統治権否認令(王権喪失宣言, オランダ「独立宣言」)(1581)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

統治権否認令(王権喪失宣言,オランダ「独立宣言」):Plakkaat van Verlatinghe (少し現代風に Plakkaat van Verlatinge と書くこともある), Acte van Verlatinghe, (英語) Act of Abjuration
1581年7月26日,ネーデルラントの全国議会(連邦議会)の発議によりハーグで開かれた集会で可決された,スペイン王フェリペ二世が暴政によりネーデルラントを統治する国王としての資格を失ったとする宣言.参加したのはホラント,ゼーラント,ユトレヒト,ヘルダーラント,フリースラント,フロニンゲン,オーヴァーエイセル,メヘレン,フランドル,ブラバントである.
これはスペイン国王からの独立宣言であると言えるが,まだ共和国としての独立を打ち出したわけではなく,この文書でもフランスの王子アンジュー公の保護下にはいることが述べられている.
また,この段階では南部ネーデルラントから離れてのオランダという単位が構想されているわけではなく,メヘレン,フランドル,ブラバントといった南部諸州もはいっていることに留意する必要がある.
なお,翻訳についてはページ末尾の注記参照.

低地地方の連合諸州の連邦議会より,本状により関係する各位にご挨拶申し上げる.
君主が民の統治者となり,羊飼いが羊を守るように民を抑圧や暴力から守るべく神によって任じられていることは明らかである.そして神は,民を正邪を問わず命令に従う君主の奴隷として造ったのではない.むしろ君主を臣民のために造ったのである(民がなければそもそも君主もあり得ない).君主は衡平に従って民を治め,父が子に対するように,羊飼いが羊の群れに対するように,民を愛し,支え,己の命を危険にさらしてでもこれを守り,保護するものなのである.したがって君主がそのように振る舞わず,逆に民を抑圧し,その古来の慣習や特権を侵害し,隷従を求めるようであれば,もはや君主ではなく暴君であり,民はそのようなものと見なすに違いない.ことにそれが意図的に,諸身分の承認なくなされた場合には,民は君主の権威を否認するのみならず,自分たちを守ってくれる別の君主の選任を行なうことが合法的にできる.控えめな嘆願や申し立てではどうしても君主を軟化させたり,専制的な行為を思いとどまらせたりすることができない臣民にとって,これは唯一残された方法である.そしてこれは自由を守るために自然の法が命じるものである.我らは子孫に対し,我らの命をなげうってでも自由を伝えていかなければならない.これについてはいくつかの国で同じような状況においてしばしば実際に生起するのを目にしてきた.そのような例のなかにはよく知られたものもあり,常に古来の特権に則って治められてきたこの地においてはなおのこと正当なものである.そのような権利は君主が統治を認められる際に行なう宣誓において表明されている.ほとんどの州は君主が護持すると誓ったある条件の下に君主を受け入れるのであるから,もし君主がそれを破るようなことがあれば,もはや主権者とは言えないのである.
今,スペイン国王は輝かしい追憶のうちにある皇帝カール五世(この父から王はこれらすべての諸州を受け継いだのである)の薨去後,国王の名と権勢が世界中で知られ,敵に恐れられるまでになるほど輝かしく記念すべき勝利を上げるのに貢献した武勇をもつこれらの地方の臣下が父子二代に対してなした奉公を忘れ,また以前,前記皇帝陛下からなされた忠告をも忘れ,むしろこの地とその自由に対しひそかに憎しみを抱いている身辺のスペイン人の助言に耳を傾けた.スペイン人たちは議会がある当地ではナポリやシチリア,ミラノ,インディアス,その他国王の支配下の諸国のように名誉ある地位や高い官職を受けられないのが不満なのである.このように,彼らにとって周知の前記諸州の富に誘われ,前記顧問官たち―あえて言うが―あるいはその主だった者たちは国王に対して繰り返し諫言を行ない,国王の名声と威容のためには低地地方を改めて屈服させ,絶対君主となる(これは彼らにとっては恣意的な暴政を敷くということである)ほうが,自ら受諾し,〔支配権を〕承認される際遵守を誓った制約に従って統治するよりも望ましいことだと主張したのだ.その時以来,スペイン国王はこれら邪悪な顧問官らに従い,可能なあらゆる手を尽くして(古来の特権を奪うことにより)この国を隷属状態におとしめんと努めた.そのためにまず,スペイン人による統治下で宗教の仮面のもとに,主要な大都市に新たな司教を導入し,最も豊かな大修道院を与えて〔司教権のもとに〕組み込み,各司教には顧問として補佐に当たる九名の司教座聖堂参事会員を割り当て,そのうち三名が異端審問の監督に当たった.
