ジョン・デーヴィス『暗号解読論』

1737年,ジョン・デーヴィス(John Davys)は『暗号解読論』(An Essay on the Art of Decyphering)を出版した(価格1シリング6ペンス).

ジョン・デーヴィスについて

デーヴィスは本人の弁によれば若いころから暗号解読に熟達し,証人として文句のない名望のある知人が腕試しにと作成した暗号を正しく解読して見せたこともあるという(本書p.53).オクスフォード大学のモードレン・カレッジの学生だった「約36年前」にはフランス王が駐トルコ公使に送った二通の手紙(ポール・リコー(Sir Paul Rycaut)が出版していたもの)を解読した(p.46).アタベリー陰謀事件に関する裁判(1723)では政府側から証拠として提出された手紙の暗号解読が正しいかどうかの検討もした(p.36-39).トマス・カート(Thomas Carte)のオーモンド公爵伝(1736)のために関係する書簡の暗号を解読したりもした(本書p.32によればその一つは1734年のこと).そのカートはデーヴィスについて次のように述べている.

ノーサンプトンシャーのカースルアシュビー(Castle-Ashby)の主任牧師であるデーヴィス師は見事な暗号解読の技量の持ち主で,私が最初理解できなかった暗号で書かれたそれらの手紙や手紙の断片の真の意味を,期待にたがうことなくいつも教えてくれた.それは私が後に遭遇した,〔オーモンド侯爵〕閣下の手で解読された同じ暗号で書かれた他の手紙によって明確に証明された.
A Collection of Letters, Written by the King Charles I and II The Duke of Ormonde (History of the Life of James Duke of Ormondeの補遺としての第三巻をなす)Google

概要

いろいろな暗号の解読法を列挙したジョン・フォークナーの『クリプトメニシス・パテファクタ』(1685)(別稿参照)とは異なり,本書は主として当時実際に使われていた暗号の主流である数字を使ったコード暗号について暗号解読の概要を述べている.そのねらいは,暗号解読などでたらめにすぎないという一部の主張に対し,暗号解読はきちんとした根拠のあるものであることを知らしめるというものであった(歴史上は,解読したと発表されたものがあとで的外れだったと判明した事例もあるのではあるが).特に,『ロンドン・ジャーナル』の1723年8月10日号に掲載された,暗号解読など推測の積み重ねに過ぎないとして否定するブリタニクスという仮名による投書に対して執拗なまでに反駁を加えている(ブリタニクスの投書の引用がBiographia Britannica p.542にある).

本書はまず,暗号解読の先駆者ジョン・ウォリス(別稿参照)が「暗号解読の父」ではないなどと批判したブリタニクスを受けてウォリスの功績を紹介し,ウォリスが公共図書館に寄託した解読文集のはしがきの全文(別稿に全訳)を掲載している.本書の随所でウォリスの引用があり,その影響の大きさがうかがえる.オクスフォード大学生だった「約36年前」(p.46)はオクスフォード大教授であったウォリスの晩年と重なっているが,引用はみな刊行された書籍のものなので,直接指導を受けたわけではないだろう(たとえば,ライプニッツからウォリスに宛てた手紙として1698年12月29日付の手紙を引用していることは,デーヴィスがOpera Mathematica刊行後の1699年11月24日付の手紙(別稿)などは知らなかったことを示唆している)

本書は説明用の例文ではなく,実際の暗号文をいろいろ引用してくれている.たとえばウォリスが読者のために未解読のままとして遺したバッキンガム公の暗号の手紙の解読を示し,その代わりとして自分が解読したオーモンド公関係の暗号文を読者の腕試し用に掲載している(別稿(英文)参照).巻末ではカトリック陰謀事件の暗号文も掲載している.また,暗号解読にあたっての一般的な心得を述べるなかで,過去に実際に使われた暗号について文献を挙げつつ概観し,実例も挙げている.

