暗号を扱えるようにした(f.49)結果らしいが、「主記号」に「付加記号」を組み合わせるちょっとひねった暗号法が提案されている。

ブリュラール・ド・レオンのサイファーディスクは、物理的には、互いに回転させることのできる4つの円があり、それぞれ次のような内容を含んでいる。

第1の円アルファベットの文字
主記号(2段)
第2の円付加記号
アルファベットの文字
第3の円主記号
音節・語頭・語末
アルファベットの文字
主記号
第4の円付加記号
主記号(2段)
付加記号
主記号
付加記号
主記号
付加記号

ここで、主記号というのが普通にいう暗号記号であり、付加記号というのは原文ではadditions ou differencesと記載されており、略してdifferenceが用いられる箇所が多いのだが、日本語では付加のほうがわかりやすいと思ってこう訳した。要は主記号に付加して差別化するための小さな記号である。付加記号は上下前後の4箇所に付けることができる。ただし、形の異なる付加記号がたくさんあると記憶の負担になるので、同じ記号を上下前後に付けたものを別の記号として使うようにしている(f.49)。このことは第2の円の上段に上(dessus)、下(dessoulz)、前(devant)、後(apres)と記されていることでわかる。

主記号も付加記号もアルファベットの文字の数だけあるのだが、どの付加記号をどの主記号のどの位置(上下前後)にも付加できるような形に工夫されているらしい(f.49v; f.54-f.56にいろいろな記号が挙げられていることも、記号の形態へのこだわりを示している;f.67にはペンを紙から上げずに一筆書きできる記号や行間にはみでるストロークのない記号が、それに付す付加記号とともに多数例示されている)。(なお、ここではたとえば「上下に付く場合の|」と「前後に付く場合の−」は同じものとみなされているようだ(f.50参照)。その意味で、たとえば第4の円にある4つの段の付加記号は同じであって、主記号に対してどの位置に付加するかの違いらしい。)第3の円の第2・3段はよく使う音節や語頭・語末が登録されている。

なんのためにこれほど複雑な構造を使っているのかというと、単にいろいろな暗号方式を一つのサイファーディスクにまとめたという理由らしい(f.49)。だから実際の暗号化にあたって使うのはこれらの円の一部にすぎない。

このサイファーディスクについて、6つの使用形態が記載されている(f.51-f.53)

第1の使用形態

これは、平文の文字の外側の円と、それに対して回転可能な記号を含んでいる内側の円と、ヌル(冗字)を使う(f.51の記載に合わないが、内容的にはサイファーディスクの第2の円、第3の円を使うことに相当すると思われる)。この使用形態では、受信者との間で、平文の最初の1文字を決めておく(たとえばMonsieurのmなど)。それにより、受信者は暗号文の最初の記号をその文字(今の例ではm)に合わせることで、回転円板の初期位置を設定できる。だから発信者は回転円板の初期位置を随意に設定してよい。その状態で、1語目の平文文字に対応する記号を書いていき、1語目が終わったらヌルを入れる。その後、1語ごとに円板を回転させていくのだが、2語目では、最初の(平文の1字目に対応する)記号が平文の2字目の下にくるようにし、3語目では、最初の記号が平文の3字目の下にくるようにする、などとなるようだ。

この形態では付加記号は使わない。

第2の使用形態

第2の使用形態ではサイファーディスクの第1の円の主記号(平文アルファベットの文字との対応は固定)のほか、第2の円の付加記号(主記号の上下前後に付加する記号)も使用する。また、付加記号のセットから1つを鍵とする

暗号化のためには、まず鍵となる付加記号を平文の最初の1文字の下に合わせることで円板の初期位置を決定する。そして(任意に選んだ適当な)文字の下の暗号記号に、その下の付加記号を付けて書く。(つまり、暗号文に記される主記号+付加記号は単に円板位置を示すためにあるのであって、平文文字に関する情報は含んでいない。記されている付加記号と鍵となる付加記号との間のオフセットが、平文文字を表わす。)平文の2文字目を暗号化するには、鍵となる付加記号がその文字の下になるよう円板を回転させて同様にする。

解読の際には、暗号文において最初の付加記号がどの暗号記号についているかを見て円板の初期位置を合わせる。そして鍵となる付加記号の上を見れば平文文字がわかる。

第3の使用形態

使用するものは第2の使用形態と同じで、サイファーディスクの第1の円の主記号、第2の円の付加記号を使用する。また、付加記号のセットから1つを鍵とする。

鍵となる付加記号を平文の最初の1文字の下に合わせることで円板の初期位置を決定する。ここで、今回は鍵の上にある主記号を書く。次いで、鍵の位置を保って円板を動かさずに、平文の2字目、3字目に対応する付加記号を書く。2字目、3字目に対応する付加記号を付ける位置(主記号の上下前後)はあらかじめ決めておくのだろう。

