明治・大正期の陸軍暗号

明治・大正時代の陸軍暗号の変遷を紹介する.

目次

座標式換字暗号(1874)

多表式換字(1877)

数字暗号(1894)

乙号暗号(1894.10.15-1896.9.15)

戦間期の改定(1896-1904)

和文電信暗号(1904- )

陸軍電信符号(1904年版)

陸軍電信暗号(1904- )

欧字電信暗号,欧字暗号

まとめ:明治・大正期の陸軍暗号

リンク

座標式換字暗号(1874)

1874年(明治7年),明治政府が行なった初めての海外出兵であった台湾出兵(別稿参照)が一段落した10月,陸軍卿・山県有朋から鎮台長官等へ「電信隠語」と称して換字暗号表が送られた.これは一〜七を使った2数字でカナを表わす座標式暗号で,次のようなものだった(防衛省防衛研究所>……>卿官房>明治7年 卿官房 台湾蕃地処分事件密事日記 C08052243800-C08052243900).カナの配列は一見不規則だが,左下から縦にイロハ順になっていることがわかる.挙げられている例文は「七二(ヘ)七七(イ)一四(ヒ)一七(゛)七一(ト)七一(ト)四三(ノ)一四(ヒ)五六(タ)六六(リ)」(兵備整いたり)


翌年のファイルには「第四号」としてイロハを左上から縦に配列した同様の暗号表があり(C08052370000-C08052370100),さらに右上から始まってイロハを斜めに牛耕式に配列したバージョンもある(C08052370100-C08052370200).長田順行『西南の役と暗号』(1989, 朝日文庫)のp.170でも同年の同様の暗号が紹介されているが,左上から横にイロハ順になっている.この年のものはいずれも例文が「ヘイビトトナウタリ」という仮名遣いになっている.

(2014年8月15日追記)本稿執筆後に,大野哲弥「明治7年の陸軍省暗号の制定 佐賀の乱後の陸軍暗号電報利用状況」(情報化社会・メディア研究 7, 37-44, 2010)(CiNii)がこの一連の暗号を詳しく扱っていることを知った.それによれば,右上から縦に単純にイロハを配列したバージョンもあり,それが1874年2月に最初に制定された暗号表だと思われるという.

多表式換字(1877)

1877年(明治10年)1月15日施行として改正電信隠語が前年暮れに陸軍卿山県から発された(C08052370500, C08052393200).これは第一号から第二十二号まで22通りの換字表を含んでおり,陸軍省・各鎮台司令長官・派遣軍司令官の間の通信では22通りのうちから適宜選んで使用し,電文の冒頭で平文で「第何号」と記すこととされた.一方,各鎮台司令長官・連隊長・分遣隊長といった小さな範囲での通信では使用するものをあらかじめ定めて陸軍省に届け出るものとされた(JACARで「電信隠語」で検索するとこの届出がいくつかみつかる).この辺の事情は長田順行『西南の役と暗号』(1989, 朝日文庫)p.151-160でも紹介されている.

22通りの換字表はみなイロハ44文字を,逆順にしたイロハ44文字と並べて対応させるもので,第1号から第22号までは順次2つずつ対応位置をずらしたものに当たる(下図参照).ただし,「外圏の墨書は真字にして内圏の朱書は仮字」とあることからもわかるように,22通りの表を書き連ねたものではなく,内外二つの円環上にイロハを記して,一方の円板を回転させることによって対応を変化させられるようにした暗号円盤だったらしい.

長田前掲書p.166によれば,当時,熊本鎮台下の小倉営所司令官・第十四連隊長心得であったのちの乃木大将は1月8日の日記に熊本鎮台から「隠語電信表来る」ことを記しており,熊本鎮台が「台下営所及分遣隊」と使うのは「第三号」と報告している資料があるので,乃木が受け取ったのは第三号の暗号表ということになる.小さな単位でのやりとりには多表式を使わずに事前に決まった暗号表を使うというのは,暗号円盤作成の手間を省くためもあったように思われる.


上記を参照すれば,たとえば「第五号」によって暗号化されているC04028169300にある未解読の電文も「やまがた…」と解読できる.

類似の暗号円盤(1877, 1879)

実は同じような暗号円盤が,県令などを務めた三島通庸(1888没)(Wikipedia)の関連文書に残されている (これが明治の暗号盤).こちらは1879年(明治12年)11月に大蔵卿から発布されたもので,平文が黒,暗号が赤という点まで同じだが,黒が内側になっている.また,第一号から第五号までの5通りしか規定されていなかった.イロハのうちヰ,オ,ヱを使わない点は陸軍版と同じだが,「ン」を使っているので45文字となっている.西南戦争(1877)の際に右大臣・岩倉具視が使った暗号盤 (英語日本語)はこれと同じものと思われる.

後年の使用

1877年に使用開始されたこの暗号は日清戦争(1894.7-1895.3)勃発まで使われることになる.1894年(明治27年)にこの暗号が使われた電文が多数残っている.筆者が見た限り最も遅い使用例は1894年10月11日(C06060831400)のもので,これは後継となる「乙号暗号」の使用が始まる10月15日の直前に当たる.

数字暗号(1894)

中国・朝鮮など海外との連絡用には数字暗号が使われていた.いくつかの残っている電文(C06060666300, C06060668300, C06060799800)から下記のような暗号表が復元できる(青字は推測).冒頭で紹介した1874年のものと似ているが,濁音・半濁音がそれぞれの清音のあとに別個に配列されているのが特徴となっている(1874年の外務省の数字暗号は濁音・半濁音も含んでいるが,末尾にまとめて配置されている).(電文を見ると数字が3桁ごとに区切られているが,1879年から1896年にかけて国際電信規則によりヨーロッパ外の通信では数字3字で1語と計算するという規定があったためと思われる.)