この再編によって前記司教ら(現地人でなく外国人となることもあり得た)は等族議会における地位ならびに票数において第一位を占め,常に君主に尽くす手先となるところであった.そして前記司教座聖堂参事会員の追加によってスペイン宗教裁判を導入するところであった.スペイン宗教裁判はこれら諸州においては常に隷属のうちでも最悪のものとして恐れられ,嫌われてきた.それは周知のことであり,皇帝陛下もかつて一度議会にそれを提案したものの,その抗議にあって思いとどまり,完全にあきらめたのだった.これにより陛下は臣民に対して抱いている大いなる愛情の証を示すことになった.しかし,諸州ならびに個々の都市の両方により,書面にて,また主だった貴族から口頭で〔直接に〕数多くの申し立てがなされた―すなわち,モンティニー男爵とエフモント伯爵は当時低地諸州の執政であったパルマ公妃の承認のもと,国務評議会の助言により,この件に関し,それぞれスペインに派遣された―にもかかわらず,そして国王は聞こえのよい言葉で両名に請願が聞き入れられるとの期待を与えたにもかかわらず,その書簡においては国王は正反対のことを命じてきた.そのすぐあとには,従わない者は国王の不興を受けるという明確な指令をもって,新司教を即座に受け入れて新たな司教区や組み込まれた大修道院を保有できるようにし,異端審問が以前行なわれていたところではそれを開催し,トリエント公会議の布告と議決に従い遵守するよう命じた.しかし,その議定書は多くの条項においてこの地の特権をないがしろにするものなのである.
これが民衆の知るところとなると,民の間に大いなる不安ならびに騒擾が生じる正当な契機となり,民がそれまで常に国王ならびにその父祖に対して抱いてきた良き愛情を損なうことになった.
そして特に,国王が民の身体ならびに財産に対してのみならず,人々が神に対してのみ責任を負うべきと考える良心についてまでも暴政を敷こうとすることが明らかになった.この機に際して,一五六六年,主だった貴族は貧しい民への同情から請願という形のとある申し立てを実行することにし,民衆をなだめ,世の騒乱を防ぐために,国王陛下が(善良な君主がその民に示すべきであるように)前記の論点,特に厳格な異端審問および宗教問題での極刑に関して態度を軟化させるよう慎ましく祈願した.国王にこの問題についてより厳粛な形でお伝えし,国民の平和と繁栄のためには前述した新制度を撤廃し,神の礼拝に関して発された布告の厳格さを緩和することがいかに必要であるかの申し立てを行なうため,ベルヘン侯ならびに前述のモンティニー男爵が前記執政妃,国務評議会,全国議会の要請により大使としてスペインに派遣された.〔しかし,〕かの地では国王は両名を謁見し,その伝える悪弊(これは時宜を得た対策がされないため,常に一般庶民にとって害ある結果となって現われるものだった)を正すのではなく,スペインの顧問団の助言により前記申し立ての準備に関わったすべての者を謀反人であり,反逆罪で有罪であり,死罪および財産没収を科すべきであると宣言した.それに加えて(アルバ公の軍隊によりこの地方を絶対的な暴政下におとしめる確信を抱き)まもなく大使たる前記二名を投獄し,死に至らしめ,その財産を没収した.これは最も野蛮な暴君たちでさえも常に几帳面に遵守してきた国際法に反することである.
