ヤードレー『アメリカン・ブラック・チェンバー』の新聞報道(リンク集)

1931年6月1日に米国で発売されたハーバート・O・ヤードレーの『アメリカン・ブラック・チェンバー』は,米国における各国の暗号解読活動を暴露して世界中に衝撃を与えた.日本については特に,1921〜1922年のワシントン軍縮会議での交渉における重要な訓電がアメリカに筒抜けになっていたことがわかった(別稿(英文)参照).

外務省には発売直後に駐米大使館から情報が届いていたが,外務省も暗号が解読されうることは十分認識しており,問題の暗号はすでに使用されていないこともあって,むしろ米国政府が電報の写しを入手したことを通信の秘密との関連で問題視していた(別稿(英文)参照).だが,7月下旬に東京日日新聞・大阪毎日新聞で公表されて世間に広く知られることになった.ここではそれらの新聞記事へのリンクを張っておく.(リンク以外で言及する東京日日新聞は,東京大学の情報学環附属社会情報研究資料センター収蔵のマイクロフィルムによる.)

大阪毎日新聞1931年7月19日

「華府軍縮会議にからまる悪辣なる奸手段暴露さる 列国の暗号電報を米国が悉く盗読す 我七割譲歩も其ためと判明 外務当局の重大失態」

大阪毎日新聞1931年7月21日

「国際信義に背く米国の奸悪手段 盗読の憂目にあったこの重要訓電を見よ 我腹を見透し譲歩に譲歩を迫る 悲憤の涙を呑んだ我全権」 ★これに対応する東京日日新聞の記事は7月20日に掲載されており,見出しは「何んと間抜けた話 七割から六割へ 段々と押しつめられた 華府会議当時の裏の裏 『米国の秘密室』は語る」となっている.

大阪毎日新聞1931年7月21日

「暗号盗訳は大戦当時から 元は国務省電信課員 米国最高名誉章を受けたヤードリ氏の素性」 ★東京日日新聞の対応する記事は7月20日に掲載され,見出しは「彼はかく苦心した ヤードレイ氏が認められる迄」となっている.

大阪毎日新聞1931年7月22日

「責任を免かれぬ当時の大使、幣原外相 会議前二年間のヤ氏の暗号解読に気づかぬは重大失態 米国のわが暗号盗読事件」

東京日日新聞1931年7月23日

「果然各方面に一大衝動 外務当局の疎漏の責を叫び或は米国を詰るの声おこる 暗号盗読事件 聞け、各方面の意見を」 ★東京日日新聞ではこれに対応する記事は7月22日に掲載.

1931年7月23日 大阪毎日新聞

「問題の『秘密室』の親玉 ヤードリ氏と語る どんな暗号でもみんな読めるよと…頭から大気焔」 ★東京日日新聞での同日の記事の見出しは「「米国の秘密室」の著者 ヤードリ氏は語る 今日までの暗号ならどんなものでも判読する」となっている.

1931年7月24日〜8月6日

大阪毎日新聞 『アメリカン・ブラック・チェンバー』の抄訳を連載で紹介.連載最後は,他にも興味深い事実があるが,8月10日に発売される単行本に譲るとして結ばれている.

1931年8月10日 大阪毎日新聞

「時ならぬ波紋を全世界に与う 秘史中の白眉 米紙筆を揃えて論評 沈黙を守る米当局 刊行されたブラック・チェンバ」……米マスコミの評,イギリスでの反響に加えて,日本の記者がヤードレーに取材した一問一答が興味深い.

1931年8月13日 大阪毎日新聞

「ブラック・チェンバ 蘇峰生」……当時,大阪毎日新聞社・東京日日新聞社の社賓だった (Wikipedia) 徳富蘇峰の論評.

1931年8月31日 大阪毎日新聞

「ブラック・チェンバを読む」……各界からの反響.本多熊太郎(外交官),矢野恒太(実業家),麻生久(政治家・労働運動家),森恪(政友会総務),犬養毅(政友会総裁,のち首相),安保海相,南陸相,馬場恒吾(ジャーナリスト),菊池寛(作家),神川彦松(東大教授),安部磯雄(社会主義者),栗島すみ子(女優)のコメントを紹介.



©2014 S.Tomokiyo
First posted on 21 October 2014. Last modified on 21 October 2014.
Articles on Historical Cryptography
inserted by FC2 system