ユトレヒト条約
(スペイン継承戦争の講和条約, 1713)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

ユトレヒト条約:Treaty of Utrecht, Treaties of Utrecht; Peace of Utrecht
スペイン継承戦争の講和条約.1713年4月11日フランスはイギリス,オランダ,プロイセン,ポルトガル,サヴォイとそれぞれ講和条約を結び,スペインも同年7月13日にイギリス,翌年6月にオランダと講和した.残るフランスと神聖ローマ帝国の間でも1714年3月26日,ラシュタット条約で講和が成立した.
ここでは英仏間の条約を訳出し,仏蘭条約,仏普条約については摘要を示した.

目次
第一条〔友好関係〕
第二条〔敵対行為の中止〕
第三条〔免責〕
第四条〔イギリスの王位継承〕
第五条〔イギリス王位への不干渉〕
第六条〔フランスとスペインの王冠の分離〕
〔フランス国王ルイ十四世によるフランス,スペイン王冠の分離の宣言〕
〔スペイン王フェリペ五世によるフランス王位継承権の放棄〕
〔ベリー公のスペイン王位継承権の放棄〕
〔オルレアン公のスペイン王位継承権の放棄〕
〔ルイ十四世による,フェリペ五世がフランス王位継承権を保持することの宣言(1700)〕
〔第六条続き〕
第七条〔航海と通商〕
第八条〔司法〕
第九条〔ダンケルク〕
第十条〔ハドソン湾地方のイギリスへの返還〕
第十一条〔平時の略奪等への補償〕
第十二条〔ノヴァスコシアなどの割譲〕
第十三条〔ニューファンドランド〕
第十四条〔住民の権利〕
第十五条〔先住民との関係〕
第十六条〔拿捕免許状の無効化〕
第十七条〔拿捕品の返却〕
第十八条〔事故による和平崩壊の防止〕
第十九条〔戦争再発時の国民への猶予〕
第二十条〔イギリスの同盟国への補償〕
第二十一条〔帝国の宗教の原状復帰〕
第二十二条〔個人的な補償〕
第二十三条〔捕虜の解放〕
第二十四条〔フランスとポルトガルの講和〕
第二十五条〔フランスとサヴォイの講和〕
第二十六条〔スウェーデン,トスカナ,ジェノヴァ,パルマの参加〕
第二十七条〔ハンザ同盟都市とダンツィヒ〕
第二十八条〔その他の参加国〕
第二十九条〔批准書の交換〕
第三十条〔署名捺印〕
〔アン女王の全権委任状〕
〔ルイ十四世の全権委任状〕

仏蘭条約(摘要)
普仏条約(摘要)


神の恩寵により大ブリテン,フランス,アイルランドの女王たる最もやんごとなく最も力ある君主アンおよびフランス国王陛下たる最もやんごとなく最も力ある君主ルイ十四世の間の平和友好条約.一七一三年三月/四月三十一/十一日,ユトレヒトにて締結.〔注:フランス語版ではフランス国王の名が先で,アンの肩書きは単に「大ブリテン女王」〕

〔注:フランス語版では冒頭に条約締結を告げる一段落がある〕
全能なる神は,その名の栄光のため,そして世界の幸福のため,諸国王の心をして,今その治世において荒廃した世界の悲惨を癒やす方向に向けたまい,その結果,諸国王は互いに対し,講和を取り結ぶ共通の望みを抱いている.よって,関係するかもしれないすべての人および各人に知らしむべし.この神慮の導きにより,神の恩寵により大ブリテン,フランス,アイルランドの国王たる最もやんごとなく最も力ある君主たるレディ・アンおよび神の恩寵によりフランス国王陛下たる最もやんごとなく最も力ある君主ルイ十四世は〔注:フランス語版では「神の恩寵によりフランス,ナヴァール国王たる最もやんごとなくとても力ある君主ルイ十四世および神の恩寵により大ブリテン女王たる最もやんごとなくとても力ある君主アン」〕,それぞれの臣民の利益のみならずキリスト教世界全体の永続的な平穏を(神ならぬ人にあたう限り)もたらすことをも顧慮し,ついに,戦争に終止符を打つことを決意した.不幸にしてたきつけられ,この十年以上の間執拗に遂行されてきたその戦争は,頻繁な戦闘,キリスト教徒の血の流出といった理由により残虐であるとともに破壊的であった.そしてこの王者らしい目的を推進するため,上記両陛下は,自発的に,そして自らの臣民やキリスト教世界の福利のために王たちが進んで用いる父なる心づかいから,最も高貴にして高名かつ秀逸な領主を両国王陛下それぞれの特命全権大使に指名し,任命した.すなわち,英国女王陛下の側からは尊師ジョン―神の許しによりブリストル主教,イングランドの王璽尚書,女王陛下の枢密顧問官,ウインザーの聖堂参事会長,最も高貴なガーター勲爵士団の登記官―また最も高貴にして高名かつ秀逸な領主トマス―ストラフォード伯爵,ウェントワース・ウッドハウスおよびステインバラのウェントワース子爵,レービー男爵,女王陛下の枢密顧問官,連邦共和国の連邦議会の諸閣下への特命全権大使,ロイヤル竜騎兵連隊連隊長,女王陛下の軍隊の中将,大ブリテンおよびアイルランドの海軍省の第一委員,最も高貴なガーター勲爵士団の勲爵士―を,神聖なるフランス国王陛下の側からは,最も高貴にして高名かつ秀逸な領主ニコラ―ユクセル侯爵,フランス元帥,国王の勲爵士団の勲爵士,ブルゴーニュ公領の中将―およびニコラ・メナジェ―国王のサンミッシェル勲爵士団の勲爵士―である〔注:フランス語版ではフランス大使が先〕.そして両陛下は前記特命大使らに両陛下の間の確固として永続的な和平を交渉し,合意し,締結する完全にして広範な権限を与えた.そのゆえに,前述の大使らは,種々の重要な顧慮ののち,その目的のためにユトレヒトにてもたれた会議において,とうとういかなる仲介者の介入もなしに,かくも健全な企図の目的を妨げていたあらゆる障害を克服し,神がこの偉業を完全にして侵されぬものに保ちたまい,また最も遠く後世にまで永続させ賜うよう天の助力も願い,互いにしかるべく全権委任状(その写しは一字一句残さず本文書の末尾に挿入されている)をやりとりしたのち,それぞれの前述した陛下,その民,臣民の間の平和と友好のための相互の条件について,次のように合意した.

第一条〔友好関係〕
大ブリテン女王たる最もやんごとなく最も力ある君主アンおよびフランス国王たる最もやんごとなく最も力ある君主ルイ十四世の間,そしてその世継ぎや継承者の間,また両者の王国,諸邦,臣民の間に,ヨーロッパの内外を問わず,普遍的かつ永続的な平和,そして真の誠実な友好が来たるべきである.そしてそれは誠実かつ侵されることなく保たれかつ培われ,一方は他方の利益,名誉,利点を促進し,すべての陣営における誠実なる隣人関係および平和と友好の安定した醸成が日ごとにいや栄え,増すべきである.

第二条〔敵対行為の中止〕
前記大ブリテン女王および前記フランス国王,その臣民の間のすべての敵意,敵対行為,不和,戦争は停止し,放棄され,今後はいずれの側も不正,傷害,害をなすことは注意深く避け,陸上,海上,水上を問わず,世界のあらゆる部分において,そして特に件の国王ないしは女王の王国,国土,領土の全広がりにおいて例外なく,互いにいかなるしかたであれ攻撃し,略奪し,悩ませ,不安に陥れることは控える.

第三条〔免責〕
前述の大ブリテン女王やその臣民,あるいは前述のフランス国王やその臣民が戦争中に互いからこうむったあらゆる加害,傷害,害,損害は完全に忘却されるものとする.そして両陛下もその臣民も,自分でもまた他の者を使ってでも,秘密裏にでも公にでも,直接にでも間接にでも,権利の旗印に基づいてでも既成事実によってでも,いかなる原因や機会によっても,今後決して,いかなる性質のものであれまたいかなるしかたであれ,敵対,敵意,妨害,害意の行為を互いになしたり,命令したり,あるいは逆になされることを許したりはしない.