本書の主題は前出したように暗号解読がでたらめなどではないことを示すことであり,アタベリー陰謀事件での経験ともからめて,暗号解読が可能かどうか,解読文が正しいことをいかにして検証するか,暗号解読法を開示することが適切かどうかなどを論じており,暗号解読は検証可能ではあるが,暗号解読の実践的なノウハウまで公開するのは安全保障上適切でないとの立場を取っている(p.50-51, 54-55等).

背景

背景にあるのは,1722年のアタベリー陰謀事件である.これは,南海泡沫事件による社会の混乱につけこんでステュアート朝復活をもくろむ陰謀で,ロチェスター主教アタベリーが関わったとされ,翌年,終身追放になった.この際,政府の解読官ウィルズが解読した暗号の手紙の解読の正しさが問題になった.上院議場に出廷したアタベリーは暗号解読の正しさを検証したいと訴え,解読文を行間に書き込んだ暗号の手紙の写しを渡すことが認められた(1723年5月8日)Lords Journal.アタベリーはデーヴィスに暗号の検証を依頼したが,デーヴィスは入念にウィルズによる解読文を点検した結果,被告側の代理人コンスタンティン・フィップスに,大筋で正しく解読されていると確言した(Biographia Britannica p.4135注UU).写しが渡される前,弁護側は発表された解読文の空欄に疑問を呈したが,写しを点検するとその主張は取り下げざるを得なかった(5月11日)(Lords Journal).結局,デーヴィスは証人として呼ばれなかった.デーヴィスは自分の検証結果が不都合なものだったからだと考えている(本書p.38-39)

実はデーヴィスが関わったアタベリー陰謀事件(1722)とカートのオーモンド公爵伝(1736)には関連がある.伝記の対象であるオーモンド公爵の孫である第二代オーモンド公はステュアート朝復活をもくろむ公然たるジャコバイトで,1719年にはスペインからのイギリス侵攻軍を率いたこともあり別稿参照),アタベリー陰謀事件にも関与していた.編者カートはアタベリーの秘書で,アタベリー陰謀事件に際しては大逆罪で告訴されて亡命し,1728年になってようやく帰国できたWikipedia.「約36年前」にオクスフォード大学生だったという(p.46)デーヴィスは,カート(1702年にオクスフォード大で学位取得)と個人的な知り合いだったのかもしれない.

ジョン・デーヴィス『暗号解読論』

(p.1)

カートがオーモンド公の伝記を編集中,オクスフォードの国王〔チャールズ一世〕がオーモンド侯に宛てた暗号の手紙(1645.12.2)の解読をした.カートが出版した書簡集の414番目の文書に収められている(Google〔1736年の伝記2巻に先立って第三巻として1735年に出版〕).その後,6〜7の異なる暗号を解読した.

(p.2)

暗号解読について出版することを勧められた.近年多くが語られ,書かれているが,混乱を招くようなものばかり.

「暗号解読の父」ジョン・ウォリス

ウォリスが暗号解読の父と呼ばれることがあるが,『ロンドン・ジャーナル』(London Journal)でブリタニクス(Britannicus)の仮名によりウォリスが生まれるより何百年も前からあったと批判された.

(p.3)

だがブリタニクスは暗号記法と暗号解読を混同している.ウォリスも暗号解読を記したポルタの著作はちゃんと認めている.

(p.4)

ポルタの時代にスペインの暗号をフランスのヴィエトが解読したことがあった.〔Thuanusからの引用.〕

(p.5)

1.ポルタの本はヴィエトの解読より20年以上前に出版されている.〔だからヴィエトの時代にある程度の解読があってもおかしくない.〕

2.ヴィエトが難しい暗号を解読したことは驚きをもって語られている.〔だからヴィエトの解読は少なくとも一般的なことではなかった.〕ウォリスがヴィエトの先例を知っていたとしても具体的な内容は知られていないので,やってみようという気を起こさせる以上には役に立たなかったろう.少なくとも「数百年も前」は誇張.

ウォリスによる王党派の暗号の解読

(p.6)

ウォリスの暗号解読の技量と政治原理は別.〔議会派のために暗号解読をするのではなく〕国王のために手腕を発揮すべきであった.

