メアリー・ステュアートの暗号の手紙(1578-1584):50通以上を発見・解読

スコットランド女王メアリー・ステュアートの50通以上の暗号の手紙(フランス国立図書館所蔵)が、筆者を含む3人の暗号研究家(ジョージ・ラスリー、ノーベルト・ビーアマン、友清理士)によって発見され、解読された。メアリーは、三度の結婚の末にイングランドで虜囚となり、幽閉生活の末、暗号の手紙が解読されてエリザベス女王暗殺を含む陰謀に加担した咎で処刑された悲劇のスコットランド女王としてあまりに有名だ。今回の手紙は、全文暗号のためいつ誰が誰に宛てて書いたかはこれまで全くわかっていなかったが、暗号解読の結果、その大半である54通はメアリー・ステュアートが1578〜1584年にフランスの駐イングランド大使カステルノー・ド・ラ・モーヴィシエールに宛てて書いたものであることがわかった。そのうち1583年半ばまでの40通以上はこれまで知られていなかった手紙であり、イングランドで虜囚となっていた期間のメアリーについて新知見を与えるものと期待される。発見の結果は、George Lasry, Norbert Biermann, Satoshi Tomokiyo (2023), "Deciphering Mary Stuart’s Lost Letters from 1578-1584", Cryptologiaで発表された(オープンアクセス)。


著者の一人として、概要といきさつを紹介したい。


メアリーは二度目の夫ダーンリー卿暗殺に関与した疑いのあるボスウェル伯と結婚したことでスコットランド貴族らの信を失い、1568年にイングランドに逃れてきたのだが、それ以来、19年にわたって虜囚同然の扱いとなった。このたび発見された手紙が書かれたのはこの捕囚の期間ということになる。

発見された手紙の大半はメアリーからフランスの駐イングランド大使カステルノー・ド・ラ・モーヴィシエールに宛てたもの。メアリーの最初の夫がフランス王フランソワ二世だったため、メアリーは元フランス王妃であり、フランス王アンリ三世の義姉でもあり、フランス大使にとってメアリーはないがしろにはできない存在だった。メアリーからカステルノーへの手紙はこれまでも知られている。だがイングランドの諜報活動を司るフランシス・ウォルシンガムがフランス大使館員を買収してメアリーの手紙を入手するようになる1583年半ば以前の知られている手紙は、ウォルシンガムの検閲のもとに公式ルートで送られた手紙と思われ、メアリーがウォルシンガムの目を逃れて暗号で送った手紙が発見されたことで、メアリーの真意についての研究材料になるのではないかと期待される。(今回解読された手紙の多くにはメアリーの駐フランス大使であるグラスゴー大司教ジェームズ・ビートン宛の手紙を同封した旨の記載があり、そのうち4通は既知のビートン宛の手紙と日付が一致し、内容的にも解読された手紙と一部重複する。)

囚われの身となると何の変化もない無為の日々のように思うかもしれないが、メアリーは驚くほど精力的に各方面と連絡を取り、情報の収集・発信に努めていたことがすでに知られている。

メアリーはスコットランド女王の退位を強いられており、スコットランドでは赤子のころに別れた息子ジェームズがジェームズ六世として君臨していたが、メアリーは退位は無効であり、自分が唯一のスコットランド女王だとの立場だった。つまり、自分が生きている限り、ジェームズは王を名乗れないということだ。そのためメアリーがスコットランドに派遣した秘書がジェームズを王と呼ばないため謁見を認められなかったことさえあった。この問題について、メアリーはスコットランド王位を母子で共有するという構想をもっていて、スコットランドへの影響力をカードにして解放を取り付けようとイングランド宮廷からの使者との交渉も続けた。息子ジェームズが親イングランド派の貴族に誘拐されるというリヴェン拉致事件が起こったときには、メアリーは解放のためにフランス王の協力を取りつけるよう訴えた。また、ちょうどこの時期、エリザベス女王はフランス王弟(メアリーの義弟)アンジュー公との結婚話を進めていた。メアリーは表向きは歓迎の意向を表明していたが、その一方でフランスと対立するスペインとの同盟も模索していた。

