明治期の海軍暗号

明治時代の海軍では1876年(明治9年)にはすでにカナと数字を併用した座標式のコード暗号(1000語程度)を使っており,その後改訂(1883),増補(1884)されたが,1888年(明治21年)末に民間で『伊呂波引電信暗号』が発売されると字数節約のために海軍でもこれを利用した.だが遅くとも1890年9月には海軍でも独自にカナ3字コードを制定した.日清戦争勃発(1894)にあたって改訂した版は少なくとも1900年までは使われた.日露戦争をはさんだ少なくとも1903年〜1907年(明治36〜40年)には同じカナ3字コードでも,一字目ではなく二字目が原語の頭字に対応する形式のものが用いられた.1911年(明治44年)にはランダムな3字コードに移行していた形跡がある.以下,このような明治期の海軍暗号の変遷を追う.

和文暗号(カナ符号)

明治9年(1876年)の海軍暗号

長田順行『西南の役と暗号』は1875年7月の時点で暗号の乱用を戒める通達が出ていることを紹介し,1876年1月の時点で海軍省が「二六」「一五」「ノ九」「九八」「ト九」のような座標式と思われる暗号を使っていたことを示している.これは別稿で紹介した「台湾出兵の暗号」と同様のものである.

その直後に当たる1876年3月に制定された海軍の電信暗号が,防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>I公文備考等>川村還書>川村伯爵より還納書類 10 通信(暗号)刑罰、海上裁判 にあるのをみつけた(JACAR C11081193900).

一〜九までのますを含む各行に1〜2桁の数字またはカナ1〜2文字が記されているのだが,外国通信のためにますの一〜九にはアラビア数字1〜9が,各行のカナ1〜2文字には英字または英字+アラビア数字が併記されている.(英字+数字の組み合わせではなぜか数字は最初は1〜5のみを反復使用し英字がzまでいってaから繰り返す際に6〜9を使っている.)行頭の和数字で二・三を使っていないのは手書きで伝える際にカタカナの「ニ」「ミ」との混同をさけるためと思われるが,「ハ」と間違えやすい「八」は使っている.空欄も含めたコード総数は9×142行=1278.

内国中ニ在テハ日本ノ仮名ト日本ノ数字ト引合セ用フベシ 外国ニ在テハ西洋ノ字ト西洋ノ数字ト引合セ用フべシ 盖シ内外冊ヲ別ニスルノ煩ヲ省クガ為メ一冊併載シテ両用スルヲ得セシムルモノナリ 必ス内外交互錯用スルコト勿レ
明治九年三月

国際標準への対応

1879年に国際電信規則が改訂になって官報でも英字と数字の組み合わせが使えなくなるなどの変更があった際には,海軍電信暗号の「横文」符字がそれに抵触するため改訂に着手したものの,進捗ははかばかしくなく,和文・横文とも増補改訂に着手していたので,暫定的な手当てでしのいだらしい(C09102447200, C09115333200, C09103445900, C09103119100, C09114725900, C09114281600).C11081194000にある「電信暗号」は明治9年3月付の凡例は上記と同じながら大幅に増補するとともに英字+数字の組み合わせをなくしており,これに該当するものかもしれない.

明治16年(1883年)の増加訂正版と明治17年(1884年)の増補

その後,1882年の朝鮮事件(壬午事変)に際して「電信符号」が制定され,従前からの「電信暗号」と二本立てになってしまったため混乱を生じることになった.電報料金節約のために語句を2〜3字のカナや数字で表現する「電信符号」と,秘匿のための「電信暗号」を別途設けることは陸軍や司法省でも行なわれており(別稿参照)めずらしいことではないが,海軍の「電信暗号」は単なる換字ではなく,語句を二字で表わすコードの機能も備えていたため,「電信符号」との区別が曖昧になってしまったようだ.このこともあって,1883年(明治16年)3月,「増加訂正」版の電信符号に統一することになった(C11018656200 p.5-6).これは「和洋両符」あるとのことだが,その形式は翌年のさらなる増補からうかがうことができる.

1884年(明治17年)の清仏事件(Wikipedia)に際して渡清した海軍少将が地名・熟語などの不足を痛感したことから,増補のはこびとなった(C11019187600 p.4).その増補分からすると,9ます(一〜九)からなる各行の上部にカナ2字が割り当てられており,数字+カナ2字の3字で語句や地名を表わしたらしい.海外電信用に英字も付されており,英字2〜3字のコードとしても使えるものだった.コード構成は完全に規則的ではないようだが,その全体像はおおむね下記のようなものだったと思われる.上記の1876年版と比べると,新国際標準に準拠するため,英字+数字の組み合わせはなくなっていることがわかる.


