ウイリアム・ブレア「暗号」(1807)(『リース百科事典』)

ウイリアム・ブレア(William Blair)が『リース百科事典』(Rees' Cyclopaedia)(Internet Archive)に寄稿した「暗号」(cipher, cypher)の項目は文字がぎっしりつまった百科事典の体裁で30ページを超える充実した内容を含んでいる.その記述は先人たちの著作からの引用も使いながらさまざまな暗号法とその解読法を集大成しており,DNBやDavid Kahn, The Codebreakers(p.788)で高く評価されている.これはまた,暗号小説の古典「黄金虫」(原文日本語訳へのリンク)で有名なエドガー・アラン・ポーが参照した資料としても知られる.さらに南北戦争後のある時期にはアメリカ陸軍の通信隊のテキストにも採用された (Masked Dispatches p.95-99)

ブレアの本職は医者であるが,記事本体で述べられているように,ブレアは1804年にたまたまオガムのような不思議なアルファベットを見たのがきっかけで「娯楽として」(p.180)暗号に興味をもつようになり,調べていく過程でグラモーガン(ウスター侯爵)(別稿(英文)参照)が『百の発明』で漠然と記述している暗号法に対応すると思われる手稿を発見したりもした(p.186).

当時外交暗号の主流であった数字によるコード暗号については「最善とは言いがたい」としている.コード式は「膨大な労力」がかかるので,サイファーがいいと考えていたようで,自ら考案した暗号法を「外務省で非常に有用」と提案している.だが現在では,そのように新たに考案した暗号化の方式を秘匿することによって秘密を守るというやり方は時代遅れとなっており,暗号化の方式は知られていても,鍵を秘匿することによって秘密を確保するという考えが主流になっている.

下記ではブレアの記事の概要を紹介するが,書籍にはページ番号が打っていないので,以下のページ番号にはInternet Archiveで表示される番号を用いた.

ウイリアム・ブレア「暗号」(1807)(『リース百科事典』の一項目)

cipherの意味

(p.176)

cipherまたはcypherは算術では「数字の0」の意.

「イニシャルを組み合わせて紋のようにした飾り文字」の意味もある.かつては紋章の使用を認められていなかった商人が使っていたが,さまざまな階層の人に使われるようになっており,「最近」は馬車に家紋を描く場合に課される年2ギニーの税金を避けるために飾り文字の使用が増えている.

外交では「暗号」の意味.

(p.177)

暗号がcipherと呼ばれるのは秘密通信のために数字を使う習慣からきていると思われる.暗号を扱うため,外務担当国務大臣〔外務大臣〕付きで解読官が置かれている.

古代以来の暗号法と暗号に関する著作者

古代の秘密通信

(p.178)

文字が普及して暗号が必要になるには何世紀もかかった.

エジプトのヒエログリフは知識を隠すために発明されたとの説が広まっているが誤り.

〔アルファベットの〕文字は象形文字よりあとにできた.文字が普及して秘密を隠す役に立たなくなると,暗号の使用の下地ができる.最初は種々の工夫があったが,特に新たに構築されたアルファベットが使われた.これは君主,大使,将軍その他の公人が使うもので,フランシス・ベーコンでさえ,この自由な国にあっても,暗号を使うのはサマセット伯の罪の加重自由であるとした(別稿参照).

暗号がよこしまな目的に使用されたこともあったが,暗号の知識を公表しない理由にはならない.ウィルキンズも『マーキュリー』(別稿参照)で,悪用されるものを秘さねばならないとしたら学問はできなくなると述べている.

暗号を扱った著作は少なくないが,あまり紹介されていない.

合図を使った連絡は文字よりも古いかもしれないが,合図により秘密情報を伝えることが多用されたかどうかはわからない.これについてはオウィディウス,ガスパール・ショット,フォークナー(別稿参照)およびウィルキンズ(別稿参照)が述べている.

火による連絡は中国,ペルシア,トロイ戦争などで古代から使われている.

ポリュビオスの記述

(p.179)

ポリュビオスは火などでアルファベットの文字を表わす方式を記述.これならどんな情報でも送れる.

ポリュビオスはアイネイアス・タクティクスの発明を詳述している.棒の上のほうを3インチ毎に区切ってそれぞれに戦時にありそうな出来事を書き込み,水に浮くようコルクに通したものを用意し,これを水を入れた容器に入れて浮かせる.〔所定量の〕水を抜いたときの棒の沈み方から,同じ器具を持っている相手はどの出来事が起こったかがわかるというものだが,ポリュビオスはこの方法はあらかじめ棒に書いておいた出来事しか連絡できないと指摘し,自分の方法のほうがすぐれているとしている.

アイネイアス・タクティクスは20以上の秘密記法を述べているとされる.そのいくつかは後述する.まずはポリュビオスの遠隔通信(telegraphic)法を紹介する.

ギリシア文字を5×5のます目に書き込んだものを共有しておき,列を表わす数のたいまつを左に掲げ,次に行を表わす数のたいまつを右に掲げる〔ポリュビオスの座標式暗号〕.右側・左側の一方のみが見えるよう二つの管を使って工夫する.降ろした火が見えないようにする板も必要.

英語の場合の例.qはkで代用することにする.〔このころにはアルファベットのiとj,uとvの区別が確立しつつあった.ただ,『リース百科事典』の見出し語の配列ではまだこれらは同一視されており,たとえばinterest-Jones-Irelandの順に配列される.〕

12345
afkpv1
bglrw2
chmsx3
dinty4
ejouz5

(p.180)

間隔を開けて行と列を表わすたいまつを別個に掲げれば10本でなく5本のたいまつですむ.この方法が最近海軍省によって日々の遠隔通信に採用された.ただし,数字も表わすために6個のサインがある.〔telegraphの項目(p.211)によると機械によって棒を組み合わせて文字を表わしたものを望遠鏡で観察する方式でリレー式に伝達することがフランスで行なわれ,イギリスでも海軍省と沿岸拠点との連絡に取り入れられた.また,棒のパターンと文字の対応を随時変更すれば傍受の心配がなくなる点も指摘されている.〕

スキュタレー/暗号は解読されるから意味がないとする主張

ギエ・ド・ラ・ギユティエール(Guillet de la Guilletiere)氏〔別稿参照〕は暗号記法を発明したのはスパルタ人であり,スキュタレーがその最初であると示そうとしているが,アイネイアスの暗号記法はこれとは全く異なり,スキュタレーに由来するとは考えにくい.