ウォリスは存命中,ヘンリー・スタッブ(Henry Stubbe)によって,そしてそれを受けたアンソニー・ウッド(Anthony Wood)によってネーズビーで捕獲された国王の親書(別稿(英文)参照)を解読したとして告発されたが,少なくともネーズビーの文書は解読していないと思われる.ウォリスが寄託した暗号文のコレクションには含まれていない.

(p.7)

〔王党派の大法官〕ハイドも,ネーズビーに関して解読されたのは解読文があったものと,鍵がみつかったものだけだと述べている(別稿参照).

英語版のLife of Barwickによると,王政復古の少し前,すでにウォリスは反逆者のための解読はやめていた.ただし国王の友に,その気になれば多くを解読できたと伝えている.

(p.8)

最初は信じられなかったが,マシュー・レン(Matthew Wren)がウォリスから解読の写しをもらい,書いた本人たちに届けると,たしかに自分が書いたものであると認めざるを得なかった.

ウォリスは227ページからなる手稿を1653年に公共図書館に寄託.1653年4月4日のハーグからのフランス語の手紙がその最後の日付(未解読).

ウォリスが解読文集に付したはしがきを掲げるが,それを読んでも暗号解読の父と呼べないとしたら,ウォリス以前の誰もその資格はない.

暗号の難しさに見合った量の暗号文が必要だという重要な指摘がなされている.

国王の秘密を暴くのは罪だが,今や時代は変わった.亡きチャールズ一世を大切に思う人ほど,その書いたものを探し求め,公表するのに熱心である.アラン伯を見習って公表すべき.そして一部が暗号で書かれていて鍵がみつからないのなら,優秀な解読者に託すべき.

〔ウォリスの暗号論の全文を掲載(ここに全訳を掲げた)〕

(p.23)

晩年のウォリスの海外の学者との文通では暗号解読がよく言及される.著作〔Opera Mathematica〕の第三巻に収録.

ウォリスが遺した暗号文の解読

ウォリスが未解読のままとした手紙の一つはフランス語,二つは英語.その一通を解読した.バッキンガム公の手紙.(p.24-25に解読つきの暗号文あり.p.26-27に数字暗号のコード表.)

(p.26)

cypherというのは取り決めておいた記号で書くときの規則(たとえばa→1,b→2,c→3)であり,keyはイタリア語でcontraziffera,フランス語でcontrechiffreと呼ばれるが,これは読むときのもの(たとえば1→a,2→b,3→c).だが暗号で書かれたものもcypherと呼ばれるし,cypherとkeyが混同されることもある.

(p.27)

解読されなかった記号は解読文の中でそのままにしておくべき.

バッキンガム公の手紙のうち未解読の部分について述べておく.

(p.28)

1.冒頭の1行は日付/発信地だろう.83は他の5箇所でandとわかるが,他は不明.

2.固有名を表わす7つの数字がある.確信の度合いはさまざまだが,みな推測できる.

3.数字を表わす〔コード〕数字がある.確証はないが,二つの〔コード〕数字で一つの数字を表わす場合は,第一の〔コード〕数字と,第二の〔コード〕数字の末桁とを無視するのではないかと思う.492 505で50を表わすなど. 〔ちなみに,ほぼ同時代のMasseyのコード(別稿(英文)参照)では859(one), 860(two), 876(fifty)のような割り当てだった.〕

暗号解読法の開示について

(p.29)

暗号の鍵を開示することが暗号解読の技術を明かすことになるか.否.

(p.30)

最初どんなことを仮定したか,そのどれが正しかったか,どれをその後放棄したか,変更したか,どれを採用したかを述べれば,さらに最初のひらめきはどこからきたか,次のステップとして何をしたか,いつ道が見えてきたかを述べたとしたら,熱心な人には有用となり,同様の他の暗号を解読する助けとなるかもしれない.だが,それとても〔暗号解読の〕技術の十分な開示からはほど遠い.獲物が変われば狩の方法も変わる.現に私が上記のバッキンガム公の暗号を解読したのと後述するクランリカード(Clanricarde)伯のものとは全く違う.

