ラシュタット条約(1714)(摘要)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

ラシュタット条約:Treaty of Rastatt, Treaty of Rastadt
1714年3月6日に神聖ローマ皇帝とフランス王との間で結ばれたスペイン継承戦争の講和条約.フランスとイギリス・オランダなどは前年のユトレヒト条約ですでに講和していたが,皇帝はユトレヒト条約を拒んでさらに1年間戦い続けた.
なお,神聖ローマ帝国とフランスとの間にはこののち9月にほぼ同内容のバーデン条約が結ばれる.
なお,ラシュタット条約ではフランス語が使われたが,バーデン条約はラテン語であった.また,ラシュタットはバーデン辺境伯領の宮殿の所在地だが,バーデン条約の締結地はスイスのアールガウ州のバーデンである.


第1条
皇帝,帝国,フランス王の間に平和が樹立される.互いの敵を援助しない.

第2条
戦争中の行為については忘却と赦免が与えられる.

第3条
ウエストファリア条約,ネイメーヘン条約,レイスウェイク条約が基礎となり,本条約で取り消された事項を除き,批准書の交換後ただちに完全に遂行される.

第4条
レイスウェイク条約に従い,フランス王は旧ブライザハを兵糧・武器弾薬なども含め現在の状態のまま,ライン川右岸の付属領とともに皇帝に返還する.ライン川左岸の付属領(モルティエ砦)はフランス領とする.一切は一六九七年十月にレイスウェイクで締結された条約の第20条に従う.

第5条
フランス王は皇帝にフライブルクを返還する.その地域または黒い森またはブリスガウの他の部分にある砦も同様.

第6条
フランス王がライン右岸,ストラスブールの橋の端に建設したケールの砦も同様に皇帝と帝国に返還される.
ストラスブールより下流のライン川の川中島に建設されたピル砦などはフランス王の費用負担によって取り壊される.
ライン川の航行は双方の臣民に自由であり続ける.

第7条
前記のブライザハ,フライブルク,ケールは完全な司法管区,付属領とともに,フランス王が占領した時点であった大砲,弾薬とともに皇帝と帝国に返還される.

第8条
ユナング〔バーゼルよりちょっと北〕の対岸のライン川右岸に,またイル・デュ・ラン〔ブライザハ近くの川中島;東がライン川,西がアルザス大運河〕に建設された防塞はフランス王の費用負担によって取り壊される.この部分でライン川にかけられた橋〔Pont〕も同様で,基礎と建造物はバーデン家に返還する.
Fort de Sellingenおよびそことフォールルイの間の諸砦も同様.砦が壊された土地は家屋とともにバーデン家に返還される.橋〔Pont〕のうちFort de Sellingenからフォールルイとその対岸のライン右岸に建設された砦を結ぶ部分が取り壊される.
フォールルイとイルはフランス支配下に留まる.
フランス王はレイスウェイク条約で指定された,またその条約後に建設させた砦や防衛線,橋などを自らの費用負担によって破壊されるようはからう.

第9条
フランスはビッチ城,ホンブルク城を明け渡す.

第10条
全般的な講和条約〔皇帝とフランスとの二者間のラシュタット条約に対し,このあとに交渉が予定されている神聖ローマ帝国全体がフランスと講和するバーデン条約のことだろう〕の批准書の交換後三十日以内に帝国側への明け渡しなどは行なわれる.
同じ期間内に皇帝もしくは帝国議会またはフランス王が返還する地点に属する文書類は返還される.

第11条
フランス王が破壊すべき地点のうち,大きなものは全般的な講和条約の批准書の交換後二か月以内に,それ以外は一か月以内に取り壊される.

第12条
フランス王は戦争中に奪った土地,財産などを帝国等族やその家臣などに返還する.
レイスウェイク条約で定められていながらなされていないことがあれば,本条約で取り消されていない限り実行する.

第13条
皇帝はレイスウェイク条約の効力に基づき,ランダウとその付属領(ヌスドルフ,ダンハイム,クワイヒハイム)は,開戦前にフランス王が有していたいようにフランス王のもとに留まる.皇帝は帝国の同意を得る.

第14条
皇帝が帝国の同意のもとにハノーヴァー家を選帝侯に昇格したことをフランス王は承認する.