スカリゲルはどんな暗号が発明されても解読できると言っているが,ウィルキンズ『マーキュリー』(別稿参照)は暗号の研究が無用なわけではなく,解読できないものもあるかもしれないと述べている.

フォークナー(別稿参照)らはスキュタレーはアルキメデスが発明したとしているが,アルキメデスより2世紀も前に使われている.

他の古代の著者

ユリウス・アフリカヌス,ラエルティウス,機械技師フィロンもこの主題を扱っているが内容は不詳.

点や結び目による秘密通信

ポリュビオスは,アイネイアスが記した秘密記法のうち,書物や書簡の文字に小さな点を付けて,点をつけた文字だけが秘密のメッセージを表わす方法を特に評価している模様.母音を点で置き換える方法もある.文字に対応する穴に糸を通す方法もある(セレヌス(1624)が詳述).

この方法はひもの結び目の間隔で文字を表わすのと似ている〔図II-1〕.この方法はウィルキンズ『マーキュリー』の5章,11章でも扱われている.

(p.181)

結び目の代わりにインクで印をつけてもよい.

アイネイアスは他の多くの秘密記法を知っていたが,後代に広く実践されなかったのは驚きだ.特にポリュビオスの信号法が現在まで使われなかったことは.

ステガノグラフィー(通信の秘匿)

包囲されている都市にひそかに手紙を運ぶ方法も記載されている.

最も特異なのはヘロドトスの伝える,奴隷の頭皮にメッセージを記した方法だろう.

サイファー

メッセージを記号(点など)によって隠すほか,文字を入れ替える換字もある.ウィルキンズはヘブライ人の例を挙げている〔アトバシュ〕.カエサルやアウグストゥスも使った〔シーザー暗号〕.文字を入れ替えるのも新たな文字を作るのも同じこと.アウグストゥスのあと何世紀たっても国王や大使はアルファベットの形を変えることで満足していた.

フランシス・ベーコン(別稿参照)の言った,よくできた暗号は解読されず,それでいて読むにも書くにも簡便であるが,書記官や事務員の無知や未熟のため,最も重要な事項が弱く危うい暗号で伝えられることがしばしばであるとの指摘が現在でもあてはまらなくはないことを示す根拠がある.現時点(1807年)でも,ヨーロッパのいずれかの宮廷がベーコンが求めた三つの性質(1.読み書きが簡単であること.2.解読できないこと.3.疑われないこと)をもつ暗号を有しているかどうかは非常に疑わしい.

普通の文字を入れ替える換字はローマ人だけではなく,ギリシア人,シラクサ人,カルタゴ人にも知られていた.古代ガリア人,サクソン人,ノルマン人などは記号を使うほうが普通で,多くの例がトリテミウスらによって収集されている.

コード暗号のような記号

詩人エンニウスによって導入されたと言われる,単語全体または音節を記号で表わす方法はずっと秘匿効果があり,マエケナス,キケロ,大セネカ,フィラルギルス(Philargirus),ファンニウス(Fannius),アクウィラ,ティロによって推奨されている.数千ものそうした記号がワレリウス・プロブス,パウルス・ディアコヌス,ゴルツィウスにおいて,またグルテルス(Gruter)の〔収集した〕碑文の末尾において見られる.

こうした記号文字はアルファベットではない〔つまり,文字を表わすのではなく単語等を表わす〕が,ラテン語で先頭または末尾が同じ記号は互いに非常に似通ったものが多いので,完全にランダムに作成されたのではなく,何らかの規則にしたがっている.

ティロの速記記号〔Wikipedia〕は専門家によるとセネカの時代に増えて一万三千にもなった.その秘匿効果が奏功し,そうした記号で書かれた詩篇が「アルメニア語」と称されたほどだった.教皇ユリウス二世〔16世紀〕は学者に解読させようとしたができなかった.ヘルマンヌス・フーゴーはこの記法は古代ヘブライ人の間で使われ,詩篇45-1,ダニエル書5-25でほのめかされているというが,さらに検証が必要.アルファベット〔=音素を表わす記号集合〕である英国の速記記号がアルファベットではないティロの速記記号に由来するという一部の意見と同じくらい根拠のないもの.

古代にローマ等で用いられた記法に略語(siglaと呼ばれた)がある.本来秘密のためのものではないが,暗号に関する多くの著者が取り上げている.

暗号に関する近代の主要な著者

歴史的な記述のまとめとして,暗号に関する近代の主要な著者を挙げておく.傑出していると思われる人物には*を付けておく.

*トリテミウスの著作『多記法』(Polygraphia)は出版されたが,『隠蔽記法』(Steganographia)は存命中には刊行されなかった.『多記法』は1561年にガブリエル・ド・コランジュ(Gabriel de Collange)によってフランス語に翻訳された.その間,パラティノ(Palatino)が1540年に,ベラソ(Bellaso)が1553年に,グラウブルク(Glauburg)が1560年に暗号について扱っている.