なお,カナの使えない地域との通信には数字のほか英字を使うこともでき,英字のほうが送信ミスが少ないため外務省などでは英字を使ったコード語が使われていた.日清戦争のころ軍が朝鮮の釜山・京城間に架設した軍用電信線は片仮名暗号・数字暗号のみとし,欧文は取り扱わないとされたのだが,これを利用させてもらう外務省は,「従来当省使用の電信符号は仮令途中に於て少しく誤謬を生ずることあるも解読に易き様専ら横文を以て綴り和文は格別秘密を要せざる通信若くは万止を得ざる場合に限り使用致居候」と説明し,実際に数字符号を使ってみたところ「数字符号の誤りは実に推読に難く往々主要の点に於て文意明晰を書くこと不尠」と警告している.これに対し,陸軍大臣は通信手には兵卒もいるので横文電報は扱えないと説明したが,1894年10月には欧文にも対応できるようになった.(B07090434600)

乙号暗号(1894.10.15-1896.9.15)

1894年(明治27年)7月21日付で暗号改正の必要性を参謀本部に訴えたのは,1894年6月に京城公使館付となった福島安正 (Wikipedia) だった(C06060799800).

0-1(い) 4-1(ま) 4-0(や) 5-2(あ) 6-9(ん) 4-8(ご) 3-6(う) 1-0(へ) 6-9(ん) 3-8(く) 2-1(わ) 6-9(ん) 3-7(の) 6-1(ひ) 3-0(つ) 2-4(よ) 3-6(う) 5-2(あ) 1-7(り) 2-5(た) 6-0(し)
Fukushima
(今ヤ暗号変換ノ必要アリタシ)

ほぼ同時に,外務省にも,朝鮮駐在の外交官から,長年同じ暗号を使い続けたために電信取扱者にも理解されるようになってしまったと暗号改正の訴えが相次いだ(別稿参照).福島はこれらの外交官と連絡を取り合って懸念を共有したのだろう.

8月にはすでに「内国電信暗号変換」が取り沙汰されているが(C06021900300),上記のように,西南戦争以来のカナ暗号は10月にはいっても使われた.

1894年(明治27年)10月15日正午をもって「乙号暗号」に切り換えられ(C06061233900, C07082026500他),1896年(明治29年)9月15日正午に次の「乾号暗号」が導入されるまで使われた.日清戦争期の電文がいくつか残っているが,それから復元すると,下記のようにアイウエオ順に基づく多表式換字だったものと思われる(青字は推測).電文が確認できたのは第6号までだったが,おそらくは従前と同様,第22号まで(または少なくとも後年の「万号」と同じ第11号まで)あったのだろう.


経理局の符号

実は乙号暗号と同様にアイウエオ順のカナを逆順のアイウエオと対応付ける多表式の暗号が,乙号暗号導入に先立つ1893年8月に広島出張中の野田監督長から児玉次官宛の電報で使われていた(C03023036400).これは「経理局の符号第2号」と呼ばれている.


川上操六の暗号

上記の乙号暗号を復元するのに使った電文には川上操六中将のものもあるが(C06060666900, C06060667500他),川上(1899年5月没)の遺品からみつかったイロハ順の換字表が知られている(『ながた暗号塾入門』p.222).ところがこれは,カナの換字というでは点では同じだが,「ヰ」「ヱ」「エ」「オ」「ヲ」「ン」を含むカナ48字を全部含むこと,対応が不規則なことという点で乙号暗号とも,それ以前の暗号とも明らかに異なっている.筆者はまだこの暗号を使った電文は見たことがない.

戦間期の改定(1896-1904)

日清戦争までは十数年にわたって同じ暗号システムを使い続けていた日本陸軍だが,その後は頻繁に暗号を更新するようになった.

乾号暗号

日清戦争時からの乙号に代わって1896年(明治29年)9月15日正午から乾号暗号が使用開始となった(C10060851300;防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>陸軍省雑文書 兵部省陸軍省雑>陸軍省雑>明治>明治29年9月 乾暗号関係書類暗号受領証書;防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>陸軍省雑文書 兵部省陸軍省雑>陸軍省雑>明治>明治29年9月 乙号暗号焼棄報告).使用法は従前の通りということなので,システムは同じだろう.平時のこのタイミングでの暗号改定は,乙号暗号書の紛失の報告(C03023066600)がきっかけになったものと思われる.

乾号暗号使用法(C10060851400, C07082181300)
一 黒字ハ原字ニシテ朱字ハ暗号用ノ文字トス
二 原字ニ要セシ濁音及ヒ半濁音ハ暗号文字ニ附スヘシ
三 「ン」は原字の侭使用すべし
四 電文には第一に其用ひたる所の番号を冠し暗号文字には其首尾に括弧を置く可し

元号暗号

乾号暗号は1897年(明治30年)3月25日正午限り廃止され,代わって元号暗号が配布された(C10060847000, C10060847800, C10060848400他;防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>陸軍省雑文書 兵部省陸軍省雑>陸軍省雑>明治>明治29年9月 乙号暗号焼棄報告 の後半に乾号の返納文書が収録されている).わずか半年での廃止は,やはり紛失が報告された(C07041386200, C10060850900)ためと思われる.

万号暗号(萬号暗号)

ところが1897年(明治30年)の間にまたもや新たな万号(萬号)暗号が導入されたらしい.その12月に改訂された「万号暗号使用並取扱法」(C03023097200)では,上記「乾号」での「一」〜「四」に加えて暗号表の保管についての規定「五」〜「八」がある.また,付表によれば,第一号〜第十一号の代わりに「土号」「金号」「木号」「水号」「火号」「月号」「日号」「冬号」「秋号」「夏号」「春号」という変更番号を使い,たとえば「土号」の場合電文の冒頭に「ドガウ」と記すものとされている.

物号暗号

万号暗号は1898年(明治31年)7月いっぱいで廃止され,8月1日(台湾・韓国は9月1日)から物号暗号に移行した(C10061973700, C10061973900他;防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>陸軍省雑文書 兵部省陸軍省雑>陸軍省雑>明治>明治31年7月 物号暗号に関する書類).

