ジョン・フォークナーの『クリプトメニシス・パテファクタ』

チャールズ二世が没してジェームズ二世が即位した1685年,ジョン・フォークナーの『クリプトメニシス・パテファクタ』(John Falconer, Cryptomenysis Patefacta)が出版された.ラテン語のタイトルは「暴かれた秘密通信」というほどの意味で,英語の副題に「鍵なしで暴かれる秘密情報の技術.あらゆる種類の秘密記法の解読のための平明かつ実例に基づく規則を含む」とある通り,暗号解読が主題となっている.さまざまな暗号法を紹介した上でその解法を示すのだが,「解読不能」と言われたヴィジュネル暗号に対して仮定語を使った解読法を示しているのが特徴といえる.

解読法の紹介では暗号化の方式がわかっていることが前提になっているが,重要な場合には紹介されている方式を片っ端から試してみることくらいは想定されているのだろう.

また,ジョン・ウィルキンズの『マーキュリー』(別稿参照)で紹介されている手法を実用的でないなどと批判したり,巻末ではトリテミウスの著作に批判的なコメントをしたりしている.本書が『マーキュリー』の影響を受けていることは章立てなどからも明らかだが,実際に暗号解読に従事した著者の立場から批判的に考察されている.

刊行の背景には政情不穏な情勢 (『イギリス革命史』上巻第三部等参照) もあった.特に,1683年春には国王チャールズ二世と王弟ジェームズを狙ったライハウス陰謀事件が起こり,それがきっかけとなってスコットランドの大貴族アーガイル伯 (Wikipedia) の反逆行為が「昨年」発覚したのだが,政府がその暗号解読(別稿(英文)参照)に手間取ったことで危機感を覚えたようだ.さらに「現在進行中の公然たる反乱」(1685年のジェームズ二世即位に伴うモンマス公の乱で,アーガイル伯も加わり処刑された)は刊行を急ぐ新たな動機となったという.そんな事情からアーガイルの暗号への言及が多い.

なお,著者名のカナ書き「フォークナー」はWebster's New Biographical Dictionaryが(別人だが)スコットランド人Falconerの発音を「フォークナー,フォー(ル)コナー」とし,研究社『リーダーズ・プラス』もカナ書きを「フォークナー」としていることによった.各種英和辞典によると,普通名詞としてのfalconer(「鷹匠」の意)にはいろいろな発音があるが,現在のイギリス英語では「フォールコナー」,アメリカ英語では「ファルコナー」の発音が主流のようである.

著者フォークナーの生涯については資料がなく,Oxford DNBでも立項されていない.大家デーヴィッド・カーンは本書はフォークナー没後の出版としており,筆者もそれにならった記述をしたことがあるが,アーガイル伯に関する言及の多さや1685年のモンマス公の乱を指していると思われる記述は,少なくとも刊行当年の1685年に著者が存命であったことを示している.カーンの挙げるBiographie universelleの記述からはフォークナーがジェームズ二世に従って亡命したのはカーンのいうような即位前ではなく,名誉革命(1688)後のこととも読める.カーンはBiographie uverselleのソースと思しき書(Thomas Falconer, Bibliography of the Falconer Family, 1866のことと思われる)も参照しているが,そのさらにソースとなったのはThe Annual biography and obtuary for the year 1825の巻末のBiographical index of deaths, for 1824と思われる(Google).この記述を素直に読めば,やはりフォークナーは存命中に本書を刊行し,名誉革命後にジェームズ二世に従ってフランスに亡命して客死したように思われる.


『クリプトメニシス・パテファクタ』のテキスト:

Internet Archive

前付

献辞

ミドルトン伯 (Wikipedia) への献辞.伯が国務大臣(1684.8-1689.2)であることに加え,先代のミドルトン伯 (Wikipedia)(亡命時代のチャールズ二世は1654年のスコットランドでの蜂起の指揮を伯にゆだね,王政復古後はスコットランドでの国王名代にも取り立てた)以来の忠実な王党派の家系であることが献呈の理由.

読者へ

暗号解読を扱う本書上梓のいきさつ.そもそもは「数年前」にある紳士と秘密文字で書かれたものを解読する可能性について話し合い,目新しさに引かれて試してみるとうまくいったことがきっかけだった.大家フランシス・ベーコンが『学問の進歩』(1605)で暗号解読法が望まれていると述べていることもあって探求することにした.

アーガイル伯の反逆行為が「昨年」発覚したことでこの著作に取り組むことを決意し,「現在進行中の公然たる反乱」は刊行を急ぐ新たな動機となった.

序文

暗号の是非について.トリテミウスをはじめこれまでは暗号の知識の公表が公共の害になるという考えが主流だったが,それでも暗号解読の知識の普及は有益.アーガイル伯の暗号解読に手間取ったことを知って公表を完全に決意した.

本書では次の事項を論じる.

第1章 文書の秘密(暗号記法(Cryptographia), 隠蔽記法(Steganographia)などと称される)および解読法〔※当時はsteganographyはcryptographyと同義に使われていた.〕

第2章 記号話法(saemaeology)(合図やジェスチャーによる秘密情報伝達)

第3章 暗号話法(cryptology)(発話の秘密)

第4章 書いたものを伝達する秘密手段(cryptogrammatophoriaと呼んでいる先例がある)〔※現在ではこれがステガノグラフィーと呼ばれている.〕

第5章 トリテミウスの方法の考察

第1章 秘密記法およびその解読法 (p.1)

第1節 文字の値を変えることによる秘密記法 (p.3)

¶1 いくつかのこの種の古代および現代の発明

『マーキュリー』が古代のユダヤに関する例に言及している.

シーザー暗号.カエサルとアウグストゥスの例.