第15条
ケルン大司教ヨーゼフ・クレメンスとバイエルン公マクシミリアン・エマヌエルは選帝侯位を回復される.
両者は皇帝・帝国とフランス王の間の全般的な講和会議の交渉の場に交渉役を送ることができる.
武器弾薬や大砲のほか動産・宝石など,バイエルン占領以来奪われたものが返還される.文書類も同様.
ケルン大司教はケルン大司教位,ヒルデスハイム,レーゲンスブルク,リエージュ司教位,Prepositure de Bertholsgadenを回復される.ただし,帝国の司法体系における訴追権,ケルン大司教領の聖堂参事会と領邦議会の特権を除く.
ボンについては講和の時点で守備隊はいない予定であるが,その守備は市民に託される.ただし,戦時には皇帝と帝国は兵をおくことができる.この回復により上記両名は皇帝,帝国,オーストリア家〔=ハプスブルク家〕に対する権利主張や補償請求は放棄する.ただし,戦前からの権利は保持する.同様にバイエルン家や前記の大司教領,司教領,裁判区に対する権利主張や補償請求も放棄される.

第16条
上記両名は皇帝や他の帝国等族への忠誠に復帰し,選帝侯位などに関し改めて叙任されるよう皇帝に請求し,受けるものとする.
官公吏(聖俗軍民を問わず)はいずれの陣営に属していた者も財産などを回復され,赦免を与えられる.

第17条
15,16条で述べられた回復が行なわれる時期は全般的講和条約の批准書の交換から三十日以内とする.10条で合意された,フランス王が返還する地点からの撤兵と同様である.
バイエルン家が現在ネーデルラントで有している地域を皇帝に返還するのも同様とする.

第18条
バイエルン家が地位を回復されたのちにその領邦議会を変更しようとしてもフランス王は反対しない.

第19条
フランス王またはその同盟者がネーデルラントにおいて有していた領地をオーストリア家の代理としてオランダに返還されたが,フランス王はこのいわゆるスペイン領ネーデルラントが皇帝の領有となり,オーストリア家に代々相続されることに同意する.ただし,先に割譲された地域は除き,また皇帝はオランダとの間にオランダの防壁のための協定を結ぶ.またプロイセン王は上ヘルダーラントを付属領(ストラーレン,ヴァハテンドンク,ミデラール,ヴァルベック,アールツェン,アッフェルデン,デ・ヴェールなど)とともに保持する.またクリッケンベックとケッセル地方がエルケレンスを除きすべての付属領とともにプロイセンに割譲される.

第20条〔仏蘭条約の11条〕
カルロス二世が薨去時に有していた地点に加え,フランス王はオーストリア家の代理としてオランダにメーネン,トゥルネー(トゥルネジ全域を含む)を割譲しており,オランダがこれらの地域を皇帝に引き渡すことに同意する.
ただし,サンタマン(付属領含む)とモルターニュ(付属領含まず)はフランス領に留まる.ただし,モルターニュに防備を施してはならない.

第21条〔仏蘭条約の12条〕
同様に,フランス王はオーストリア家の代理としてオランダにフュルヌとフュルヌ・アンバハト(八つの教区とクノック砦を含む),ローとディクスマイデ,イーペル(ルースラールその他の付属領―〔イーペルの西の〕ポペラング,〔イーペルの南でリース河畔の〕ワルネトン,コミーヌ,ウェルヴィク(この3都市についてはリース川のイーペル側=北側に限る)―も含む)を割譲したことを確認する.フランス王はいかなる権利も保持せず,オランダが防壁についての合意ができしだいオーストリア家に引き渡すことに同意する.

第22条〔仏蘭条約の13条〕
リース川の航行はドゥール川が合流する地点〔コミーヌ付近〕より上流では自由とし,通行料などは課されない.

第23条〔仏蘭条約の19条〕
スペイン領ネーデルラントや割譲・返還される地域の臣民によって戦争中になされた危害等に関しては相互にすべて忘れるものとし,赦免される.

第24条〔仏蘭条約の20条〕
フランス王,スペイン領ネーデルラント,フランス王によって割譲される地域の臣民は法と慣習に従って行き来し,売買などすることができる.
それらの臣民は一年間はこれらの地を去って移住するのも自由とする.

