アメリカとの和解演説

ウイリアム・ピット(チャタム伯)の和解演説(1775年1月20日;イギリス議会上院)

「アメリカ人の手には武器が,心には勇気が備わっている.…町を破壊し,贅沢品を枯渇させたところで…大地と自由がある限り彼らは失ったものを嘆きはしないでしょう.…アメリカ人を再び我が国の懐に抱くために必要なのは,この種の法の撤回や羊皮紙に書かれた文書の撤回ではないのです.彼らのおそれを,彼らの怒りを取り除かねばならないのです.…強圧的な措置は,遅かれ早かれ撤回せざるを得ないでありましょう.できるうちに取り下げたほうが,そうせざるを得なくなってから取り下げるよりいかに得策でありましょうか.」
「最後に,みなさん,大臣たちがこのように国王に誤った助言を与え,誤った方向に導くことに汲々とするならば,臣民の愛情を王冠から離反させかねないとは言いますまい,王冠は戴くに値しないものとなるのです.」
William Pitt, 1st Earl of Chatham (1708-78)



エドマンド・バークの和解演説(1775年3月22日;イギリス議会下院)

…このことを吉兆とみなさずにはいられません.…永久に我らの手を離れてしまったと思われたこの法案の差し戻しによって,我々はまさに今この時点で,この会期の初日と同じような自由な気持ちで,アメリカ統治の方策を選ぶことができるのです.

その提案とは平和であります.ただし,戦争を通じての平和ではなく,入り組んでとめどのない交渉の迷宮をたどりながら求められる平和でもない.…単なる平和であります.…平和の精神において希求され,純粋に平和の原則によって礎を据えられる平和であります.

これから提案させていただこうとしている計画は,その高貴なお方によって提案され,採択された計画から一つの大いなる恩恵を得ています.和解の考えは受け入れられるべきものです.まず第一に,本院はその高貴なお方の動議による決議を採択することによって,勅語奉答文の威嚇調にもかかわらず,苦痛と懲罰を与える重苦しい法案にもかかわらず,自由な恩顧と寛大の考えをいささかも失ってはいないことを認めたのであります.

アメリカは高貴な目標だと言われる.そのために戦うに値するものだと.そうでしょう.もし民衆を相手に戦うことが民衆を勝ち得る最善の策だと言うのなら.…私の意見では,力よりも賢明な運営のほうがはるかに好ましく思えます.武力行使をおぞましいと言うのではなく,貧弱な手段だというのです.これほど数多く,活発で,成長いちじるしく,気概に満ちた民を前にしては,本国の利益となりながら本国に従属するような結びつきを保たせることは,力によってではできないのです.
…武力のみをたのむことは一時的なものでしかありません.当座は屈服させたとしても,再び征服する必要を取り除きはしない.絶えず征服されなければならないような国は,統治されているとは言えないのです.

熾烈な自由の精神は,イギリスの植民地においては,おそらくこの地上のいかなる国民よりも強力であります.
我らが植民地に根づく気質は,いかに人事を尽くそうとも変えることはできません.これら熾烈な人々の家系を偽り,彼らが,自由の血が流れている国民の出自であることを忘れさせることなどできはしないのです.…同胞たるイギリス人をして奴隷の身におとしめるのに,この地上にイギリス人ほど不適当な者はいないのです.

私の案では,植民地をつなぎ止めるのは親密な愛情にあります.同じ名前をもち,同胞の血が流れ,共通の権益を有し,等しく帝国の保護を享受することからくる親密な愛情です.こうした結びつきは,空気のように軽くとも,鉄の鎖のように強いのです.
国家の歳入をもたらすのは地租法だとお思いでしょうか.軍隊を維持するのは予算委員会の毎年の承認だと.あるいは軍隊に勇気と規律をもたらすのが軍律法だと.いや,断じて違います!民衆の愛情,政府に対する愛着,輝かしい国体に深く関わっているとの感覚に根ざすそうした感情こそが,陸海軍を維持し,兵に自由な立場での服従を植えつけるのです.それがなければ陸軍はごろつきの集まりで,海軍は朽ちた木材でしかなくなることでしょう.

政治において寛厚こそは往々にして真の知恵なのです.偉大な帝国と卑小な精神では取り合わせが悪い.…神慮によって我々に託された責務の偉大さにまで,我々の精神を高めねばなりません.この高みなる責務の重厚さに注意を向けることによって,我々の父祖は未開の荒野から輝かしい帝国をつくりあげました.そして最も広範にわたる,かつ史上唯一の栄誉ある征服をなしとげるのに,破壊をもってではなく,人類の富を,人口を,幸福を増進することをもってしたのであります.アメリカからの歳入を得るのも,父祖がアメリカの帝国を得たようにしようではありませんか.イギリス人としての権益がアメリカを今ある繁栄に導いたのです.その可能性を十全に開花させるのは,イギリス人としての権益のみなのです.
Edmund Burke (1729-97)


六年後……エドマンド・バークのコメント

上記の演説から六年後の1781年7月28日.独立戦争もいよいよヨークタウンで大詰めを迎えようとしている時期に,バークはノース首相について次のように書いている.
「ノース卿のことは本当に気の毒に思う.栄光の基盤となるものをほとんどことごとく費消してしまったのだ.今となっては昔のように愛想のよい拒絶によって人間愛に訴えることも,〔自発的な〕譲歩という寛厚によって彼らの称賛を得ることもできはしない.」
(Gibbon(1900) p.328より)



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