1898年に改訂された物号暗号使用法は保管者の記憶に留め,使用書は参謀本部に返却することとされた(C06083082500, C10061975600, C10061975700, C10061976200).具体的な暗号方式は不詳だが,次項参照.

鑰号暗号

物号暗号は1901年(明治34年)1月10日をもって廃止された(C10061983200).その後継は鑰号(やくごう)暗号である(C09122592800).

具体的内容はわからないが,施行前の1900年9月の段階で複雑すぎで不便との指摘があった.

物号暗号改正ノ鑰号暗号ハ印刷完成ニ付何時ナリトモ発行スルヲ得 然ルニ該暗号ハ秘密ヲ守ルノ点ニ於テハ頗ル確実ナルモ使用上甚タ不便ニシテ最モ多クノ時間ヲ要シ為ニ時機ヲ誤ルノ恐アルト戦時惣倥ノ際ニ在テハ錯誤ヲ生セサル如クスルヲ必要トス 故に数字暗号ヲ時々(一年に三回又は四回)交換シテ使用スルヲ最モ便ナリと考ふ
(C09122592800)

また,平文を「ボヂジ」のようなカナ3字のコード語に変換した上でそれをさらに数字に変換するという仕組みだったことをうかがわせる記録がある.また,その際,数字に濁点を付けるというような電信規則上認められないパターンが生じてしまうという問題があったが,その点は改正前の「物号暗号」でも同様であったという.(C09122592800, C09122592900, C10062358800)

鑰号暗号は日露戦争(1904.2-1905.9)が勃発しても1904年(明治37年)前半にはまだ使用されていたらしいが(C09123118300, C03025581500, C03025648200),6月には廃止された模様である(C06040646600).

単純な換字

なお,鑰号暗号使用期間中のはずの釜山から陸軍大臣宛のある電報(1901年5月27日)では,イロハ…を逆順のアイウエオ…で置き換える単純な換字が使われている(C10071280100).

坤号暗号

中国・朝鮮・台湾などとの連絡に使う数字暗号も和文用の「乾号」の導入と同時に改定されたらしく,こちらは「清韓露駐箚将校用暗号」または「坤号暗号」と称された(C06082459900, C07082181400, C10060851400, C10061984500).「乾坤」で対のネーミングなのだろう.だが「乾号」が「元号」「万号」「物号」と更新される間も「坤号暗号」または「坤号数字暗号」は現役を続け,1900年になってもまだ使われていたようだ(C08010012300, C09122628800).1901年1月に返納の記録があるが(C09122719900),カナの「物号暗号」と同時に廃止されたらしい(C10061984500).

特号暗号

和文用の「鑰号暗号」と並行して「特号暗号」なるものが使用されていた(C07071997200).(1904年2月版の『陸軍電信符号表』は「鑰号暗号」に「ヤヌ゛」,「特号」に「トワ゛」というコードを設定している.)「特号暗号(数字ノ分)」という言及(C03025477100)があることとその使用時期からすると,上記の「坤号暗号」の後継ではないかと思われるが,不詳.

「特号」は名前はそのままに何度か改訂を経ており,1900(明治33年)6月以降に受領の記録が(防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>参謀本部関係文書>参謀本部 雑>参謀本部 雑(秘)>明治33年 特号受領証,1901年(明治34年)6月1日に旧版を返納した記録がある(C09122742400, C10071380000, C10071380100).1904年(明治37年)1月には「来る二月一日より実施の分」の紛失が報告され(C02030239300),おそらくそのために3月には改正された(C06040580500).5月の時点ではまだ新たに送付された記録もあるが(C02030240000, C03020126400),6月には鑰号暗号とともに廃止されたようで,送付要請に対して「廃止 新暗号二部送り済」などのメモがある(C03025713100, C03025747300).

和文電信暗号(1904- )

日清戦争以来,「乙号」「乾号」「元号」「萬号」「物号」「鑰号」と独特な名称の暗号が続いたが,上記のように「鑰号」では複雑になりすぎて扱いに困るようになってしまったらしい.そのため,公式に「鑰号」が廃止される前に「和文電信暗号」という新たな暗号が導入され,これが幅広い部隊に配布される陸軍暗号の主流となる.

日露戦争中の和文電信暗号

1904年(明治37年)4月19日「第四号」,6月16日「第五号」,9月27日「第七号」,10月15日「第八号」,1905年1月3日「第九号」,3月10日「第十号」,6月10日「第十一号」,11月15日「第十二号」の記録がある(C06041366300, C06041351100, C06041393400, C06041369000).なお,これらの「…号」は和文電信暗号以外も含めた「軍事機密…号」の通し番号なので,「和文電信暗号」としては「軍事機密第四号」のものが最初と思われる(「軍事機密第一号」は後述の「陸軍暗号書」).

この第十二号は1906年初頭に紛失が報告され(C06041303200),四月には「十三号」が配布された(C06041536400).5月末の改正にあたって「第四号」〜「第十二号」の焼却の報告が残っている(C06041368800, C06041366200他).

日露戦争中の和文電信暗号の構成

具体的にどのような暗号であったかというと,「…葉」という数え方をしていることから(C07041804500),一枚の紙に記した簡単な換字表であったと思われる.また,大量に残されている暗号電文(JACAR 防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>日露戦役>日露戦役>大本営 日露戦役 の参通綴など)ではいくつかの暗号が使われているのが確認できるが,改定時期からみて,下記のカナの換字がこの和文電信暗号に相当するものと思われる.下記でいう「第五号」は1904年8月から10月11日まで使用された記録がある.「第七号」または「第八号」は1904年10月6日から12月にかけて使われている.電文からは「第七号」と「第八号」の間の切り換えが確認できなかったが,半月余りで「第八号」が出ていることからすると,微修正だった可能性がある.「第九号」は1905年1〜3月,「第十号」は4月に使用が見られる.(筆者は網羅的な調査はしていないので,JACARを探せばさらに下記の空欄を埋めることもできるだろう.)


