パリ条約(アメリカ独立戦争の講和条約, 1783)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

パリ条約(パリ講和条約): Treaty of Paris, Peace Treaty of Paris
1783年9月に締結されたアメリカ独立戦争の講和条約.同日,イギリスはアメリカの同盟者フランス,スペインとヴェルサイユ条約によって講和した.

最も神聖にして分かつことあたわざる三位一体の名において.

神慮のお導きにより,神の恩寵により大ブリテン,フランスおよびアイルランドの国王,信仰の擁護者,ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵,神聖ローマ帝国の筆頭財務官にして選帝侯等々たる最もやんごとなく最も力ある君主ジョージ三世およびアメリカ連合諸邦の心情は,過去のわだかまりおよび行き違いのいっさいを忘れ,それによって不幸にも中断されたよき交流と友好とを回復し,恒久の平和と調和を促進し確かなものにするような,相互の利益と共通の利便を基礎とする両国間に有益にして満足のいく関係をうち立てることを望むようになった.そしてこの望ましい目的のため,一七八二年十一月三十日にパリにおいて調印された予備条約によって平和と和解の基礎をすでに据えている.双方によって権限を与えられた委員たちによって署名されたその条項は大ブリテン王国と連合諸邦との間で結ばれるべく提案されている平和条約に挿入され,その実体をなすべきことが合意されている.しかし,その条約は,英国とフランスとの間に和平の合意がなり,それにより英国国王陛下がそのような条約を結ぶ用意ができるまでは締結されないものとされた.その後英国とフランスとの間に条約が結ばれ,英国国王陛下およびアメリカ連合諸邦は,前記予備条約をその趣旨にしたがって完全に有効なものとするため,以下,すなわち,英国国王陛下においてはデーヴィッド・ハートリー氏―英国下院議員―,前記連合諸邦においてはジョン・アダムズ氏―元ヴェルサイユの宮廷にてアメリカ連合諸邦代表,元マサチューセッツ邦代表連合会議議員,同邦首席裁判官,前記連合諸邦からネーデルラント連邦共和国の連邦議会への全権公使―,ベンジャミン・フランクリン氏―元ペンシルヴェニア邦代表連合会議議員,同邦憲法制定会議議長,アメリカ連合諸邦からヴェルサイユの宮廷への全権公使―,ジョン・ジェイ氏―元連合会議議長,ニューヨーク邦首席裁判官,マドリードにおける前記連合諸邦の全権公使―に権限を付与し,この本条約を締結し,調印すべき全権委員に任命した.全権委員たちは相互にそれぞれの全権委任状をやりとりしたのち,次の諸条項について合意し,確認した.

第一条〔独立の承認〕
英国国王陛下はアメリカ連合諸邦,すなわち,ニューハンプシャー,マサチューセッツ湾,ロードアイランドおよびプロヴィデンス・プランテーション,コネティカット,ニューヨーク,ニュージャージー,ペンシルヴェニア,メリーランド,ヴァージニア,ノースカロライナ,サウスカロライナ,ジョージアが自由にして独立な主権国家であり,そのようなものとして扱い,自身もその世継ぎも継承者も,同諸邦およびそのいかなる部分についても,施政,財産,領土上の権利に対するいっさいの権利主張を放棄することを認める.

第二条〔アメリカの国境〕
そして,前記連合諸邦の国境の問題に関して,将来係争が生じるかもしれないことを防ぐため,ここにその国境は以下の通りであることを合意し,宣言する.すなわち,〔北の境は〕ノヴァスコシアの北西端,すなわちセントクロイ川の源流から真北に引いた線が高地地方に当たる点〔を起点とする〕;セントローレンス川に流れ込む水系を大西洋に注ぐ水系から分ける同高地地方に沿ってコネティカット川の北西端へ;そこからその川の中央を北緯四十五度線まで下る;そこから同緯度上の直線を真西にイロコイないしはカタラキー川にぶつかるまで;そこから同川の中央に沿ってオンタリオ湖へ;同湖の中央を通ってその湖とエリー湖との間の水路に当たるまで;そこから同水路の中央に沿ってエリー湖へ,同湖の中央を通ってその湖とヒューロン湖の間の水路に至るまで;そこから同水路の中央に沿ってヒューロン湖へ,そこからその湖の中央を通ってその湖とスペリオル湖の間の水路へ;そこからスペリオル湖を通ってロイヤルおよびフェリポーの島の北側を通ってロング湖へ;そこから同ロング湖およびそれとウッズ湖〔現米加国境上〕の間の水路の中央を通ってウッズ湖へ;そこから同湖を通ってその最も北西端の点に至り,そこから真西に進んでミシシッピ川に至るまで;そこから同ミシシッピ川の中央に沿って引かれる線に沿って北緯三十一度線の北端と交わるまで.南はこの最後に言及された線の赤道北緯三十一度における端点から真東に向かってアパラチコーラないしはカタフーチー川中流まで引かれた直線;そこからその川の中央に沿ってフリント川との合流点へ,そこからまっすぐセントメアリー川の源流域へ;そしてそこからセントメアリー川の中央に沿って下り大西洋へ.東は,セントクロイ川の中央に沿ってそのファンディー湾における河口から水源まで引かれる線によって,そしてその水源からまっすぐ北へ前に述べた大西洋に注ぐ水系をセントローレンス川に注ぐ水系から分ける高地地方まで.連合諸邦の沿岸のいずれかの部分から二十リーグ以内のすべての島々,そして前に述べた,一方ではノヴァスコシアにおける境界線,他方ではイーストフロリダにおける境界線がそれぞれファンディー湾,大西洋に触れる点から真東に伸ばした二直線の間に位置する島々を含むものとする.ただし,前記ノヴァスコシア地方の領域内に現在属する,あるいはこれまでに属してきた島々は除くものとする.