第四条〔イギリスの王位継承〕
さらに,回復される平和,そして二度と侵されざるべき誠実なる友好をより強固なものとするため,そして大ブリテンの王位の世襲による継承―現女王の子孫に,それがない場合には最もやんごとなき公妃ゾフィア,ブラウンシュヴァイク・ハノーヴァーの太后およびハノーヴァーのプロテスタント系の彼女の跡継ぎに―に関する確立された権利および順位から,そして大ブリテンの法(輝かしい追憶の中にある国王故ウイリアム三世および現女王の治世において作成され,立法化された)によるその制限からいつでも生じかねない不信のあらゆる契機を断ち切るため,そして前記の継承が確かで安定したものにとどまるよう,フランス国王陛下は誠実にかつ厳粛に大ブリテン王国の継承に関する上述の制限を承認し,国王の信義と名のもとに,自分自身ならびにその継承者の名誉にかけて,それを受け入れ,是認すること,その世継ぎと継承者も永遠にそれを受け入れ,是認することを宣言し,約する.そして国王の言葉と名誉による同じ義務のもとに,フランス国王陛下は,自らによってもまたその跡継ぎや継承者によっても,女王自身,そして前記した一連の制限に従ったその継承者以外の者が大ブリテンの国王もしくは女王であると承認されたりみなされたりしないことを約束する.そして前記の承認および約束により十全たる信用を加えるため,フランス国王は故ジェームズ二世の存命中プリンス・オブ・ウェールズの称号,その没後は大ブリテン国王の称号を帯びた人物は最近,自発的に,フランス王国より出国して他の土地に住んでいるが,前述のフランス国王,その世継ぎと継承者はその人物が今後いかなる時にも,いかなる口実のもとにであろうとも,フランス王国やその属領に戻ることがないよう,可能なあらゆる注意を払うことを約する.

第五条〔イギリス王位への不干渉〕
さらに加えて,フランス国王は自らならびにその世継ぎと継承者の名において,いかなる時にも,大ブリテンの女王および前述したプロテスタント系の子孫で大ブリテンおよびその属領の王位につくその世継ぎと継承者に対していかなる擾乱や妨害も加えないことを約束する.前述のフランス国王もその世継ぎの誰一人も,いかなる時にも,直接間接を問わず,陸上海上を問わず,金銭,武器,弾薬,軍需物資,船,兵員,水兵,その他といった方法を問わず,誰であろうと,いかなる理由であれ,いかなる口実のもとにであれ,前記継承に反対しようと努める人物に助力,援助,恩顧,助言を与えない.それは公然たる戦争によるものであろうと,前述した議会立法の効力により大ブリテンの王位にある君主あるいは女君主に対して,あるいは前記議会立法に従って大ブリテン王位への継承権のある君主や女君主に対して動乱を煽動したり陰謀を企てたりすることであろうと同じである.

第六条〔フランスとスペインの王冠の分離〕
この和平によって消し止められるこの上なく破壊的な戦火は主として,ヨーロッパの安全と自由はフランスとスペインの王国が単一の国王のもとに合同しては絶対になりたたないということに端を発していることに鑑み,そして神聖なる大ブリテンの女王陛下の切なる要請を受け,フランス,スペインの両国王の同意のもとに,最も有効な形において起草され,最も厳粛なしかたで執行される〔継承権の〕放棄という手段によって,今後いかなる時にもこの悪を防ぐということに到達した.その文面は次の通りである.
〔挿入文書をスキップ〕