4字目を暗号するには、鍵となる付加記号がその文字の下になるように円板を回転させ、以下、同様にして3字ごとに進める。

平文の各文字について、主記号か付加記号のどちらかしか書かないので暗号文を短くできる。

第4の使用形態

まだよくわからないのだが、第3の使用形態と同様に、サイファーディスクの第1の円の主記号、第2の円の付加記号を使用し、付加記号のセットから1つを鍵とするらしい。

やはり鍵となる付加記号を平文の最初の1文字の下に合わせることで円板の初期位置を決定し、今回は鍵の上にある主記号を書き、その後に鍵記号を書くらしい。次いで、鍵の位置を保って円板を動かさずに、平文の2字目、3字目、…に対応する付加記号を書いていく。3字目で止めずに好きなだけ先に進むというのが第3の使用形態との違いのようだ。(6〜7文字を超えないようにとあるが、主記号一つに7つも付加記号を付けるのだろうか)。仕切りなおすには鍵記号を繰り返し、同様にしていく。解読の際にはその繰り返しが手がかりになるらしいのだが、不詳。

第5の使用形態

この場合、円板の位置は適当に選んでよいようだ。付加記号のうち1つを鍵として合意しておく。

暗号化するには、平文文字の下の付加記号と鍵(付加記号)の上の主記号を書く。2字目以降も毎回円板をランダムに回転させて同様にする。

「主記号+付加記号」に対応する平文文字を求めようとする解読者は、まず鍵(付加記号)が暗号文の主記号と整列するように円板位置の位置を決める。すると、暗号文に書かれている付加記号の上にある平文文字を読めばよい。

(「主記号の上の平文文字を読む」ならトリビアルだが、主記号に付されている付加記号と鍵の付加記号によって実際の平文文字までのオフセットを与えていることになる。)

第6の使用形態

主記号と付加記号で普通の意味(sens commun)と秘密の意味(sens secret)という2つの別々のメッセージを伝えるというもの("escripre en double sens")。鍵となる付加記号を選んでおく。

暗号化に当たっては鍵となる付加記号が「秘密の意味」の平文文字の下にくるよう円板を回す。普通の意味の平文文字の下にある主記号+付加記号を書けばよい。円板を回して主記号+付加記号を書くこのプロセスを「普通の文字」「平文文字」の1文字ずつ行っていく。

解読の際には暗号文の主記号+付加記号の組み合わせにあるように円板を回す。主記号の上にある平文文字が普通の意味の文字であり、鍵となる付加記号(暗号文中で主記号の下に書かれている付加記号ではなく)の上にある平文文字が秘密の意味の文字になる。(主記号と平文文字の対応は固定なので(第1の円を使う場合)、暗号文の主記号だけ見れば、普通の意味の平文の単換字暗号になっている。)

第7の使用形態

これも2つの意味を表わすもの。

暗号化に当たっては鍵となる付加記号が「普通の意味」の平文文字の下にくるよう円板を回す。普通の意味の平文文字の下にある主記号と、秘密の意味の平文文字の下の付加記号を書く。

解読の際には、鍵となる付加記号が暗号文の主記号の下にくるように円板を回す。主記号の上にある平文文字が普通の意味の文字であり、(暗号文中に書かれている)付加記号の上にある平文文字が秘密の意味の文字になる。

綴字換字暗号

主記号と付加記号を組み合わせて綴字換字暗号(digraphic cipher)のように使う表もある(f.53v-f.54)。縦軸のA-Zが主記号を表わし、横軸のA-Zが付加記号を表わし、AA, AB, AC, …, ZZのあらゆる組み合わせを主記号+付加記号で表わすことができる。

主記号と付加記号の独立用法

綴字換字暗号表の右下には、主記号と付加記号を全く別の換字暗号として使うアイデアも記載されている。上記の第6、第7の使用形態と似ているが、こちらは本当に両者を別個のものとして使う。まず主記号を使って「普通の意味」を暗号化し、その行間に付加記号を使って「秘密の意味」を書いていくというものである。