とはいえ,ウォリスがライプニッツの1698年12月29日の要求に応えていたら致命的だったろう.ライプニッツはウォリスの業績のいくつかを見て驚嘆していたが,それでもどうやったのか知りたがった.ウォリスの死とともに解読の技術が絶えることも案じた.(別稿参照)

練習問題

(p.32)

ウォリスが練習問題の一つとして残したものの一つの解読を公開してしまったので,別の暗号文を掲げておく.

1734年11月5日に集中した作業で解読に4時間かかったもの.このような暗号は見たことがなかったので,暗号解読でそれ以前に使われたことのない着眼点を使ったが,目標を達成できた.

(p.33)

これを選んだ理由.

1.興味深いから.

2.私の解読が正しいことを確信しているから.カート氏に返したあと,私の解読の正しさを裏付ける書類がみつかったことを知らされた.

(p.34)

3.断片であり,日付もないため,カート氏のコレクションで出版されていない.〔この断片を含む手紙はNo.CCLIとして収録されている〕

4.後日,才能のある女性によって解読された.女性で能力のある人は他に何人か知っている.

〔この練習問題の暗号の解読はここを参照.〕

暗号は解読されるか

能力のある人でもその苦労を引き受けようとする人はほとんどいない.だからヴィエトの暗号解読は魔術によるとされたし,Locatelloが暗号で化学の秘法を出版したときは上官に説明してあるとして異端や魔法でないことを強調している.今でも,暗号が人間によって解読できるということを誰もが確信しているわけではない.

(p.35)

〔暗号をきちんと使えば解読はできないというハイドの手紙の引用.別稿参照〕

(p.36)

ハイドの手紙から汲み取れる,暗号を解読されにくくする方策.

1.暗号自身がよくできたものであること.ハイドや国務大臣ニコラスはどうすればいいかはよく知っていた.

2.10行くらいなら解読できないかもしれない.ウォリスでさえそれほど少量では戸惑っただろう.同じ暗号でも,ハイドが書いたような長文の手紙なら解読できるかもしれない.

3.手紙を注意深く書く.よくできた暗号でも使い方がまずければ露見する.その顕著な例を知っている.

アタベリー陰謀事件の暗号解読の真贋

周知のように,私は1722年4月20日の3通の手紙の写しを調べる機会があった.暗号そのものは難しいのだが,それが使うときの不注意によって損なわれていた.〔原注:「719はハットフィールドが戻る前にこの決心をしており」などとあれば719は簡単に推測できる.〕〔訳注:719=I(私)〕

(p.37)

ブリタニクスは転写〔解読〕するのに時間がかかったことを指摘しているが,暗号化されている部分が多かった.

(p.38)

書き手の不注意により解読は容易になったが,それでも未解読の部分は残り,印刷された報告では点になっている.

空白があることで異議が出た.手紙の写しが提出されなかったら採用されていただろう.問題は暗号が正しく解読されたかどうか.私はほぼ正しく解読されていると思う.おそらく私が喚問されなかったのはそのためだろう.

異議は,解読されなかった一語はG,他の一語はCで始まるが,点を見ると,あと7つの未解読部分があるがイニシャルはない.写しを見て初めてそのとおりであることが確認されたが,これらの未知の単語のイニシャルはわかるのに他はわからないことがあるのかと説明を求められたら解読者は困っただろう.

(p.39)

異議は却下されたのでこれ以上追及しない.〔解読の秘法を明かすことになり〕この技術に害をなすことになるから.

手紙はほぼ正しく解読されていると思うが,解読者がmayとpeopleを補ったらしい.またいくつかの単語に自信がないかのように点がつけられている.ブリタニクスは手紙が正しい写しだと断言してくれているが,本当に手紙を見たのかどうか疑わしい.