〔フランス国王ルイ十四世によるフランス,スペイン王冠の分離の宣言〕

国王による開封勅許状
スペイン国王のフランス王位継承権の放棄,ベリー公爵〔ルイ十四世の孫〕,オルレアン公爵〔ルイ十四世の弟の子〕のスペイン王位継承権の放棄を認めたもの.
神の恩寵によりフランスおよびナヴァール国王たるルイ.現在いる,そして来たるべきすべての人々にご挨拶申し上げる.戦争のさまざまな変転を通じて,余は国王―余のいとしい最愛の孫―のスペインの王座に対する権利の正当性を維持するためにのみ戦ってきたが,その間,余は平和を望むことをやめたことはなく,この上ない偉大な成功も余の目をくらませることはなかった.そして神の手が余を破滅させるのではなく余に対する試練として用いた逆境は,余のうちにその望みを生ぜしめたのではなく,余のうちにそれを見出したのである.しかし,ヨーロッパの安息のために天なる神が指し示す時はまだ来ていなかった.いつの日か余の王冠とスペインの王冠とが同一の君主の頭に戴かれるというかすかなおそれは,余に対して団結した列強の上に,常変わらぬ印象を与え続けていた.そして,戦争の主たる原因ともなったこのおそれはまた,平和への道のうち勝ちがたい障害を与えているように思われた.実りなき多くの交渉の末,ついに,神もあまりに多くの民の悩みとうめきに動かされたまい,かくも困難な和平へのより確かな道を開きたもうた.しかし,同じ警戒心はいまだ残っており,余の最愛にして親愛なるきょうだいたる大ブリテン女王によって,交渉の不可欠にして必要な土台として余に提案された第一にして主たる条件は,スペイン国王―余の前記きょうだいにして孫―はスペインおよびインディアスの王位を保持しつつ,自らもその子孫も永遠に,その生まれから彼および彼らに与えられるかもしれない余の王冠への権利を放棄し,他方,余のいとしい最愛の孫ベリー公爵および余のいとしい最愛の甥オルレアン公爵は同様に彼ら自身も,その子孫も,男女を問わず永遠に,スペインおよびインディアスの王位への権利を放棄するべきであるというものだった.前記した余のきょうだい〔アン〕は,使節を通じて余に,この点に関する正式かつ確実な保証だけが平和の証文であり,それなくしてはヨーロッパに決して安息はこないこと,それを共有するすべての列強は,同一の君主がいつの日かフランス,スペインほど強大な二つの王国の支配者となるのを目にすることになるくらいなら誰にも終わりの見えない戦争を継続することが彼らの全般的な利益,そして共通の安全のためであることを等しく確信していることを申し立てた.しかし,この女王(全般的な平穏を再建しようとするそのあくことなき熱意は余はいくら称賛しても十分ではない)は,余の子らが―余の父祖たちの遺領を継承するに十分すぎるほどの資質を備えている余の子らが―最近,神のおぼしめしにより余の王家を襲ったような不幸がさらに余から王太子である余のいとしい最愛の曾孫―余の王国全体が正しくも余とともに悼んだ王子たちの最後に残った一人―を取り上げることがあった場合にも,余儀なくしてそれ〔フランス王位〕から除外されるということに余が同意しがたい心情を察していた.彼女は余の苦悩を理解し,平和を確かなものにするためのより穏健な手段をともに模索した結果,余は前記した余のきょうだい〔アン〕と合意に達し,スペイン国王には〔スペイン王位を放棄する代償として〕他の属領〔イタリア各地の所領〕を―彼が〔現在〕有しているものに比べ実に貧弱なものではあるが,その価値は彼の治世においてずっと増大するであろう―提案することにした.ただし,彼は彼の権利を保持し,彼がいつの日か余の王冠を継承することがあった場合,前記属領の一部を余の王冠に併合するものとする.したがって,余はこの代案を受け入れるようこの上なく理を尽くして説得に努めた.余は彼に,彼がまず顧慮しなければならないのは生得の義務であることを理解させようとした.彼はスペインに義務を負う以前に自分の王室に,祖国〔フランス〕に身を捧げる義務があることを.この第一の責任にもとるようなことがあれば,おそらくはある日,もはや主張すべくもなくなった権利をかつて放棄したことを無駄に嘆くことになるであろうことを.これらの理由に加え,彼の気持ちを動かすだろうと思った友情とこまやかな愛情という個人的な動機を付け加えた.彼に提供された属領の近さから期待できる余が彼をたびたび間近に見,日々の一部を彼とともに過ごすことのできる喜びを,そして余の国務の状態について余自ら手ほどきをし,将来彼を頼みにできる満足を.そうすれば,もし神が余に王太子を残したもうなら,余のきょうだいにして孫〔ベリー公〕の治める余の王国に,施政の術の手ほどきを受けた摂政を与えることができる.そしてもしこの子供が,余にとって,そして余の臣民にとってかほども貴重なこの子供までもが余から取り上げられた場合には,余は少なくとも余の民に,彼らを治めるにふさわしい有徳の国王を残し,その上余の王冠にかなりの属領を併合するという慰めをもつことができる.あらん限りの力をもって,そして息子―彼をフランスのために残しておこうと余がかほどに努力するのも十分値する資質のある―を説得するのに必要なあらゆるこまやかな愛情をもって繰り返された余の要請が引き出したのは,繰り返される拒絶でしかなく,彼は彼の王冠が最もゆらいでいた局面において彼に対する際立った熱意を見せた勇敢にして忠実な臣民を見捨てるつもりはないのだった.その結果,彼は最初の決意のうち勝ちがたい堅さを貫き通し,さらに余が迫っていることよりもそのほうが余の王家,余の王国にとってより輝かしく,より利益になるのだと主張して,その目的のためにマドリードに集まったスペイン王国の等族会議〔コルテス〕において宣言した.すなわち,全般的な平和を実現し,勢力均衡によってヨーロッパの平穏を確かなものにするため,彼は自発的に,自らの自由意思により,いかなる拘束も受けずに,自分自身もその世継ぎや継承者も,未来永劫に,彼あるいはその子孫が現在もっている,あるいはいつの日にかもつかもしれない,余の王冠の継承に関するあらゆる主張,権利,資格を放棄する.その継承からは自分自身,その子,世継ぎ,そして子孫たちは永遠に排除されたものとみなす.彼は自分自身についても彼らについても,現在も彼らたちの時代にも,彼の権利,そしてその子孫の権利は,王子たちのうちから前記した余のきょうだいにして孫であるスペイン国王およびその子孫がいなかった場合に継承の法と生まれの順番により余の王冠の継承を求められる,あるいは求められるべき者に譲渡され,移譲されるべきである.このことは彼の王国の等族会議によって承認される〔継承権〕放棄の証書においてより十全な形で定められている.そして結果として,彼は特に,余がスペイン国王およびその子孫が実際に余の王国に居住していた場合と同じように常にその生得の権利を保持するべきであると宣言した一七〇〇年十二月の月の余の開封勅許状によって彼の生得権に加えられた権利,そして余の前記開封勅許状の高等法院およびパリの記録室における登録を放棄すると宣言した.余は国王として,また父として,余の王家,そして余の王冠の古来からの継承順位にあまりにも大きな変更をもたらす権利放棄なしで全般的な平和が締結されることがいかに望ましいかをひしひしと感じている.しかし,余は,余の臣民に対し,彼らにとって絶対に必要な平和をすみやかに確保することが余の義務であることをそれ以上に強く感じている.長く続いた戦争中,民が払った努力のことは決して忘れないであろう.戦争をここまで支えてこられたのも彼らの熱意が国力よりもはるかに強力であったからである.かほどに忠実な民の幸福は余にとって至上の法であり,他のいかなる事情よりも優先されなければならない.余が今日この日,かほどにいとしい孫の権利を犠牲にするのは,この法のためにほかならない.そして全般的平和のために余のこまやかな愛情が払う代償によって,余は少なくとも,余の臣民に,余の身内を犠牲にしてまでも,民こそが余の心のうちで第一の場所を占めるということを示すという慰みをもつことであろう.
これらの理由,そして余をそれに向けて動かす他の重要な考慮から,余の評議会において,去る十一月五日のスペイン国王―余の前記きょうだいにして孫―の前記放棄証書,また余のきょうだいにして孫たるスペイン国王の放棄の結果,余の前記孫ベリー公爵および余の前記甥オルレアン公爵がそれに対して自らもその男女の子孫もスペイン王位への権利を放棄するとした放棄証書を検討した.その全体は一七〇〇年十二月の月の前記開封勅許状の校合した写しとともに本文書に添付されている.余の法務部の副捺印,余の特別の恩寵,全権,国王たる権威のもとに,余は宣言し,定め,規定〔することに〕したものであり,余の手によって署名された本状により,宣言し,定め,規定する.余の前記きょうだいにして孫たるスペイン国王の前記放棄証書および余の前記孫ベリー公爵および余の前記甥オルレアン公爵の放棄証書は,世が認めることにし,認めるものであり,その形式と趣意に従ってそれが執行されるべく,余の王国および必要となる他のすべての場所におけるすべての高等法院,記録室に登録されることが余の望みであり,喜びである.その結果として,一七〇〇年十月の月の余の前記開封勅許状は,はじめから作られなかったかのごとくに無効であり,そうあり続けること,それが余のもとに戻されること,前記開封勅許状の登録原本が存在する余の前記高等法院ならびに余の前記記録室の登録簿の余白には,前記勅許状の撤回および無効性に関する余の意図をより確実に示すため,本状の抜粋が書き込まれ,挿入されることが余の望みであり,意図である.余の前記きょうだいにして孫たるスペイン国王の前記放棄証書にしたがい,彼は今後余の継承からは除外されたとみなされ,考えられるものであり,その世継ぎ,継承者,子孫も同様に,永遠に除外され,それを享受することはできないものとみなされることが余の望みである.彼らがなくなった今,ある時点で彼らに属し,付随するかもしれない余の前記王冠に対するすべての権利ならびに余の属領への継承権は余のいとしい最愛の孫ベリー公爵および法的な婚姻において生まれる男子の子孫に移譲されたものでありそうあり続ける.そしてそれらがない場合には,その生得の権利によって,あるいは余の王朝の発足以来確立された秩序によって余の王位を継承すべきである余の王室の王子たちおよびその子孫たちに.したがって,余は余の敬愛し,信頼する顧問官ら,余のパリの高等法院の構成員らに命ずる.本状を,余の前記きょうだいにして孫スペイン国王,余の前記孫ベリー公爵,余の前記甥オルレアン公爵によって作成された放棄証書とともに,読み上げ,公表し,登録し,その内容がその形式と趣意に従って完全に,平和裡に,恒久的に保管され,遵守され,執行されるようはからい,それに反するいかなる法,制定法,慣行,慣習,裁定,規定その他の事項があろうとも,あらゆる妨害,障害を停止させ,また停止するようはからうべし.それについては,そしてそれらに含まれる〔本状の〕無効化の無効化については,余は本状によりこの目的のためだけに,先例とされることなく無効と〔することに〕したものであり,無効とする.それが余の喜びだからである.
そしてこれが確固として永続する事項となるよう,余は余の印章を本状に捺さしめた.ヴェルサイユにて,主の年一七一三年,余の治世七十年の年,三月の月に作成.署名,ルイ.そして下に,国王〔の命〕により,フェリポー.ヴィサ・フェリポー.そして緑の蝋の上に国璽をもって,赤と緑の絹のひもとともに封される.

集会した法廷のもとで,読み上げられ,公表され,法務部の保管文書のうちに登録され,国王の法務長官が,この日の裁決に従って,それらがその形式および趣意に従って遂行されるよう発言し,提議した.パリにて,高等法院において,一七一三年三月十五日.
   (署名)   ドンゴワ

〔スペイン王フェリペ五世によるフランス王位継承権の放棄〕

国王

本年一七一二年十一月五日に,私の国務大臣にしてカスティリアおよびレオンの王国の主席公証人たるドン・マヌエル・デ・ビディロ・イ・ベラスコならびに証人たちの前で,私は次の文面の公文書を交付し,宣誓し,署名した.それは一字一句以下に掲げられる.

ドン・フェリペ,神の恩寵によりカスティリア,レオン,アラゴン,両シチリア,エルサレム,ナバラ〔ナヴァール〕,グラナダ,トレド,バレンシア,ガリシア,マヨルカ,セビリア,サルディニア,コルドバ,コルシカ,ムルシア,ハエン,アルガルヴェ,アルヘシラス,ジブラルタル,カナリア諸島,インディアス,および大洋の島々と陸地の国王,オーストリア大公,ブルグント,ブラバント,ミラノ公爵,ハプスブルク,フランドル,ティロル,バルセロナ伯爵,ビスケーおよびモリノ卿等々.権利放棄と返上の文書および書き付けの説明および情報により,現在ある,そして将来あるであろう国王,君主,権力者,共和国,共同体,個々人に知らしめる.