キーワード(ニーモニック鍵)による換字表指定.キーワードによるペアリング表指定.(p.4)

換字後も発音可能になるような換字暗号も見たことがある.

だが個別事例はそれほど意味はない.トリテミウスの第五書はひたすら換字表を収録しているが,それでも扱ってない組み合わせが多数ある.

5世紀のフランク王ファラモンドは新アルファベットを考案.その子クロディオやカール大帝も同様.(p.6)

(聖書の)エズラが暗号目的でヘブライ文字を発明したという人もいる.

トリテミウスが第六書『ポリグラフィア』〔多記法〕(Polygraphia)で多数そのような例を収集している.

ガスパール・ショットの著作『自然と人工の遍在的驚異』(Magia Universalis [naturae et artis])は,アタナシウス・キルヒャーの手稿で発見した,点や数字による記法を紹介している.

・数字(1 2 3 4 5)と句読点(, ; : . ?)の組み合わせで文字を表わす (p.7)

・2つの数字の組み合わせで表わすほうがベター

さらに近年ではスコットランドでの発見(アーガイルの反逆行為のこと)にも例がある(別稿(英文)参照).

解読法 (p.8)

第一に,母音を子音から区別.頻度や単語の切れ目を手がかりにする.

第二に,母音を特定.

第三に,子音を特定.

数字暗号の例 (p.12)

下記では上記の解読法を防ぐいろいろな暗号法について述べる.(p.13)

¶2 使用頻度の少ない文字を省いて,代わりに母音を表わす文字を使う.

〔たとえば平文のQは省くことにし,Eに2通りの換字を割り当てるなど.〕『マーキュリー』(第11章参照)より.

解読法 (p.14)

この方法の利点はよくわからない.小頻度文字を省いても大差ないはず.〔著者は母音を2通りの換字で表わすことによって頻度が半分になるという点に気づいておらず,同じ暗号文字が2つの平文文字(上記の例ではQとE)を表わすという点を問題にしている.〕

¶3 単語の区切りを示さない (p.15)

『マーキュリー』(第11章参照)によって言及されており,最近,特に故アーガイル伯(別稿(英文)参照)によって多く利用されている.

解読法

母音と子音の区別などは可能で,これによって苦労した経験はない.

¶4 誤った単語の区切りを挿入 (p.16)

『マーキュリー』(第11章参照)によって言及されている.

解読法

怪しいと思ったら区切りを無視すればよい.

¶5 冗字の挿入 (p.16)

フランシス・ベーコンはじめ多くの著書で提案されており,実用もされている(アーガイルの暗号(別稿(英文)参照)など)

解読法

異なる記号の数を調べ,それがアルファベットの文字数より多ければ冗字がはいっている可能性が高い.ただし,冗字ではなく代名詞〔などの高頻度語〕,音節などを表わす可能性もある.

多くの冗字があれば,個々の文字は頻度が低いはず.だからこわがることはない.

冗字の数が少なければ頻度が高く,母音や子音から区別できるはず.(特に,記号の間の並び順を考えれば.)

¶6 キー文字による秘密記法 (p.17)

『マーキュリー』(第7章参照)その他によって推奨される技法.行,単語,文字ごとに換字表を切り替える.〔多表式換字〕

面倒な方法で実用的ではないが,解読不能との信仰から広まるといけないので,その難しさを検討しておく.

キーワードに基づいて作成したヴィジュネル暗号の換字表とその使用法(p.19)(p.22にアルファベット順に整理したヴィジュネル表)


(1) 行ごとに換字表を切り替える暗号文の例(p.20)

解読法

1.1行ごとに換字表を変えるなら,1行ごとにこれまでの方法を適用すればよい.ただし,他の多くの解読法がある.

2.1行の中に,1文字の単語があれば,その文字がAを表わす.それからその行の換字表が判明する.


(2) 単語ごとに換字表を切り替える暗号文の例 (p.24)

単語の先頭や末尾に着目していくつかの鍵字を特定.その後は前と同様.

あるいは鍵長を推定.一つの単語について換字表がわかったら,その後の単語について同じ換字表で解読できるものをみつける.同じ語数ずつ進んだ単語は同じ換字表で解読できる.

ただし,キーワード中に同じ文字が2回現われると規則性が乱れるので注意(p.25).


(3) 一文字ごとに換字表を切り替える暗号文の例〔いわゆるヴィジュネル暗号〕(p.26)

Y ox oqpvtv yw oqnc yvg Xdzorgpl

kgsn mmaq hhwc pbo qcpw saib

xgycpl xx df eqgw oycp, zigxyy gq.

yxs pwgkq hgimhvtl: mnvy.

解読法仮定語を用いたヴィジュネル暗号の解法

たとえば暗号文中の三文字語すべてを仮にtheまたはandなどと仮定するして,換字表の先頭の文字を書き出してみると,仮定が正しければ意味のあるキーワードが現われる.第1行のyvgをtheだとすると,t→yの対応は(アルファベット順のヴィジュネル表で)第5行(先頭はE),h→vの対応は第13行(先頭はN),e→gの対応は第三行(先頭はC).先頭の文字をつなげるとencとなり,これがキーワードの一部と思われる.

他の部分についても同様に進めたり,あるいはキーワードのencの次がeと仮定して換字表のEで始まる行を見ると暗号文のxに対応するのは平文のS.このようにしてキーワードまたは平文中の手がかりを拡大していく.キー全体はわからないかもしれないが,助けになる.(p.27)

単語の先頭の文字にどんな文字が続くかを知っていれば助けになる(p.28に表).

キーワードの文字数がわかれば同じ換字表の反復の周期がわかる.

