サンジェルマン宣言(1692)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

サンジェルマン宣言(1692):
名誉革命でイギリスを追われたジェームズ二世はフランスのサンジェルマン宮殿で亡命生活を送っていた.最初の王位奪還の試みは1690年のボイン川の戦いにおいてくじかれたが,1692年,ルイ十四世の力を借りて再び兵を集めた.王位回復に向け,イングランド国民に発したのがこの宣言である.しかし,ラオーグの海戦でフランス艦隊がイギリス艦隊の前に敗れ,ジェームズがイングランド上陸に向けて船出することはなくなった.

ジェームズ二世の王位回復に向けた宣言

フランス国王は,諸般の事情に関して条件が整い次第,余が余の諸王国を回復するのに向けて有効な援助をするという多くの協力的な約束の実行として,この時期にあたり余がそれに向けて邁進する環境を整えてくれた.そしてそのために,余の臣民が束縛を断ち切り,安全にその義務に立ち返って余の旗印のもとに参じることができるようにするのに十分な兵を貸してくれた.しかしながら,当面のところ余の望みに従って(今後その必要が生じない限り),あえて多すぎる兵を送り出すことは拒んだ.余の善良な臣民のうちに,フランス国王が余の手からこの大業を取り上げたり,イングランド人から合法的な国王とその古来からの統治を回復するというかくも輝かしい行動に参加する役割を奪ったりするのではないかとの猜疑心を起こさないためである.これらすべての外国兵は,余が余の諸王国を平穏かつ平和裡に治めることができるよう完全に落ちつき次第,ただちに送り返すことを,余はここに約束するものである.そして,それまでの間については,兵たちを厳密な秩序と規律のもとにおき,余の臣民の何人たりとも兵士や士官によって身体や所有物にいささかの害もこうむらないようにする.
この種の事柄は自ずと明らかなものであり,この場では余の正当な権利を主張し,余の民を抑圧から解放するために来るという以上のことを言う必要はないものと考えはするが,余の臣民の多くがよこしまな人々の企みにだまされて悲惨にも先の革命に引き込まれた先例がある.とりわけオレンジ公の宣言は,当時疑いもせずにたやすく信用されたものの,その後,あらゆる部分において偽りであったことがあまりに明らかになっている.それは明白に偽りであると証明されたもののみならず,最初から実行する意図のなかった約束を連ねたものなのである.したがって,こうしたことを考えるとき,今後こうした幻想を防止するため,そして余の臣民すべての目を開かせるべく余の力にあたう限り努めるため,余は問題のいっさいをできるだけ平易で短い形で彼らの前に呈示することを惜しむものではない.こうしておけば,彼ら自身の祖国の幸福の破滅に向けて今後誤った選択をしたような場合に,錯誤や無知を装って弁解することはできなくなるであろう.