このように、捕囚という立場にありながら、メアリーは政治問題に積極的に関わろうとしていたことがすでにわかっている。これらのトピックは今回解読された手紙でも随所で触れられており、たとえばリヴェン拉致事件の直後のメアリーの反応や、メアリーの要求に応えてフランス王がスコットランドに派遣したド・ラ・モットに対すること細かな指示も(その後の幻滅も含めて)見ることができる。スコットランド王位の問題では、使者が謁見を得るために便宜上ジェームズを王と呼ぶことは認めたり、ジェームズの王号が対外的に認められていいのは合意された共同統治が議会によって公布された後とくぎをさしたり、ジェームズの献身が確認できたからあらゆる場面で王号を認めていいと述べたり、その時々のメアリーの考えもうかがうことができる(周知のとおり、最終的には共同統治は拒否された)。アンジュー公問題でメアリーに対する讒言が出回ったときには、メアリーは、アンジュー公とエリザベス女王との結婚に反対する党派が、メアリーとアンジュー公やエリザベス女王との仲を裂こうとしていると抗議した。アンジュー公がエリザベスに求愛するイングランド訪問からオランダ独立戦争でのスペインとの戦線に戻った後、アンジュー公の狼藉でプロテスタント勢力との関係が悪化したときには、メアリーはアンジュー公とスペインの仲を取りもつことまでカステルノーに申し出ている。解読された手紙の中で言及される人物は100名を超えるが、中でもウォルシンガムやエリザベス女王の寵臣レスター伯に対するあからさまな警戒感が目を引く。メアリーは独自に得た情報でイングランド宮廷に警告するようカステルノーに要請することもあったが、秘密裏に大使と連絡していることが気取られないよう情報源を秘すようくぎを刺すことは忘れなかった。

このように解読された手紙はさまざまな興味深い内容を含むものだが、どこまでが歴史家にとって旧知の事項で、どこからが新たな知見なのかの詳細な分析は専門家に委ねなければならない。今回の論文では、これまで独立したテーマとしてあまり語られてこなかった、幽閉生活におけるメアリーの外部との通信に焦点を当てて予備的な分析を試みているが、他の多くのトピックについても、歴史家によって検討され、この時期のメアリーに対する新たな知見が引き出されることを期待したい。

メアリー・ステュアートの暗号解読のいきさつ

筆者はCryptiana(クリプティアーナ)という歴史暗号に関するウェブサイトで未解読暗号のリストを作って解読を募っているのだが、今回解読したフランス国会図書館(BnF)のfr.2988に含まれる手紙の束もその一部で、国際的な暗号収集・解読プロジェクトDECRYPTにもアップロードしておいた。論文の共著者ジョージとノーベルトは歴史暗号の業界では重要な暗号解読を成し遂げたことで知られており、私のリストの暗号もいくつか解読してくれていた。2021年3月には、ギーズ公関連の暗号を二人がほぼ同時に解読したことがきっかけで、三人で別の暗号に関してやり取りしたこともあった。

今回の共同作業の発端は、2022年2月6日のジョージ(DECRYPTプロジェクトのメンバー)から私とノーベルトに宛てた電子メールだ。今回の手紙の一つの暗号解読に取り組んでおり、かなりのフランス語の単語を解読できたが、まだ半分以上が解読できておらず、協力してほしいということだった。

私には手紙がフランス語だったというのが意外だった。暗号文は宛名や日付も含めて全文暗号で書かれており、内容について手がかりになるものが全くない。同じ束には暗号の手紙とほぼ交互に平文の手紙も含まれているのだが、そうした平文の手紙はほとんどが16世紀前半のイタリア語の手紙だったので、暗号文もそれに関連する手紙だろうと思っていたのだ。