「鑰号」暗号のような複雑なシステムは廃し,単純な換字に立ち戻ったことがわかる.多表式の構成もやめたようだが,その代わり対応が不規則になった.(特に1904年10月に導入された「第八号」以降は完全にランダムな配列になっているようだ.)また,従来はたとえば「サ」を暗号化して「ツ」となるなら「ザ」は「ヅ」と暗号化されていたのだが,濁音は清音とは独立した換字となっている.

さらに,濁点・半濁点を付けた文字で数字や軍事用語を表わしている.

1904年8月〜10月上旬の「第五号」では「オ゛ 歩兵」「ケ゜ 砲」「サ゜ 旅団」「シ゜ 師団」「ス゜ 大隊」「セ゜ 連隊」「ム゜ 攻撃」「デ 第」,

1904年10月中旬〜12月の「第七号」または「第八号」では「イ゛ 軍」「ウ゛ 混成」「グ 歩兵」「ズ 騎兵」「ニ゛ 第」「ベ 後備」「ユ゛ 砲兵」「リ゛ 歩兵」「オ゜ 攻撃」「コ゜ 報告」「チ゜ 参謀」「ナ゜ 中隊」「パ 師団」「ポ 弾薬」「マ゜ 長」「ヨ゜ 司令官」「リ゜ 大隊」「ル゜ 防禦」「ン゜ 旅団」,

1905年1月〜3月の「第九号」では「ア゜ 大隊」「ウ゛ 旅団」「エ゜ 徒歩」「カ゜ 軍」「ゲ 後備」「サ゜ 司令官」「シ゜ 守備」「ス゜ 陸軍大臣」「セ゜ 野戦」「タ゜ 兵站監」「ニ゛ 歩兵」「ニ゜ 師団」「ネ゜ 遼東守備軍」「ノ゜ 支隊」「ピ 縦列」「ペ 連隊」「ミ゜ 兵站」「メ゛ 第」「メ゜ 司令部」「ラ゛ 砲兵」「リ゜ 工兵」「ル゜ 総司令官」「ロ゛ 重砲」「ロ゜ 中隊」「ワ゛ 後備」,

1905年4圧の「第十号」では「ア゛ 第」「ヴ 要塞」「セ゜ 軍」「ニ゜ 後備」「マ゛ 司令部」「モ゛ 歩兵」「ユ゜ 師団」「ラ゜ 総司令官」「ワ゜ 旅団」などのコードが見られる.

明治末〜大正期の和文電信暗号

その後は次のような改定の記録がある.

1907年(明治40年)「第14号」9月20日印刷(C06084671200 p.5)

1909年(明治41年)「第15号」9月配布(C06084671200)

1909年(明治42年)「第16号」10月改正(C02030398200 p.3, 7)

1911年(明治44年)「第20号」(16号の次)4月配布(5月1日より使用)(C02030408700)

(軍事機密第21号は後述の陸軍電信暗号)

1912年(明治45年)「第23号」6月調製,8月配布(9月1日より使用)(C02030010000)

1913年(大正2年)3月「第25号」送付(5月1日より使用)(C02030029500)

1914年(大正3年)4月「第29号」送付(C03022367100)

(軍事機密第30号は後述の欧字電信暗号.第31号は後述の支那在勤武官用電信暗号(C03022367300).)

1914年(大正3年)8月「第33号」調製,翌年2月廃止(C03022399800)

1914年(大正3年)11月「第38号」調製,翌年2月廃止(C03022399800)

1915年(大正4年)4月「第39号」調製・配布(33号,38号の次)(C03022399800)

(軍事機密第40号は後述の欧字電信暗号.)

1915年(大正4年)「第41号」(39号の次)10月9日送付(C02030041000)

(軍事機密第45号は1916年7月調製の和文電信変字暗号(C03022423900),第46号は1916年7月調製の「支那在勤武官用電信暗号」(C03022423800),第47号は後述の陸軍電信暗号.)

1917年(大正6年)3月調製の和文電信暗号は翌年2月に返納されている(C02030058500).

(軍事機密第52号は後述の欧字電信暗号,第53号は1916年12月調製の「支那在勤武官用電信暗号」(C02030050800),第54号は1917年2月調製の和文電信変字暗号(C02030050800))

「第56号」(C02030058900で返納要請)

(軍事機密第57号は「支那在勤武官用電信暗号」(C03022480900),第58号は「和文電信変字暗号」(C03022480900),第59号は後述の「欧字電信暗号」)

1918年(大正7年)11月には「第60号」(56号の次)配布(C02030058900).ただし,同年12月に満州で紛失した疑義が生じ,当面,シベリア・満州・支那・朝鮮では軍事機密第58号の「和文電信変字暗号」のみを使用することとなった(C03022450200).

1918年(大正7年)12月には「第62号」の和文電信暗号を,上記第58号の和文電信変字暗号も紛失されたためその代わりに前倒しで使用するものとされた.(C03022480900

(軍事機密第63号は1918年12月調製の「和文電信変字暗号」(C02030065300, C03022481600))

1919年(大正8年)3月「軍事機密第64号 和文電信暗号」および「軍事機密第65号 和文電信変字暗号」調製(62号,63号の次)(C03022481600)

1919年(大正8年)「軍事機密第68号」(64号の次)調製(C02030065400)

(軍事機密第76号は後述の欧字電信暗号)

「第87号」(C02030080100で返納要請)

1920年(大正9年)3月には,和文電信暗号の漏洩の疑義が生じたため3月分の使用を中止して4月分を繰り上げ使用することとされた.「電信暗号は六月分まで配布しあり」との付箋が付けられていることから,月ごとに変更されるシステムであった可能性がある.(C03022514800

1920年(大正9年)5月「軍事機密第88号甲 和文電信暗号」調製(C02030080100).88号の「甲」は偶数月,「乙」は奇数月のためのものだったが,電報原文紛失のため暗号漏洩の可能性が生じ,6月には甲の使用は停止されて乙に一本化された(C03022516700).