そして,一五六六年に前述した機会に生起した前記騒乱は執政妃ならびにその大臣たちによって収まり,自由の友はその多くが追放されるか屈服させられるかし,国王としても武力や暴力を用いてそれ以上この国を抑圧すべきもっともらしい理由はなくなっていたにもかかわらず,かなり前にスペインの評議会によって模索された(そのことは当時の駐フランススペイン大使アラナからパルマ公妃に宛てた手紙を略取したものからもわかる)原因や理由に基づき,この地のすべての特権を無にし,インディアスや新たな征服地でのように恣意的な暴政を敷くべく,国王はスペインの評議会の教唆により民のことを顧慮しない姿勢をあらわにし,良き君主たる者が臣民に対して負っている務めに真っ向から反して,アルバ公爵を強力な軍隊とともに送ってこの地を抑圧しようとした.この人物はその非人間的な残虐さからこの地の最大の敵の一であると見なされているばかりか,その当人とあまりにも似た顧問団を伴っていたのである.公はいささかの抵抗もなく到着し,貧しき民によってあらゆる敬意のしるしをもって迎えられた.そして国王がしばしばその書簡で欺瞞によって約束していた慈悲,国王本人もやってきて指揮をとり,民全体の満足がいくよう計らうということ〔を伝えた.〕国王はアルバ公の出発以来,スペインから乗る艦隊を用意し,ゼーラント州では当地の多大な出費によって国王を出迎える艦隊を用意させ,臣民たちをだまし,苦役に耐えさせるようし向けた.しかしながら,前記公爵は到着後ただちに(外国人であり,王族でもないのに)大将軍の辞令をもっていることを宣言した.そのあとにはすぐこれら諸州の総督の辞令である.そしてその意図を明らかにして,公はただちに主要な都市や城に守備兵を投入し,大都市では要塞,城塞を建てさせて人々を恐れによって屈服させようとし,主だった貴族には,助言を受け,祖国のために奉仕させるふりをして国王の名においていとも丁重なしかたで招き寄せた.そして公の手紙を信じた者は,法に反して逮捕され,ブラバント州外に連れ出された.そこで彼らは投獄され,何らの権限もない,所轄裁判官でもない公の前で犯罪人として訴追された.そして最後には公は彼らの弁護に耳も傾けず,死刑判決を下し,それは公の場で忌まわしいしかたで執行されたのであった.
スペインの欺瞞をよりよく知っており外国に滞在していた者は法益剥奪を宣言され,その土地財産を没収された.このため,あわれな臣民は教皇の暴力に対して自分たちの自由を守るのにその要塞を利用することも,貴族たちの助力を得ることもできなかった.その上,その他の紳士や有力市民の多数がある者は処刑され,ある者は追放された.それもその土地財産を没収せんがためである.他の正直な住民たちにも災難は及んだ.人々の家に宿営しているスペイン兵によって妻や子,財産が被害を受けたのみならず,百分の一税,二十分の一税,十分の一税に加えて自分たちの破滅に向けられたほかならぬ城塞や新たな防備の建築のためにさまざまな名目の貢納金を納めさせられたのである.また,外国人部隊かこの地で募られた部隊かを問わず,同胞たる市民や命を危険にさらして民の自由を守ってくれる人たちに差し向けられる軍隊の費用を払わせられたのである.臣民を困窮せしめ,この企図を妨げる力を奪い,スペインで受け取った訓令,すなわちこれらの地方を新たな征服地として扱うことを執行しやすくするため,アルバ公は司法手続きをスペイン式に改めることに着手したが,これは我らの特権に真っ向から反することである.そしていよいよもはや何も恐れるものはないと思うと,公然たる武力をもって商品や工業産物にかかる十分の一税と呼ばれる税を導入しようとした.これはその繁栄を貿易振興に依存しているこの地方にとって完全なる破滅を意味する.一州のみならず全州一致しての度重なる抗議も顧慮されず,オラニエ公をはじめ公に従って亡命したさまざまな貴族,住民がいなければ実施されるところであった.その多くは公に雇われており,アルバ公やそのとりまきによって追放された者たちであった.

〔ここで英語版数段落欠落〕
彼らは彼と全州の等族議会との間でこれに対してすでに彼に奉公している連隊長らに考えつく限りの約束をすることによって,当時主要な要塞や都市で守備隊任務についていたドイツ人兵を獲得し,その助力によってすでに多くの者を獲得しているように彼らを支配することをもくろんだ.〔同時に彼らは〕その助力によってこの者たちをこの利害に結びつけておいた.オラニエ公やホラント,ゼーラント両州に対して,アルバ公が,以前の戦争では見られなかったほど残忍で血なまぐさい戦争をしかけようとするのに加わろうとしない者を強いるためである.しかし,いかなる偽装をもってしても長らく我らの〔?〕意図を覆い隠すことはできず,この〔ドイツ人守備兵を懐柔する〕計画は実行に移される前に露見した.そしてアルバ公は約束を果たすことができず,到着したときにあれほど喧伝した平和ではなく,新たな戦争に火を付けたのであり,その火はいまだ消されていない.