ジョージの暗号解読ツールは強力で、文字単位の換字暗号であれば同じ文字を異なる記号で表せる同音換字暗号(ホモフォニック暗号)でもたちどころに解読できる(ジョージは最近、筆者のリストの未解読暗号について多数の解読を一挙に提供してくれたので、専用ページを設けたほどだ)。もちろんプログラムによる解読では完璧というわけにはいかないが、通常なら半分ほどの解読ができれば、あとは平文の言語に通じた人が目で見て直していけばほぼ全体を解読できるものだ(一つの記号が固有名を表す場合などでは、文脈が不十分で不明なままとなることはめずらしくないが)。今回の暗号は若干のコード記号のほかに、音節(二字連接)を表す記号も含まれていて、それが解読を難しくしているものと思われた。この最初の段階で、少なくとも、記号の下や右に点がついたものは、点のない記号とは異なる意味を表すことは認識されていた。(後に、コンマ(62)やスラッシュ(138)も、点と同じように、他の記号に付加されて別の意味にする符号だと判明した。)

目が代わると一人では見えなかった他のフランス語の単語も見えてくる。たとえば、解読ツールが示したDE M 70(v?) ANT から70=EUR(→demeurant)、S E R 81(t?)からは81=OIT(→seroit)という割り当てを導くことができた。(ここでは未確定の記号を数字で表している。暗号はコンピューターで扱えない記号を使っているので、各記号を数字に置き換えて処理する必要がある。この置き換えの作業を転記(トランスクリプション)というが、ジョージはCtypTool 2というプロジェクトの一環として、この転記を効率的に進めるための便利なGUIツールを開発していた。そのツールを使ってもこの転記は面倒な作業なのだが、暗号解読を効率的に進める上で不可欠な準備段階だ。)このように単語を切り出して例示すると当たり前のように見えてしまうかもしれないが、暗号文には単語の区切りがないので、解読ツールの出力は切れ目のない文字の羅列であり、しかもところどころ不確かな記号が混ざっている。その中から単語を見出す作業はそれほど自明なことではない。とにかく、このようにして次々に新たに記号が判明した。

作業が進むにつれて、判明したと思われた割り当てを修正することもあった。50はプログラムは高確率でEと推定していたのだが、ONTに修正された(CON D I T ION S QUI M E EST E→qui m'ont ete)。解読ツールはあくまでも文字の連接統計がもっともらしいかどうかで判定しており(たとえばQUIMEという5字連接はフランス語としてありそうなので高スコアになる)、文法や文脈までは考えていないのである。(もちろん人間の目によるこれらの推定も外れることはあるので、同じ記号の複数の出現箇所で確認する必要があることはいうまでもない。)

E N Q 54 P L O Y E RやDE C LA C 54 R A T IONは明らかにemployer, declarationを表しているが、このことから疑問符のような記号(54)が「直前の1字を削除」という記号であることも推定できた。一方、4の変形のような記号(52)が「直前の記号を繰り返す」という記号であることは当初から認識されていた。解読の初期段階でたとえばA R 4 I V E 4から4=Rだと推定しても(arriver)、他のところでたとえばQUE L 4 Eが出てきたら4はR, Lなどの特定の文字を表すのではなく、直前の文字の繰り返しであることがわかる(先に挙げたAR4IVE4はarriverではなくarrivéeだったということになる)。さらに、後日、この記号は単一の文字でなくても、直前の語を繰り返すのに使われることもわかった(vous vous pouvez fierのvousなど)。なお、こうした特殊な用法を見極める際には、同時代の暗号の知識が役に立った。

その間、ジョージは別の手紙の転記作業も進めていたのだが、これまでにわかった暗号鍵をあてはめてみたところ、エリザベス女王の諜報長官ともいうべきウォルシンガムの名前が出てきた。そしてその数時間後には、ジョージは手紙を書いたのがメアリー・ステュアートではないかと看破していた。後で尋ねたところ、手紙でフランス語の女性形の形容詞が使われていることに加え、ウォルシンガムの名前が出てきたことで、メアリーに思い至るのは簡単だったということだった。ほかに息子や「自由」(ma liberé)への言及があることも捕囚であるメアリーの境遇に一致する。