この増補版を使った電文として1886年(明治19年)3月のものが残っている(C10123727400;モヨ二=馬関 が増補のコードに一致).

ワソ九(天竜艦) ホンジツ モヨ二(馬関) メセ一(着艦) ヲセ二(長崎) ヨリムカイ フクチヨウ ラヲ一(乗組) シダイ ナタ三(回航) ノムネ ヱイ七(報知) アリ

また,1888年の電文(C10124276100)からすると,一〜九,四四,五五,六六の行は1876年版をそのまま使っていたらしく,換字部分が解読できる.

ミコ五(?) ニイリコミタル ヱ十八 ヲ 五八(く)四四(わ)九一(だ)六六(て) タルモノ 五五九(千) 五五二(五) 五五八(百) メイ 一五(ほ)四四五(ん)八六(じ)五一(つ) ゴゴ ミコ五(?) 八二(ぐ)四四(わ≪?≫)一一(い) ニ 一五(ほ)五六(う)一八(ち)五八(く) ス
トウチ ニテハ  シヲ一(?) ナヨ五(?) ノアルチヲ レフ五(?) ス
ソノチ ニテモ ドウヨウ レフ五(?) アルベシ

同時期の電文例はほかにC10123728900, C10123735000(1886年),C10124545300(1889年)もある.

民間の『いろは暗号』

1888年(明治21年)12月,『伊呂波引電信暗号』が民間から発売された(別稿参照).これはカナ2字(濁音もあり)で語句を表わすものだった.

翌年には早速海軍でも『いろは』を購入して使用した(C06090883800, C10124578900).1890年1月11日からの半年間についても,「長文に渉る電報を発送するには今より経費節減のため東京叢書閣発兌伊呂波引電信暗号を使用す」との通達が出されたという(長田順行『ながた暗号塾入門』p.224-225,長田順行「暗号辞書」(大修館『月刊言語』第13巻(1984)第1〜4号〈特集・辞書のたのしみ〉p.136-137)

実際に『いろは』を使った電文がいくつか残っている.下記の例(C10124550600;1889年12月)などを見ると,艦名と「暗礁」「触る」「入渠」以外はコード化できており,『いろは』の語彙の充実ぶりがうかがえる.

バンジヨウ(磐城) テセ(朝鮮) ニモ(にて) アンシヨウニ フル コス(故障) コワ(無之) ミイ(見込) ナメ(なれども) ネヨ(念の為) ナス(長崎) ニモ(にて) ニウキヨ ケイ(検査) トレ(取計) モカ(申べく) キベ(許可) ネノ(願ふ)

このほかC10124596800(1889年10月),C10124785800, C10124791100, C10124791600(1890年)などにもいろはを使った例がある.

カナ3字コードの登場

1890年(明治23年)5月までは「いろは」の使用が確認できるが,遅くとも同年9月には海軍も独自のカナ3字コードを制定していた.次のような電文が残っている.

1890年9月24日(C10124795000)
キマホ(機関士) シアカ(出京) キムメ[許可]★下記への返信.「機関士」のコードが違う事情は不詳(頻度秘匿のために複数のコードを登録しておくほどの語とも思えない).

キホヒ(汽罐) チユウブ ハケノ(破損) ハナハダシ
サフヲ(策尽き) モ[ハ]ヤ コソテ(航海) ノ ミラレ(見込) ナシ
ヨツテ キマイ(機関士) シイテ[修復] シヱソ(上申) ノタメ シアカ(出京) イタサセタシ
シロウ(至急) コチネ(御指令を待つ)
1892年4月14日(C10125125800)
フケフ(?) ノタメ タロヤ(対洲) ニユク
ホセシ(砲台) シサツ テナシ(電信) ニテ キヨカアリタシ

これらに使われているコードをまとめると次のようになる(★については後述).

キホヒ  汽罐
キマイ/キマホ  機関士
キムメ  許可★
コソテ  航海
コチネ  御指令を待つ
サフヲ  策尽き
シアカ  出京
シイテ  修復
シロウ  至急
シヱソ★  上申
タロヤ  対洲
テナシ  電信★
ハケノ  破損
ホセシ  砲台
ミラレ  見込★

このように,3字コードの先頭文字が平文の頭文字に一致するようになっている.別稿でも述べたように,カナ3字のコードが一般的になるのは1920年代になってからであり,「陸軍電信符号表」も1913年版までは濁点・半濁点も用いた古いスタイルのカナ2字コードを使っていた.1890年の時点でのカナ3字コードは画期的だったと思われる(軍事機密という性質上,民間のコードに影響を与えることはなかっただろうが).