単語ごと・文字ごとに換字表を変えると,単換字暗号に比べ,文字の出現頻度が均等になる.(p.29)

この暗号法は手間がかかって実用に向かないばかりでなく,少しでも間違いがあれば鍵を知っている仲間でさえも解読できなくなる.それに仮定語により破られる可能性がある.よって,解読が難しいという点のほかは暗号が備えるべき性質を備えておらず,その解読困難さにしても不可能というわけではない.(p.30)

¶7 若干数の数字を援用して普通の文字で秘密の意図を伝達(p.30)

ガスパール・ショットがグロンスフェルト伯から教わって伝えているもの.

キーワードの数字を繰り返して記すことにより平文の各文字に規則的に数字を割り当てていき,割り当てられた数字のぶんだけ文字をずらす.〔グロンスフェルト暗号

解読法(p.32)

キーワードの数字の桁数を(いろいろ仮定することにより)推定.暗号文の上に順に数字を(123123…のように)書いていき,同じ数字が同じ文字に対応している例をみつけていく.それは常に平文の同じ文字を表わす.

平文の同じ文字の連続が暗号文で同じ文字の連続になることはない.〔キーワードとなる数字に同じ数字の連続があれば別だが.〕よって,暗号文で同じ文字が連続したらそれは平文では異なる文字を表わす.(p.33)

このような点に注意すれば一部の語を特定することができ,それを手がかりに残りも解読できる.

文字のずらし方向は前後両方とも検討すべき.

¶8 点や線による暗号(p.33)

『マーキュリー』で紹介されている(第11章参照).

第2節 文字の値は同じままで文字の位置を変えることによる秘密記法〔転置式暗号〕(p.35)

『マーキュリー』に紹介されている単なる行と列の入れ替えの例(p.36)

¶1 三つ以上の文字の組み合わせ(p.37)

上記の単純な転置に対する最初の注目すべき改善は三つ以上の文字の組み合わせを使うこと.これはある人から聞いた手法.その人は悪用するようなことはないが,悪用された場合に備えておくことの了解を得た.

n個の文字の順列の説明(p.38)

¶2 組み合わせによる秘密記法(p.40)

たとえば「3文字の組み合わせ」を選ぶとする.(三文字なら三角形を書くなどして受信者に伝える.)

A B C
CBA 3 2 1
CAB 5 6 4
ACB 7 9 8
BCA 11 12 10
BAC 14 13 15

のような表を作っておき,上記の数字の順番に一文字ずつ書いていく.1行目ではCBAの順に,まずCの列,Bの列,Aの列の順に書いて行く.次の行ではCABの順に一文字ずつ書く,などとなる.16文字目からはまた最初のますに戻る.このようにして各ます目に所定数までの文字を書き込んでいく.

列・行ごとの単位(一ます分の文字)を単位としてピリオドで区切っておく.

解読法(p.44)

1.組み合わされる文字数がわかっている場合,各ますの1字目を集めて順序を推定する.

例:最初の3グループからの先頭文字a,e,wを抜き出せば,順序が乱されていてもwe/aと推定できる.次の3文字がe,b,rなら最初の3文字につなげてwe are bと推定.など.

2.文字数がわからなければ,単位の数の約数を求めればそれが候補になる.上記の例なら15個の単位があるので,暗号化に使ったますは15個であり,上記の表は3列×5行または5列×3行と推定できる.

約数の見つけ方の説明.(p.46)

上記1.の方法の助けとして,各単位(ます)から1字目だけを抜き出して並べて1つの行に.2字目だけを抜き出して並べて第2行に,などとする.(あるいは,各単位を桁が揃うように縦に並べて書くだけでもよい.)(p.47)

各行の文字の並べ替えで単語(特にthe,thatなどの高頻度語)が作れるかどうか検討.→それにより置換の順序を仮定.ある行で仮定したら他の行で成り立つかどうか調べ,複数の行で同じ並べ替えが成立すればその並べ替えが正しい可能性が高い.(p.49)

¶3 平行斜線を使った秘密記法.文字がその図形から対角線状に取り出される(p.52)

長方形(グリッド)上に平文の文字を書いていき,斜めに(1,1)→(2,1)(1,2)→(3,1)(2,2)(1.3)のように拾っていって暗号文とする.

解読法(p.54)

難しいのは縦横の字数を見出すことだけ.だから文字数の約数を調べればよい.

そんなことしなくても,斜めに(1,1)→(2,1)(1,2)→(3,1)(2,2)(1.3)のように一文字ずつ書いていけば平文が出てくる.

そのような解読法に対する対策は,1.左上以外のコーナーからはじめる.2.文頭に冗字を入れる.(p.55)

1.の場合,同じようにすれば平文が出てくる.ただし,右端からはじめた場合は文字を逆方向に読む必要.2.の場合は単に時間の問題.平文らしいものが出てこなければ,最初の1字を無視して同じようにやってみる.それでもだめなら最初の2字を無視する,など.

¶4 単語の位置を変えることにより手紙の意味を乱すアーガイル伯の方法〔アーガイルの暗号〕(p.56)

単語の位置を変えるのも文字の位置を変えるのと同じ方法で解読できるので,故アーガイル伯の暗号もここに入れた.

上から下へ,次いで下から上へと読み進んでいく.

列数・行数が鍵になるが,手紙の末尾で金額などに擬して伝えられる(ガスパール・ショットが『隠蔽記法講義』(Schola Steganographica, 1665, テキスト)で述べた手法).

解読法(p.58)

問題は行数・列数を知ることだが,手紙の語数が128語なので,その約数を検討すればよい.

冗語(無視すべき語)があると約数の方法はうまくいかないが,順に試していけば,どこかで意味のある並びが見えてくる.