スペインおよびフランスの王冠ならびにイングランドの王冠の関係は,一連の和平条約の主要な局面の一つであり,和平を確固として永続的なものにし,勢力の均衡によってヨーロッパ全体の福利と平穏を永遠に確かなものにするとの方針の上に全般的な平和へと前進するために重要である.諸国が一つに連合して均衡のバランスが一国の優位に転じたり,他国の危険と国難に転じたりすることがないよう,イングランドによって提案,主張され,私の側,そして我が祖父たる国王の側からも合意された.すなわち,いかなる時にもこの王朝とフランスの王朝との連合を避け,いかなる場合においてもそうした事態になることを避けるため,私によって,私のすべての子孫をも含めて,フランスの王朝を継承する可能性に対する,そしてそれら〔フランス〕の王子たち,そして現在ある者とこれから来たる者を含めたその全種族の側からはこの〔スペインの〕王朝を継承する可能性に対する,相互的な権利放棄がなされるべきである.我が王朝,そしてかの王朝の二つの王家により,互いの王位の継承について主張されるかもしれないすべての権利を放棄する適切な計画を立てることによって,私の権利放棄という法的な手段によって私の家系をフランス王家の本家から切り離し,フランスのすべての家系をスペインの血族王家の本家から切り離すことによって,同時に,ヨーロッパにおける勢力均衡という根本的かつ永遠の方針(それは考えられるあらゆる場合においてフランスの王朝のスペインの王朝との連合を回避する根拠となり,それを正当化する)に従って,私の世継ぎがなかった場合に,この〔スペイン〕王朝が再び,帝国の連合がなくてもその支配地と付属領だけでも脅威になるオーストリア家に相続されるようなことが起こらないよう―かつてオーストリア家の世襲領地をスペイン王室の本体から分離することを正当化した動機にほかならない―注意を払うことによって,この目的のためにイングランドと私,そして我が祖父たる国王とによって,次のことが合意され,決着された.私,そして私の世継ぎ亡きあとは,サヴォイ公爵およびその息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫がこの王国の王位を継承することになる.そしてその男系子孫がない場合には,カリニャンのアマデオ公およびその息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫が,そしてその系列がない場合には,カリニャン公の弟トマス公,その息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫が,フェリペ二世の娘ドナ・カタリナ内親王の子孫として,そして明示的に名指されることで,明確にして周知の権利を有する.それは友好と恒久的な同盟を前提とし,サヴォイ公爵およびその子孫はそれをこの王冠から得るべく努めるものとする.この恒久的にして絶えることのない希望によって均衡の針は不変に保たれ,数々の戦闘の苦難と無常に倦んだあらゆる列強が友愛のうちに等しく平静のうちに保たれることが信じられ,破棄あるいは離脱といったいかなる契約によってもこの諸国の連合による平衡を変えることは,どの締約国の裁量にも許されないものである.その承認を促したのと同じ理由がその恒久性を実証しているものであるからである.それは形成されつつある基本体制となり,不変の法則によって来たるべきことの継承を解決することになるだろう.上で述べたことの結果として,そして私がスペインの人々に対して抱く愛情のため,そして私が彼らに対する恩義を知っており,そして彼らの忠誠心を幾度となく経験したことから,そしてこうして運命に身を委ねることによって私をこのように輝かしく有為の家臣のうちに王座につけ,維持したもうた大恩に対し天なる神に恩返しをするため,私は私自身ならびに私のすべての子孫の名において,フランス王委への継承権を放棄する決意をした.私の最愛にして忠実なスペイン人たちのうちに生き,そして死ぬことをやめないことを望んでおり,私の子孫すべてに彼らの忠誠と愛情の分かちがたいきずなを残すつもりである.そしてこの決意がしかるべき効果をもつよう,そしてこれまでヨーロッパをさいなんできた戦争の主たる動機とみなされてきた問題が終結するよう,私ドン・フェリペ,神の恩寵によりカスティリア,レオン,アラゴン,両シチリア,エルサレム,ナバラ〔ナヴァール〕,グラナダ,トレド,バレンシア,ガリシア,マヨルカ,セビリア,サルディニア,コルドバ,コルシカ,ムルシア,ハエン,アルガルヴェ,アルヘシラス,ジブラルタル,カナリア諸島,インディアス,および大洋の島々と陸地の国王,オーストリア大公,ブルグント,ブラバント,ミラノ公爵,ハプスブルク,フランドル,ティロル,バルセロナ伯爵,ビスケーおよびモリノ卿等々は,己自身の動機,〔そして〕自由にして自発的,強制されざる意思により,本文書によって,フランスの王位継承に関して私がもつ,あるいは私の子孫のいずれかが現在もつ,もしくは将来のいつかもつかもしれないあらゆる主張,権利,肩書きを私自身そして私の世継ぎと継承者について,未来永劫,放棄し,手放し,棄て去るものである.そしてフランスの王位を継承する行為および権利について,私自身は除外され,分離されたものと,また私および私の息子たち,世継ぎや子孫たちは永遠に,絶対的に,限定なく,人,等級,性別,時代による差異や区別もなく,除外され資格を失ったものと宣言し,そのようにみなすものである.そして私は私自身および私の前記子孫の名において,現在もその時点でも,フランス王位継承権が,私および彼らが除外され,資格を失い,不能となった状態で,その死によって王位が空位となる国王の次の親等で最も近い人物に譲渡され,移譲されたものとみなされることに同意する.そして前記フランス王位への継承は,いかなる時点においても,いかなる場合においても,その人物の上に決着され,与えられるものである.同人は,私および私の子孫が生まれなかったかのごとく,またこの世にいなかったかのごとくに真実にして合法的な継承者であるとされ,みなされる.我々はそのようにみなされ,考えられるべきである.それというのも,私自身および私の子孫たち自らが,能動的または受動的な申し立て,祖先,有効で実質,血統,資格を主張しうる家系の連続性について考慮したり,それを論拠としたりすることは決してないからであり,またそれらの人物の出自や親等数が我が主にして祖父たるフランス国王から,あるいは我が父〔故〕フランス王太子,あるいはその父祖たる輝かしい国王たちから導かれることもないからであり,また他のいかなる手段によっても彼らが継承に至り,親等の近さを占有して上述したように次位であるべき人物を排除することはないからである.私は,私自身および私の子孫の名において,この現時点より,またその時点でも,この権利は我が弟ベリー公およびその息子や忠実な合法的な婚姻によって生まれた子孫に譲渡され,移譲されたものとみなされ,考えられることを望み,同意する.そしてその男系子孫がない場合には,我が叔父〔祖父の甥〕およびその息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫に.そしてその子孫がない場合には我がいとこブルボン公およびその息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫に.そして同じようにして順次あらゆるフランス親王およびその息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫に,未来永劫,その生得の権利によって王位に召されるべき地位と順序に従って渡るものとする.その結果,前記親王たちのうち,(私および私の前記子孫が上述したように除外され,資格を失い,不能となっているために)その死によってフランス王位の空位が生じる国王に最も近い次の親等にある人物にということであり,いかなる時点においても,いかなる場合においてもということであり,継承権はその人物に属し,彼は私および私の子孫が生まれなかった場合と同じに真実にして合法的な継承者としてその権利を有する.そして前記フランス王位の継承に関して私および私のすべての息子と子孫にまつわるすべての権利と肩書きを放棄する本証書をより強力なものとなすため,私は特に,我が祖父たる国王がフランス王位の継承権を私のために保存し,留保してくれ,私が享受できるようにしてくれた一七〇〇年の十二月にヴェルサイユにて発送され高等法院において通過され,承認され,登録された開封勅許状または文書によって生得の権利に加えて生じるかもしれない権利を手放し,棄て去るものである.私は,その中で定められている目的のための基礎としてそれが供され得ないことを望み,それを拒絶し,放棄し,無効であり,何らの効力ももたず,抹消されたものであり,あたかもそのような文書が作成されなかったかのようにみなす.私は国王の名の信義のもとに,私および現在いる,あるいはこれから来たるべき私の息子や子孫に関する限り,この文書の遵守と完遂のために注意を払い,直接間接を問わず,全体であろうとその一部であろうとそれに反するいかなることも許可したり同意したりしないことを約束し,責任を負うものである.そして私は,既知のものであろうと未知のものであろうと,通常のものであろうと異例なものであろうと,一般的な権利または特別な特権によって私や私の息子,子孫に属するかもしれない,上述したことに反することを要求し,言及し,あるいは主張するようなすべての,そしてすべての種類の回復手段を棄て去り,手放すものである.そして私はそれらをすべて放棄する.そして特に,明らかに不利である,甚大で,この上なく甚大であることが,前述した王位を継承する権利をいかなる時点においても棄て去り,放棄する本文書において生じたと考えられる.私は,前記したいかなる回復手段も,あるいは他の手段も,いかなる名,用途,重要性,性質のものであろうとも,我らを利することなく,また利することができないことを望む.そして実際にもし,今後いかなる時にでも,いかなる旗印の下であろうとも,我らが前記王国を武力によって,攻撃的・防衛的を問わず戦争を起こすことによって奪取せんと努めることがあれば,それは不法にして不正であり,理不尽にも行なわれた戦争であり,理性と良心に反する暴力であり,侵略であり,簒奪であるものとみなされ,判断され,宣言されるものである.他方,私と私の前記息子や子孫の除外によって前記フランス王位を継承すべき人物のために行なわれる戦争は公正で,合法的で,許された戦争であると判断され,考えられるものである.その人物に,その地の臣民および住民は尽くすべきであり,従うべきであり,忠節の誓いをし,実践すべきであり,彼らの合法的な国王であり領主として仕えるべきである.そして私および私の前記息子と子孫についての譲渡と放棄は,永久に未来永劫,確固として変わることなく,有効で,撤回不能なものである.そして私は,公にも内密にも,それに反する,本文書に含まれることの効力を妨げ,あるいはその効果を減ずるような断言や主張をしたことはなく,これからもしないことを宣言し,約束する.そしてもし私がそのようなことをしたとしたら,宣誓のもとに述べられたとしても,それは有効ではなく,いかなる効力をももちえないものとする.そしてこの放棄証書に含まれること,そしてそこにおいて私の側から述べられ,約束されていることをより強化し,確かなものにするため,改めて私の信義と王としての言葉を誓いとして与える.私は,私の右手を乗せたこの祈祷書に含まれる福音にかけて厳粛に誓う.私は,私自身も私のすべての継承者,世継ぎ,子孫についても,この権利放棄の証書および文書を,それに含まれるすべての節について,最も自然で,文字どおりの平易な意味と解釈において遵守し,維持し,完遂する.私はこの誓いから解放されるよう努めたことはないし,今後努めることもしない.そしてある個人によってそれが求められたとしても,あるいは教皇自発教令が認められたとしても,それを行使することはなく,いかなる形で利用もしない.のみならず,それが私に認められたような場合には,私はもう一つの同様な誓いを立て,私に何度〔宣誓からの〕解放が認められようとも常にその上にそれを越えてもう一つの宣誓が行なわれ,そのようにあり続けることだろう.そして私はこの文書を同席している書記官,この私の王国の公証人の前で交付する.私はそれに署名し,私の王璽によって封するよう命じた.そこに証人として呼ばれ,立ち会うのは次の通り.枢機卿ドン・フランシスコ・デ・フディス―宗教裁判所長にしてモントリオール〔?〕大司教,国務評議会の一員―,ドン・ホセ・フェルナンデス・デ・ベラスコ・イ・トバラ―カスティリア城代,フリアス公爵,私の官房付き侍従,私の王室家政長官,献酌官長,狩猟長官―,ドン・フアン・カルロス・アルフォンソ・ペレス・デ・グスマン・エル・ブエノ―メディナ・シドニア公爵,精霊騎士団の騎士,私の主馬頭,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員―,ドン・フランシスコ・アンドレス・デ・ベナビデス―サンティステバン伯爵,私の国務評議会の一員,王妃の家政長官―,ドン・カルロス・ホモデイ・ラコ・デ・ラ・ベガ―アルモナシル侯爵,カサ・パルマ伯爵,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員,王妃の主馬頭―,ドン・レスタイノ・カンテルモ―ポポリ公爵,精霊騎士団の騎士,私の官房付き侍従,私のイタリア人近衛騎兵隊の隊長―,ドン・フェルナンド・デ・アラゴン・イ・モンカダ―モンタルト公爵,ロス・ベレス侯爵,モンテサ騎士団におけるシッラとベナスルの分領団長,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員―,ドン・アントニオ・セバスチャン・デ・トレド―マンセラ侯爵,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員,そしてイタリアの国務評議会議長―,ドン・フアン・ドミンゴ・デ・ハロ・イ・グスマン―聖ヤコブ〔サンティアーゴ〕騎士団における大分領団長,私の国務評議会の一員―,ドン・ホアキム・ポンセ・デ・レオン―アルコス公爵,私の官房付き侍従,カラトラバ騎士団における分領団長,私の国務評議会の一員―,ドン・ドミンゴ・デ・ジュディス―ジョベナッソ公爵,私の国務評議会の一員―,ドン・マヌエル・コロマ―カナレス侯爵,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員,スペイン砲兵隊の大将軍―,ドン・ホセ・デ・ソリス―モンテラノ公爵,私の国務評議会の一員―,ドン・ロドリゴ・マヌエル・マンリケ・デ・ララ―フリギリアナ伯爵,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員,インディアスの国務評議会の議長―,ドン・イシドロ・デ・ラ・クエバ―ベドマル侯爵,精霊騎士団の騎士,私の官房付き侍従,私の国務評議会の一員,騎士団評議会の議長,陸軍長官―,ドン・フランシスコ・ロンキロ・ブリセノ―グラメド伯爵,私のカスティリア評議会の総裁―,ドン・ロレンソ・アルマングアル―ヒロンダ司教,私のカスティリア評議員にして官房付き侍従,歳入評議会の総裁―,ドン・カルロス・デ・ボルハ・イ・センテラス―インディアスの総大司教,私の騎士団評議会の一員,私の礼拝堂付き司祭にして施物分配長,私の軍隊の司教総代理―,ドン・マルティン・デ・グスマン―モンテアレグレ侯爵,私の官房付き侍従,私の近衛鉾槍隊の隊長―,ドン・ペドロ・デ・トレド・サルミエント―ゴンドマル伯爵,私のカスティリアの官房付き侍従―,ドン・フランシスコ・ロドリゲス・デ・メンダロスケタ―キリスト教信仰団の首席代表―,そしてドン・メルヒオル・デ・アベラネダ―バルデカナス侯爵,私の陸軍評議会の一員,スペイン歩兵隊の長官―.
        私こと国王