そこで問題をはじめから振り返ってみる.
忘れてはならないことは,余は,オレンジ公がオランダ連邦の全力を背景に余の諸王国を侵略しようとしている不法な企てについて確かな報せを受けた際,余はまず余の防衛のためにできうる最善の処置を行なった.余の艦隊および軍隊の態勢を整えさせることで,それは有効になされたと思えた.だからフランス国王陛下が,余,陛下自身,そして実はヨーロッパの平和そのものに対する企ての真意を見抜き,陸海における相当規模の救援をもちかけた際,余はその時点でそれを受け入れる必要があるとは全く考えなかった.余は余のすべてを(神慮の次に),それまで余が心血を注いで形成し,恩顧を与えてきた余のイングランド軍の勇気と忠誠に賭ける決意だったのである.
そしてこのように武力に対して武力で対応する準備を整えたのち,余は次に余の善良なる民の心に理にかなったあらゆる満足を与えるべく,民の迷いを解き,奸計が容易に防げる早いうちに,オレンジ公の侵略の空虚な意図に惑わされるようなことがあれば,祖国にいかなる致命的な破滅をもたらすかを民にわからせるべく,努めた.
しかし,当時の心酔はあまりに深く,手遅れになるまで余の言葉は信じられなかった.
そしてオレンジ公が徐々にその仮面をかなぐり捨てていったとき,そして公のねらいが政府の改革ではなく(それにしても公が口を出す性質の問題ではない),イングランド国民の破滅の上で自らの野心的な企みを進めることができるよう政府を転覆することにほかならないことが明らかになってきたとき,そして害毒が王国の神髄にまでしみわたり,余の軍全体に広がり,余の宮廷や家族にまでも至り,余の身辺に最も近く余からこの上ない恩顧を受けてきた従者のみならず,その時余の我が子たちさえをも冒さずにはいないほどとなったとき,そして余の軍から日々脱走が相次ぎ,他方では王国のあらゆる部分で騒動と混乱が増していったとき,そしてとりわけ,革命があれほど速く進んでほどなくして余が余の敵の手中におかれ,まず余の宮殿に幽閉され,のちには乱暴にそこを追い出されて外国人に護送されたとき,余は,同様の境遇にあった余の先達の運命から,自分がおかれている危険を警戒せずにはいられず,余の身体の安全をはかる時だと考えた(ロチェスターで余の身辺に配された護衛から脱出し,フランス―ヨーロッパで余が安全に滞在できる唯一の場所―に到着したことでそれは幸いにも実現できた).それはとりもなおさずよりよき時代,より幸運な機会まで生きながらえるためであったが,そのような機会が今,神の祝福により,余の手に与えられた.
イングランドにおけるオレンジ公の一派は正義の面にしろ常識の面にしろ,いかなる土台の上に,余が余の敵の手から脱出したこのできごとを退位の一種とみなしたのだろうか.それは君主について用いられた場合,これまで自由にして自発的な王冠の放棄以外の何ものも意味して使われたことがなかった.皇帝カルロス一世〔カール五世〕や先のスウェーデン女王の場合がそうである.そしてこの貧弱な土台の上に,なんと奇怪な上部構造を作り上げたことか.当時張本人さえも最も賤しい臣民の利害さえ託される権限がないと認めていた(投票によって〔仮議会から〕議会となる前であった)一群の人々が不法に会して,統治体制全体を破壊し,古来からの世襲君主制を選出制に変えてしまう任を引き受け,その上自らその選出権を僭取してあのように奇異で法外なしかたで王位の継承を定めてしまった.これらの処置は繰り返す必要もない.世界にあまりによく知られており,そのよって立つ根拠はあまりに空虚で取るに足りないものであり,論駁にすら値しないものである.イングランドの自由保有権保有者は誰でもこの件について自らの考察をすることができる.そして疑いなく,これまでよりは少し上手に調べることであろう.国王そのものがその王位を保つ正当性がないとき,一私人にとってその地所を維持するいかなる保証があるというのだろうか.
しかし,一部の者は,これらの過程の公正さを弁護するためには一言たりとも言えなくても,労を尽くしてそれが必要であったことを示そうとしており,かくも邪悪な大義から期待される著しい効能を説こうとしている.このため,余は現時点までに国民は総決算をしたものと疑わない.そしてこの争論によって無駄に流されたイングランド人の血よりも少ない負担でどのような驚異を実行することができたかを存分に考えたとき,そしてこの三年間で失われ,破壊された軍艦の数だけでもかなりの艦隊をなすのに十分であっただろうことを,その期間のうちに,余の先人たちの多くの治世全体を合わせた以上の資金が余の臣民の懐からしぼり取られ,しかも以前のように彼らのうちで再び使われ,流通するのではなく,正貨として海外へ運ばれ,国民にとって永久の損失となったことを考えたとき,そしてこれらのほかにこの種の多くの個別の事柄を総決算したとき,その決算の末尾には,空想された病よりもその治療がいかに悪かったか,そして少なくともこれまでのところ王国が変化によって全く大きな利を得ていないことが示されることであろう.

次に考えるべきことは,今後起こると予想されることである.それについては,将来のできごとについての判断をするにあたって,これまでのことを省みることほど有効な手段はない.そしてもちろん,現在の王位簒奪者の気性と性格,方法と原則について観察されたことを,民に対していかなる不信の種も与えないことが何にも増して必要である時期に彼がすでに行なったことから,そしてもちろん最初に成立したときと同じ欺瞞と暴力によっては支えられ得ないというあらゆる王位簒奪の性質から省みることである.世界にいくらでも例があるように,この専制の始まりは,ネロの治世の第一年と同じように,その最も穏健な部分となるであろうと信ずる理由がある.そしてこれまでにこうむってきたことは,革命の大いなる推進者であったこれらの人々が,そもそもは彼らが王国に対して押しつけた専制政府の結果として今後目にし,思い知らされることであろう悲惨のほんの始まりにすぎないのである.