¶[5] 先の方法をより巧妙にしたもの(p.62)

列の入れ替えをすればより解読しにくくなる.表をつくって各ますに1文字ずつ書いていく.表の各行には5 11 3 16 1 8 6 ...と番号がついている(これがあらかじめ取り決めた鍵).暗号文を作成するには,まず「1」の列を上から順に1文字ずつ書いていき,「2」の列,「3」の列…と進む.〔鍵付き列転置式暗号〕

解読法(p.63)

上記¶2などの方法が有効.試行錯誤して行数を仮定し,文字の組み合わせを見てtheなどの高頻度語を作る並べ替えを発見し,同じ並べ替えが他の行でも有効であれば,それが正しい並べ替えの可能性が高い.(p.64)

1.このような転置は,疑いを招く.

2.文字の頻度(母音の多用など)により換字などから区別できる.

3.文字の頻度から言語を推定できる.文字の使用自身で言語がわかることもある.たとえばwを使うのは英語,オランダ語または他のチュートン語〔ゲルマン語〕.kはラテン語では使わない.qは英語では少ない.固有名は例外.

第3節 語をなすのに必要なより多くの文字または記号を使うことによる秘密記法(p.66)

単語の一部の文字を拾って読むという類のものは明らかに実用的ではなく,『マーキュリー』(第8章参照)などで紹介されているが,追求しない.

アクロスティックのように1行のうち最初の1文字のみをつなげるとメッセージが現われるというものもある.

ガスパール・ショットは,トリテミウスの,単語の第1字,第2字,第3字または末尾の文字が秘密の意図を表わす秘密記法を紹介している.

だがこの種の多数の方法は一般的な注記にとどめておくことにする.

¶1.通常の手紙の中の点などによる秘密記法(p.67)

最初の注目すべきものはガスパール・ショットが紹介しているもの.

まず,各文字に数字を割り当てておく.

次に,どんな言語でもいいので普通の商用文などを用意する.

通信文の第1字に割り当てられた数字が3だったら,商用文の3文字目に印(点など)を付ける.第2字に割り当てられた数字が6だったら,そこから6文字目に印を付ける,などとしていく.

解読法(p.69)

印がついているのが何番目の文字かを順に書き出していけば,単なる単換字暗号に帰着できる.

マキアヴェリは『戦争の技術』(英語版)で,当時,公に掲示される文章の行間に秘密の記号を書き込むことで秘密の意図を味方に伝えていたと述べているが,おそらくこのような方法だったのだろう.

¶2.疑いを招かないまたは疑いをそらすために冗字を挿入するいくつかの方法〔カルダーノ格子〕(p.70)

例1(p.71)

各行の左半分だけを使って伝えたい文章を書き,各行の右半分に適当な単語を入れて全体として全く別の文章にする.

解読法は自明だろう.

例2(p.74)

穴をあけた紙を用意し,その紙をあてがって穴の部分だけを使って伝えたい文章を書く.その後,余白に適当な単語を入れて全体として全く別の文章にする.

解読法

確たる解読法はないが,疑いの目にかかれば怪しい単語を手がかりになんとか推測できるだろう.犯罪の証拠となるほど確実とはいえないが,念のため対策を取るくらいのことはできるはず.

穴が単語や音節くらいしかはいらない穴であれば,ずれたら全く違う意味に解読されることになりかねない.センテンスがはいるくらい大きい穴を使えば解読は容易になる.(p.75)

例3(p.76)

先の二つの方法で作るうわべの文章をちょっとしたいたずらや情事の内容にして秘密文字で書く.すると秘密文字を解読した人は秘密を暴いた気になってそれ以上せんさくしない.

だがひとたび疑われれば先の二つの例と同様.

例4(p.76)

フランシス・ベーコンが『学問の進歩』で疑惑をそらす方法を述べている.

異なる記号を使った換字表を2セット用意しておく.一方(真の換字表)は真のメッセージを暗号化するのに使い,もう一方(おとり用の換字表)は疑惑をそらすためのおとりの文章を暗号化するのに使う.両方の暗号文を混ぜておく.通信相手は,おとり用の換字表の記号は無視して,真の換字表の記号を解読すればよい.使者が捕まって追及された場合,おとり用の換字表で解読して,真の換字表の記号は冗字ということにすればよい.

解読法

この方法が公表されなかったら効果があったかもしれないが,高名な著者によって公表されたことで,検閲官は冗字と言われた記号も検討するだろう.

1.記号の種類がどれだけあるかで,二種類の換字表が使われていることは判明する.

2.二種類の換字表が使われていることさえわかれば,頻度などから同じ文字を表わす記号を特定できる.

3.二組の換字表の区別ができれば,あとは単換字暗号にすぎない.

¶3.アルファベットのすべての文字を,そのうちの2種,3種または5種だけで表わす(p.78)

例1

アルファベットの24文字はa,b,c,d,eの5種の記号2つで表わせる.aa, ab, ac, ....(5^2=25)

例2

a,b,cの3種の記号3つで表わせる.aaa, aab, aac, aba, .... (3^3=27)

例3

a,bの2種の記号5つで表わせる.aaaaa, aaaab, aaaba, .... (2^5=32)〔フランシス・ベーコンの二文字暗号,二進符号〕

¶4.二つの形をもつアルファベットによる秘密記法(p.83)

たとえばローマン体とイタリック体の文字を用意しておき,一件何の変哲もない文章のうちイタリック体の文字だけを拾って読むと秘密が現われるようにする.

¶5.フランシス・ベーコンの発明した記法OMNIA PER OMNIA(p.84)

これは¶3の二文字暗号と¶4の二つの形をもつアルファベットを使う.

たとえばローマン体とイタリック体の文字を二文字暗号のa,bに対応させる.