私ドン・マヌエル・デ・バディロ・イ・ベラスコ―聖ヤコブ騎士団の騎士,カラトラバ騎士団のボスエロ分領団長,陛下の国務大臣,その王国および属領の公式公証人にして筆記官―は発行および上記で述べられている残りすべてに立ち会ったものであり,ここにそれを証明する.そしてその真実の証としてそれに署名して私の名をそれに付した.マドリードにて.一七一二年十一月五日.
        マヌエル・バディロ・イ・ベラスコ

今,ここに挿入されている前記文書において言及されているそれぞれの協定に関し,そして関係する,そしてその内容を利用する権利をもつすべての当事者に正式な形で届けられるよう,そして正しくなされるべきこと,その発行から導かれることがすべてそこに含まれる節,条件,想定のもとに実施されるよう,私は本状が作成され,私の手で署名され,私の国王の紋章によって封され,私の下記の国務大臣にしてこれら私の王国における主席公証人によって副署されるよう命じた.ブエン・レティーロにて.一七一二年十一月七日.
        (捺印場所)私こと国王
        マヌエル・デ・バディロ・イ・ベラスコ


集会した法廷のもとで,読み上げられ,公表され,法務部の保管文書のうちに登録され,国王の法務長官が,この日の裁決に従って,それらがその形式および趣意に従って遂行されるよう発言し,提議した.パリにて,高等法院において,一七一三年三月十五日.
   (署名)   ドンゴワ


私ドン・フランシスコ・アントニオ・デ・キンコセス―聖ヤコブ騎士団の騎士,陛下の評議会の一員,その室の評議会の秘書官,カスティリアの国務評議会の書記官,陛下の王国および属領における公式公証人にして筆記官―は以下の通り証明する.
我が主たる国王(神の加護を)が投票権をもつすべての都市および町の騎士代理人が代表するコルテス〔等族会議〕に集まった王国構成員に対して本年本月の五日にブエン・レティーロの王宮にてなした提案に従い,そして同年同月同日陛下がそのすべての王国と属領における国務大臣にして公式公証人・筆記官であるドン・マヌエル・デ・バディロ・イ・ベラスコの前で発行し,彼に提出を命じ,王国構成員がこのためだけに開催したコルテスの会議において読み上げられ,公表された権利放棄の文書を目にした上で,次の決議が採択された.
王国構成員は陛下のみ足のもとにひれ伏し,この上なく謙虚な陳情において,この上なく忠実な封臣の最大の福利と利益のことを考え,この王国にこの望まれた平和と平穏の結果を獲得することによって,スペインの国民に名誉を与え,その威光を高めたはかりしれない恩恵と限りなく大いなる厚意とに対する感謝を申し上げる.そして王国構成員は彼らの側からも陛下の国王としての意図を達成するのに貢献することを望みつつ,以下のことに同意し,そしてその権威,有効性,効力を強めるのに必要とあらば承認し,確認する.@陛下がご自身ならびに王家のあらゆる子孫の名において,フランスの王室において起こるかもしれない継承についてなされた権利放棄.ただし,その前提として,我が国の王位についての同様の権利放棄がかの王家の王子たちおよびその子孫たちによってなされるものとする.A同様にオーストリア家はこの王室の属領から永久に除かれること.B陛下の子孫なき場合(そのようなことがなからんことを),サヴォイ公爵家およびそのすべての息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫が,そしてこの系統がすべてない場合にはカリニャンのアマデオ公,その息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫が,それもない場合には前記カリニャン公の弟トマス公,その息子および忠実な合法的な婚姻によって生まれた男子の子孫が,フェリペ二世の娘ドナ・カタリナ内親王の子孫として,そして明示的に名指されることで,明確にして周知の権利を有すること.それは我が国の王位との友好と恒久的な同盟を前提とし,サヴォイ公爵およびその子孫はそれを得るべく努めるものとする.そして王国構成員はこれら三つの事項をすべて,そのそれぞれは先に触れられ,言及された陛下によってなされた権利放棄の前記文書において表現され,含意され,締結されている通りの同じ資質,条件,想定をもつものとして承認し,同意し,批准する.そして最後に,これらの条約の効力を確かなものとして確立するために,これらの王国は,そのあらん限りの権力と力をもって,その血の最後の一滴までも陛下のおんために奉仕し,忠誠のしるしとしてその生命と財産を陛下に捧げ,陛下のご決意が維持されるようはからう義務を負うものである.そして陛下のご采配ならびに王国構成員の同意が永遠に記憶され,遵守されるべく,彼らの名において(実際に同じ今月九日の申し立ておよび協議によってすでに要望し,請願したように)前述した権利放棄,オーストリア家の我が国の属領からの永久的な除外,そして陛下の子孫なき場合(そのようなことがなからんことを)これらの王国の継承がサヴォイ家に渡ることについて,それに反することがわかったあらゆることを無効とすることによって,それが基本法として確立されるよう,陛下が命令されんことを要望する.この三点については,王国構成員は,陛下の賛同のもとに,この王国の最大の福利と利益がかかった基礎であり,陛下のご慈悲によってかくも追求され,奨励され,高められたものとして現在すでに同意している.
そして我らの主国王は,この王国構成員のコルテスにおける騎士代理人たち全員の全会一致による一様な決議および申し立てに同意され,今月十七日の勅令によって,この最高評議会にそれが権利放棄の書面とともに上程されるようお命じなり,それがより永久に犯されることなく遵守されるよう明確さと有効さの面であらゆる条件をととのえてただちに法律の文面が起草され,拡張され,処置されるものとされた.
上述したことはより十分な形で前述の文書,王国構成員の決議および嘆願書に表わされており,それを参照されたい.そしてこの証明書は,私の手で署名され,陛下の国王の紋章の印章で封された形で,王命によりマヘラダおよびブレナ侯爵―陛下の評議会の一員,官房侍従,国務大臣,文書送達官―の書類中に与える.マドリードにて,一七一二年十一月九日.
        (捺印場所)ドン・フランシスコ・デ・キンコセス