これらいっさいの事情は,我らがスペイン国王を否認し,他の強力でより慈悲深い君主の保護下にはいろうとするのに十分すぎるほどの理由となる.ことに,これらの諸国はこの二十年間,騒乱と抑圧のうちに国王から見捨てられてきた.その間,住民は臣民としてではなく,敵として扱われ,自分たちを統治する歴代執政によって力づくで隷属状態におかれてきた.
〔執政〕ドンファンの死去後,ドンファンが国王陛下の名において守ると誓ったヘントの和平を認めないことを〔ネーデルラントに派遣した〕ド・セル卿によって宣言し,その代わりにより不利な合意条件を日々提出してきた.こうした逆境にもかかわらず,我らは書面による嘆願,キリスト教世界の最有力諸侯らのとりなしという可能なあらゆる手段を用いて我らの国王と和解しようと努め,最後にはケルンでの〔和平〕会議に代表団を長期にわたって派遣し,皇帝陛下や選帝侯の仲介により,名誉ある永続的な平和ならびにある程度の自由―とりわけ宗教に関して(これは主として神と我々の良心の問題である)―を期待した.〔その結果,〕とうとう我々は経験により,国王からは祈願や協定によっては何も得られないということを見出した.協定という手段は国王は諸州を分断し,その力を弱めるために〔のみ〕用いた.諸州を一つずつ屈服させることによって己の計画を厳格に執行するのを容易にするためである.このような国王の計画はのちに国王の命によって発布された布告や没収によって明白なものとして現われた.それによると,我ら,そして連合諸州のあらゆる文官・武官ならびに我らの味方はすべて反逆者と宣言され,それに基づき生命も財産もないものとされた.こうして我らを万人にとって忌むべきものとすることで,我らの通商を断つことはできるかもしれない.同様に我らを絶望に追いやり,オラニエ公を暗殺した者に大金を約束した.
このように,和解の希望がなく,他の解決策も見出せないなか,我らは自らの防衛のための自然の法に則り,我らの国民,妻子,子々孫々がスペイン人の奴隷とならないようその権利,特権,自由を維持するため,スペイン国王への忠誠を放棄し,我らの古来の自由と特権を守るに最もふさわしいと思われる方法を追及することを余儀なくされるに至った.
本状により万人に知らしめる.この上ない窮状に追いつめられた我らは,満場一致により熟慮の結果,宣言することとし,本状によって宣言するものである.スペイン国王はこれら諸国の主権に対するあらゆる世襲権を法的に喪失したものであり,今後この人物の主権も司法権も,また低地地方に対するいかなる主権も裁量も承認せず,また君主としてこの人物の名を使わず,他の者にも使わせないことを決意した.その結果として我らはまた宣言する.あらゆる官吏,判事,貴族,紳士,封臣,そして他のすべてのこの地の住民は身分や位階を問わず,今後,スペイン国王をそれら諸国の君主としてなされたいっさいの宣誓および義務から解放される.そしてすでに述べた動機に基づき,連合諸州の大半はその加盟諸州の共通の合意により高輝なる公子アンジュー公の統治と主権のもとに殿下との間で締約されたさる条件に基づき身を差し出しており,最もやんごとなきマティアス大公はすでにこれら諸国の統治を我らの賛同を得て辞していることに鑑み,すべての司法官憲,官吏,そして関係するすべての者に,以後スペイン国王の名や称号,国璽,王璽を使うことのなきよう指令し,命ずる.その代わり,アンジュー公殿下がこれら諸州の福利に関わる急務で不在の間は殿下との合意があるかないかにかかわらず,暫定的に州の長官ならびに評議会の名と称号を用いるものとする.