1563年には*パティスタ・ポルタが独自の論考を公表.ほぼ同時期にカルダーノとビブリアンデルがいる.その後は以下の著者がいる.*ブレーズ・ド・ヴィジュネル,ワルキウス,イザーク・カゾボン,*ガスパール・ショット,*グスターヴス・セレヌス,ゲラルドゥス・ヴォッシウス〔Gerardus Vossius〕,ヘルマンヌス・フーゴー〔Hermannus Hugo〕,シュヴェンテル・筆名エルキュール・ド・スンド〔Janus Hercules de Sunde〕,ヴェッカー(Wecker),ニケロン(Niceron),*フランシス・ベーコン〔別稿参照〕,カスピ(Caspi),ゼーレンデル(Seeländer),*J・バルタザール・フリデリツィ〔Johannes Balthasar Friderici〕,コミエ〔Claude Comiers〕,バサッチオーニ(Basaccioni),ラファン(La Fin),ダルガーノ〔George Dalgarno〕,ベッヒャー〔Johann Joachim Becher〕,ヒラー(Hiller)〔1682年に著作〕,*ウィルキンズ〔別稿参照〕,J・ニコラウス(Nicholaus),ブクストルフ(Buxtorff),カラムエル〔Juan Caramuel y Lobkowitz;トリテミウスの記述を魔術でなく暗号と解釈〕,ヴォルフガング〔Wolfgang Ernest Heidelか(下記参照);トリテミウスの記述を魔術でなく暗号と解釈〕,*フォークナー〔別稿参照〕,ホースリー(Horsley),P・クリニトゥス〔時代がさかのぼるがPetrus Crinitus (1475-1507)か?〕,エルンスト・アイデル〔Wolfgang Ernest Heidelか(上記参照)〕,J・ジェフォリー(J Gefory),J・C・アンマン〔Johann Konrad [Conrad] Ammanか〕,オザナン〔Jacques Ozanam〕,*ブライトハウプト〔Christian Breithaupt, Ars Decifratoria sive scientia occultas scripturas solvendi et legendi (1737)の著者〕,*コンラドゥス〔David Arnoldus Conradus, Cryptographia Denudata (1739)の著者〕,ダットン(Dutton),デーヴィス(John Davys)〔別稿参照〕,〔J・〕ウェア(Ware)〔オガムに関する著作Antiquities of Ireland〕,フラーヴェサンデ〔Willem 's Gravesande〕,トウィス(Twiss),ド・ヴェーヌ〔Dom de Vaine〕,カスピ〔前出〕,カルパンティエ〔Pierre Carpentier;ラテン語の速記の解読を扱う〕,ウォーバートン司教〔William Warburtonか〕,スタニスラウス・ミンク(Stanislaus Mink)〔数字を単語に直して記憶するニーモニック・システムを考案〕,ルカテッロ(Lucatello)〔別稿のLocatelloについての注参照〕,キルヒャー〔Athanasius Kircher〕,パッシウス〔Johannes Paschiusか〕,モルホフ〔Daniel Georg Morhofか〕,*シックネス〔別稿参照〕,ハットン(Hutton),フーパー(Hooper)〔後述〕,アスル(Astle)〔後述〕.さらに手稿を残したウォリス〔別稿参照〕,ウスター侯爵〔別稿(英文)参照〕が加わる.後者の手稿が侯爵のものであることは筆者が最近認識し,確認した.

主として外交を扱う著者の一部も暗号に触れている.特筆すべきはNouveau Traité de Diplomatique, tome iii, p.ii, §iv, ch.xとEncylopedie MethodiqueWikipedia〕のEconomie Politique et Diplomatiqueの巻におけるChiffres〔Google〕の項目である.だがその種の著作には失望させられることも多い.

この指摘はブリタニカ百科事典の一連の版にも当てはまる.単にフーパー博士のRecreationsからの長い引用がクレジットもなしにあるだけ.この著作はタイトルどおり子供のレクリエーション向け.

17世紀〜19世紀初頭

信号通信

フランシス・ベーコン〔別稿参照〕が暗号記法は文法の領分に属すると述べたので文法について書いたたいていの著者にも取り上げられている.ウィルキンズ〔別稿参照〕はあらゆる連絡手法を含むとしているが,最近では海上における信号通信が発達して,艦船の間でメッセージのやりとりができるようになっている.古代の艦船でポリュビオスが述べるような信号通信が行なわれていたかどうかについては決定的な証拠はないが,何らかの信号通信は行なわれていた模様.アイゲウスが息子をクレタ島に送ったとき,テーセウスを無事連れ帰るなら白旗を掲げるという取り決めがされた.ポエニ戦争では原始的な連絡方法がしばしば言及される.アミアヌス・マルケリヌスは旗手と観察者について述べており,古代の硬貨は旗を示している.艦船上での信号についての直接的な言及としてはウェルギリウスの『アエネイス』iii, 519などにある.

だがこれらの方法はおそらく原始的なもので,現代のように文章を綴るまではいかなかっただろう.

(p.183)

艦船では地上よりも制約があるので,海軍通信の原理は10〜12程度の旗で数字を表わすことからなる.(1804年にポパムが東インドの艦船用に出版した"Telegraphic Signals, or Marine Vocabulary"を参照〔参考pdf;ネルソン提督の信号旗でも使われたコード;ちなみにこのコードではiとjは区別されていないがuとvは区別されており,s-t-v-uの順になっている.〕)この組み合わせで数千の数字や単語を表わせる.

夜間には光で数字を表わせる.〔図あり〕

色ガラスを使って光の色を変える試みもされたが遠距離では色が見分けにくかったり光が弱まったりして失敗に終わった.

3通りの音を1-2-3という数字のように使ってアルファベット26文字を表わすことができる(3^3=27).異なる色の旗を使ってもよい.

2通りの音・色だと5桁必要になるので,このほうがいい.

(p.184)

ピリオド(.)を1,コロン(:)を2としてもよい.たとえばW=.:.:.(12121)となる.

あまりに骨が折れ,解読不能でないという反論もあろうが,公表されている多くの暗号よりはずっと楽であり,同じくらい解読困難.図IIIに筆者の発明した点による暗号の例を掲げた.あえて鍵も載せてあるが,読者はこの原理を説明できまい.

換字暗号(カエサルからエリザベス時代まで)

最も簡単な暗号は,新しいアルファベット〔記号アルファベット〕を使うまたは普通の文字の役割を入れ替える換字.カエサルやアウグストゥスの暗号がその例〔シーザー暗号〕.

ギリシアの暗号を扱ったMontfauconのPalaeographia GraecaGoogle〕ではp.87, 286, 288にギリシア文字を入れ替えたり変形したりしたさまざまな暗号アルファベットや暗号文の例があるが,特に11世紀以降の書写生によるもの.同じ手法はずっと前の時代,アイネイアス以前にも行なわれていたことは確かであり,ローマの皇帝もギリシア人から学んだのかもしれない.

いくつかの例を挙げておく.ただし,すべて彫版を起こすのは高くつくので,印刷所にある記号で代用する.

例I 〔シーザー暗号の例〕

以下の例では普通のローマ字の代わりに異なる種類の記号を使うが,いずれにせよ解読は簡単.

例II〜例IX 〔各国語の例文を種々の記号で置き換えた暗号の例〕

5世紀のファラモンドらは暗号記号を使っており,8〜9世紀のシャルルマーニュは同様の方法で北方にいるエージェントと秘密通信をした.ファラモンドのものを含めこれらのアルファベット〔換字表〕はセレヌスやトリテミウスの著作に見られる.図I-1にシャルルマーニュのもの,図I-2には手稿から転写したアルフレッドの治世のイングランドのものを示す.14世紀のオーストリア大公ルドルフ四世も秘密記法に通じていたが,トリテミウス前にはまとまった暗号関係の著作はない.