フランシス・ベーコンの二文字暗号と似た三文字暗号、五文字暗号

フランシス・ベーコンはアルファベットで書かれたどんなメッセージも2つの文字だけを使って表現できるという考えを発表しており、今日、ベーコンの2文字暗号(bilateral cipher)として知られている。これはどんな情報もa,bの2文字で表わせるという、現代のデジタル表現と実質的に同じものであり、0,1に対応する2文字は文字でなく鐘、らっぱ、光、銃声など何でもよいことから、ベーコンはomnia per omnia(万事をもって万事を)と呼んでいる。ベーコンがそれを最初に発表した『学問の進歩』(1605)では漠然とした概要だけであり、具体的な内容が発表されたのは『学問の尊厳と進歩』(1623)においてだった(別稿参照)。(なお、1623年の著作ではベーコンはさらに一見何の変哲もない文章の各文字の字体の別が二文字暗号のa,bを表わすというステガノグラフィーの手法も提案しており、「ベーコンの暗号」というと、ここまで含めた方式を指すことも多いようだ。)

ブリュラール・ド・レオンの手稿も同様の方式を記述しているのだが、「二文字」ではなく「三文字」「五文字」の場合を扱っており、やはり著者はベーコンの著作は知らなかったのではないかと思われる。(「三文字」「五文字」の使用はジョン・ウィルキンズ『マーキュリー』(1641)(別稿参照),ジョン・フォークナー『クリプトメニシス・パテファクタ』(1685)(別稿参照)も記述している。1590年以前にもポルタ(別稿参照)やヴィジュネル(別稿(工事中))が記述しており、こちらは「二文字」の場合も扱っている。)

手稿のf.58は1〜5の五つの記号を使えばa-zの23文字(j,v,wがない;kはある)は2文字で表わせること(52=25>23)、1〜3の三つの記号を使えば3文字で表わせること(33=27>23)を示している。f.58vにはアルファベットの大文字と小文字の異なる書体を一覧にしているが、「三文字暗号」に使うという趣旨だと思われる。後続ベージ(f.59-f.62)では字体の変種について詳しく述べられている。

暗号実務に関する考察

手稿f.63-65が狭義での暗号論になっている。スパルタ人の暗号〔スキュタレー〕、シーザー暗号、カルダングリル、秘密インク(escripture d'alum)などを扱うのではなく、実際に使っていて気付いた点を述べるとしている。

まず1〜4として、発信人を隠すために、筆跡を隠すために暗号記号として普通のアルファベット文字は使わないこと、筆跡を変えること、同じ印章を頻繁に使い過ぎないことなどを勧めているようだ(f.63) さらに、できるだけスペースを使わず、またきちんと書く(そのほうが紙が小さくなり隠し持ちやすい)などとある(f.64)

次いで、解読されにくくするための10項目が書かれている(f.64v-f.65v)。6、9あたりは一般的な心得というよりは、新たな暗号方式の提案というべきだろう。

1.単語の間にスペースを空けないようにする(字数が情報を与えるのを防ぐため)。

2.ヌルを頻繁に使う(ヌルであることが露見しにくくするため)(f.67vに詳細あり;暗号表に定義されていない記号が3つあったらそれはヌル? 前後の所定の数の文字を取り消す記号も)。

3.冒頭・末尾に常套句を使わない。

4.暗号文と平文を混ぜない。

5.母音には毎回さまざまな記号を使う。特に同じ単語中で、さらには同じ行中で同じ記号が繰り替えされないようにする。できるだけどの記号も他の記号より頻繁に現われないようにする。

6.まれな子音に付加記号を付けたものを母音として使う。

7.句読点(記号)が単語や文の先頭・末尾を認識する手がかりにならないようにする。

8.手紙の上書き・下書き(宛名・署名のことか)に特定の記号を使う。

9.規則6と同様にして文字の後ろに点を付けたものはアルファベット順で次の文字を意味し、2つの点(:)を付けたものは次の次の文字を意味し、疑問符(?)を付けたものは3つ目の文字を意味し、逆に、上に点を付けたものは直前の文字を意味し、上に2つの点(¨)を付けたものは2つ前の文字を意味し、上に棒( ̄)を付けたものは3つ前の文字を意味する。

10.暗号記号の一部に外国語の文字を使い、暗号文中にその外国語の単語を混ぜておく(解読者に平文言語を誤認させるためだろう)。

書体の違いによるメッセージの埋め込み

f.65vには二通りのアルファベット書体(「普通の意味」用のアルファベットと「秘密の意味」用のアルファベット)を使ったステガノグラフィー(暗号文の存在を察知されないようにする技法)が紹介されている。一見したところ普通の文章なのだが、よく見ると2通りの字体が使われており、「秘密の意味」用のアルファベットを拾えば「秘密の意味」の文章が出てくるというものである。f.66の後半でも類例が挙げられている。