これは任意のものによって任意のものを(omnia per omnia)表わす最高度の暗号であり,暗号文が原文の文字数の5倍の長さになる〔1文字がaまたはbの5文字で表わされる〕という以外に制約はない.(p.86)

上記¶3の例2のような三文字暗号を使えば3倍ですむ.

これはトリテミウスの記述するもの〔第5章第3節で論じるアベマリア暗号のこと〕よりすぐれている.

¶1で紹介した点を使った方法も任意のものによって任意のものを(omnia per omnia)表わすことができるが,この方法だと暗号文の長さがずっと長くなるのでベーコンの方法のほうがすぐれている.(p.87)

〔※ここでフォークナーはベーコンが『学問の進歩』で使ったwrite omnia per omniaという表現をexpress any intention by any writingとパラフレーズしているが,ベーコンの趣旨は,視覚でも聴覚でも二通りの区別さえできれば文字に限らず「鐘でも,らっぱでも,明かりやたいまつでも,マスケットの銃声でも」どんなものを使っても情報伝達ができるということであったように思う.ベーコンはまさに今日のデジタル技術の基本である二進表現を先取りしていたといえる.〕

解読法

二つの形(場合によっては三つの形など)のアルファベットを見分けてA, B(またはA, B, Cなど)に置き換えていけばよい.

第4節 語をなすのに必要なより少ない文字による秘密記法(p.88)

略語を扱った著者は多いがあまり追求されていない.法律でも使われたが混乱を招き,ユスティニアヌス帝は略語を廃止した.

後世では速記もこれに加えられる.

最初は,記号(character)が単語全体を表わした.実際上は多大な労力を費やしてそのような記号を用意して熟達させる必要がある.

次に,これをより実用的にして,速記では,記号は音節,時に単語を表わすのに使われる.

これはあくまでも暗号ではなく速記.

秘密記法では単一の記号で一連の語を表わすことがめずらしくない.アーガイル伯妃の手紙ではD(またはDに対応する数字暗号の43)がhe, his, their, himなどの代名詞を表わしていた.だがそのような記号が若干はいっていても,通信文全体の意味から区別できる.(別稿Earl of Argyll's Ciphers (1683)参照)

第5節 紙またはその代わりに使われる素材の仕掛けによる秘密記法(p.91)

¶1.スパルタのスキュタレー(p.91)

ウィルキンズ『マーキュリー』はこう説明している.棒に細長い羊皮紙を,端をくっつけながら巻く.隣り合う端と端にまたがって文章を書いていく.羊皮紙を解くと両端に文字の断片があるだけなので読めない.〔※Wikipediaなどにある一般的な説明とは異なっていることに注意.〕

解読法

紙片を巻いてみて分断された最初の文字がつながるようにしてみる.いろいろなサイズの棒を用意しておくことは難しくはない.だが最初の一組のつなぎがわかれば,あとは棒なしで手でも読み取れる.

紙片に書く文字が暗号文字で書かれていたとしても,紙に書き出せば普通の記号暗号の解読と同じ.

¶2.スキュタレーの改良(p.93)

糸をあらかじめミョウバン水に浸してから棒に巻き,書く.〔不詳.¶4参照〕

解読法

上記と同じ.

¶3.糸または板による秘密の意図の表現(p.93)

『マーキュリー』(第5章参照).

解読法

単換字暗号と同じ.

¶4.糸の結び目による秘密の意図の表現(p.94)

『マーキュリー』(第5章参照).

結び目の代わりに糸にをミョウバン水に浸すと,インクで小さな印を付けることができる.

解読法

板の幅を見出すことがポイント.

糸の厳密な長さを測ると,その約数のどれかが板の幅になる.

もう一つの方法は,さまざまな結び目の間の距離を調べると,共通の距離が割り出せ,それが板の幅になる.

板の幅の推定が異なっていれば,縦に並ぶ結び目がほとんどないのですぐわかる.推定が正しければ同じ文字を表わす結び目が縦に並ぶはず.

板の幅がわかればあとは簡単.

板の幅を使わない解読法もある.結び目の間のあらゆる距離に2文字を割り当てていく.第1と第2の結び目の間隔と第4と第5の結び目の間隔が等しいとすると,第1と第2の結び目がthなら第4と第5の結び目もth.

¶5.新しい綴じられた本の端を使った秘密記法(p.96)

ポルタは新しい本の小口に秘密のメッセージを書く手法を紹介している.ページの束を端が離れそうになるまで反らせて〔小口に〕メッセージを書くだけ.

解読法

疑ってみさえすればあとは簡単.

¶6.カードの端に書く方法(p.97)

ポルタは上記の方法はトランプや用紙で行なってもいいと述べている.

この場合はカードの並びを崩しておけば発覚しにくくなるが,それにしても遅らせる程度の効果しかない.連続するカードの印はほぼ同じ位置のはずなので,そのようなカードをさがしてつなげていけばよい.

第6節 インクその他の液体による秘密記法(p.98)

あぶり出しインクなど.

第2章 合図やジェスチャーによる秘密情報ならびにその解法(p.100)

記号話法(saemaeologia)と呼ばれる手法.

単語や文字を使わない伝達手段.二つの種類がある.

第1節 象徴的な合図やジェスチャーによる情報(p.101)

合図やジェスチャーは動作との類推ないし類似によって事物を意味する.

¶1.情報を表わす一時的な合図(p.101)

ジェスチャーはいわば一時的なヒエログリフである.ジェスチャーによって表わされるヒエログリフは刹那的だが,描かれることによって消えずに残る.

支配を保つすべを問われた専制君主が高い花を切って見せるなど.

¶2.ヒエログリフ〔象形文字〕のような恒久的な合図(p.102)

表わすものと類似した図柄で表わす.

