明治末〜昭和初期の暗号セキュリティー雑録

暗号が通信内容の秘匿を目的とする以上,暗号そのものの漏洩を防ぐ必要があることはいうまでもない.そのため暗号をきちんと金庫に入れて保管したり,交付時に受領証を取り付けて失効時には回収したり焼却させたりすることもよく行なわれていた.だが,明治時代などの暗号を調べていて(別稿等参照),もう少し微妙な点まで意外に早くから暗号の安全性に配慮がされていたことを知った.ここではそうした暗号セキュリティーに関する記録でたまたま目についたものを列記しておく. ただし,いうまでもなく,部署によって意識の高さは違っていただろうし,同じ部署でも必ずしも歴代の担当者が一貫して高い意識をもっていたかどうかはわからない.

1900: 英独協商(揚子江協定)

(B06150054300)1900年10月22日付で在英林公使から加藤外務大臣に,「清国事件ニ関スル英独間ノ新協商」が公になったので「普通辞ヲ以テ之ヲ電報セリ」と配慮を示している.公知の内容を暗号で送れば,暗号についての手がかりを与えることになる危険性が意識されていたのである.

1904: 日露戦争

(B07091174200)「外字新聞論調報告並二外国新聞操縦一件 天津之部」というファイルであるが,小村外務大臣が1904年10月に上海小田切総領事宛に,今後送る情報について転送して構わないと伝えるとともに,「但英文暗号ニテ送ル分ハ暗号ノモノ≪れ?≫サルタメ冒頭の数句をパラフレーズスヘシ」と注意している.公表される内容を暗号で送る必要がある場合には,暗号文と平文の対応付けがしにくくなるようパラフレーズするのが常套手段である.

1906

(C06041232400)1906年2月22日付で加藤外務大臣は大山参謀総長宛に,外務省と在外公館の間の電信写しを随時転送しているが,たとえ機密事項でなくとも電信原文をそのまま公表したら暗号の編成を知る端緒を与えてしまうので,電信原文をそのまま外部に出さないよう要請している.

1913

(B13080293100)1913年1月22日付で,外務大臣(兼首相)の桂は,「暗号ニ綴リタル機密信記載方ノ件」と題して,在外公館に,通信文全文を暗号化するときは発信者名・宛名等とは別紙に書くこと,一部のみ暗号化するときは本文中では暗号化する部分は「……」として空白にしておいて暗号文は別紙に書くこと(複数箇所ある場合は一二三などで対応を示す),受信者が暗号文に解読を記入したものは焼却することを指示している.暗号文に解読を書き込んだものは,暗号帳/表そのものが残っていない場合,暗号研究に最も役立つ資料となるが,こうした配慮が早くからあったためか,外務省の史料で暗号文そのものはあまり残っていない(別稿参照).

1918: パリ講和会議

(B06150242400)国際連盟設立が話し合われたパリ講和会議に加わっていた駐仏大使は,1918年4月(13日発,16日着),内田外務大臣に宛てて「国際連盟原文ハ暗号保護ノ為メ構第五五一号ノ一〔B06150242400のp.54〕ヨリ五マデ構第五五七号ノ一ヨリ五マデ及構第五五八号ヨリ構第五七〇号マデニ分割セリ」と書いている.公知の内容を暗号で送ると暗号解読の手がかりとなるため,多数に分けて打電したのだろう.暗号を使わないという選択肢もあったはずだが,長文のため電信費用の点から使わざるを得なかったのだろう.また,概要を伝えるだけなら「パラフレーズ」も常套手段だが,調印する条約文とあって一字一句正確に報告する必要があったのだろう.

1918

(B13080288100)1918年12月,内田外務大臣は在広東太田総領事に,新聞等に発表された事項などが暗号で送られることが少なくないが,「此等世間周知ノ事項ニ関スル電報ニハ何等暗号ヲ使用スルノ必要無之次第ニシテ斯ノ如ク既ニ公表セラレタル宣言案等ノ如キモノヲ暗号ヲ以テ電報スルトキハ或ハ暗号漏洩ノ危険ナキヲ保シ難キ而已ナラズ暗号電報ハ発送並ニ接受解読ノ際手間取ル事不尠ル次第ニ付将来此の種電報は勿論其他特に暗号を使用の必要ありと認めらるるものの他は平文にて発電」するよう注意している.