(「軍事機密第89号」「第92号」はいずれも1920年5月調製の「和文電信変字暗号」(C02030080100),第90号,第93号は同月調製の「支那在勤武官用電信暗号」(C02030080100),第91号は後述の「欧字電信暗号」)

1921年(大正10年)「軍事機密第94号 第95号 和文電信暗号」(88号の次)(C03022564000, C02030080300).これらは「和要第一号和文電信暗号要則」とともに1920年11月調製(C02030080300).下記の欧字暗号でも同じ年に「要則」が制定されており,このころから暗号の運用によって暗号表の暗号強度を高めることが行なわれていたものと推察される.(少なくとも1928年には「第三ノ2ノ(イ)変換方向」のような項目があったことがわかっている(C01003828800)が,これは後述のコワレフスキー来日後なので,この時点ではあまり複雑な「変換」までは規定されていなかったかもしれない.)

(「軍事機密第96号」「第97号」「第102号」「第103号」は後述の「欧字電信暗号」,第98号は1921年1月調製「支那在勤武官用電信暗号」(C02030114900),第100号は「欧文電信暗号」(C02030114900),第107〜109号は後述の「支那在勤武官用欧字電信暗号」

1923年(大正12年)4月「第110号」調製.だが10月には漏洩の疑義が生じ使用停止され,同年8月調製済みの「軍事機密第112号 乙種和文電信暗号」を使うこととなった.(C03022619300, C03022618200)

1923年(大正12年)「軍事機密第113号 甲種和文電信暗号書」調製.1925年12月に廃止.(C01003769000)

1924年(大正13年)9月調製の「第一号丙種和文電信暗号書」および同年10月調製の「第一号乙種和文電信暗号」は1927年(昭和2年)にそれぞれ「丙種い号和文電信暗号書」「予備用和文電信暗号書」と改称された.(後者は1925年(大正14年)3月にすでに使用停止され,「113号」の予備用に降格されていた(C02030222000).)

1925年(大正14年)6月には,頻繁に使用する方面に配布し,時々改変する「甲種和文電信暗号」と,まれにしか使わない方面に配布し改定もまれな「丁種和文電信暗号」の区別をすることになった.(C03022619300, C03022720300)

1926年(大正15年)3月調製の「甲種和文電信暗号書」は1927年(昭和2年)に「甲種い号 和文電信暗号書」と改称された(C01002520400).

日露戦争後の和文電信暗号の構成

日露戦争後の具体的な暗号の構成についてはわからないが,1918年(大正7年)の照会に応じて寄せられた意見が暗号の構成を知る手がかりになる.それによると,この時点では日露戦争中の「第十号」のようなものだったのではないかと思われる.

暗号ノ編纂並其他ノ意見(C03022483100)
「組立用に於ても翻訳用と同様ワ行を加え,正則の五十音図に排列すること」
「ヱ及ヰを廃すること」
「濁音は濁音にて表わすこと 例えば原字(グ)は暗号(ヅ)にて表わするが如し」
「固有名詞及数字を一字若しくは二字の暗号を以て表わすことを廃すること 不得已は二字にて表わすこと」

1926年の甲種和文電信暗号については,正誤表への問い合わせのおかげで次のような項目があったことがわかっている.カナ4字コード,あるいは改行に意味があるならカナ2字コードらしい(C03022767500).

上下
区分
原語暗号
二九冒頭及
終末符
アポ
ホヅ

和文電信変字暗号

「和文電信暗号」とは別に「和文電信変字暗号」というものがあった.筆者の知る限り最も古いものは1916年(大正5年)7月調製の軍事機密第45号の和文電信変字暗号である(C02030050800).

具体的な内容はわからないが,和文電信暗号が使えない場合に代用されることがあった(C03022450200, C03010111900).また,1918年(大正7年)の照会に応じて寄せられた意見に次のようなものがある.

暗号ノ編纂並其他ノ意見(C03022483100)
「毎改版に全紙及縦横罫の幅を変更せざること」
「排列をアカサタナ…の順序に書き下し濁音,半濁音は其の次に置くこと」
「濁音は濁音にて表わすこと」
「ヱヰ及数字を廃すること」

陸軍電信符号(1904年版)

日露戦争中の資料にはカナ2字を使ったコードの電文も残っている.これは1904年初頭に改正された陸軍電信符号だと思われる(現存する1901年版と符号の形式が似ている).陸軍電信符号は電報字数を減らして料金を節約するためのもので,秘密のための暗号とは区別されていたのだが,その使い分けは必ずしも徹底していなかったようだ.(別稿参照.)

残されている多数の電文から,次のようなコードが確認できる.筆者が見た限りではこのバージョンは1904年5月(C07071997200)から1905年4月(C06040337900)までは使用されている.

(その後「明治三十七年二月」印刷の現物を入手し,それと照合して上記の表を訂正した.)


電信符号例?

次の電文は1918年(大正7年)12月のもので,時期的には1913年(大正2年)の陸軍電信符号表が使われているはずなのだが,照合してみると一致しない(下記で≪ ≫内が1913年版の陸軍電信符号表のコード).濁点で一字分に数えられることを考えると,ほとんど字数節減になっておらず,陸軍電信符号表とは別の,守秘のための2字コードであった可能性はある.

C03022480900
クモ゛≪クノのはず≫(軍事機密第) 五八 コム≪コネのはず≫(号) 和文 デボ≪テテ゜のはず≫(電信) 変字 アゲ(暗号) ヲ廃止シ クモ゛(軍事機密第) 六二 コム(号) 和文 デボ(電信) アゲ(暗号) ヲ使用期日ニ拘ラス直ニ使用ス 右受領セサル間ハ クモ゛(軍事機密第) 五七 コム(号) シニ(支那) ザニ≪ザオのはず≫(在勤) ブヤ゜≪ブドのはず≫(武官) ヨニ(用) デボ(電信) アゲ(暗号) ヲ使用ノコト

1920年(大正9年)の次も同様.