図I-6には1524年にウルジー枢機卿が使った暗号を掲げる〔別稿(英文)参照〕.図I-7は1563年にパリに赴任していたトマス・スミスが用いた暗号.図I-8は1564年にトマス・チャロナーがマドリードから使った暗号.図I-9は1586年にエドワード・スタフォードがマドリードから使った暗号〔別稿(英文)参照〕.大英博物館には同じ時代の暗号手稿が多数あったので,この時期にはヨーロッパ各国の宮廷で一般に使われていたことになる.〔これらの図版はアスル(Astle)のThe Origin and Progress of Writing (1784) (Google)のp.176の次に挿入されている図版にあり,これが出典と思われる.〕

数字暗号その他(17世紀〜)

(p.186)

17世紀にはアラビア数字を使うようになる.チャールズ一世の息子への手紙がその例〔別稿(英文)参照〕.

チャールズ一世はグラモーガン伯(のちのウスター侯)に線分暗号も使っている〔図I-4〕.筆者はそれを調べる過程でグラモーガン伯が『百の発明』で漠然と記述しているものに相当する手稿を発見した〔図I-5〕のだが,それ以前にはいろいろな仮説があった.〔別稿(英文)参照〕〔グラモーガンの著作『百の発明』から関連項目の引用〕

(p.187)

ジョン・ウォリスはチャールズ一世の不遇な時代に奪取された手紙を多数解読し,その写しをオクスフォードのボドリー図書館に寄託したが,それに付した文章で数字暗号の優位性を述べている〔別稿参照〕.スカリゲルがスキュタレーを解読できただけのことで暗号を無意味とばかにしたのに対し,ウォリスはスカリゲルよりはるかに経験豊富なのに暗号の可能性を認めている.

書籍暗号

今日一般的な数字を使う方法がある(書籍のページと行によって単語や文を示す書籍暗号).ポルタやカルダーノによって推奨されており,新しいものではない.だがヴィジュネル(1587)は不便な点を指摘している.必要な単語を探すのに骨が折れる.書籍として辞書を使うのでなければみつからないかもしれない.子供じみたものというべきだが,軍指揮官や官僚によって是認されている

(p.188)

鍵となる書籍がなければ解読できないかもしれない〔ここでシックネス(別稿参照)の説明を引用〕.だが暗号に求められるのはそれだけではない〔ほかに簡便さと怪しまれないことが必要〕.

辞書を使うことで緩和できるが,それでも膨大な労力がかかる.

コード暗号

フランスの百科全書派は数字を使ったずっと現実的な記法を述べているが,それも最善とは言いがたい.次のようなものである.

アルファベットの各文字および多数の語句を表わす数字を取り決めておく.頻出字句にはいくつかの表現が採用されてもよい.これを簡単にみつけられるよう分類・配列しておき,別の分類では数字を先にしてそれに対応する語句を付す〔二部式コード暗号〕.〔フランス語の暗号例あり〕

流出対策

秘書が暗号を外国に売り渡した場合にそれを検出する手段が講じられてもよい.宮廷が外国の使節に,または逆に使節が宮廷に,意図とは逆のことを要求してもよい.あらかじめ所定の印または符号が逆または取り消しを表わすよう取り決めておく.この有用性は,海軍信号通信において,敵が目視圏内にいる場合や間違いがあった場合にしばしば実証されている.このような工夫により,暗号が露見したり売り渡されたりしても,敵を欺くことができる.

オガム

J・ウェア,ヴァランシー(Vallancey)大佐,アスル氏はオガムと呼ばれる独特なアルファベットによるアイルランドの隠蔽記法について解説している.オガムには三種類がる〔図I-3〕.

フランシス・ベーコンの二文字暗号

フランシス・ベーコンの提案はウィルキンズ〔別稿参照〕,フォークナー〔別稿参照〕などにより比類なきものとされているので,述べておく必要がある.

〔ここでShawの英訳によるフランシス・ベーコンの暗号論を引用(別稿参照)〕

(p.190)

これほど傑出した人物の著作を批判するのは気後れするが,この方法〔フランシス・ベーコンの二文字暗号〕はあまりに手間がかかる.実際ほとんど使われていない.二文字の代わりに三文字使うなら,暗号文は原文の5倍でなく3倍の長さですむし,書記官の労力も減る.

第二に,この暗号は間違いなく検閲官の目から安全であるといえるだろうか.平文の一文字をなす五字ごとに印を付けたら,簡単な暗号と同じように解読されるのではないだろうか.フォークナー〔別稿参照〕氏も解読されうると認めている.だが,公表されなかったとしたら,ほとんど疑われないという意味で貴重な性質だったろう.

音による伝達

ウィルキンズ〔第17章〕〔別稿参照〕はベーコンの二文字(または三文字)を使うという点を改良して,二つの音符を表わす二つの鐘または鐘と別の音(マスケット,らっぱ,太鼓など)を使って文字を表わすことができると述べている〔※ベーコンも「耳に届きうる」音を使ってもよいことは述べている〕.ウィルキンズはポルタが記述している,ナヴァールが包囲されたとき,事前に取り決めた順序でさまざまな砲声を発することで必要なものを外の味方に伝え,適切な補給を受けて市を守ることができたというエピソードも紹介している.

音符暗号

最も面白いのは音符によって文字を表わすというもので,ウィルキンズは普遍言語に使えるとしている〔第18章〕.

ことはそれほど簡単ではないだろうし,ウィルキンズの挙げた例はまずだめだろう.シックネス〔別稿参照〕は音符を使った「調和アルファベット」で書けばどんな方法よりも疑惑を避けられると述べている.音符による記法を述べたのには先例がある.セレヌスはその方式の記法のさまざまな例を挙げつつ,その発明者をエッティンゲン伯フリードリヒとしている.トリテミウスもこれを知らなかったはずはない〔フォークナー 第5章 考察4参照〕.

これほど面白い提案を軽んじているように見えないよう,若干のコメントをしておく.図II-2, 3, 4, 5に調和アルファベットとそれによる暗号文の例も挙げておいた.

7通りの音符があれば文字を表わすには十分だが,アルファベットとして使いたい順序に従ったときにそれがうまく融合・調和することにはならない.

(p.191)

調和アルファベットを誰よりも推奨しているシックネスのコメントを引用しておく.氏の見解は筆者とは異なるので,公正を期すため氏の言葉をそのまま掲げておく.ただし,譜例では誤りをいくつか修正してある.

〔シックネス(別稿参照)からの引用〕

(p.193)

音楽のわかる人ならシックネスの譜例を作曲家の作品だとは思わないだろう.図II-5はブリタニカ百科事典からのものだが,図II-3と同じくらい下手で非調和である.図II-4はもう少し音楽らしいが,音楽のわかる人にとっては幼稚な作品であろう.これは疑われることなく通ることもあるかもしれないが,真似することは勧めない.いくつかの音符の旗が逆方向を向いているし,高音部と低音部がよく合わず,いくつかの部分は〔筆者が直す前は〕拍子が合っていなかった.