1920: シベリア出兵(1918-1922)

(C13110225700)陸軍の「西伯利亜野戦交通情報 大正9・10月」(1920)のファイルにある野戦交通部による「電報頼信上の注意」と題する文書では,さまざまな注意事項が記されているが,暗号についても「八.暗号殊に数字暗号は誤謬を生じ易きを以て特に緊要なるものに限るを要す 暗号要規に依り秘密を要せざる部分は成るべく普通語を用ふるを可とす 通信に従事する者は電報の秘密に就ては絶対に之を厳守しあり」とある.

1925: 国際阿片会議

(B06150876800)1925年2月,外務次官は在ジュネーヴ国際阿片会議の帝国代表からの前年の報告を各方面に参考用に送付した.帝国代表から外務大臣に送られたその内容は,「暗号漏洩ヲ防止スル為メ各電ニ適宜「パラフレーズ」ヲ加フ、為念」とのことである.

1925

(A05032531000)1925年10月29日,外務次官から内務次官に宛てて,暗号解読については各国とも熱心に研究していると思われるので,暗号保持のため,外務大臣から送付される電信写の取扱・保管に注意するよう要請している.

1931: ハーバート・O・ヤードレー『アメリカン・ブラック・チェンバー』

ヤードレーの『アメリカン・ブラックチェンバー』が公刊された1931年6月の直後の1931年8月,陸軍の「第七課」は「軍用通信の見地よりする通信窃取に対する方策」をまとめた.緒言では,ヤードレーの著書は平時外交関係を主に扱っているが,第一次大戦の経験からも平時・戦時ともに通信窃取への対策が必要としている.全体の構成は以下の通り.(なお,同書刊行に関連した暗号セキュリティについては別稿(英文)も参照.)

緒言(C14010456900)

第1.諜報用通信機関並通信政策(C14010457000)……『ブラック・チェンバー』からも明らかなように外国の通信網を使うと電文の写しが入手されてしまうこと,諜報勤務者用に短波無線機を使ってもよいが,発見される危険が大きいので注意を要すると指摘している.

第2.通信機関の選択(C14010457100)……無線は聴取される危険が大きいので有線を主とすべきとしている.

第3.通信器材(C14010457200)……上陸作戦や空地の連絡では無線が必須なので,各種技術の研究・整備を進めるべき.

第4.戦場に於ける敵の通信諜報に対向する手段(C14010457300)……無線通信・有線通信に分けて対策を論じている.イギリス海軍の処置を引用する中で,「7.暗号書は作戦方面毎に異種のものを使用し且屡々之を変更す」とある.

第5.通信戦術(C14010457400)……受動的な対策でなく積極的に敵に誤認させる方策を論じている.

第6.暗号勤務(C14010457500)……暗号の重要性と解読防止について,『ブラック・チェンバー』をふまえて論じている.なお,今後の暗号作成について,次のような教訓を引き出している.

同書〔ヤードレー『アメリカン・ブラック・チェンバー』〕の一節に「日本が波蘭土〔ポーランド〕暗号専門家を雇い暗号組織を改正したるが該暗号は理論的には一層科学的に組立てられありしも実際上には最初のものよりも解読は容易となれり」〔英語版p.279〕とあるが如き将来暗号の作製者の考慮を要する事項なるべし.即ち暗号は須く旧套を脱し国語の特性に鑑み適切にして独創的のものにして而も使用部隊の境遇使用者の能力等に適合するものたらざるべからず

第7.通信文記述の形式(C14010457600)……「多数且長文ノ電報」「慣用文句ノ反覆使用」「規則的ノ電文作為」「通信内容ニ関スル対照資料ノ暴露」等が暗号解読を助けるとして警告している.特に,『ブラック・チェンバー』の15章(英文p.281)の記述を引用して杓子定規的な電文構成法を戒めている.