そしてここで考察を止めるわけにはいかない.知識人たる者はすべて子孫のことも考えねばならず,善良なる者はすべてそのことを考えるであろう.したがって,もしも全能なる神が,この王国が過去に犯してきた数多くの反乱や偽証に対する厳格この上ない罰として,現在の簒奪政府の計略を認めたまうことがあった場合には,余の存命中に余が復位されることはないであろう.それでも,争う余地のない王冠への権利は,余の最愛の息子であり現在余の法定推定相続人である皇太子およびその子孫に,そしてその子孫がない場合には余が今後もつと思われる(王妃は現在懐妊中である)他の息子たちの子孫のうちに生き続けるものである.
そしてそのようなことの結末がどのようなものになるかは,ヨーク家とランカスター家の長く血なまぐさい抗争についていささかでも知っている者には誰にでも容易に理解されることであろう.そしてその時代の歴史をひもとく者はみな,一瞥にして内戦のあらゆる悲惨の場面を目にすることであろう―略奪や無補償の宿営による哀れな庶民の絶え間ない苦難,度重なる処刑や私権剥奪による幾多の貴族の家系の破滅,そして国内一般においては王国全体の弱体化,そして海外においてはその間に得られたであろう利益の逸失.これらは,いかなる国家でも侵害された権利と不正な保有をめぐる論争があるところ必ず伴う抗争と動乱の自然な結末であると結論せざるを得ないはずだ.

そしてすべてのキリスト教徒にとって重きをもつ事柄がある.それは,ヨーロッパのいたましい現状である.キリスト教徒共通の敵に対して勝利を上げるこれまでにない期待があり,ローマ衰亡以来いかなる時代にもなかったほどキリスト教帝国の境界を拡大する最大の見込みがあるというときに,ほとんどあらゆるところでキリスト教徒どうしの間の戦争に従事している.そして余が復位する前には全般的な平和からはほど遠く,そのための条約に向けていかなる国も展望を形づくれていない.しかし,ひとたび〔余の復位が〕なされれば〔万事は〕容易であろう.余は仲介の労をとり,余にできる限りの力を尽くして,その実現のためにフランス国王陛下の説得にあたる用意がある.

したがって,余は善良なる目的と善良なる大義のもとに来たのであり,その正義は神の法と人の法の両者に土台をおいている.余の諸王国のみならずヨーロッパの平和が,現在および将来の繁栄がその成功いかんに関わっているものであるから,余がさしたる抵抗に遭わないことを期待する.むしろ,忠実なるすべての臣民は,その義務と忠節の誓いに従って,余がここに求め,命令するように,余のもとに加わり,あらん限りの力を尽くして助力することを期待するものである.

そして余はここに,余のありとあらゆる臣民に対して厳命をもってあらかじめ警告しておく.最近国民に対して課された不法な税もしくは余の歳入の一部を集めたり支払ったりし,あるいはその他の方法によって現在の簒奪政府を幇助したり支援したりしてはならない.それにより,余は,余のすべての臣民を余への奉仕に勝ち取るために考えられるすべての手を講じることができるようになり,もし可能であれば簒奪者とその外国人兵だけに対処すればいいようになるのである.そしてすでになしてしまったことから余の慈悲を絶望して反乱を続けることを強いられる人が出ないよう,余はここに国王としての言葉によって宣言し,約束する.ありとあらゆる人は,これまでいかに罪を犯していようと(次の人物を除く:オーモンド公爵,ウインチェスター侯爵,サンダーランド伯爵,ダンビー伯爵,ノッティンガム伯爵,ニューポート卿,セントアサフ主教,デラメア卿,ウィルトシア卿,コルチェスター卿,コーンベリー卿,ダンブレーン卿,チャーチル卿ジョン,サー・ロバート・ハワード,サー・ジョン・ワーデン,サー・サミュエル・グリムストン,サー・スティーヴン・フォックス,サー・ジョージ・トレビー,サー・バジル・ディクスウェル,サー・ジェームズ・オクセンデン,ティロットソン博士,カンタベリー首席司祭,ギルバート・バーネット博士,フランシス・ラッセル,リチャード・レヴィソン,ジョン・トレンチャード郷士,ロンドン市民チャールズ・ダンカム,漁師エドワーズ,ネープルトン,ハント〔の三名〕,そしてフェヴァシャムにおいて余に直接無礼をはたらいた他のすべての者,そしてジョン・アッシュトン氏およびクロス氏,その他余への忠誠を理由として不法に断罪され処刑された他の者たちの野蛮な殺戮に裁判官もしくは陪審員として関わったすべての者,そして余が先にイングランドから不在であった期間中に余の考えを流したようなすべてのスパイ),すみやかにその義務に復帰しそのしるしを示すことによって,また余の砦のいずれかを余に供するために押さえ,あるいは余に明け渡すことによって,また簒奪者の軍からの軍艦や兵士を,もしくは自分たちで新たに募って武装させた兵士を余にもたらすことによって,またそれぞれの機会や能力に応じたなんらかの著しい功績によって,その悔恨の誠意を明白にすれば,それぞれに対する恩赦をただちにイングランドの国璽のもとに発行されるのみならず,その事例の功績に応じて考慮され,報いられるであろう.そして余の上陸後に武装して余に刃向かわず,余の復位を妨げるようないかなることもしなかった者については(前述した人物のみを除外して)余の最初の議会(都合のつく限りすみやかに召集する意向である)において全般的な大赦法によって対処し,余の統治のもとで余のすべての臣民の身体と財産が安全であり侵されざるごとく,その心が平穏で安逸でいられるようはからうものである.