ここまで難しいのなら,フランシス・ベーコンの二文字暗号のほうがいい.このほうが音楽暗号よりは疑われにくいし,まだ簡単だ.それに音楽に通じていない人でも使える.

疑いを避けるというだけなら,普通の手紙に秘密インクで書けばよい.

カルダーノ格子

ガスパール・ショットらが主張する,疑いを避けるための別の方法は次のようなもの.

厚紙のところどころに穴を開けておいて,穴のところにメッセージを書き込み,厚紙を外して途中を埋めて別の意味の文章にすればよい.〔カルダーノ格子〕

だが短いメッセージにしか使えない.

暗号解読

暗号解読の技術は近年発達してきている.暗号解読に傾注したフォークナーは,現実的なものなら最も確実な暗号でも解読されうる,ある言語で暗号解読の規則を理解すれば数時間で他の言語でもできるようになると述べている.

(p.194)

同様の自信をもって,Cryptographia Denudataの著者コンラドゥスは暗号解読の分野は完璧で,どんな秘密記法でも解読を大きな賭け金で請け負ってよいと考えている.

『ジェントルマンズ・マガジン』(1761年6月)の寄稿者は「秘密アルファベットには通じていない」としながら,最高の暗号を考案したとした.そうしたうぬぼれはめずらしくない.真剣にこの主題に取り組んだことのない人は自分が思いついた暗号が解読不可能と思いがちだ.一方,真剣にこの分野のあらゆる微妙な問題を検討した者は,実用に耐える暗号で解読の恐れがないものを実現するのは難しいと認める.

トリテミウスやポルタは自信をもっていたようだが,16世紀末までにはそれまでに発明された方法はヴィエトにかかれば解読を免れないことがわかった(モレリ(Moreri)の辞書のヴィエトの項を参照〔Le grand dictionaire historique (1716)に該当する記述見当たらず〕.1642-1652年に〔大内戦下のイギリスで〕使われた記法もその記法を推す者には解読不能と思われたが,ウォリスがそうでないことを証明した.解読のための若干の一般的な規則を述べることはできるかもしれないが,ウォリスが述べるように,一定の法則はない.暗号解読を扱った著作は多いが,それを列挙したものとしてブライトハウプトの『暗号解読の技法』(Ars Decifratoria)(1737)を挙げておく.大陸におけるその進歩についても見られる.

ウォリスは正しくも「誰もが暗号解読の技法を取得できる素質ないし能力があるわけではなく,この目的のためにはある程度の洞察力が必要です.実際,この仕事をやってのける素養のある人物が必ずしもその意図を達成するために必要な労力や時間を進んで費やすとは限りません」と述べている(1699年1月16日付のライプニッツへの手紙).

したがって,ほどほどの優秀さを達成する人,またそもそも暗号解読の技法を深めようと努める人が少ないのも驚くには当たらない.暗号の難しさに見合った量の暗号文が必要なだけでなく,原文の言語,書かれた時期,その時期に使われた手法,発信地,宛先地,名宛人など,可能な限りあらゆる付随情報を得なければならない.

スキュタレーの解読

スキュタレーを最も古い秘密通信法の一つとして挙げたので,まずこの解読を扱う.フォークナーはスカリゲルに倣って紙を巻いてみて分断された文字が合うようにする方法を述べている.シックネスはもっと簡単に,紙を両端に書かれた文字片の間で半分に切ってテーブルの上で並べればよいと述べている.

たいまつによる通信への対抗

ポリュビオスの記述したたいまつによる通信のようなものは,〔オーストリア継承戦争中の〕St. Roak(ジブラルタル付近の高地)での戦争時にジブラルタルに在泊する艦船の数や動向をカディス総督に伝えるために使われていた.シックネスはこの手の通信は近くで別の光を点せば妨害できると指摘している.

記号暗号の解読

新たに発明された記号による文章では,記号の数が通常のアルファベットの文字数に(ほぼ)一致するかどうかを調べる.最も単純な記号が母音やアルファベットの最初のほうの文字に割り当てられているという弱点があることもある.最も頻繁に現われる記号または記号の組み合わせをみつけ,そのうち最も頻度が高いものがe,a,i,oを表わす.

次に単語の区切りを見きわめる.単語の区切りがスペースや点ではなく冗字記号で表わされることもあるが,冗字記号は数文字おきに現われるはず.

最も短い単音節語を構成する記号を調べる.留意すべき点は下記のとおり.

1.あらゆる単語は母音を含む.よって1字の単語は母音か子音+アポストロフィ.〔暗号文が英語とは限らないのでIかaとは断定していない.〕

2.語頭では子音よりも母音が重なることのほうが多い.語頭で子音が重なるのはスペイン語かウェールズ語の単語しかない.

(p.195)

3.短い単語では母音はたいてい子音より多い.二重子音の前に単一の記号があったらそれは母音.

4.二重子音の前または後に単独の子音があったらそれはl,m,n,rのどれか.

5.文字qの次は常にu.二つの異なる記号のうち後者は他の文字とも組み合わさるが前者は単独で現われたり後者の文字以外と組み合わされない場合,その二文字はqu.これは若干のスコットランドの名前以外では次に母音がくる.

6.どの言語も独特の構造があるが,以上は,本稿で取り上げたヨーロッパ語のすべての例に当てはまる.

〔以下,英語の場合の綴り字上の傾向の説明や他の言語との相違.〕

子音を区別するためには,d, h, n, r, s, tが頻繁に現われること,そしてこれらの次にc, f, g, l, m, w,第三位としてはb, k, p,そして最後がq, x, zとなることを心得る必要もある.

他の言語についての詳細はD・A・コンラドゥスのCryptographia Denudata (1739)およびブライトハウプトのArs Decifratoria (1737)にある.

〔英語の単換字暗号の例〕

解読法への対策

(p.196)

この解読法の対策がいくつかある.まず単語の区切りなしに書くこと.

語転置

さらに単語の位置を変える〔語転置〕.これはアーガイル伯の暗号の方式別稿(英文)参照〕.シックネス〔別稿(英文)参照〕は多くの解読法を見たが最もいいのは固有名詞の共起に着目することだという.特にそのような共起が等距離にあればそれで列数がわかる.そこまでくれば解読できたも同然.これはフォークナーが記述するものよりずっと簡単で確実.