第8.敵の通信諜報に関する探知(C14010457700)

第9.間諜の防衛(C14010457800)

第一次大戦のころの通信セキュリティに関する実例

前節の「軍用通信の見地よりする通信窃取に対する方策」は,第一次大戦のころの通信セキュリティに関する次のような事例を紹介している.(もちろん,この手のエピソードについてはDavid Kahn, The Codebreakersをはじめ資料は多いが,参考までに.)

・タンネンベルクの戦いでのドイツ軍の大勝は無線盗読に負うところが大きい.(緒言)

・独仏両軍は各種の工夫を凝らして自軍の呼び出し符号の組成方式を秘匿しようと努めたが,指揮官・通信手の習癖や不謹慎な通信実施のため,両軍の無線情報機関は終始成果を挙げられた.(第四)

(例一)独軍情報部が初めてフランス戦場にイタリア軍来着を知得したのは無線傍受のおかげだった.イタリア軍はフランスではフランス軍の通信規定・電信符号を使っていたが,ある日,yolexというフランス軍符号の代わりにyilixというイタリア軍符号を使用したためイタリア軍の存在を察知されたという.

(例二)フランス軍某司令部の電信所が毎朝一定時刻に一定の順序で隷下師団の電信所を呼び出す規定があったため,ドイツ軍はこれを傍受して日々の状況の変化を探知した.

(例三)フランス軍某司令部の電信手が他通信所を呼び出す際に「今日は」という一定の挨拶をして自己の所在を暴露した.ドイツ軍の一電信所は位置を変更する毎に一定の文句「よく聞こえるか」を繰り返してその移動を敵に通知する結果となった.

(例四)ドイツ軍第183師団電信所は発信時刻・語数の送信を末尾に行なう特異性があったため呼び出し符号をたびたび変更してもフランス軍は常にその所在を看破した.

・1914年9月7日,ルーデンドルフ将軍はケーニヒスベルヒ無線電信所よりドイツ軍の行動および上陸に関する偽電を発させ,ロシア軍はこれを傍受して偽電であることを見抜けず,対抗のため兵力移動を実施した.(第5)

・ドイツ潜水艦は無線電信で危難信号を発したり英国海軍の暗号を使ったりして巧みに敵の商船を誘致して撃沈することがよくあった.(第5)

・駐米ドイツ大使館付武官ボーイエット大佐はイギリス海軍暗号書を所持し,南米におけるイギリス艦隊の通信を傍受解読し,これをスペー艦隊に通報していたが,イギリス汽船ルシタニア号の航行を知り護衛艦との会合点指示に関する英国海軍省発電なる偽電を送信してドイツ潜水艦待機位置に誘って撃沈した.(第5)

・ソ連・ポーランド戦争 (Wikipedia)中の1920年8月18日,ポーランドの第45師団司令部電信所は8peという未知の敵電信所の通信を発見して「貴所はいかなる部隊に属しどこに位置するや」と問い合わせて「当所は第41師団司令部に属しコペチンツェに位置す」とまんまと回答を得たという.(第5)

・ドイツ海軍少佐オークロースは,北海海戦史の著書で,ドイツ海軍は使用暗号がイギリスに洩れていることを発見するのが遅れたため作戦上幾多の不利を招いたと述べている.(第8)

・フランスのカルチエ将軍は,傍受したドイツ軍無線電報により敵が通信窃取により攻撃計画日時を承知して砲兵の阻止射撃の手配をしていることを知り,急遽計画の時刻を繰り上げて阻止射撃地帯を通過したと述べている.(第8)

・大戦初期にイギリス軍はすでにドイツ軍用の暗号書を獲得していて,その写しを日本海軍にも送ってきていた.(第9)

リンク

アジア歴史資料センター(JACAR)……上記のB05014019200などはここのレファレンスコード

(引用中,用字・仮名遣い・句読点などは現代風に改めたところがある.)



©2014 S.Tomokiyo
First posted on 25 September 2014. Last modified on 25 September 2014.
Articles on Historical Cryptography
inserted by FC2 system