王位継承法(一七〇一)によりハノーヴァー家への王位継承を決めたイングランドではあったが,女王アンは自分の存命中にハノーヴァー家の者がイングランドを訪問するのには強く反対していた.ハノーヴァー家の王位継承を確実にするとともにハノーヴァー家の機嫌を取り結ぶ目的も兼ねて,議会は帰化法・摂政法を成立させ,さらにハノーヴァー選帝侯の太子ゲオルク・アウグストをイングランド貴族(テュークスベリー男爵,ノースアラートン子爵,ミルフォード伯爵,ケンブリッジ侯爵ならびに公爵)に叙した. |
帰化法:Naturalization Act |
ハノーヴァー家のゾフィアとその子孫をイングランド国民とする法律(一七〇五). 一九四九年に廃止. ちなみに,この法に基づき第二次大戦後にハノーヴァー家のエルンスト・アウグストがゾフィアの子孫であることを理由に英国籍を主張したことがあった(Attorney General v. Ernest Augustus (Prince) of Hanover).法務総裁は前文に「正しく…理にかなったことである」とあるのを根拠にこの申し立ては理にかなっていないとして否定したが,最高裁である上院は条文で「今後生まれくる者も」としている意味は明白として認めた由である. |
最も秀逸なる王女ゾフィア―ハノーヴァー選帝侯・公太妃―およびその子孫の帰化のための法律 |
ハノーヴァー太子ゲオルク・アウグストの叙爵証書: patent of nobility |
ハノーヴァー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの太子ゲオルク・アウグストは1706年11月9日付けでイングランド貴族(テュークスベリー男爵,ノースアラートン子爵,ミルフォード伯爵,ケンブリッジ侯爵ならびに公爵)に叙された. ここに訳出する叙爵証書の前文ではゲオルク・アウグストの訪英を望まないことが外交的な言辞で述べられている点が注目される. |
やんごとなきブラウンシュヴァイク・リューネブルク選帝侯家が余の父祖たる王族の血を引いており,余が後嗣なく死去した場合には(余の権威のもとに承認された法に従い)その祖先の諸王国を受け継ぐ定めではあるが,前記やんごとなき選帝侯家が血筋と同盟以上に友好によって余とのきずなをもつことを余は切に望むものである.余は同家への余のことのほかの愛情に従い,余の親愛なる親族ゲオルク・アウグスト―最もやんごとなき選帝侯の嫡子―を最上級の栄誉をもって引き立てることを定めた.かほどに偉大な君侯の唯一の息子がその祖国を出るのはこの上なく危険なことであり,近隣諸国がかような激しい嵐に翻弄されている現状においてはことにそうである.にもかかわらず,太子が不在ではあってもできうる限りその名と位階の権威により余の議会や諸評議会に何らかの方法で関わることができるよう,余は太子が我が王国の貴族の一員に加えられることを命じた.これは太子にとって(余の,そして余のすべての臣民の望みに基づき)将来に運命づけられている最高権威の先駆となるべきものである.これ以後,王族の血を引く者誰もが常に求めてきたこの最も高貴なる王国の称号を帯びることによって,太子は我が国の一員であることを誇りに思うことであろう.したがって,男爵,子爵,伯爵,侯爵,公爵はみな寿ぐべし.これほど前途有望な太子,ドイツの誇りであり愛児である太子,余の最も神聖な宗教の擁護者にして公共の自由の旗手,将来諸卿を統治する者でありそれまでは諸卿の一員であるこの人物が,今喜ばしくも諸卿と同様の栄誉を授かることを.…… |