アーガイル伯は単語の区切りを示さずに書くことが多かったが,フォークナーはそれでも母音と子音の区別や各母音・各子音の区別はでき,二三文字または一語でもわかれば難しい部分は終わりだと述べている.

だが筆者が発明した図IIIの暗号ではそれほど簡単ではないと思う.

冗字

冗字の挿入も暗号解読を難しくする.その対策として必要なのは以下のとおり.

1.異なる記号の数がアルファベットの文字数より多ければ冗字が混ざっている可能性が高い.代名詞や音節〔連字〕などを表わす可能性もあるので可能性が高いという以上のことはいえない.

2.記号の頻度により冗字を有意な記号から区別できる.多くの冗字が使われていればそれらの頻度は低く,あまり影響はない.冗字が少数であればそれらの頻度は高くなるが,それでも,仮定により,母音や子音から区別できる.特に記号の出現順や出現の一貫性に着目する.特にこうすればいいという規則はできないが,思慮深い者には必要ないだろう.

3.冗字と真のアルファベットを見出したら,あとは今までと同じ.

多表式換字

『秘密で敏速な使者』の著者ら〔『マーキュリー』第7章〕によって推されている秘密のための発明(全く敏速ではないが)がある.各行,単語または文字ごとに換字表を切り替えるというもの〔多表式換字〕.だが件の著者自身もあまりに骨が折れると認めている.

だが解読不能と思われて高い評価を受けすぎないよう,その解読の難しさがフォークナーによって考察されている〔以下,フォークナーの第1章第1節¶6の例に基づいて解説〕.

キーワードに基づいて作成したヴィジュネル暗号の換字表とその使用法(p.197にアルファベット順に整理したヴィジュネル表)

I 行ごとに換字表を切り替える暗号文の例

(p.198)

II 単語ごとに換字表を切り替える暗号文の例

III 文字ごとに換字表を切り替える暗号文の例

この方法を使うと文字の頻度が均等化する.

(p.199)

この方法は時間がかかりすぎる.さらに,少しでも間違いがあれば鍵をもっている通信相手でさえ解読できなくなってしまうばかりか,疑いを招く.よって,解読が難しいという点のほかは暗号が備えるべき性質を備えておらず,その解読困難さにしても不可能というわけではない.

上記および下記の観察の多くについてはフォークナーによっている.氏の著作は手にはいりにくいので,豊富な抜粋をした.

グロンスフェルト暗号

次に若干数の数字を援用して普通の文字で秘密の意図を伝達する方法を述べる.

ガスパール・ショットがグロンスフェルト伯から教わって伝えているもの.

フォークナーの例に従ってグロンスフェルト暗号とその解読法を解説〕

点,線などによる秘密記法

点,線などによる秘密記法について

位置によって区別できる点,線などによる暗号もある.たとえば,紙を24等分する方法が『マーキュリー』〔第11章〕に紹介されている.解読するには最初の垂直な線の点をある文字に転写し,第二の垂直な線の点を第二の文字に転写しなどとすれば普通の換字暗号になる.

転置式暗号

(p.200)

文字の音価をそのままにして文字の位置を変えることによる秘密記法〔転置式暗号〕

〔ウィルキンズ『マーキュリー』の,文章を上から下に,下から上にと牛耕式に書いたもの(「中国や日本の住人の間での普通の書き方」!)を横に読んだものを暗号文とする例.〕

転置式暗号.〔列を入れ替える場合の数(順列)をフォークナーより詳しく説明したのち,フォークナーの例に従って転置式暗号の暗号化と解読法,アーガイルの語転置(別稿(英文)参照)を説明〕

(p.203)

平行斜線を使った秘密記法.文字がその図形から対角線状に取り出される.

フォークナーの例に基づく説明〕

分置式暗号

語をなすのに必要なより多くの文字または記号を使うことによる秘密記法

最初の注目すべきものはガスパール・ショットが紹介しているもの.

まず,各文字に数字を割り当てておく.

次に,どんな言語でもいいので普通の商用文などを用意する.

(p.204)

通信文の第1字に割り当てられた数字が3だったら,商用文の3文字目に印(点など)を付ける.第2字に割り当てられた数字が6だったら,そこから6文字目に印を付ける,などとしていく.〔以下,フォークナーの例に従って説明〕

各行の左半分だけを使って伝えたい文章を書き,各行の右半分に適当な単語を入れて全体として全く別の文章にする.〔フォークナーの例に従って説明〕

フランシス・ベーコンの二文字暗号の解読

(p.205)

先述したフランシス・ベーコンの秘密記法を解読するには,二つの形(場合によっては三つの形など)のアルファベットを見分けてa, b(またはa, b, cなど)に置き換えていけばよい.

この秘密記法はかなりの時間と紙数を費やす必要がある.2記号毎,3記号毎,5記号毎に区切り記号を入れると普通の暗号と同じように簡単に破られてしまう.

〔そのような区切りがなくても〕1字を表わすのが2記号,3記号,5記号のいずれであるかは語中または文章全体中の記号数から簡単に割り出せる.

1.単語中の数から:2文字〔たとえばaとb〕が組み合わされる場合,5桁〔5記号〕必要であり,語の文字数〔記号数〕は5の倍数.3文字〔たとえばa,b,c〕3桁なら,記号数は3の倍数.5文字〔たとえばa,b,c,d,e〕2桁なら語の記号数は2の倍数.

2.全体の文字数から.1文字に2つの記号だけなら全体では少なくとも5通りの記号(たとえばa,b,c,d,e)があるはず.1文字に3つの記号なら3通りの記号(たとえばa,b,c).1文字に5つの記号なら2通りの記号.

結局は各文字は決まった符号で表わされるので,この方法も解読不可能ではない.

コード暗号の解読困難さ

[コード暗号]

普通より少数の文字で表わす多様な方法もある.そのうち最も難しく,解読不可能ではないかと思われるのは,単語や文を一つの記号で表わすもの〔コード暗号〕.だが,暗号化や解読が大変なので,アルファベット式の記法〔サイファー〕のほうが好ましい.

フランス語の綴り字法を使った記号暗号

さる女性がシックネスに送った暗号はエトルリア文字〔単に意味不明の記号という意味だろう〕によって英語の手紙を書いたものだが,フランス語の綴り字法に従っている.〔シックネス参照〕

ブレアが考案した簡単な5文字暗号の応用

他の女性の楽しみのために筆者が考案したものを付け加えておく.五色の玉を2つずつペアにして糸に通す.2色の組み合わせで文字を表わす〔5^2=25〕.