同様に暗号を使って疑いを招かないようにする方法として、f.66の前半は、第1行の最初の単語、第2行の最後の単語、第3行の最初の単語、第5(4?)行の最後の単語…が秘密の意味を表わすようにする分置式暗号を記載している模様。

もう一つの方法では、みかけの文章でh, k, q, x, y, zを使わないようにして、kとqはcで、xはcsで、yはiで、zはsで代用する。これらの文字を使って秘密の意味を埋め込むようなのだが、不詳(f.66)。(ちなみに、フランス語ではqの使用頻度は高いと思っていたのだが、統計を見ると、たしかに低い方から順にW, K, Y, Z, X, J, Qとなっている; Q, B, F, Gあたりがほぼ横並びではあるのだが)

転置式暗号

f.66vは転置式暗号を記載している。挙げられている例は次のようなもの。

Monsieurie
suisvostre
treshumble
seruiteure
asseureamy
(Monsieur, je suis vostre tres humble serviteur e[t] asseure amy.)

まず各行の1字目を拾っていき、次に各行の2字目、…というようにしていくと、次のような暗号文になる。(この例では、でたらめになった転置文をさらに単語っぽい区切りに分けている。言われてみれば、転置式暗号は文字頻度は平文と同じだから、ある程度単語らしい並びにすることはできている。)

Mstsaou resni erss ssue ivhiue outrusme ertbua irl rmee eey

通信相手に1行の字数と行数を伝えておくこと、上から下でなくても、下から上でも、あるいは1列目は上から下、2列目は下から上、3列目は下から上、などのパターンでもよいとしている。

コード

f.68では、暗号文を短くするために二重母音(ae, ai, au, ...)やよく使う子音の連続(bl, cl, cr, ct, ...)や同じ文字の反復(bb, cc, ...だが、全文字について定義してもよいとある)についても記号を定義しておくことを紹介している。(サイファーディスクでもA-Zの文字のほかに二重母音も含まれていたが、二重母音の代わりに固有名を入れてもよいと注記されていた(f.49v)。)

また、同じ文字の反復に特定の記号を定義する代わりに、直前の文字を繰り返す記号を定義してもよい。(直前文字を繰り返す記号はアンリ4世時代の暗号でも多く使われていた(別稿参照)。)


f.68vでは、固有名(人物、国、町)や肩書、よく使われる音節について記号を定義してもよいとある。さらに、特殊な記号を定義しなくてもいい方法や、偽装のための名前を使うことも紹介しているらしい。f.69からは肩書のリスト、f.71には国・地方名のリスト、f.72には頻出単語のリスト、f.74には前置詞などの短い単語、語頭・語末パターン、数字、月名が挙げられており、そのあとに「1590」という年号がある(この手の例に挙げるのは文書の起草した時期の年号を使うことが多いと思うのだが、「暗号論」作成はこの年なのだろうか?)。

f.74v-f.75にはイタリア、フランス、ドイツ、スペイン、イングランドの固有名をそれぞれの列に列挙している。第1の列の名称が実は第2の列の名称を表わす、などとするらしい。(挙げられている固有名は1590年ごろの執筆年代と整合する:"Royne dAng"〔イングランド女王〕とあるので、エリザベス時代; Warwick伯は1590-1618の間は空位;Walsinghamは1590没;Card de Bourbonも1590没;イングランドの列のいちばん下にある"Mr. Richardson"は不明)。

二重の意味の暗号(chiffre a double sens)

(f.75v)上記の二文字暗号(または三文字暗号、五文字暗号)の応用で、一つの暗号文で2通りの平文を表わす方式が二重の意味の暗号(chiffre a double sens)として説明されている。同じことは上記の「主記号と付加記号の独立用法」でも実現できるが、ここで紹介されている方法は付加記号は必要としない。その代わり、ホモフォニック暗号(同音換字暗号)による「普通アルファベット」(alphabet commun)と二文字暗号を応用した「秘密アルファベット」(alphabet secret)が必要となる。

第一の使用形態

f.76の例ではホモフォニック暗号は各文字に3通りの記号(向きだけの違い)を定義しており、秘密アルファベットは「三文字暗号」により各文字に111, 112, …, 322を割り当てている。