C03022514800
和文電信暗号 サヘ≪「サト」のはず(「サヘ」は三日)≫(三月) フハ(分) ノイ(の) ン゛パ(使用) ヲイ(を) チカ(中止) シイ(し) サヘ(三月) チヘ(中) ハイ(は) シオ(四月)≪シタのはず≫ ヨロ(より) ン゛パ≪ン゛バのはず≫(使用) ノイ(の) フハ(分) ヲイ(を) ク゜オ(繰上)≪グヱのはず≫ ン゛パ(使用) セノ(せられたし)≪セケ≫ イム゜≪イ゛オ(委細書面にて)のはず≫(委細文)

陸一一九の件は和文変字若くは シン(支那) ザニ(在勤) ブヤ゜(武官) ヨニ(用) 電信暗号の バサ(配布) ナホ(なき) 箇所 ニオ(に限る) ミハ(右) バサ(配布) 箇所相互間ハ コバ(之により) ツエ(通信) アロ(あれ) イム゜(委細文)

陸軍電信符号は1922年(大正11年)に濁音・半濁音を使わないカナ3字コードに移行した.1926年(大正15年)の電文(C03022770700)では次のようなコードが使われているが,おそらくこれによるものと思われる.

ケミイ 憲兵司令部
ケテミ 憲兵隊長
シルヨ 師団長
リクマ 陸軍大臣
サチル 参謀長

3字コード?

なお,長田順行『ながた暗号塾入門』p.222によれば,日露戦争のころ陸軍はカナ3字コード(2万語程度収録)を制定していたという.「ケシヘ 師団」,「ケレス 連隊」など,第2字が原語の頭文字を表わすものだったというが,これは当時の海軍暗号にも見られた特徴である(別稿参照).筆者はまだこのような陸軍暗号は確認していない.

『陸軍軍隊符号』

なお,『陸軍軍隊符号』(近代デジタルライブラリーに1917年改正版あり)というものもあるが,これは地図に書き込むための略字・隊標(記号)などを規定したもので,暗号でも電信コードでもない.

陸軍電信暗号(1904- )

1904年2月,「陸軍電信暗号」が配布されたが,落丁・乱丁が大量にみつかり,3月に配布しなおした(C06040572500, C06040572600, C02030239700, C06040571100).脱漏箇所の報告のおかげで,千ページを超える大部のコードブックであったことがわかる(C06040572500 p.34).また,「数字のみ記載し訳字なきものは他日必要に応じ新辞類を増補するの用に供するもの」といった記載(C06040572500 p.2-3)から数字コードであったことがわかる.また,p.613-614の欄外に305という数字が欠けているといった報告(C06040572600 p.9)からは,この2ページには30500〜30599の100個のコードが掲載されていたことがうかがえる.結局,この「陸軍電信暗号」は語句を5桁数字で表わす暗号がこれに相当すると思われる.仮に65000までのコードがあるとすると,1300ページの大冊ということになる.

5桁数字暗号の使用例

JACARでは日露戦争中の少なくとも1904年8月から11月にかけて,5桁数字暗号の使用例が多数見られる(防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>日露戦役>日露戦役>大本営 日露戦役 の特に参通綴).それによれば,欧州各国駐在の武官(明石元次郎他);芝罘駐在武官・守田利遠;満州軍総司令官(大山巌),総参謀長(児玉源太郎),参謀(井口省吾)や満州軍の隷下の各軍(第一軍,第二軍,第三軍(司令官・乃木大将;参謀長・伊地知幸介ら),第四軍,遼東守備軍)の参謀長;韓国駐剳軍の参謀長;大本営から旅順包囲軍に派遣された筑紫熊七中佐;義和団の乱後の清国駐屯軍司令官で満州軍総司令部と緊密な連絡を取って清国内部で諜報活動に携わった仙波太郎中将 (Wikipedia) との通信に5桁数字暗号が使用されている.

(ただし,たとえば井口少将は5桁数字暗号(C06040237800, C06040238400, C06040238900)のほか和文電信暗号も使っている(C06040248100).和文電信が使えない地域では数字暗号を使ったのかとも思ったが,和文電報でこの5桁数字暗号を使った例もある(C06040239600, C06040240600, C06040237800).機密性の高い(と発電者が判断した)情報に5桁数字コードを使ったのだろうか.)

(また,1904年7月になっても在ロンドンの宇都宮中佐への電文を外務省秘密暗号で打電するよう依頼している記録がある(C06040675500;C09123027400も同様).筆者が確認できた最も早い5桁数字暗号の電文は1904年8月のもの(C06040200500)であるが(「参通綴」にこれ以前のものがないので),おそらく当初は欧米駐在武官へは配布されていなかったのだろう.それにしても,宇都宮らは下記の「欧字暗号」の配布は受けていたはずなので,なぜ外務省に依頼したかの疑問は残る.)

残されている電文で使われているコードを整理してみると,コード数字に対してローマ字順の平文,固有名などを順に割り当てていることがわかる.ローマ字順の配列は英語学関係の書籍などではめずらしくないが,コードブックでは日本旅行協会『電報略号集』(1935),市田昇三郎『商和電信暗号 改訂版』(1941)といった例(別稿参照)はあるものの一般的ではない.それでも,暗号化しない部分はローマ字で書くこともよくあったので,ローマ字表記に基づく配列にはそれほど違和感がなかったのかもしれない.

コード語の対応する語句の範囲の確定には若干誤差があるかもしれないが,「38458 旅団」「38459 旅団は」とか「51856 敵」「51857 敵の」など,きめこまかくコードを設定していたふしがある.なお,ヨーロッパと満州に対して同じコードが使われていたことは,「60226 十月」が在ドイツの大井中佐(C06040256900)や明石大佐(C06040253500)と満州軍総司令部参謀(C06040236500),第三軍参謀長(C06040236600)に使われており,「03919 大隊」が在フランスの久松少佐宛(C06040454200)と満州軍総司令部参謀宛(C06040236500)の両方で使われているなど,多くの例で確認できる.