すべての行政官で,余の慈悲深い恩赦に浴することを期待する者は,余の上陸の通知後ただちに余への忠誠,そして余の権威に服することを公に表明し,この余の宣言が手元に届き次第これを公表し,読み上げられるようはからうものとする.また,すべての監獄の守衛は余に対する忠誠と愛着のために収監されたすべての者をただちに解放すべし.さもなくば余の恩赦の恩恵から除外されるものとする.

そして余は,ここにさらに宣言し,約束する.余はイングランド教会を現在法によって確立されているままにそのすべての権利,特権,所有物において護持し,維持する.主教職またはその他余の裁量内の地位や聖職禄が空席になった際には,その宗旨に最もふさわしい者を後任とするよう配慮するものである.

そしてあらゆる国において争乱や反乱は他のあらゆる主張を合わせたよりも宗教問題から持ち上がることが多く,イングランドにおいては世界の他のすべてよりもなおさらそうであることに鑑み,宗教問題においてあらゆる意見の人々が政府と和解し,政府を敵として見なすのではなく,政府によって等しくいい扱いを受けていることから,自分たちが他の同胞臣民たちとともに等しく政府を護ることに関わっているのであると見なすようにするため,そして余の判断では良心の自由はキリスト教の法と精神にとって最もふさわしいものであり,あらゆる国や信条の人々がやってきて交易し,定住することを奨励することによって余の諸王国の富と繁栄に最も貢献するものであると確信していることから,これらの理由により,余はこの上なく熱心に余の議会に対して,良心の自由を王国の永続的な恵みであり続けるようなしかたで定着させることによって国民に恩恵を与えるよう勧告する決意である.

最後に,余は余の議会の助言と支援を受けて,最近の騒動によって壊された関係を修復し,傷を癒やすこと,外国人を利するためこのところ違反が目に余る航海法を忠実に執行させることによって交易を回復すること,余の海軍や物資を余のもとにあったときのいい状態に戻すこと,最近あまりに大量に費消された富と正貨を王国に取り戻す最善の方法をさがすこと,に心を配るものである.
そして一般に,余は余の治世の残りを(余が初めて王位について以来常に意図してきたように),イングランドの王制の偉大さを,その古来の基礎,すなわち余の民の一致した利害と愛着の上に再建するのに貢献するようなあらゆる手を打つべく努めるのに費やすのを喜びとするものである.

こうしてあらゆる反対に答え,あらゆる党派と位階の人々に対して考えうる限りの満足を与えるよう努めた今でも,余のほうからなしうるすべてのことをし終えたという満足を望むことはできない.いかなるできごとであろうと,その采配については,余は大いなる服従と信頼をもって正しい判断をする神に委ねるものである.
そして他方,余の臣民のいずれかが,これだけしてもなお,余に対して武装して抵抗しようとするほど頑迷であり続ける場合には,このような慈悲の申し出を拒んだ上は余の厳正なる裁きのもとに容赦なく服さねばならないのと同じように,彼らの絶望的で不当な抵抗のために流された血の一滴に至るまで,またそれにより諸王国が巻き込まれるあらゆる悲惨と混乱について,全能なる神の前で応えなければならない.

一六九二年,余の治世第八年,四月二十日,発布等.


テキストは Declaration of King James II April 20, 1692 を用い,読みやすさのため若干改行を加えた.
(C) 2004 友清理士; 訳文の最終修正日2004.3.28
革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜    歴史文書邦訳プロジェクト   

inserted by FC2 system