第三条〔漁業権〕
連合諸邦の人々は今後も妨害されることなくグランドバンクならびにニューファンドランドの他のすべての浅堆において,またセントローレンス湾およびこれまで両国の住民がいずれかの時点において漁をしてきた海上の他のあらゆる場所において,あらゆる魚種の漁を行なう権利を持ち続けることが合意された.そしてまた,連合諸邦の住民は英国の漁師が利用するニューファンドランド沿岸において,そしてまた英国国王陛下のアメリカにおける他のすべての属領の沿岸,湾,入り江においてあらゆる魚種の漁をする(ただし,その島において魚を干し,保蔵処理することは含まない)自由をもつものとされた.そして,アメリカの漁師はノヴァスコシア,マグダレン諸島,ラブラドルの無人の湾,停泊地,入り江において,それが無人であり続ける限り魚を干したり保蔵処理したりする自由をもつものとされた.ただし,それまたはそのいずれかに定住者ができた際には前記漁師がそのような定住地で魚を干したり保蔵処理したりすることは,住民,領主,または土地の所有者とその目的のための前もっての合意なくしては合法ではなくなる.

第四条〔債権〕
いずれの側の債権者も,これまでに締結されたあらゆる真正な債務について英貨による完全な回収に対して合法的な障害を受けることはないものと合意された.

第五条〔没収財産の回復〕
連合会議は真の英国臣民に属していて没収されたあらゆる私有地,権利,財産の回復を各邦の立法府に対し真摯に推奨することが合意された.そして国王陛下の軍隊の占領下にある地域に住んでいて前記連合諸邦に対して武器を取ったことのない人々の私有地,権利,財産についても同様である.そしてその他いかなる種類の人物も十三諸邦のいかなる部分にも行き,そこに十二か月の間妨害されることなく留まって没収された私有地,権利,財産の回復を得るために務めることができる.そして連合会議はまた,土地・家屋に関するすべての条例ないしは法について再検討・見直しを行ない,前記の法ないし条例が正義と衡平のみならず,祝すべき平和の到来とともにあまねくゆきわたるべき和解の精神にも完全に合致するものとするよう,各邦に真摯に推奨するものとする.そして連合会議はまた最後に触れられた人々の私有地,権利,財産が彼らに回復されることを真摯に推奨するものとし,現在の所有者が没収後に前記の土地,権利,財産の購入に当たって支払った善良なる金額(そのような支払いがあった場合)の補償を行なうものとする.そして没収された土地に,債権,婚姻に関する取り決め,あるいは他のいかなる形であれ何らかの権利をもつすべての人々は,その公正なる権利の執行において合法的な障害を受けることはないものと合意された.

第六条〔戦争行為の免責〕
いかなる人物ないしは人物たちに対しても彼または彼らが本戦争において果たした役割のために,ないしはそれを理由として将来没収や訴追がなされることはないものとする.何人たりともその理由で,身体,自由,財産のいずれにであろうとも将来損失や損害をこうむることはないものとする.そしてアメリカにおける条約の批准の時点においてそのような罪状で禁固されている者はただちに釈放されるものとし,そのために開始された訴追は打ち切られるものとする.

第七条〔撤兵〕
英国国王陛下と前記諸邦との間,そして前者の臣民と後者の市民との間には確固として恒久的な平和が存するべきであり,それゆえ,陸海におけるあらゆる敵対行為はこれ以後停止されるものとする.双方におけるすべての捕虜は釈放されるものとし,英国国王陛下は無理のない最大のすみやかさをもって,そしていかなる破壊行為もすることなく,また黒人やアメリカ人住民の他の財産を持ち去ることなく,すべての軍勢,守備兵,艦隊を連合諸邦およびそのうちのあらゆる拠点,地点,港湾から引き上げ,あらゆる要塞においてアメリカの大砲があればそれは残していくものとする.そしてまた前記諸邦あるいは市民のいずれかに属するあらゆる保管文書,記録,証書,書類が戦争の期間中英国軍の士官の手に落ちていた場合には,それらをただちに回復し,それらが属していた本来の邦または人物に引き渡されるよう命令し,それを実現するものとする.

第八条〔ミシシッピ川の水運〕
ミシシッピ川の水運はその源流から海に至るまで永遠に英国臣民ならびに連合諸邦の市民に対して自由で開かれたものであるとする.

第九条〔予備条約調印後の征服地の返還〕
英国または連合諸邦に属する地点または領地が前記予備条約がアメリカに到着する以前に一方の武力によって他方から征服されていた場合,それは無条件で補償を求めることなく回復されることが合意された.

第十条〔批准書の交換〕
しかるべき有効な形で処置された本条約の厳粛なる批准は締結当事者の間で本条約の調印の日から起算して六か月か可能であればそれ以内に交換されるべきものとする.その証人として下に署名せる我々,双方の全権使節は,その名前と全権委任状の効力とによって,我々の手で本最終条約に署名し,我々の紋章の印章をそこに捺すものとする.

パリにて,主の年一七八三年九月の第三日において作成.

D・ハートリー(印章)
ジョン・アダムズ(印章)
B・フランクリン(印章)
ジョン・ジェイ(印章)

テキストは基本的にThe Avalon Project at Yale Law Schoolによった.一部インターネットの他のサイトを参照した.

(C) 2003.9. 友清理士; 訳文の最終修正日2005.1.3
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