暗号解読の心得

(p.40)

解読する側にとって,ウォリスは忍耐力と洞察力云々と漠然としたことを述べるだけだが〔寄託した解読文集のはしがき(別稿参照)〕,いくつか必要なことはある.

1.どの言語で書かれているかを知り,少なくともその言語についてのある程度の知識をもつこと.

当たり前のことだと思うが,あえて書いたのは,信頼できる人から,ジョン・キール〔1713年から1716年まで解読官〕から聞いた話として,スウェーデン語を一語も知らずにスウェーデン語の文書を解読したことがあると聞かされたから.そんなことは無理だと思うが,単換字暗号で,単語の区切りが示されており,あらかじめスウェーデン語だと教えられており,スウェーデン人の相談相手がいればありえる.

(p.41)

現状では解読者はフランス語を知らないわけにはいかない.よくできた暗号はウェールズ語ならかなり安全.戦時に我が国は有利かも.

2.その時代,国,人々の間でどんな暗号が使われていたかを知っていれば役に立つことがある.実際,そのことが役立ったことは一度ならずあった.

過去に実際に使われた暗号

そこで,過去の暗号を概観しておく.

セシルの暗号(記号暗号)

(p.42)

サー・ヘンリー・ネヴィルとサー・ラルフ・ウィンウッドの暗号(換字表を随時切り替えるペアリング式の暗号)

〔上記2つの暗号についてはCiphers during the Reign of Queen Elizabeth I参照〕

(p.43)

これはLocatelloがTesauro della ChimiaLodovico Locatelli, Theatro d'Arcani(1567)のことか?〕で使った暗号と少し似ている.これはポルタのホイール暗号に基づくもの.

内側の環における単語の語頭の文字を外側の環のzのところに合わせて平文と暗号文の文字の対応を作る.このためzで始まる単語は暗号化できない〔平文と同じになってしまうので〕.

〔イタリア語の例文あり〕

(p.44)

私が記憶する限り,最初の数字暗号はサー・アイザック・ウェークのもの.

Ciphers during the Reign of Queen Elizabeth IのFigure Cipherの節参照〕

1641〜1653年の多様な数字暗号は,ウォリス(別稿参照)が図書館に寄託した手稿に見られる.

活字になったものもあり,Rushworth, Roystonの著作やVindicationがある.〔King Charles I's Ciphers参照〕

(p.45)

〔チャールズ一世の暗号文の例あり〕

ハイドがバリックに送った暗号〔King Charles II's Ciphers during Exile参照〕

(p.46)

アーガイルの語転置〔Earl of Argyll's Ciphers (1683)参照〕

ウォリスも二つの手紙の解読を出版した〔Specimens of French Cipher (1689) Printed in John Wallis' Opera Mathematica 参照〕.暗号はこの50年で精巧になっており,困難は日々増している.数字暗号はそれほど通信者の負担を増やさずにさらなる改善が可能.

ポール・リコー(Sir Paul Rycaut)はフランス王が駐トルコ公使に送った二通の興味深い手紙を出版している.これは私がオクスフォード大学のモードレン・カレッジの学生だった約36年前に解読した.その暗号はウォリスが出版したもののうち二番目のものに似ているがやや簡単.

暗号解読の心得(続)

3.解読者は事前にできるだけ多くの背景情報を仕入れること.

(p.47)

頭の体操のための暗号では背景などないだろうが,職務としての暗号解読は違う.

解読できなかったこともある.それはウォリスも告白している.

暗号解読の検証

次に,解読できたとしてどうやってそれが正しいことを知るか.

(p.48)

1.最も確実なのは,書き手の自認またはもとの暗号紙の入手.

2.解読された内容がその後のできごとと一致するとか,他の手紙が同じ鍵で解読できたりすること.

外的な証明がない場合は内的な証拠を頼る必要がある.

3.すべての部分が整合していること.同じ数字が同じ意味を表わすなど.

4.ただし,必ずしもすべての部分について同じくらい確信があるわけではない.何度も出てくる数字は確信がもてる.一度しか表れない数字で特に単語全体を表わすものは難しい.