〔ヒエログリフについて縷々記述されているが,シャンポリオン前であることに注意.〕

第2節 協定によって意味を表わす合図やジェスチャー(p.109)

¶1.何も象徴するものがない現実的な文字

昔のヒエログリフは常に意味されるものとの何らかの類似性をもっていて,本当に象形文字であった.中国では表現と意味との自然な類推から抽象化して事物を表わす(現実的な)文字(単なる名前を付けるだけの文字ではなく)がある.いくつかの国〔中国と日本など〕は,互いの言語を全く知らないにもかかわらず,筆談ができる.この普遍通信の方法を導入しようとした人は(ウィルキンズ司教,ガスパール・ショットら)少なくないが,ヨーロッパには適さない.膨大な数の記号を考案しなければならず,ましてや秘密情報への応用は難しい.

¶2.関節話法(p.111)

関節や身体部分による伝達.多くの著者が扱っているが,特にガスパール・ショットはラテン語と高地ドイツ語で関節話法アルファベットを導入している.それに倣うと,英語ではA(耳),B(顎),C(髪)など.

学校の子供が使うのを知っている.

だがある程度距離が離れると見分けられないので実用的ではない.

¶3.指話法(p.112)

古代人は100未満の数は左手の指で数え,100〜9000の数は右手の指で数えた.

それを応用して指で文字を表わすことができる.A(左手の小指),B(小指と薬指),F(左手のすべての指と右手の小指)など.

¶4.視覚または音を媒体とする秘密通信法(p.114)

昼なら煙,夜なら火を使う方法は古代からある.多くの著者によればトロイの木馬の鍵を開けるのにも使われたという.

のちにはたいまつによる通信も考案された.左右に5本ずつのたいまつを用意し,それぞれ何個火がともされているかで5×5=25通り,つまりアルファベットの全22文字(J,K,V,Wがない)を表わせる.

実質的には2桁数字で表わす単換字暗号.

ガスパール・ショットは同じことを一本のたいまつで行なうことを記述している.

海上での旗による伝達もある.

トランペット,太鼓,鐘などや音符もある.

それらの使い方は第1章第3節の三文字暗号,二文字暗号と同様.

第3章 暗号話法(発話の秘密)(p.117)

暗号話法は事項に基づくものと単語に基づくものがある.

第1節 事項に関する発話の秘密(p.119)

伝えたいこととは別の事項を表現することによる.

¶1.言ったことと意味されることの間に何らかの類似がある暗号話法(p.119)

高い花を切るという発言〔第2章第1節¶1〕と同じこと.

隠喩(metaphor),寓喩(allegory)などもこれに帰せられる.

¶2.表現される語と理解される語の関係が単に協定による発話の秘密(p.122)

例は無数にある.

解読されたアーガイル伯の「長い手紙」〔アーガイルの転置暗号(別稿参照)が使われている2通の手紙のうち長いほう〕は書かれたものではあるが,BrandがScotlandを,BirchがEnglandを表わす.〔つまりコードネームや隠語と同様.〕

¶3.単語に何の変更も加えない暗号話法(p.124)

表面上は意味をなすが当事者たちにとっては意味のない単語を使う.

たとえば生物に関する語の直後の単語のみが意味をなすと決めておく.

ガスパール・ショットがこれを提案しており,例〔ラテン語〕を挙げている.筆者は英語の例も添えておく.

・この方法は応用がきく.たとえば生物に関する語ではなく,単語の区切りを目印にしてもよい.〔cf. トレヴァニオンの暗号〕

・1番目,5番目,15番目,など位置によって識別されてもよい.(ただし,これは十分な準備時間のとれるあらかじめ考えた談話でしか実用可能でないだろう.)

・伝えたい内容を表わす単語に印をつけてもよいが,疑いを招きやすい.いったん疑われれば,注意深く調べれば解読できる.

解読法としては最も確実なのは速記で談話全体を書き留めるか覚えるかして,あとで検討すること.

第2節 単語に基づく暗号話法(発話の秘密)(p.126)

¶1.創造された単語に基づくもの

『マーキュリー』〔第3章〕が扱っている乞食の隠語(canting)や魔女の呪文(charm)・魔術師の言葉については知らないが,新たな言語を創造することだとしたら,第2章第2節¶1で述べたように現実的でなく,それなら東洋の言語を習得したほうがいい.そもそも母語で小声で話せばいいのではないか.

若干の新しい単語を創造するということであれば,前節¶2で扱ってある.

¶2.発話において既知の言語を変更する(p.127)

『マーキュリー』(第3章)は4つの方法を提示しているがいずれも子供じみている.

¶3.単語の秘密伝達(p.128)

ガスパール・ショットは同席者がいても怪しまれずに内密に話すいくつかの方法を紹介している.

一つは,アーチのある長い回廊で,一人がアーチの一端で小声で話すと,もう一人に明瞭に聞こえるというもの.

もう一つは長い管を使うというもの.

要するに仕掛けがいる.

ワルキウスなどは密閉した管に音声を閉じ込めて運べると述べている.これは霜が音声を取り込んで,溶けるときになって聞こえたというおとぎ話を思い起こさせる.

『マーキュリー』(第17章)も批判している.

ローマのセウェルス帝はイングランドの北をカーライルからタイン川に及ぶ城壁で固め,適当な間隔で設けられた見張り小屋の間を管でつないで敵が来たら城壁の各所に連絡できるようにしたという.だがこれは秘密というよりは迅速のため.

いずれにせよ,疑惑の目を向けられる限り,暗号話法は無意味だろう.

第4章 書いたメッセージを伝達する秘密手段(p.131)

メディアのハルパゴスが野うさぎの腹に手紙を隠した.(p.132)

アレクサンドロス大王の継承者の一人アンティゴノスの子デメトリオスについても同様のエピソードが伝えられる.