1904年11月15日をもってヨーロッパ駐在の武官(明石,宇都宮(イギリス),大井(ドイツ),久松(フランス),浄法寺(オーストリア))との間のコードは3を加えた数を使うことになった(C06040259000, C06040260100).ただし,ヨーロッパ以外,たとえば在芝罘の守田との連絡などではこの変更は行なわれていない(C06040277000他).上記の表で緑色の行は+3されているコードから3を引いたものを示している.

1904年(明治37年)2月参謀本部印刷の陸軍電信暗号書は1912年(明治45年)10月1日をもって改定され,返納された(C03022307300).

1912年10月1日より使用の陸軍電信暗号書(軍事機密第21号)の改訂版(軍事機密第47号)は1918年(大正7年)1月1日から使用となり(C02030050900),1926年(大正15年)に廃止された(C01003769000).

6万語に上る大規模なコードブックとなると,それほど頻繁に更新はできなかったことがわかる.

欧字電信暗号,欧字暗号

1902年

カナ・数字ではなく英字を使う欧字暗号が少なとも1902年には成立していた.大陸や欧米との連絡用に貸し出されていた1902年(明治35年)年5月印刷の「欧字暗号」が日露戦争後の1906年(明治39年)に返納された記録がある(C06041393000).

日露戦争中に陸軍電信暗号を使っていた一人の在ロンドン武官・宇都宮太郎少佐は1902年4月の時点では参謀次長からの暗号電信で使われていた暗号を所持していなかったらしく,「此の暗号無し 兼て本官より差上ある暗号使用せられたし」とローマ字電報で連絡している(C09122912400, C09122912500, C09122912600).しかし,翌5月には宇都宮少佐に「欧字暗号」を配布するので,「兼テ旧次長寺内中将ト御特約之暗号」は使わないことになるので廃棄すると通知されている(C09122860300).

なお,日露戦争中宇都宮中佐が5桁数字暗号を使っていたことは前述のとおり.

1910年以後

1910年(明治43年)5月参謀本部印刷の「欧字電信暗号」は1912年(明治45年)に陸軍電信暗号と同時に改定されている(C03022307300).檜山良昭『暗号を盗んだ男たち』によれば,明治末年(1912年)ごろ以来,英字2字で仮名・単語・慣用語句を表わす600語程度のコード暗号が陸軍武官暗号として使われていたというから,これに該当するものと思われる.1918年(大正7年)の時点でも,脱字チェックのために「母音二字の組立を廃し必ず子音一と母音一とを以て組立つること」という意見が寄せられている(C03022483100)ことから,まだ英字2字コードであったと思われる.

1914年(大正3年)7月には改正され「第30号欧字電信暗号」が配布されたが(C03022367200),これは一年後の1915年7月には廃止され,「欧字電信暗号 軍事機密第40号」が配布された(C02030040900).

1918年(大正7年)9月限りで「軍事機密第52号」が廃止されて「軍事機密第59号 欧字電信暗号」(同年5月調製)が配布された(C02030058900, C03022450000).このころから,廃止された旧暗号はすぐに返納するのではなく後日改めて通知があるまで保持するよう指示されている.

1920年(大正9年)5月には「軍事機密第76号」が廃止されて「軍事機密第91号 欧字電信暗号」(同5月調製)が配布された(C02030080100).

1920年(大正9年)10月には「軍事機密第96号 第97号」(91号の次)が調製された(C02030114500, C03022564000).このときには「欧要第一号欧字電信暗号要則」が伴っている.檜山前掲書によれば,陸軍武官暗号は第一次大戦後に4字コード(ドイツ→RNES,交渉GAWD,ウ→NBSJなど)となり,さらに通信文の途中で暗号表を切り換える多表式に強化されたというから,この「要則」で多表式の切り換えを規定しているのではないかと思われる.また,ワシントン軍縮会議の際,日本の外交暗号を解読したことで有名なヤードレーの暗号局が1922年5月までに解読してJrと称した日本陸軍の暗号(別稿(英文)参照)も11通りのコード(JR1, JR2, …, JR11)を切り換える多表式だったという.電文番号の各桁の和が使用されるコードを指定し(たとえば電文52ならJR7),電文の途中でも指示符によってコード番号を指定して切り換えたという.暗号局がその後解読したJn, Jqも同様.

1922年(大正11年)2月には「軍事機密第102号欧字電信暗号」と「同要則」が配布された.(C02030134000)

1924年(大正13年)2月29日をもって「軍事機密第103号 欧字電信暗号」と「同要則」が廃止された(C02030193000).1923年にはポーランドのヤン・コワレフスキー大尉が来日して陸軍将校に暗号の講義をした.上記の「Jr」暗号の多表式の導入はコワレフスキー来日前だが,以後の変更には講義の成果が反映されている可能性はある.

1924年(大正13年)末の時点では軍事機密第107〜109号「支那在勤武官用欧字電信暗号」(C02030161700, C02030192800)が使われていたが,これらは「要則」により日付に応じて使い分けられていた模様である(C02030193400).増補表の訂正の連絡が残っているが,「丙欄上より二番目AZをEZ,同じく九番目UYをAYに訂正」とあるので(C02030161700),縦横に英字2字を割り当てて4字コードを構成していたのではないかと思われる.

1925年(大正14年)7月には1月に調製された「第一号露国在勤武官用欧字電信暗号書」が使用開始され,これは翌年12月に廃止された(C03022720500, C01003769000).「第二号露国在勤武官用欧字電信暗号」は1925年5月に調製されており,翌年7月から使用開始された(C03022772300).同じ「第二号…」の名称で1926年7月に調製されたものもあり,1927年(昭和2年)にはそれぞれ「露国在勤武官用い号欧字電信暗号書」「露国在勤武官用ろ号欧字電信暗号書」と改称された(C01002520400).