アベマリア暗号

トリテミウスはラテン語を全く知らない人に二時間でエレガントなラテン語を書き,読み,理解することを教えられると述べているが,そんなことができるのは神だけ.

〔以下,フォークナーに倣ったアベマリア暗号の解説.〕

ブレアが考案した暗号法

(p.206)

以上で暗号の起源と進歩の歴史を概観し,これまで提案された暗号解読のための最良の手段のいくつかを指摘した.だが筆者が出会ったことがあるどれよりも優れた暗号が構築されうると確信している.

最後に図IIIと図IIの下部について説明しておく.

図II-6は筆者が発明したさまざまな暗号法の一つ.これは解読は難しくないが,アイルランドのオガムのどれよりも簡単な構造.後述する図IIIのように線の代わりに点にすればずっと難しくなる.

図IIIは3通りの点(線上,線の上,線の下)が図の左上に示したアルファベットに従って81通りの文字/数字を表わす.何個の点が一つの文字を表わすかもわからないだろう.筆者はこの暗号は外務省で非常に有用だと考える.だがそのような提案を,機械的に暗号を使うことのほかは何も知らず,科学的な発明の進化を評価する素養など全くない無能な官僚の判断に委ねる気にはなれない.現時点では筆者は誰にもこの暗号の原理を開示していない.


+-------+-------+-------+
| b c s | m t l | i e o |
| g m t | p u h | o i a |
| j p u | d a n | h o e |
+-------+-------+-------+
| k d y | f e r | n s i |
| q f a | l i s | r t o |
| v l e | h o t | s u a |
+-------+-------+-------+
| w h i | n c u | t a e |
| x n o | r d a | u e i |
| z r . | s f e | a i o |
+-------+-------+-------+

次の段落は図IIIの点暗号を説明するとともに,その後の二つの段落の暗号文の解釈を与えている.また,イタリックの文字で著者の名,職業,住所,日付を示している.これら四つの例はみな一つの鍵によって解読される.

(p.207)

現代のある著者は,たとえ解読者が理解できない言語で書かれていても手がかりなしに解読できない暗号はないと言う.この著者はフォークナーの言葉を繰り返しているだけ.反論として,また人間の能力への挑戦としてこれらの例を付けた.鍵と解読文が与えてあるのでこの暗号の原理を明るみに出す助けになるだろうが,さらにこの一つの例を加えた〔この段落自身に点を使った暗号が仕掛けられている;下図参照〕.これも同じ鍵で解読できる.

この例では,点によって表わされる単語はこの段落自身に含まれている.これだけヒントを出してもこの暗号の仕組みがわからなければ,人間技では手がかりなしにその解読を語るには不十分であることを認めるべき.

これらの例の換字表は他に類のないものであり,81個の位置がある.通常の文章で最もよく使われる文字は最も頻繁に反復されている.そのため,同じ意味でも暗号文に多様性ができる.よって,筆者が知っているあらゆる暗号解読法は通用しない〔頻度秘匿式の換字〕.読者は新しい解析方法を作りなさねばならないだろう.

同様の文通方法は外国語のように見えるような文字の配列ができる.実際上特に利点があるわけではないが,暗号文の外観に特徴がある.たとえば,Relieve us speedily, or we perish; for the enemy has been reinforced, and our provisions are nearly expendedは暗号文では次のようになる.

Sika jygam a suva quaxo Rolosak adunabi ye, Rafe quema Lovazig arodi; Moxati Ho hyka Fagiva myne quipaxo Aukava in Onfa yani moxarico, Pangdo Spulzi Jorixa mugaro ya zangor Alfiva yival ponbine Kazeb re linthvath.

補足

ブレアの換字表は高頻度の文字に多くの位置を割り当てており,うまく使えば頻度分析による暗号解読を阻むことができる.割り当てられた位置の数は7 (a, e, i, o), 5 (s, t, u), 4 (h, n, r), 3 (d, f, l), 2 (c, m, p), 1 (b, g, j, k, q, v, w, x, y, z, .)となっている.(なお,上記の英語の文字の頻度について述べた「d, h, n, r, s, t」などがこの順であることを意図していないことは,この頻度からもわかる.)

ブレアは同じ鍵を使いながらいろいろな形の暗号方式を考案している.DNBによると,ブレアが考案した暗号の原理は Michael Gage (1819), "An Extract taken from Dr. Rees's New Cyclopaedia on the article Cipher, being a real improvement on all the various ciphers which have been made public, and is the first method ever published on a scientific principle. Lately invented by W. Blair, Esq., A.M.; to which is now first, added a Full Discovery of the Principle"で発表されたという.この資料は参照できなかったので,筆者が突き止められた限りのことを紹介しておく.

数字暗号

上記の数字暗号は単純な座標式であることがすぐわかる.15-26-18-0-35-46-66-93-というように2字ずつ区切ると(0は単語の区切り),1桁目が鍵(上記の暗号表)の行,2桁目が列を指定するのである.それを使うと,15(t)-26(h)-18(e)-0-35(a)-46(r)-66(t)-93(.)...と解読できる.

英字暗号

英字暗号も行・列の指定に英字を使う座標式であることは容易に想像がつく.暗号文の文字数が平文の文字数の2倍であることからも,暗号文の英字2字が平文の英字1字を表わすことは間違いない.アルファベット26文字に「.」を加えて27=9×3文字あるので,各座標を3通りの英字で表わすことも見当がつく.だが座標の割り当ては単純なアルファベット順でなくランダムになっている.ただ,ランダムとはいっても,左側の3ブロック(9行3列)の部分がそのまま座標に使われているので,ブレアの言う「同じ鍵」はかろうじて事実といえる.試行錯誤の末,この暗号の鍵は下記のようになっていることがわかった.たとえば暗号文の先頭のBAという文字は表の右側のBの行(1行目)のうち,表の上の指示によるAの列(5列目)を見てtだとわかる.(なお,左側の3ブロックがそのまま座標に使われているので,下記のように座標を付記しなくても,暗号文のBAは,左側ブロックでBが1行目,Aが5行目にくることから,第1行第5列のところを見てtと解読することができる.)

この同じtでもBA, BF, BQ, CA, CF, CQ, SA, SF, SQという9通りの表わし方があるので,上記の数字暗号よりさらに頻度秘匿効果が高められる.