〔ベリー公のスペイン王位継承権の放棄〕
シャルル,フランス王子,ベリー,アランソン,アングレーム公爵,ヴェルノン,レザンドリ,ジソール子爵,コワニャックおよびメルパンの城主領の領主.現在いる,そして来たるべきすべての国王,君主,共和国,共同体,そして他のあらゆる機関および個人に知らしむべし.ヨーロッパのすべての列強は,国境に,そして最も豊かな諸王国の奥地の多くにも荒廃をもたらした現在の戦争のために破滅に瀕しており,英国と交渉中の和平の会談および条約において,諸王国の間で均衡ならびに政治的な境界線を確立することが合意された.その利害こそが血なまぐさい抗争の悲しむべき契機であり,またそうあり続けている.そしてこの平和を保つため,基本的な方針として,これらの王国の軍勢が恐るべき強さになることなく,いかなる猜疑心を起こすものにもならないような枠組みがつくられることが合意された.そのためには,それらが領土を拡張するのを妨げ,弱小国が団結してより強力な国から身を守ることができ,また互いに同等な国に対して自衛できるようなある比率を維持するのが最も確実に解決する道である.
この目的のため,余の名誉ある主にして祖父たる国王および余の最愛の兄たるスペイン国王は,英国女王との間で,フランスおよびスペインの王室の現在いる,また来たるべきあらゆる王子が,互いの王国の継承に関してそれぞれに付随しているかもしれないあらゆる権利を相互に放棄すべきことで合意し,締結した.そのため,スペイン王位の継承についての習慣的な権利を,この目的のために会するスペインの等族会議によって権利を有すると定められ,余の兄フェリペ五世の次の順位であると宣言される家系に確定し,ヨーロッパにもたらされるべき均衡を維持するための動かしがたい重しがつくられ,予見される連合のあらゆる場合を列挙して起こりうるあらゆるそのような場合の例となるようにする.余の最も名誉ある主にして祖父たる国王,余の兄フェリペ五世,英国女王の間で同様に,前記国王フェリペは自分自身についても,あらゆる子孫についても,フランス王位を継承する可能性を放棄するものとし,余の側では余は,余についても,余の子孫についても,スペイン王位について同様にし,余の最愛の叔父たるオルレアン公爵も同じことをすることが合意され,締結された.これによりフランスおよびスペインのあらゆる系統はそれぞれ互いに,フランスの家系がスペイン王位に関してもつかもしれないあらゆる権利,そしてスペインの家系がフランス王位についてもつかもしれないあらゆる権利から,永遠に,あらゆる面において除外される.そして最後に,前記権利放棄を口実として,あるいは他のいかなる口実のもとであっても,オーストリア家は,それがスペインの王朝の継承に関してもっているかもしれない主張を利用することはできない.この王朝を同家の世襲の国土ならびに属領に併合することによって,同家が帝国の合同なくしても,両国の間に位置し,包囲されているような状態になる列強にとって脅威にからである.そのようなことになれば,現在キリスト教世界の平和をより完全に確かなものにし,強化し,北方および西方の列強からあらゆる形の猜疑心を取り除こうとしている対等性を破壊するであろう.そのような対等性こそがこの政治的な均衡によって,提案されている目標なのである.そのため,これらすべての家系を排除し,除外し,スペイン王位には,余の兄フェリペ五世およびそのすべての子供および子孫の系列がない場合には,フェリペ二世の娘カタリナ内親王に由来するサヴォイ公爵家が招かれる.前記サヴォイ家をこのようにして次位として継承させることによって,火をつけられ,何もかも破壊しつくしかねない戦争の惨禍を消し止めるために欠くことのできないこの対等性および三列強間の均衡が,ちょうど中心で支えられているかのように安定するだろうと考えられたからである.
それゆえ,余の放棄によって,そして余,余の継承者と子孫についてすべての余の権利を放棄することによって,普遍的な安息を確立し,ヨーロッパの平和を確かなものとするのに協力することを望むものであり,それは余はこの方法が現在の局面の恐ろしい状態においては最も確かにして有効な方法であると信ずるからである.よって余はスペインの王位を継承する可能性,そしてそれについての余に帰属する,また帰属するかもしれない権利をいかなる称号,手段のもとであろうとすべて放棄することを決意した.そしてこの決意が完全に効力をもつため,そしてまた余の兄フェリペ五世が彼の側においても本十一月五日,フランス王位の放棄をなした理由により,余は余の純粋に自由にして率直な意思により,上述した動機のほかにはいかなるおそれによっても,また他のいかなる観点からもせき立てられることなく,宣言する.余は現時点より余自身,スペインの王位を継承するあらゆる行為およびあらゆる権利について,余の子供たち,子孫たちは永遠に,絶対的に,限定なく,人,等級,性別による区別なく,除外され資格を失ったものと宣言し,そのようにみなすものである.余は余,余の子供たち,余の子孫たちについて,以下の通り望み,同意する.現時点より,そして永遠に,余も彼らも,本状の結果として,それぞれいかなる親等のものであろうとも,他方のオーストリア家のすべての子孫がすでに述べ,前提としたようにやはり除外されるべきであるのと同様に,除外され,資格を失ったものとみなされ,継承が我らにまわってきたとしても,余の系統,余のすべての子孫の系統は,すでに述べたように他方のオーストリア家のすべてと同様に,その王位から分離され,除外されるべきである.この理由により,スペイン王国はそのような場合にいかなる時点でも王位が相続され,移譲されるべき人物に相続され,移譲されたものとみなされ,余はその人物を真実にして合法的な継承者とし,みなす.なんとなれば,同じ理由と動機により,そして本状の結果として,余も余の子孫ももはや能動的または受動的な申し立てのいかなる基礎をも有するとは考えられず,有効で実質,血統,資格を主張しうる家系の連続をなすものとも考えられず,また同様に余の最も名誉ある貴婦人にして祖母たるオーストリア〔家〕のマリー・テレーズ〔ルイ十四世妃となったスペイン王女〕および余の最も名誉ある貴婦人にして曾祖母たるオーストリア〔家〕のアンヌ王妃〔ルイ十三世妃となったスペイン王女〕,あるいはその祖先たる栄光ある国王たちの血を引いていることによりいかなる権利も得てはいないからである.むしろ,余は彼らの遺書や前記の余の祖母および曾祖母たる王妃たちによってなされた権利放棄を認め,余は同様に,上述のことにもかかわらずフェリペ五世の系統がない場合にスペイン王位の継承を余にもたらすカルロス二世国王の遺書によって余に,また余の子供や子孫に属するかもしれない権利を放棄する.それゆえ,余は余,余の子供,子孫の名においてこの権利を棄て去り,またそれを放棄するものである.余は余,余の前記子供や子孫の名において,余の持てる限りの力を用いてこの本状が履行されるようはからい,直接間接を問わず,全体だろうと部分だろうと,それに違反されることを許したり認めたりしないことを約束し,約するものである.そして余は通常のものであろうと異例なものであろうと,一般的な権利または特別な特権によって余,余の子供,子孫に属するかもしれないすべての手段を放棄する.そうした手段を余は同様に,絶対に,かつ特別に放棄する.明らかな,甚大な,そしてこの上なく甚大な不利が,前記したスペイン王位の継承の放棄に見られる.そして余は,前述の手段がいかなる効果ももちえないように,またこの口実のもとに,もしくは他のいかなる旗印のもとにおいてでも余が武力によって前記王国を奪取することがあれば,余が起こした,あるいはきっかけとなった戦争は不正であり,不法であり,不当に行なわれたものとみなされることを望む.そしてむしろ,この権利放棄によってスペイン王位を継承する権利をもつ人物によって余に対してなされた戦争は公正で,許されるものであるとみなされる.そしてスペインのすべての臣民および人民がその人物を彼らの国王であり合法的な領主として承認し,従い,守り,恭順を示し,忠節を誓うことを望む.
そして余が余自身について,そして余の子供や子孫たちの名において言い,約束するすべてのことをより確かなものとするために,余は余の右手を乗せたこの祈祷書に含まれる福音にかけて厳粛に誓う.余はすべて,そしてあらゆる部分においてそのことを守り,維持し,履行するものであり,それから解放されることを求めることもせず,誰かが余のためにそれを求めたとしても,あるいはそれが教皇自発教令によって余に認められたとしても,余はそれを行使したり,利用したりはしない.しかし,むしろ,それが私に認められたような場合には,私はその上にさらに別の誓いを立て,私に何度〔宣誓からの〕解放が認められようともこのことは続き,変わらぬことであろう.余は同様に,公にも内密にも,本文書に含まれることを妨げ,あるいはその効力を減ずるようなこれに反するいかなる断言や主張もなしたことはなく,今後もなさないことを誓い,約束する.そしてもし余がそのようなことをしたとしたら,いかなる宣誓を伴っていたとしてもそれはいかなる力も効力ももたず,いかなる効果も生じないないものとする.
その証として,そして本状を正式なものとするため,下名の主事アレクサンドル・ルフェーヴルおよびアントニー・ルモワーヌ―国王の顧問官,公証人,陛下の記録官,パリのシャトレにおける印章保管官―の目を通され,両名は本証書を完全な形で届けた.そして本状が公表され,必要なところに登録されるために,領主ベリー公爵は本文書の二通の写しによる持参人を一般および特殊代理人に任じ,前記領主は前記本状によりそのための特別な権限と権威を与えた.マルリーにて,一七一二年十一月第二十四日,正午前.本写しおよびもう一通に署名し,その控えは前記公証人ルモワーヌの手に残る.