そして,そのような長官ならびに評議会議員が指名され,集会し,その権能において活動を開始するまでの間は,我らの名において行動するものとする.ただし,ホラント,ゼーラントにおいてはオラニエ公ならびに両州の州議会の名を用いるものとする.これは前述の評議会が法的に開会となるまでで,その後は殿下との間に結ばれた契約に則ったその評議会の指示に従うものとする.そして,国政に関する事項においては前記評議会〔によって〕随時裁可されるのに従い,前述の国王の印象の代わりに我らの国璽,承認璽,玉璽を用いることとする.そして司法の実施や個々の州独自の事務に関する事柄については,州の評議会およびその国の他の評議会はそれぞれその件が裁かれるその州の名,称号,印象を用いるものとする.それ以外のものを用いてはならず,これに反してなされたいかなる書状,文書,連絡も無効とされる.そしてこのことをよりよく,より効率的に遂行するため,我らは命じ,指示することにし,ここに命じ,指示するものである.これら連合諸州内にあるスペイン国王の印章はすべて本状の公布後ただちに各州の州議会もしくは前記州議会によって権限を与えられ,任命される人物に届けられるものとし,従わない者は適当な修正処罰が与えられるものとする.
さらに,今後鋳造されるいかなる貨幣も,これら連合諸州のいずれにおいてもスペイン国王の名前,称号,紋章を印してはならず,すべての新しい金貨,銀貨は,半分,四分の一の額のものも含め,議会が指示する刻印しか表わしてはならないものと命令し,指令する.同様に,枢密評議会の議長その他の諸卿,他のすべての参事官,長官,会計総監,そして前記諸国における各会計院の他の者に対し,そして同様に他のすべての判事ならびに官吏に対し,これらの者は以後スペイン国王に対してその辞令の趣意に従ってなされた宣誓からは解放されたものと見なすものであるから,自分が属する司法権の州の議会あるいは州議会によって任命される委員に対して,スペイン国王ならびにそのすべての追従者に抗して我らに忠実であることを,連邦議会によってこの目的のために用意された定型文書に従って,誓うことを命じ,指令する.そして我らは,我らの名においてアンジュー公殿下と契約した諸州で公職にある前記議員,司法官憲,官吏に対し,殿下の到着までは暫定的に,新たな辞令や先の辞令を無効にする節ではなく,それぞれの任を継続させる旨の書状を交付する.さらに,前記殿下と契約していない諸州の議員,会計官,司法官憲,官吏すべてに対しては,我らの親署と印章のもとに新たな辞令を発給することであろう.ただし,前記官吏が旧辞令のもとでこの地の自由と特権に反する行動をしたこと,あるいは同様に悪政により告訴または断罪される場合にはこの限りではない.
枢密評議会の議長ならびに議員,ブラバント公領の参事官,またヘルダーラント公領,ズトフェン伯領の参事官,そしてホラント州評議会の議長と議員,ゼーラントの東スヘルデおよび西スヘルデの高位保持者,フリースラントの議長ならびに評議会,メヘレンの代官,ユトレヒトの評議会の議長と議員,そして関係するかもしれない他のすべての司法官憲と官吏,そのあらゆる代理人に指令する.この我らの布告をそれぞれの管区においてその目的のために通常使われる場所において発表し,宣言し,何人たりとも知らなかったと申し立てることのないようにすべし.そして我らの前記布告が侵されることなく遵守され,違反者が例外なく,遅滞なく処罰されるようにすべし.それが公共の利益のために好都合であると見出されたからである.そして,そのすべての各条項をよりよく維持するため,諸君らのすべての各人に対し,明示的な指令をもって完全なる権限と権威を与える.その証としてここに我らの親署と印章を添える.ハーグの集会にて.一五八一年七月二十六日.連邦議会の命によって裏書きされ,署名される.J・デ・アセリアース.


翻訳にあたってのテキストは次の2箇所にある英語版を用いた.内容を比較し,一字一句同一であることを確認した.前者には出典も示されている.
Act of Abjuration 1581 Dutch Declaration Independence
Dutch Declaration of independence
なお,オランダ語原文は次の場所などにある.
Acte van Verlatinghe

なお,英語版から翻訳していて,前半部分についてはとても読みやすい印象を受けていたのだが,これまで訳してきた条約文書と異なり,英訳者がかなり大胆な翻訳をしていることがわかった.そこここで語句を省いたり,構文をすっかり入れ替えたりしているのである.その一方,中盤でわかりにくい部分があったが,このあたり,英語版に大幅な欠落があることがわかった.
英語・オランダ語対照版を作成したので参照されたい.
このように史料としては英語版にはいろいろ疑問があることはわかったものの,オランダ語テキストを参照してちゃんとした翻訳に仕上げるのは今の筆者の力に余ることであり,今後の課題としたい.

(C) 2004.6. 友清理士; 訳文の最終修正日2004.6.6
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