(p.49)

それでも他の数字と比べることで決定できることがよくある.たとえば,バッキンガム公の手紙を解読しているとき,154がdemandかdesireか迷ったが,140がおそらくdesireだとわかって154はdemandと判断できた.

5.ある数字がなくても意味が通り,そのような箇所が多数あればその数字は冗字.

6.どうしてもつじつまが合わないところは出てくるが,それは原文のミスといわざるを得ない.写しではなお誤りがある.原文の誤りは一般に数字が近いか似ているために起こる.4が5になったり,218が118になったり,33が32になったりする.写しでは,特に数字と英字を両方使う暗号では,11がllになったり,16がibになったりする.

オーモンドの手紙でhxが意味が通らなかったことがあったが,hzの誤記だと察した.

(p.50)

説明すべきでない秘密もあるので,これ以上詳述はしないが,解読の確かさについては十分だろう.

暗号解読法の公表の是非

(p.51)

暗号を解読文と突き合わせて正しいことがわかれば,解読法まで追求する必要はない.

解読法の公表は解読の技術を破滅させる確実な方法.

ウォリスはバーネット主教から尋ねられたとき,「洞察力と勤勉の前には難しすぎることなどありません」と答えるにとどめている.

私はブリタニクスより解読には通じているつもりだが,政治についてはブリタニクスが上であると認め,解読文を提出すべきとの主張に異論はない.ただ,証拠全体を提出するべき.

ブリタニクスが信用しているらしいフィップスの議論を引用する.〔引用あり〕

(p.52)

これに対する唯一の異論は,解読の技術が露見するというものだが,それに対する反論はすでに述べた.

(p.53)

現に,解読文が公表されたが,解読法が知れ渡ったわけではない.

仮に将来,私が解読したもののことで私が証人喚問されたら,原告・被告の両者に前もって書類を送った上で,次のように述べるだろう.

私は暗号解読で実績がある.
(p.54)
私はこの法廷に提出されている手紙を正しく解読したつもりだが,検証できるよう資料を提出した.
よりよい解読が提出されれば,誤りを認める用意はある.
どのようにして解読したかについては説明は控えたい.
それは解読が正しいかどうかには影響しないし,この技術の秘密を明かすことになる.
(p.55)
解読の技術は現在のところごく少数の者の手に握られており,そうあり続けるべき.
個人的な利害から言っているのではない.公表すれば公共に害をなす.解読の手順が知られれば,書き手は警戒し,ただでさえ難しい解読を一層難しくし,古い暗号を改良したり完全に新しい種類の暗号を発明したりするだろう.

カトリック陰謀事件の暗号

(p.56)

後記

1681年に下院の命令によりCollection of Letters and other Writings, &c.が出版された.カトリック陰謀事件関係の暗号関係の記述がある.その中で解読できないままとされた数字暗号文を掲載しておく.

〔HayのAppendix Aに暗号文と解読文が発表されている(別稿(英文)参照).〕

平文部分を英訳してしまっているが,原文のフランス語でも掲載するべきであった.いろいろ誤りがある.しかも〔解読してみたところ〕暗号文にも誤りがあった.これらのヒントがこの暗号文を解読しようという人の助けになるだろう.

おまけ

London magazineに本書の出版広告をみつけた.

"The Monthly Catalogue for February 1737"という項目でMiscellaneousの中にある.

30. An Essay on the Art of Decyphering, with Dr. Wallis's Discourse on that Subject, now first Publish'd. By John Davis, M.A. Printed for Mess. Gilliver and Clarke, pr. 1s. 6d.

文献

John Davys, An Essay on the Art of Decyphering (1737)

Biographia Britannica (Google)

Thomas Carte, The life of James duke of Ormond, a new edition (1851) (Google)

Malcom V. Hay, Jesuits and the Popish Plot (Google, reprint in 2003)



©2012 S.Tomokiyo
First posted on 17 November 2012. Last modified on 25 July 2015.
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