食べ物に隠して手紙が運ばれたことも多い.Polycretesがメッセージをタルトに隠してフェニキアの将Diognetusを出し抜いた件(バティスタ・ポルタ,ガスパール・ショットなどが伝える).

手紙をパン生地に隠して,メッセージを含んだ部分を切り落として乞食に扮した信頼できる家臣に与えて運ばせることもある.ガスパール・ショット『隠蔽記法講義』によれば,スウェーデンとポーランドの間の先の戦争で,ポーランドの軍人がパンに隠してダンツィヒまでメッセージを届けようとして,何度もスウェーデン部隊を通り抜けたが,スウェーデン軍に属する飢えた兵士に奪われたことで露見した.

ガスパール・ショットはまた,オランダにおける高位の虜囚に関するエピソードを紹介している.友人が手紙を見事なナシに隠して他の果物と一緒に届けたのだが,まずそのナシを手に取るだろうという期待に反して,ナシは手付かずで残され,獄吏の手に渡ってしまったという.(p.133)

卵に秘密のメッセージを隠す多くの方法がある.

・光に透かしてみないと見えない方法.

・ゆでたときに初めて白身にメッセージが現われる方法.

・殻に書いたメッセージが水につけないと見えない方法.

・卵を火に当てないと何も見えない方法.

・砂をかけないとメッセージが見えない方法.

手紙を服に隠すこともある(オウィディウス『恋の技術』).(p.134)

靴底,女性の髪などに隠すこともある.

刀の鞘の内側,刀,甲冑などにメッセージを書くこともある.

ろうそくに包み込む例も伝えられている.

その他いろいろ.

第5章 トリテミウスがボスティウスへの手紙〔1499〕で言及している秘密情報のための提案について(p.146)

トリテミウスがボスティウスへの書簡〔1499; 執筆中の著作『隠蔽記法』(Steganographia)について述べた手紙だが届く前にボスティウスが没し,その内容が公表された;『多記法』(Polygraphia)という別の著作が1518年に刊行されるが,『隠蔽記法』はトリテミウス死後の1606年まで刊行されなかった〕やその他の著作で述べた提案の数々について述べる.真にトリテミウスの著作かどうかはここでは問わないことにする.

考察1 いかがわしい契約なしにいかにして第一巻での約束を実行できたのか(p.155)

トリテミウスいわく,第一巻は疑惑を招くことなく,文字の入れ替えもなしに,発見の恐れのない秘密記法を百以上含む.私から方法を教わらない限り誰も私の手紙の意味を知ることはおろか,想像することもできない.

これまで見てきたように,方法が公表されていなければ疑いを招かないだろう手法はいろいろある.スキュタレーやシーザー暗号などはみなこの要件を満たしておらず,トリテミウス以前は疑惑を招かないようにすることはほとんど考えられていなかった.そもそも当時は暗号解読法も知られていなかったのでトリテミウスの自信も理由があるかもしれない.ただ,当時であっても,トリテミウスが強調したほどのことはないように思える.

具体的にはおそらく第1章第3節で述べた表面上の単語の第1字のみを有意にする,あるいは1語飛ばしに第1,第3,第5などの語の最初の第1字のみを有意にするというものだろうが,特別なものではない.

ガスパール・ショットはいくつかの例を挙げている.これほど偉大な著者らによって主張されているものを無視すると思われないよう,例を挙げておく.〔ラテン語の文章の第1,第3,第5…の語の最初の文字をつなげるとラテン語のメッセージが現われる例.〕(p.157)

ガスパール・ショットはいろいろな変形案を述べているが,いずれも書くのが非常に骨が折れ,いったん疑惑をもたれたら解読は非常に簡単だ.

この方法がトリテミウスの『隠蔽記法』の第一巻の主題であった.

1.これはトリテミウスの名で発表された『隠蔽記法の鍵』(Clavis Steganographiae)という書で発表されている.(p.158)

2.ガスパール・ショットはこれをトリテミウスが書いたかどうか疑っているようだが,『隠蔽記法の鍵』では例の中の古ドイツ語の単語が現代オランダ語で置き換えられて意味をなさなくなってしまっており『隠蔽記法の鍵』の出版者はこの方法を理解していなかったようだと述べて,暗にトリテミウスが書いたことを認めている.

2.他方,私は『隠蔽記法の鍵』が本当にトリテミウスのものであるということがありうると思う.彼の他の著作はその死後ずっとあとに刊行されて,それでもみなトリテミウス自身のものと認められている.それに簡単なことを曖昧に表わす独特のスタイルは本物であることのいい論拠になる.

3.この秘密記法には無数の変形があるが,トリテミウスのいう巧妙さを除いてみなトリテミウスの提案に一致する.

考察2 『隠蔽記法』の第二巻について(p.160)

第二巻はもっと奇妙なことを書いている.いわく,意図を(火により),方法を教えた誰にでも,数百マイル以上離れていても,言葉も書面も合図も使わずに,いかなる使者によっても伝えることができる.使者は何も知らないので捕らえられて拷問されても何も明かせない.それを使者を使わずに達成できる.厳密な監視下にある地下三マイルにいる虜囚にも意思を伝えることができる.

ガスパール・ショットやキルヒャーがどうすればこんなことができるのかを考察しているが,満足のいく具体的手段を見出すのは困難だろう.

この提案は矛盾をはらんでいる.(p.161)

1.言葉も書面も合図もなしに伝達する方法がある.

2.合図なしにと言いつつ火によってと言っている.

3.地下三マイル(ドイツマイル)の虜囚に意図を伝えられるなどと言っているが,地下0.5マイルでも実験をしてみればこんなことは言わなかったろう.

だがトリテミウスの書き方は謎めいているので,ある程度幅のある解釈はしてやるべきだろう.要点は次のとおり.

