帰化法など(1705)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

王位継承法(一七〇一)によりハノーヴァー家への王位継承を決めたイングランドではあったが,女王アンは自分の存命中にハノーヴァー家の者がイングランドを訪問するのには強く反対していた.ハノーヴァー家の王位継承を確実にするとともにハノーヴァー家の機嫌を取り結ぶ目的も兼ねて,議会は帰化法・摂政法を成立させ,さらにハノーヴァー選帝侯の太子ゲオルク・アウグストをイングランド貴族(テュークスベリー男爵,ノースアラートン子爵,ミルフォード伯爵,ケンブリッジ侯爵ならびに公爵)に叙した.

帰化法:Naturalization Act
ハノーヴァー家のゾフィアとその子孫をイングランド国民とする法律(一七〇五).
一九四九年に廃止.
ちなみに,この法に基づき第二次大戦後にハノーヴァー家のエルンスト・アウグストがゾフィアの子孫であることを理由に英国籍を主張したことがあった(Attorney General v. Ernest Augustus (Prince) of Hanover).法務総裁は前文に「正しく…理にかなったことである」とあるのを根拠にこの申し立ては理にかなっていないとして否定したが,最高裁である上院は条文で「今後生まれくる者も」としている意味は明白として認めた由である.

最も秀逸なる王女ゾフィア―ハノーヴァー選帝侯・公太妃―およびその子孫の帰化のための法律

イングランド,フランス,アイルランドの各王国ならびにそれに属する属領の主権者としての王冠と地位は,我らの最も仁慈深い君主たる陛下が子孫なく薨去されたのちは,議会立法によって故ジェームズ一世王の孫たる王女ゾフィア―ハノーヴァー選帝侯・公太妃―およびそのプロテスタントの子孫に限定されている.そして陛下はこれらの王国の幸福に対する心づかいと思いやりによりすべての人民の心と愛情に君臨し,人民も大いに安心し満足しており,さらに後の世における王位継承者たちの輝かしい模範となることであろう.前記王女ゾフィア―ハノーヴァー選帝侯・公太妃―およびその子孫およびその血を引くすべての直系の人物が本王国の法や国憲になじむのを促すため,彼らが陛下の存命中に(神の恩寵によりその期間が長からんことを)帰化され,イングランドの本来の生まれの国民と見なされ,受け止められ,考えられることは正しく,またきわめて理にかなったことである.陛下の最も忠順にして忠実な臣下たる我ら,議会に会したる聖俗貴顕ならびに庶民は,この上なく慎み深く,陛下に以下のことを立法化することをこいねがうものであり,ゆえに最も秀逸なる女王陛下によって,この現議会に会したる聖俗貴顕ならびに庶民の助言と承認により,またそれをもって,そして同議会の権威によって以下のことが立法化される.

〔一.〕前記王女ゾフィア―ハノーヴァー選帝侯・公太妃―およびその子孫およびその血を引くすべての直系の人物は,すでに生まれている者も今後生まれくる者も,本王国の国民であり,それは前記王女およびその子孫およびその血を引くすべての直系の人物がすでに生まれている者も今後生まれくる者も本イングランド王国の国内にて生まれたかのごとくであるものとする.それは,それに反するいかなる法,制定法,事態,事物があろうとも変わりはないものとする.

二.ただし,前述した権威によりさらに以下のことが立法化され,宣言される.本議会法の効力によって帰化してカトリックになったり,カトリックの信仰を告白したりした者はみなイングランドの本来の生まれの国民としてのいかなる便宜も利点も享受できないものとする.そのような者はことごとく,あらゆる意味においてイングランド女王への忠誠の外で生まれた外国人と判断され,見なされる.それは本法に,それに反するいかなることが含まれていようと変わりはないものとする.


テキストは Lewis Melville (1909): The First George によった.ちなみに,ダブリン議会で可決されたアイルランド版が http://www.law.umn.edu/irishlaw/2.Anne.ChapXIV.htm にある.


ハノーヴァー太子ゲオルク・アウグストの叙爵証書: patent of nobility
ハノーヴァー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの太子ゲオルク・アウグストは1706年11月9日付けでイングランド貴族(テュークスベリー男爵,ノースアラートン子爵,ミルフォード伯爵,ケンブリッジ侯爵ならびに公爵)に叙された.
ここに訳出する叙爵証書の前文ではゲオルク・アウグストの訪英を望まないことが外交的な言辞で述べられている点が注目される.

やんごとなきブラウンシュヴァイク・リューネブルク選帝侯家が余の父祖たる王族の血を引いており,余が後嗣なく死去した場合には(余の権威のもとに承認された法に従い)その祖先の諸王国を受け継ぐ定めではあるが,前記やんごとなき選帝侯家が血筋と同盟以上に友好によって余とのきずなをもつことを余は切に望むものである.余は同家への余のことのほかの愛情に従い,余の親愛なる親族ゲオルク・アウグスト―最もやんごとなき選帝侯の嫡子―を最上級の栄誉をもって引き立てることを定めた.かほどに偉大な君侯の唯一の息子がその祖国を出るのはこの上なく危険なことであり,近隣諸国がかような激しい嵐に翻弄されている現状においてはことにそうである.にもかかわらず,太子が不在ではあってもできうる限りその名と位階の権威により余の議会や諸評議会に何らかの方法で関わることができるよう,余は太子が我が王国の貴族の一員に加えられることを命じた.これは太子にとって(余の,そして余のすべての臣民の望みに基づき)将来に運命づけられている最高権威の先駆となるべきものである.これ以後,王族の血を引く者誰もが常に求めてきたこの最も高貴なる王国の称号を帯びることによって,太子は我が国の一員であることを誇りに思うことであろう.したがって,男爵,子爵,伯爵,侯爵,公爵はみな寿ぐべし.これほど前途有望な太子,ドイツの誇りであり愛児である太子,余の最も神聖な宗教の擁護者にして公共の自由の旗手,将来諸卿を統治する者でありそれまでは諸卿の一員であるこの人物が,今喜ばしくも諸卿と同様の栄誉を授かることを.……


テキストは Lewis Melville (1909): The First George によった.

(C) 2004.10.24 友清理士; 訳文の最終修正日2004.10.24
革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜    歴史文書邦訳プロジェクト   
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