  B G J   D A E   H O R
  C M P   K F L   I N .
  S T U   Y Q V   W X Z
+-------+-------+-------+
| b c s | m t l | i e o | B C S
| g m t | p u h | o i a | G M T
| j p u | d a n | h o e | J P U
+-------+-------+-------+
| k d y | f e r | n s i | D K Y
| q f a | l i s | r t o | A F Q
| v l e | h o t | s u a | E L V
+-------+-------+-------+
| w h i | n c u | t a e | H I W
| x n o | r d a | u e i | O N X
| z r . | s f e | a i o | R . Z
+-------+-------+-------+

この鍵を突き止めるのに思いのほか時間がかかってしまった.それにはブレアの書きぶりからしてアルファベット順を乱すとか先頭・末尾に冗字を入れるといった小細工はするはずがないという仮定を捨て切れなかったことがある.だがアルファベット順の座標だとすると暗号文先頭のbaがtを表わすような座標の取り方はどう考えても無理だった.二字連接の頻度表を作って「.u」「gl」「rp」「ru」「w.」が高頻度であることがわかったが,暗号文の途中に1文字でも誤りがあれば枠組みが狂ってしまうのであてにはできない(暗号文の文字数が奇数なので,少なくとも1つは間違いがあると思っていたが,実際,1文字どころか多数の誤りがあった).しかも,eのような高頻度文字は7通りの位置が割り当てられているので高頻度の組み合わせがeだと即断することはできない.だがそこで,eの1.5倍も使われているのに換字表で1つの位置しか割り当てられていないものがあることに気がついた.空白(.)である.高頻度の二字連接にはこの空白が現われている可能性が高いと思われた.

暗号文先頭付近のruが空白だとすると,BA(t)WM(h)KA(e)のあとに空白ru(.)がくるということでつじつまが合う.さらに暗号文末尾もruなので,ruが空白(句読点などの区切りも含む)を表わすことはまず間違いない.

次にしたのは,平文がわかっていたので,暗号文と平文をおおまかに対応させて並べて書いておくことだった.そして冒頭のbaが平文のtを表わすとして,暗号文中のbaを探して,その近くに平文のtがあれば対応しているとみなし,少しずつ平文と暗号文の整列を直していった.ある程度作業が進むとあとはいもづる式に次々に対応がわかり,鍵が突き止められたのである.

点の暗号(図III)

図IIIの暗号はブレアがヒントを出しているように点の位置で3通りの数字を表わしていると考えることができる.すなわち,線の下,線上,線の上をそれぞれ1,2,3で表わすと,冒頭部分は3131 1223 1132 3313 1233 2123 1122 3313 2322 2121 3313 3111 3312 3113 1213 2222 1323 1211 3313 3113 1323 3313と転写することができる.これが暗号表とどう対応するかだが,暗号表が縦横とも大きな3つの区画のそれぞれの中に3つの行・列を含んでいることがヒントになる.すなわち,4桁の数字の各桁は,区画の行番号・その中の行番号・区画の列番号・その中の列番号を表わす.1223の場合,上から1区画目の2行目(つまりgmt...の行)の中の左から2区画目の3列目(つまりh)を表わすことがわかる.(もちろん,1, 2, 3で表わしたのは筆者がパソコンで見やすくするために行なったのであり,必要な作業ではない.特に,1と3を逆に割り当てたほうが直感的だったかもしれない.数字を介さなくても上記の「1223」の「上中中下」という点を見て同じように上から1区画目の2行目(つまりgmt...の行)の中の左から2区画目の3列目(つまりh)と解読することができるだろう.)

外国語らしい暗号

最後にブレアは暗号文が何かの外国語のように見える暗号を紹介している.これも平文の英字1字を暗号文では英字2字の組み合わせで表わすのだが,その際,「子音−母音」「母音−子音」の組み合わせのみを使うようにしたものである.たとえばeはfa, ka, ma, sa va, elなどで表わされ,iはga, na, yaなどで,nはgi, ni, yiなどで,yはne, yeなどで表わされる.nをngで表わしたり,dをthで表わすなど,子音のみの組み合わせも一部にはあるようである.

平文と暗号文を並べて示しておく(桁ぞろえの都合上,スペースは無視し,暗号文のquはqとした).
R e l i e v e u s s p e e d i l y , o r w e p e r i s h ;
SikajygamasuvaqaxoRolosakadunabiye, RafeqemaLovazigarodi;

f o r t h e e n e m y h a s b e e n r e i n f o r c e d,
MoxatiHohykaFagivamyneqipaxoAukavainOnfayanimoxarico ,

a n d o u r p r o v i s i o n s a r e n e a r l y e x p e n d e d
PangdoSpulziJorixamugaroyazangorAlfivayivalponbineKazebrelinthvath.

なお,電信時代になって,母音混じりで発音可能な「単語」のほうが国際電報料金が安くなることを利用して,暗号文が母音混じりになるような方式が使われたこともある

エドガー・アラン・ポーへの影響

ポーは暗号小説の古典「黄金虫」(原文日本語訳へのリンク)で英語の文字の頻度をe a o i d h n r s t u y c f g l m w b k p q x zの順としている.これはetaonrishとかetoanirsと言い習わされるよく知られた順番とはかなり異なっているが,ポーがブレアのこの記事を参照したと考えれば説明がつく.ブレアは母音と子音を分けて論じ,母音のうち頻度が高いものが「e,a,i,o」であるとした.一方子音のうちでは最も多いのは「d, h, n, r, s, t」のグループ,次は「c, f, g, l, m, w」,その次に「b, k, p」,そして最後に「q, x, z」とした.これは子音を頻度別に四つのグループに分けたものであって,各グループ内の文字の配列は単にアルファベット順にしているにすぎないのだが,ポーはこれをそのままつなげて小説に使ったのである.上述したように,ブレアが自ら考案した暗号の換字表で割り当てられた数字の数を見れば,ブレアが第一グループの子音の中でもs, tが高頻度であることなどを認識していたことは明らかである.

またポーの「暗号論」の冒頭でわざわざド・ラ・ギユティエールに言及していることでもブレアの記事の影響がうかがえる.

参考文献

Rees' Cyclopaedia (1802-1820), (Search Internet Archive, Vol. VIII (1807), Plates Vol. IV (1820)).(刊行年についてはWikipedia参照;『リース百科事典』は本文最終巻の刊行年1819で引用されることが多いが,実際には1802年から逐次刊行されたもので,cipherの項目を収録した巻は1807年に刊行された.記事中でも「1807年」と明記されている.)



©2012 S.Tomokiyo
First posted on 23 November 2012. Last modified on 3 March 2017.
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