1.どんな遠方でもいかなる使者によっても言葉などを使わずに伝達する.

2.使者を使わず(火によって)伝達する.

3.地下の虜囚に意思を伝える.

第一点については,ガスパール・ショットの見解では,本書第1章第6節の,火にかざさないと見えない秘密記法のことである.つまり,書面も合図もなしにというのは,明白に目に見える文字も合図もなしにということだということになる.

だが第4章で述べたような使者の皮膚に書くことによることを意味するともとれる.この可能性はガスパール・ショットも触れている.火というのは比喩的で,硝酸などのことをいうととれる.書面も合図もなしというのは上記のように解釈できる.

第二点については,第2章第2節〔¶4〕で扱った,火や煙による伝達を言っているのだろう.(p.163)

他の仮説は空想的で,文字を書いたガラスを満月にかざし,月に文字を投影するといったもの.

第三点については,音を媒体とする伝達に関するものかもしれない.トリテミウスが本書第4章で述べたような秘密伝達法を見通していたのなら別だが.虜囚が厳密な監視下にあるという設定からすると,この第4章の方法のほうが簡単で安全なように思える.

考察3 『隠蔽記法』の第三巻について(p.164)

第三巻は文字を知らず,母語しか知らない人に二時間でラテン語を,流麗かつ雄弁に書き,読み,理解することを教えることができる方法を教示する.

これはトリテミウスがのちに『多記法』で発表したものと一致する.ただ,『多記法』では『隠蔽記法』の曖昧な表現に説明が加えられている.すなわち,数時間ではなく数日で,ラテン語を知らない人に読み,書き,話し,理解することを教えられるというが,何もかもではなく,必要を満たす程度にということ.

このように,当初の表現とは違い,トリテミウスの弟子は,ラテン語の祈祷や説教の形のもとに隠された,母語での秘密メッセージを読んだり伝えたりできるというだけで,ラテン語としての意味を理解できるということではないのである.(p.165)

若干説明しておこう.

1.普通のアルファベットを何セットも繰り返し書いておく.

2.各セットについて,A〜Zに同義または類義の語を関連付ける.

3.各セットのA〜Zに対応する単語は全部同義語か類義語であり,各セットからAに対応する単語を拾って並べると祈祷文になるとすると,各セットから他のどの単語を拾ったとしても同じ意味の祈祷文になる.秘密の意図を表わす文字列に対して,第1字は第1セットを使って(A〜Zのいずれかである第1字に対応する)単語に置き換え,第2字は第2セットを使って単語に置き換える,というようにしておけば,できた暗号文も当然もとと同じ意味のラテン語の祈祷文になる.トリテミウスがラテン語を知らない人が流麗なラテン語を書くというのはこのことだろう.〔アベマリア暗号〕

これまでこの方法については提示しなかった.ここで解けるとも言わない.だがその実施について若干述べておく.(p.171)

1.トリテミウスによれば各文字ごとに新しいアルファベット〔同義語・類義語のセット〕が必要.

2.それらのアルファベットを考え出すのは難しい.

3.アルファベットができたとしても,書き手がちょっとでも間違えれば解読者は混乱する.

4.そもそも書くのも読むのも膨大な時間がかかる.それに手紙の文字数だけアルファベットのセットが必要なので,アーガイルの「長い手紙」は1000語ほどあるので,とても実用的ではない.(p.172)

アタナシウス・キルヒャーはトリテミウスの方法を改善しようとしている.

1.トリテミウスはキーを祈祷文にしたが,キルヒャーはそれを通常の手紙文にした.

2.キルヒャーはアルファベットを数か国語で用意したが,これはトリテミウスによって提案されていた.

3.キルヒャーのキーの語数は多くないので,暗号化すべき文が短くなければ,疑いを招き,解読の手がかりともなる.暗号文は,表面上は同じ意味の文章(単語は違うが)の繰り返しになるからである.

複数の暗号文が奪取された場合も,みな同じ意味の文章であり,同じように疑いを招き,解読の手がかりとなる.

このようにトリテミウスの面倒な方法は多くの不便であり,第一章〔第3節¶5〕で紹介した方法(特にフランシス・ベーコンのomnia per omnia)のほうが好ましい.

考察4 『隠蔽記法』の第四巻について(p.173)

第四巻は会食の席などで言葉もジェスチャーも使うことなく腹心に考えを伝えることができると述べている.談話,説教,オルガン演奏または歌唱の最中にもそれらの活動を妨げることなくできる.つまり説教をしながら言葉も合図もジェスチャーも使うことなく考えを秘密に伝えられる.

次の三つに帰着されるといえる.

1.言葉もジェスチャーもなしに同席者がいるなかで秘密に会話をする

2.あらかじめ考えておいた説話や談話によって,言葉も合図もジェスチャーもなしに意図を伝える

3.音符によって情報を伝える

話がごっちゃにされているが,合図なしというのは知覚できる合図なしということであろう.さもないと先述したような矛盾になる.

第一点については,会食中,どんな仕草によって意図を伝えることもできる.トリテミウスは合図なしとは言っていない.

第二点については,第3章第1節¶3で扱ったようなものだろう.言葉なしというのは見かけ上の説教などの言葉以外の言葉ということだろう.

第三点については,先述したように,音,特に器楽であれ声楽であれ楽音の相違はアルファベットの文字に対応付けることができる.

以上がボスティウスへの手紙に含まれる秘密情報に関する考察である.下記ではトリテミウスにより言及された他の若干の曖昧な点について調べる.

考察5 トリテミウスが『多記法』において残したいくつかの神秘的な表現についてのコメント(p.175)



©2012 S.Tomokiyo
First posted on 7 September 2012. Last modified on 16 September 2012.
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