(f.76)秘密の意味bonと普通の意味meschantを暗号化する場合、まずbを秘密アルファベットで見ると112となる。普通の意味の最初の3文字はmesなので、これを普通アルファベットで記号にする。普通アルファベットは各文字に3記号があるが、mは1つめの記号、eも1つめの記号、sは2つめの記号とする。記号の選択により112という情報を表わすのである。解読時には、普通アルファベットを使って記号を解読すると普通の意味のmesが読める(これが見かけ上の意味といえる)が、ホモフォニック暗号表の3段のうちのどの段を使ったかを1〜3で表わして3桁数字を得て、秘密アルファベットを適用すると、平文文字(秘密メッセージ)を復元できる。

秘密の平文bonの2文字目oを暗号化するには、普通の意味の続きchaを使う。このように、みかけの暗号文字3文字の記号の選択によって秘密の文字1文字を表わすのである。

f.76vでは別の普通アルファベットが挙げられており、こちらは各文字の3つのバリエーション(1,2,3に対応)はみな〇、□、◇を母体としておりこれらに付される付加記号によって普通アルファベットA-Zを表わしている。

f.77ではさらに別の普通アルファベットが挙げられている。今度は3つのバリエーション(1,2,3に対応)はみな〇であり、これらに付される付加記号によって普通アルファベットA-Zを表わすのだが、付加記号が上、下、横につくことで秘密アルファベットの1,2,3を表わせるようになっている。

二重の意味のための第二の形態

(f.77v)第一の形態は三字暗号を応用しており、英字を3桁数字で表わしていたが、第二の形態では五字暗号を使用するので、秘密アルファベットは英字を2桁数字で表わせる。よって、普通アルファベットは各英字に5通りの記号を割り当てるホモフォニック暗号になる。2桁数字で英字を表わす秘密アルファベットのいろいろなパターン(11...55をどういう順でA,B,C,…に割り当てるか)が紹介されている。さらに、普通アルファベットに対する代案もある。

まとめ

ブリュラール・ド・レオンのサイファーディスクは複雑精緻なものに見えるが、いろいろな暗号を使い分けるために複雑になっているのであって、暗号方式はそれほど複雑なものではない。とはいえ、主記号と付加記号を使い分ける暗号方式はちょっと面白い。

フランシス・ベーコンの二文字暗号と似た三文字暗号、五文字暗号も記述されているが、これらはポルタやヴィジュネルの著作にもあり、新規なものではない。ベーコンと同様に書体の別に情報をもたせることも記述している。みかけの文章のうち、秘密の意味をなす文字の書体を変えるために使うほか、ベーコン暗号と同様に三文字暗号、五文字暗号にも使うことが想定されているのだと思われるが、その点は私にはまだ読み取れていない。ただ、少なくとも、暗号文に使われるホモフォニック暗号の記号の選択によって三文字暗号、五文字暗号で秘密の意味を表わす二重の意味の暗号(chiffre a double sens)を記載しており、記号の選択は無視した暗号文がベーコンのように単なるみかけの平文ではなく、普通のホモフォニック暗号の暗号文をなしているという点で、ベーコンの暗号より複雑なものを記載している。

二重の意味の暗号(chiffre a double sens)方式としては、このほかに、サイファーディスクを使って「普通の意味」と「秘密の意味」を同時に暗号化する方式(第6、第7の使用形態)や、主記号と付加記号を独立に使って別の平文を暗号化する方式も提案されている。

なお、暗号論が1590年に書かれたことを示唆する記述があり、作者と成立年代についてはさらなる研究を俟たねばならない。

いずれにせよ、ここで提案されている独自の暗号方式(サイファー・ディスク、主記号と付加記号、二重の意味の暗号)が実際に使われたわけではないと思われる。1610年代のヴェネツィア駐在時代のブリュラール・ド・レオンに宛てられたルイ十三世、母后マリー(王や母后の手紙は実際には「ブリュラール」が書いているが、これはブリュラール・ド・シルリー)、大法官ピュイジュー(ニコラ・ブリュラール・ド・シルリー)の手紙(BnF fr.16043 (Gallica), BnF fr.16044 (Gallica))で使われている暗号は記号暗号のほかに数字コードを併用するもので、当時のフランスの暗号の一つの典型だが、ブリュラール・ド・レオンの暗号論では数字コードには触れられていないようだ。この暗号論は、実際に使われている暗号とは一線を画したものと思われる。

英語版

本稿をベースに英語版(Academia.edu)を作成しました。ほぼ同内容ですが、そちらのほうがよくまとまっているかもしれません。


©2021 S.Tomokiyo
First posted on 24 July 2021. Last modified on 27 July 2021.
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