      (署名) シャルル
        ルフェーヴル,ルモワーヌ

余ジェローム・ダルグージュ―勲爵士,フルリーの領主,国王の評議会における顧問官,王室の名誉陳情長官,パリの都市,教務院長領,子爵領の民政長官―は関係するかもしれないすべての人々に証明する.証書の反対側に署名した主事アレクサンドル・ルフェーヴルおよびアントニー・ルモワーヌは国王の顧問官,公証人,陛下の記録官,パリのシャトレにおける印章保管官であり,法廷の内部でも外部でも彼らから受け取られる証書は信がおけるものであることを証明する.その証として,余は本状に署名し,それを書記官によって副署せしめ,余の紋章の印章を捺さしめた.パリにて,一七一二年十一月二十四日.

      (署名) ダルグージュ
      前記領主の命により,バルベイ


開廷した法廷の前で,読み上げられ,公表され,法務部の保管文書のうちに登録され,国王の法務長官が,この日の裁決に従って,その形式および趣意に従ってそれが遂行されるよう発言し,提議した.パリにて,高等法院において,一七一三年三月十五日.
   (署名)   ドンゴワ


〔オルレアン公のスペイン王位継承権の放棄〕
フィリップ,フランス王孫,オルレアン,ヴァロワ,シャルトル,ヌムールの公爵.現在いる,そして来たるべきすべての国王,君主,共和国,権力者,共同体,そして他のあらゆる個人に本状によって通知申し上げる.フランスとスペインの王冠の連合に対するおそれがこのたびの戦争の主たる動機であり,他のヨーロッパ列強が常にこれら二つの王冠が一人の君主の上に置かれることを恐れてきたことに鑑み,現在交渉されている,またますますうち固められることが期待される平和の基礎として,身を挺して犠牲者となり諸国を脅かしていると考えた危険に対抗した各国の休息のために,抗争中の君主らの間にある種の対等性および均衡を確立し,撤回できない形で,彼らが有すると主張し,それを彼らが剣を手に防衛し,その結果として両陣営に互いに虐殺を引き起こした〔フランス,スペイン相互の王位継承に関する〕権利を分離することが必要であることが定められた.
この対等性を確立するため,英国女王は下記のことを提案し,その要請により余の最も名誉ある主君にして叔父たる国王〔ルイ十四世〕および余の親愛なる甥たるスペイン国王も同意した.いかなる時点においてもフランスとスペインの王冠の合一を避けるため,相互に権利放棄がなされる.すなわち,余の甥たるスペイン国王フェリペ五世は自分自身およびそのすべての子孫の名において,フランス王位継承権を,同様に余の親愛なる甥ベリー公爵ならびに余は,余,余のすべての子孫の名において,スペイン王位継承権をである.その条件として同様に,オーストリア家もそのいかなる子孫もスペインの王位を継承することはできないものとする.同家自身,その古来の領地に新たな権力を加えれば帝国との連合なくしても,恐るべき強さとなり,その結果として,ヨーロッパの諸君主,諸邦の福利のために確立されるべく企図されているこの均衡が終焉を迎えるであろうからである.今,この均衡なくしては,諸国が自らの強大さの重みにあえぐか,あるいは猜疑心によって近隣諸国がそれらの大国を攻撃し,それらがより脅威でなくなり,あまねく覇を唱える王朝たることを望み得なくなる度合いにまでおとしめようと同盟を結ぶかのいずれかであることは確実である.
提案されている目的を達成するため,そしてスペイン国王の側からも今月五日に権利放棄がなされた理由から,余は,余の甥フェリペ五世およびその子孫がない場合には,スペイン王位はサヴォイ公爵家に渡ることに同意する.その権利は,フェリペ二世の娘カタリナ内親王の血を引く点において,また他の国王らから後継者として名指されている点において,明確にして周知のことである.よって,そのスペインの継承権は議論の余地がないものである.
そして余は余の側からも,公共の平穏を再建するために,また余の生得権,またその他余に属するかもしれないすべての権利が引き起こすかもしれないおそれを防ぐために提案されている輝かしい目的に向けて協力するため,余自身,そして余のすべての継承者および子孫の名においてこれに関して余のすべての権利を棄て去り,放棄し,手放すことを決意した.そして余が純粋に自由にして率直な意思により行なった決意を完遂するため,余はこの時点より,スペインの王位を継承するあらゆる行為およびあらゆる権利について,余,余の子供や子孫は,永遠に,絶対的に,限定なく,人,等級,性別による区別なく,除外され資格を失ったものと宣言し,そのようにみなすものである.余は余ならびに余の子孫たちについて,以下の通り望み,同意する.現時点より,そして永遠に,余も彼らも,いかなる親等のものであろうとも,そしていかなるしかたで王位継承が余の系統に,あるいはフランス王家またはオーストリア王家のなんらかの人物あるいはそれぞれの王家のなんらかの子孫にまわってくることになろうとも,除外され,資格を失い,不能となったものとみなされるべきである.このオーストリア王家については,すでに述べ,前提としたように同様に自らを切り離され,除外されたものとみなすべきである.そしてこの理由により,前記スペイン王位はそのような場合にいかなる時点でも王位が移譲されるべき人物に相続され,移譲されるものとみなされるものとし,余はその人物を真実にして合法的な継承者とし,みなす.なんとなれば,余も余の子孫ももはや能動的または受動的な申し立てのいかなる基礎をも有するとは考えられず,有効で実質,血統,資格を主張しうる家系の連続をなすものとも考えられず,余の最も名誉ある貴婦人にして祖母たるオーストリアのアンヌ王妃〔ルイ十三世妃となったスペイン王女〕,あるいはその祖先たる栄光ある国王たちの血を引いていることによりいかなる権利も得てはいず,それに由来する親等を勘定もしないからである.むしろ,余は前記貴婦人,余の祖母たるアンヌ王妃によってなされた権利放棄ならびにフェリペ三世およびフェリペ四世がその遺書に挿入したあらゆる節を認める.余は同様に,同様にして,一七〇三年十月二十九日にマドリードにて余の甥たるスペイン国王フェリペ五世によってなされた宣言によって余および余の子供や子孫に属するかもしれないすべての権利を放棄する.余および余の子孫に属するかもしれないいかなる権利も余は,余および彼らの名においてこれを棄て去り,放棄する.余は余および余の現在ある,そして来たるべき前記した余の子供や子孫の名において,余の持てる限りの力を用いて本状が遵守され,履行されるようはからい,直接間接を問わず,全体だろうと部分だろうと,それに違反されることを許したり認めたりしないことを約束し,約するものである.そして余は通常のものであろうと異例なものであろうと,一般的な権利または特別な特権によって余,余の子供,子孫に属するかもしれないすべての手段を放棄する.そうした手段を余は絶対に,かつ特別に放棄する.明らかな,甚大な,そしてこの上なく甚大な不利が,前記したスペイン王位の継承の放棄に見られる.そして余は,前記の手段が余の役に立ったり余を利したりすることはあってはならず,またそうすることもできないことを望む.そしてもしこの口実のもとに,もしくは他のいかなる旗印のもとにおいてでも余が武力によって前記王国を奪取することがあれば,余が起こした,あるいはきっかけとなった戦争は不正であり,不法であり,不当に行なわれたものとみなされることを望む.そしてむしろ,この権利放棄によってスペイン王位を継承する権利をもつ人物によって余に対してなされた戦争は公正で,許されるものであるとみなされる.そしてスペインのすべての臣民および人民がその人物を彼らの国王であり合法的な領主として承認し,従い,守り,恭順を示し,忠節を誓いを立てることを望む.
そして余が余自身について,そして余の継承者や子孫たちの名において言い,約束するすべてのことをより確かなものとして保証するために,余は余の右手を乗せたこの祈祷書に含まれる神聖なる福音にかけて厳粛に誓う.余はそのことを全体として完全に守り,維持し,履行するものであり,いかなる時においてもそれから解放されることを求めることもせず,誰かがそれを求めたとしても,あるいはそれが教皇自発教令によって余に認められたとしても,余はそれを行使したり,利用したりはしない.しかし,むしろ,それが私に認められたような場合には,私は別の誓いを立て,私に何度〔宣誓からの〕解放が認められようともこのことは続き,変わらぬことであろう.余はさらに,公にも内密にも,本状に含まれることを妨げ,あるいはその効力を減ずるようなこれに反するいかなる断言や主張もなしたことはなく,今後もなさないことを誓い,約束する.そしてもし余がそのようなことをしたとしたら,いかなる宣誓を伴っていたとしてもそれはいかなる力も効力ももたず,いかなる効果も生じないないものとする.
そしてより確かなものとするため,本放棄,譲渡,移譲の証書を下名の主事アントニー・ルモワーヌおよびアレクサンドル・ルフェーヴル―国王の顧問官,公証人,陛下の記録官,パリのシャトレにおける印章保管官―の目を通すことにし,ここに通すものである.一七一二年,パリの余のパレ・ロワイヤルにて.そして本状が関係するあらゆる部門に浸透し,登録されるようはからうため,余は持参人を余の代理人に任じ,本状および前記公証人ルフェーヴルの手に残っているその控えに署名した.
       フィリップ・ドルレアン
      ルモワーヌ,ルフェーヴル