第25条〔仏蘭条約の21条〕
聖俗を問わず臣民や大学などは戦前の地位・財産・権利を回復される.

第26条〔仏蘭条約の22条〕
ネーデルラントのいくつかの州の納税区〔g´en´eralit´e〕における歳入は,フランス王が権利をもつ部分とオランダまたはオーストリア家が権利をもつ部分があるが,分配を決める委員会が任命されるものとする.

第27条
皇帝に割譲されるネーデルラントのカトリック地域においてフランス王によって与えられた聖職禄は現保有者のものとする.カトリック教は戦前の原状のままとされる.

第28条
フランス王によって割譲されるネーデルラントのカトリック地域の住民や自治体はフランス王の統治下で享受していたとおりの権利を保持する.これはレイスウェイク条約の直後にフランス王が有していた地域にのみ適用されるものであり,カルロス二世がその薨去時に有していた地域においてはその時点での自由と権利が保存される.

第29条
同様に戦争中に合法的に与えられた聖職禄は現在の保有者のものであり続ける.

第30条
皇帝,フランス王は戦争を再開せず,友好増進に努める.フランス王はイタリアにおいて皇帝が現在有している,もしくはオーストリア家がかつて有していた領土(現在皇帝が有しているナポリ王国とミラノ公領,サルディニアの島と王国,トスカナ地方の港で皇帝が現に有しておりかつてオーストリア家のスペイン王が有していたもの)の保有を乱さないことを約す.
皇帝とオーストリア家がフランス王が有している,または将来交渉,条約その他の合法的かつ平和的手段によって獲得する領土を乱さないことを約束したことに鑑み,皇帝はイタリアの中立(1713年3月14日にユトレヒトで締結)を厳守することを約束する.またイタリア諸侯の所領を尊重することを約束する.

第31条
イタリアの平和のため,中立が厳格に施行されるばかりでなく,皇帝は諸侯や家臣に,オーストリア家のスペイン王の領土でなくなったイタリア内の土地に対する補償を与える.そのような土地に合法的な権利主張をするかもしれない者としてはグアスタル公,ピコ・デ・ラ・ミランドラ,カスティリオーネ公.

第32条
その他要求すべき事項として,フランス側からヴィラールに託されたものに,ドゥエリエール・デルブフ公爵夫人の要求,ユルサン夫人の要求,サンピエール公のサビオネット公領の要求がある.皇帝側からオイゲン公が託されている要求としては,ロレーヌ公の要求(レイスウェイク条約で述べられているもの以外に),モデナ公の要求,アーレンベルク家,リーニュ家の要求,フランス兵がミラノ公領でつくった借金の返済がある.これらの交渉は時間がかかりすぎるので平和条約のために設立される会議にて話し合われるものとする.

第33条
皇帝が講和条件について選帝侯や帝国等族と相談し,後者が帝国全体の名において同意を与えている時間はないので,皇帝は選帝侯や帝国等族が帝国の名においてただちに全権委任状または全権委任状をもった代表団を皇帝,帝国,フランス王の間の和平交渉のために選ばれる場所に送ってくることを約束する.そして皇帝はその代表団が帝国の名において本条約で皇帝とフランス王が協定したことに同意することを保証する.

第34条
前条で述べた皇帝,帝国,フランス王の間の講和条約の交渉地について,皇帝とフランス王は帝国,フランスの外の中立領ということでスイスに目をつけた.スイス内で皇帝またはフランス王が三都市を指定し,指定された側が一つに選ぶ.その決定は本条約の調印と同時に行なわれ,四月十五日か遅くとも五月一日には全権代表がその地に集まれるようにする.

第35条
本平和条約が調印されるのと同時に戦闘行為は中止される.批准書が交換されたあとは互いに徴発をやめる.
捕虜は無条件に解放される.
本条約の批准書の交換後十五日で撤兵する.
皇帝は返還されるケルン選帝侯領,バイエルン選帝侯領から自らの兵を撤兵し,帝国の兵も撤兵させる.

第36条
戦争中禁じられた通商は,本条約の批准書の交換後ただちに再開される.

第37条
本条約は調印の日から数えて一か月以内にラシュタット宮殿にて批准書が交換される.


ラシュタット宮殿にて
1714年3月16日

サヴォイ公子オイゲン   元帥ヴィラール公爵


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