ここまでがほぼ最初の2日間のできごとである。狭い意味での暗号解読はこれでほぼ完了といえるのだが、多数の手紙を数字に転記し、解読ツールによって判明済みの鍵をあてはめて解読文字列(まだ単語の切れ目もなく、解読「文」とはいえない)にし、それを手作業でフランス語の文章(歴史家の校閲を経たようなエディションにはほど遠いが、少なくとも意味の通るフランス語)に編集していく作業が残っていた。また、意味が特定できていない記号も若干残っていた。単語の中で欠けている1文字を補うのに比べ、コード記号が表す名前や単語をフランス語の文脈や歴史的背景を考慮して突き止めるのははるかに難しいが、少しでも多くの解読文を調べることで手がかりが得られる可能性がある。また、日付は一文字ずつ暗号で綴られているのに対して、月は専用の記号で表されてることが後にわかった。月日と違って暗号文中に明記されていない年が問題だが、これは歴史上の出来事と照らし合わせて特定していくしかない。

解読されたある手紙に、Charetierという人物が捕らえられたという記述があり、検索エンジンで調べた歴史上のできごとと突き合わせて、その手紙が1583年のものであることが特定できた。メアリー・ステュアート、ウォルシンガムというだけだと手紙が書かれた年代として幅があるが、これで手紙が書かれた時期を絞り込むことができた(ウォルシンガムの名前がみつかった当初は、ウォルシンガムがフランス大使だった時期(1570-1573)が一つの候補として想定された)。さらにノーベルトが解読文に関連する内容が書物にあることを発見し、それがカステルノーからフランス王への書簡だったことから、暗号の手紙の宛先がカステルノーだと推定した

その数時間後にはジョージが、解読された手紙の一つが刊行されているメアリーの書簡集に掲載されているカステルノー宛の手紙と同じであることを発見した。"cause si abominable"という特徴的なフレーズを検索エンジンで調べてみつけたのだという。これは他の手紙もメアリー・ステュアートからカステルノーに宛てた手紙であることの強力な裏付けになる。一方、解読された手紙がすでに知られているものである可能性も出てきた。暗号の手紙の解読文が全く異なる場所に保管されていることはめずらしくないので、暗号解読者にとって、解読結果の発表後に「それはすでに知られている」と指摘をされることが何よりもこわい。そのため、手紙を解読したら書簡集の手紙と一致しないかどうかに注意を払うことになった(最終的には7通が既知の手紙だった)。また、暗号文に対応する平文が入手できたことで、暗号解読だけでは特定しがたい記号(たとえば一度しか出てこないコード)の意味を特定することもできた。

書簡集にある平文の手紙の一部の手稿は大英図書館のウェブサイトで見ることができるのだが、そのカタログ情報で言及されていた歴史家ジョン・ボシー(John Bossy)の著作Under the Molehill (2001)は、カステルノーの駐英大使時代の大使館における、ウォルシンガムが買収したスパイのことが主題となっており、その後の我々の調査にとって大いに参考になった。また、同書には1580年代初頭のメアリーの秘密通信は残っていないとの記述があり、歴史家にも知られていない手紙を発見したとの感触を得て力づけられた。