1926年(大正15年)12月には,1923年(大正12年)4月調製の「欧字電信暗号書」および1924年(大正13年)12月調製の「第一号支那在勤武官用欧字暗号」の使用が停止され,1926年6月調製の「甲種欧字電信暗号書」および予備として同年8月調製の「支那在勤武官用甲種欧字電信暗号書」および前年3月調製の「第二号支那在勤武官用欧字暗号書」の使用が開始された.新たに使用開始されたこれら3つの暗号は1927年(昭和2年)にそれぞれ「欧米在勤武官用い号欧字電信暗号書」「支那在勤武官用い号欧字電信暗号書」「予備用支那在勤武官用欧字電信暗号書」と改称された(C03022772400, C01002520400).1925年(大正14年)5月調製の「第一号乙種欧字電信暗号書」は同時に「予備用欧米在勤武官用欧字電信暗号書」と改称された(C01002520400).

なお,1927年に使用開始され1928年に旧版となって返納された「第一号無線電信専用暗号書」なるものの記録もある(C01003761200, C01003829300).

コードかサイファーか

陸軍の欧字電信暗号が日露戦争時の海軍武官暗号(別稿参照)のような単語らしいコードではなく,機械的に英字を割り当てるコードであったことは,2字/4字を基本として構成されていたという上記の記録のほかにも,次の1918年(大正7年)3月2日の通牒からわかる.

C02030058600
曩ニ当部ヨリ配付致候歐字電信暗号書中ノ暗号ハ元来秘語ナルヲ以テ一語ヲ五字綴ト為スヲ至当トスルモ 今回逓信省ト打合ノ結果 本暗号ニハ多数ノ母音あルヲ以テ十字綴ト為スモ概ネ発音シ得ヘキカ故ニ爾後隠語トシテ十字級ヲ以テ取扱ヒ差支無之コトニ致候 尤モ十字綴トシテ発音シ得サルモノハ依然五字綴ト為ス儀ト承知相成度 此段及通牒候也
追テ本件ハ次回暗号書改正ノ際ハ要規中ニ記入致スヘク候ヘ共 不取敢通牒致置候

国際電信規約では「単語」であればコードと認定されて10字までは1語として数えられるが,ランダムな英字の羅列はサイファーとされて5字で1語となってしまう(現在の暗号学上のコードとサイファーの区別とは異なる).ところが,「語」とは何かについては長年論争の的になっており,1904年に発効した規約では「発音可能」であれば「語」と認定されることになった.このため民間の商用コードブックでは人工的に発音可能な5字のコード語を量産して,2語をつなげた10字を1語の料金で送るようになっていた(別稿(英文)参照).この通牒では,欧字電信暗号は本来サイファー(秘辞)であるが,10字つなげてもほぼ発音可能なので,コード(隠語)とすることができると述べている.これにより電報料金を半減できることになる.(なお,「5字」とか「10字」というのは発信の際に英字をグループ化する字数であって,コードブックのコードがその字数になっていることではない.)

欧文替字暗号

「欧字電信暗号」とは別に「欧文替字暗号」なるものもあったが,1918年(大正7年)の時点で「使用稀有なること」「使用者に於て往々誤用するの虞あること」を理由に廃止が具申されている(C03022483100).

まとめ:明治・大正期の陸軍暗号

1874年(明治7年)には一〜七を使った2数字でカナを表わす座標式の換字表が何パターンか作られていたが,1877年(明治10)年にはイロハ44文字を逆順のイロハと並べて対応させる暗号が導入された.これは対応を2文字ずつずらすことで第一号〜第二十二号の22通りの換字表を切り換えて使える多表式換字であった.この暗号は日清戦争勃発後まで使われる.

日清戦争が勃発した1894年(明治27年)に同様の多表式換字(ただしアイウエオ順)である乙号暗号が導入された.その後,乾号暗号,元号暗号,万号暗号,物号暗号,鑰号暗号と改訂されて日露戦争に至るが,「鑰号」になると複雑になりすぎて使いにくくなってしまったらしい.

海外との連絡用として1894年にはカナ・数字を2数字で表わす座標式の換字表が使われていた.カナの「乾号」「元号」「万号」「物号」の時期に使われた坤号暗号,「鑰号」の時期に使われた「特号暗号」も数字暗号と思われる.

日露戦争を期にこのような暗号体制は一新された.「和文電信暗号」は単純なカナの換字を基本とし,多表式でもないが,換字パターンが不規則になったほか,濁点・半濁点を付けたカナで数字や軍事用語を表わすコードが設定された.「陸軍電信暗号書」はローマ字順の原語に5桁数字コードを割り振った大規模なコードブックで,65000語程度収録していた.それとは別の「陸軍電信符号」は,秘匿のためではなく電報料金節約のために設定されたカナ2字コードだったが,これについては別稿参照.

「和文電信暗号」は日露戦争後も頻繁に改定され続けるが,大部の「陸軍電信暗号書」は6〜8年おきのペースで改定される.

海外との電信用には英字を使った「欧字電信暗号」もあった.これは明治末には英字2字コードだったが,第一次大戦後に4字コードに変更され,さらに多表式の暗号切り換えも導入された.

日本陸軍は1923年(大正12年)にポーランドのヤン・コワレフスキー大尉を招いて数か月間,暗号の教授を受け,受講した将校らはその後も暗号研修のためにポーランドに派遣された.このように日本陸軍は暗号改善に努力し続けてきた自負があり,1931年にヤードレーが日本の外務省の暗号解読を暴露したときは,陸軍当局は「…外務省に対してひそかに好意的の忠告をしてやりたいと思っている位である」とコメントしたほどだった(別稿(英文)参照).

リンク

アジア歴史資料センター(JACAR)……上記のB05014019200などはここのレファレンスコード

(引用中,用字・仮名遣い・句読点などは現代風に改めた場合がある.)



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First posted on 13 July 2014. Last modified on 19 October 2014.
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