陸海軍共用暗号の提案

海軍と陸軍は基本的に独立に暗号を管理・運用していたが,1893年(明治26年)には海軍で使われている「片仮名手旗信号」が陸海軍共通のものとして定められた(C10060417400,C06081853400).

さらに「秘密電信符号」についても,共通のものが制定されるまでは,当面所定の部署間では1894年(明治27年)3月から従来陸軍で用いていたものを使うことになった(C06091012100 p.7-19, C06081917600).挙げられている次の例からすると,これは簡単な換字だったことがわかる(しかも,1877年の時点で使用されていた22通りの多表式換字暗号(別稿参照)の「第一号」と同一).

第一号
スレモ゛クニ゛フナイ
イマバ ツビ ョウス(今抜錨ス)

1894年7月に陸軍が海軍電信暗号を借りた記録があるが(C07082225000),陸海軍共用暗号制定の件が結局どうなったのかはわからなかった.ただ,少なくとも陸軍の暗号が海軍にも配布されることはその後も続いたようだ.

日清戦争前後の海軍暗号

日清戦争(1894.7-1895.3)勃発直後の1894年8月に秘密電信暗号が改訂された(C06091012100 p.2-6).

JACARにはカナ3字のコードを使った電文が多数あるが,筆者が見た限りこの時期の電文で最も古いものは1894年9月のものであり(C11080105500),これが上記の改訂に相当するものと思われる.残されている電文から部分的に復元したコードは次のようになる(青字は推定).(上記の1890-1892年に使われていたコードの★の部分(平文またはコードの)はこの1894年のコードにも見られるが,平文とコードの対応が異なっており,別のコードだと思われる.)


主な部分は1890年版と同様,3字コードの先頭文字が平文の頭文字に一致するようになっている.

この1894年のカナ暗号は日清戦争後も引き続き使われ,少なくとも1897年(明治30年)(C06091095100),1898年(明治31)年(C06091154800,C06091187500),1900年(明治33年)(C06091267400,C06091269400)にも使われていたらしく,共通のコードがある.

日露戦争前後の暗号

日露戦争(1904.2-1905.9)当時には,長田順行『暗号』(ダイヤモンド社)p.145-151で述べられているように,同じカナ3字のコードでも,平文の頭文字に一致するのは第2字となっている.そのほか,艦艇・部隊などを表わすカナ2字コードが設定されており,こちらは第1字が平文の頭文字に一致する.この種の暗号は遅くとも開戦前の1903年(明治36年)には使用例がある(C06091461500,C06091476400).日露戦争後では少なくとも1907年(明治40年)に例がある(C06091885400).

その後,1911年(明治44年)の電文では,3字コードの一部が原語の頭文字を表わす方式をやめ,完全な二部式(ランダム対応)に移行したようである(C07090160000).

欧文暗号(英字コード)

外務省暗号の借用

欧米との連絡にはカナ電信は使えない.そのため1876年版の暗号でも英数字も使えるようになっていたが,単語ではなく不規則な英数字の並びは国際電信規則上,コードより割高なサイファーとして扱われてしまう.おそらくそのためもあって,1876年にすでに1000語規模のコードがあったにもかかわらず,1878年の時点では,軍艦・清輝 (Wikipedia) のヨーロッパ遠征に当たり,海軍暗号では語彙が足りないので外務省電信暗号を使うことになった(C09112884100).外務省の暗号を借りたことは1885年(C11081460600),1886年(C10123900300,3月返却;C10123901100,9月返却「横文電信符号」「同特別電信符号」)にもあった.

1886年4月には「海軍一般通信之為御使用相成来候電信符号」のほか外国派遣の将校へは別種の電信符号を渡すことになった模様である(C10123900700).

海外通信用の英字暗号(海軍武官暗号)

少なくとも1894年以降は海軍も自前の英字コードを使用していた.これについては別稿参照.

リンク

アジア歴史資料センター(JACAR)……上記のB05014019200などはここのレファレンスコード

(引用中,用字・仮名遣い・句読点などは現代風に改めた場合がある.)



©2014 S.Tomokiyo
First posted on 14 June 2014. Last modified on 15 August 2014.
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