解読作業と並行して、英国国立公文書館からメアリーの暗号を集めた束のコピーを取り寄せていた。100以上もの暗号が集められているので、カステルノーとの間の連絡に使われた暗号も含まれているのではないかと期待したのである。残念ながらメアリーとカステルノーの暗号は含まれていなかったのだが、思わぬ発見があった。今回解読した暗号文には多数のミスがあり、しかも決まったパターンのミスが多かった。たとえば「Cを暗号化するのにTの暗号を使ってしまう」ミスである。そうした頻出ミスが、同時期に使用されていた別の暗号の記号を使ってしまったものであることがわかったのだ。最初、メアリーの秘書の暗号がこのCの暗号化ミスを説明できることに気づいたのだが、その後、メアリーの大使グラスゴー大司教ジェームズ・ビートンとの間の暗号に、頻出ミスで使われている多数の暗号記号が含まれていることがわかった。これがわかってからは、再構成した暗号表を使ってうまく解読できない場合には、このビートン用の暗号表を参照することで、正しい単語を突き止めることができるケースが続出した。(一つの単語の中に3か所もこの種のミスがあったこともあった。)同じ日にビートンとカステルノーの両名に宛てた手紙を書くことが多かったので、秘書が記憶に頼って暗号化する際に二つの暗号を混同したものと思われる。

7月には我々の発見を論文にしようと分担して書き始めた。内容、表現などについて時に激しい議論も交わされたが、8月初頭にはそれも落ち着きそうになった。そんなとき、メアリーとスペイン大使との間の手紙について調べてみようと思ってBnFを検索してみたのだが、これまで解読してきたメアリーの暗号とよく似た暗号文が目についた(BnF fr.20506)。小さめの字でぎっしり書かれた端正な記号列。そして何よりも暗号文冒頭の「K」―これは宛名の「モーヴィシエール」を表すものだ。すでに解読した鍵をあてはめてみれば、同じ暗号で書かれていることは明らかだった。

すでに論文は(分量的には)ほぼ書きあがっていたことから、この新発見については脚注で触れるくらいにして、とりあえずメアリーの暗号の手紙の発見・解読を速報論文にするという選択肢もあった。だが、新たにみつかった手紙の束も分担して転記し、解読することになった。結果的にはこの選択は正しかった。新たな束の手紙も興味深い内容が多く含まれていたし、同じ時期の手紙の数が倍になることで、これまでにみつかった手紙と合わせて流れをつかみやすくなった。それに、三人とも作業に慣れていたこと、メアリー・ステュアートについての背景知識もある程度蓄えていたこともあって、新しい束の転記、解読、編集の作業は1か月で完了した。

この段階で再び論文を構成しなおす作業にかかった。序章や暗号解読に関するセクションはあまり変更がないのだが、手紙の内容紹介のセクションは大幅な加筆が必要になる。これまでの作業である程度メアリーに関する背景知識を得ていたこともあって、暗号解読の結果得られた新発見にも踏み込もうという野心も芽生えたが、さすがにこれは手に余ることがわかり、背景セクション用に書かれたメアリーの秘密通信に関する概説を拡充したものにとどめることになった。内容の詳細な分析は論文刊行後に歴史家の手に委ねる代わりに、それぞれの手紙の予備的な要約を作成することになった。その内容に関しても時に激しい議論が戦わされたが、なんとか収束を見て、12月には無事脱稿することができた。歴史家の手によりメアリー・ステュアートに関する新たな描像が得られることを期待したい。


近年、オンラインで閲覧できるアーカイブ文書が充実してきたこともあって、歴史上の未解読暗号が解読されることはめずらしくない。私もカール五世、フェリペ二世(Academia.edu)(これら2つについてはデメトリオ・マルティン・ビレラ氏の協力を得た)、キャサリン・オブ・アラゴン(トマス・ボスバッハ氏、ヴィクター氏が予備的な解読を達成)、カトリーヌ・ド・メディチ(解読済みの暗号文から再構成された暗号を適用)などに関する解読結果を発表してきた。これらはカタログ情報から少なくとも暗号文の存在は知られていたものなのだが、今回、カタログ上では知られていなかったメアリー・ステュアートの多数の新しい手紙を発見できたことは幸運であった。そうした幸運は、CryptianaやDECRYPTのような地道に暗号の収集・解読をする努力があってこそ得られたものである。



©2023 S.Tomokiyo
First posted on 8 February 2023. Last modified on 16 February 2023.
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