余ジェローム・ダルグージュ―勲爵士,フルリーの領主,国王の評議会における顧問官,王室の名誉陳情長官,パリの都市,教務院長領,子爵領の民政長官―は関係するすべての人々に証明する.権利放棄証書の反対側に署名した主事アレクサンドル・ルフェーヴルおよびアントニー・ルモワーヌは国王の顧問官,パリのシャトレにおける公証人であり,審理の内部でも外部でも彼らから受け取られる証書は信がおけるものであることを証明する.その証として,余は本状に署名し,それを余の書記官によって副署せしめ,余の紋章の印章を捺さしめた.パリにて,一七一二年十一月二十五日.

      (署名) ダルグージュ
      前記領主の命により,バルベイ


集会した法廷の前で,読み上げられ,公表され,法務部の保管文書のうちに登録され,国王の法務長官が,この日の裁決に従って,その形式および趣意に従ってそれが遂行されるよう発言し,要請した.パリにて,高等法院において,一七一三年三月十五日.
   (署名)   ドンゴワ

〔ルイ十四世による,フェリペ五世がフランス王位継承権を保持することの宣言(1700)〕
一七〇〇年十二月の月の国王の開封勅許状

ルイ,神の恩寵によりフランスおよびナヴァール国王,現在あるまた来たるべきすべての人々に挨拶申し上げる.余の治世において神が余の上にもたらしたもうた繁栄は,余にとって,現在のみならず将来についても天なる神が余に統治を託したもうた民の幸福と平穏に向けて努める動機となっている.神のはかりしれぬ判断は,余に,余の軍勢にも,余の領土の広がりにも,あまたいる子孫にも信をおけず,神のご配慮によりのみ余が受けたこれらの利点は神がよしとして与える以上の堅固さをもつものではないことを示したもうた.しかしながら,神のご意志は,神が民を導くために選ぶ国王たちが,騒乱,そしてこの上なく血なまぐさい戦争をもたらすような将来のできごとをも予見すべきということであり,神の叡慮が彼らに注ぐ光明を利用すべきということであるゆえ,余の王国があまねく喜びにあるなかにおいて,神が永遠に避けたまうことを祈る可能性,悲しい将来のできごとを見据えるのは神の意図を満たすことになる.故スペイン国王〔カルロス二世〕の遺言を受け入れ,余のいとしい最愛の息子王太子がその王位への合法的な権利を放棄し,その次男である余の愛しい最愛の孫アンジュー公爵―故スペイン国王によってその全遺領の相続人に指定された―に譲り,現在スペイン国王フェリペ五世の名で知られるこの王子がその王国にはいり,その新しい臣民の切なる望みに答える準備ができたが,それと同時に,この大いなるできごとも,余が現在の先に目を向けることを妨げるものではない.余の王位継承が最もよく確立されているときに,等しく国王,父の義務として,将来のために,これら二つの立場が余に呼び起こす感情に従って余の意図を宣言しておくべきであると判断するものである.それゆえに,余の孫たるスペイン国王が常に余,余の王家,彼が生まれた余の王国に対して変わらぬ愛着と変わらぬ気持ちを抱き続けるであろうこと―それは彼がこれまでにあまりに多くの場において余に証明してきた―,彼の模範は彼の新たな臣民を余の臣民と結び合わせることにより永続的な友好および両国の間の最も完璧な交流をなすものであることを確信することから,同様に,スペイン国民の一致した要請に応えて送り出した王子を今後余がよそ者とみなすようなことがあれば,それは彼に不正をなすことになり,余の王国に修復し得ない害をもたらすことになると考える.そのようなことは余としてはなすことはできない.
これらの理由,そして余の恩寵,全権,そして王権といった余をこれに向けて動かしたその他の重要な考慮から,余は決意し,宣言し,規定したものであり,余の手によって署名された本状によってここに決意し,宣言し,規定する.余のいとしい最愛の孫たるスペイン国王は,実際に余の王国に住んでいるかのごとくに,永遠にその生得の権利を保持する.それにより余のいとしい最愛にして唯一の息子王太子は余の王位および余の属領の真実にして合法的な継承者であり,その次には余のいとしい最愛の孫たるブルゴーニュ公であるが,もしも(そのようなことがなからんことを)余の前記した孫ブルゴーニュ公が男子の子供なく没するようなことがあれば,あるいは有効で合法的な婚姻において彼がなす子供たちが彼より先に死ぬようなことがあれば,あるいは前記した男子の子供たちがそのあとに合法的な婚姻によって生まれた男子の子を残さなければ,そのような場合,余の孫たるスペイン国王が,その時点において不在で余の前記王国外に居住していようとも,その生得の権利を行使することにより,余の王位および余の属領の真実にして合法的な継承者となることが余の望みであり,喜びである.その没後すぐあとの順位としては合法的な婚姻において設けられたその男子の世継ぎが,余の王国外で生まれ,居住していようとも前記継承に至る.上述した理由により,余の前記した孫たるスペイン国王もその男子の子供たちも,前記の継承,あるいは余の前記王国内にあって彼らにまわってくるかもしれない他の継承に至ることに関し,いささかも権利が減じられるとみなされたり,評されたりしないことが余の望みである.その逆に,現在彼らに属し,付随する,あるいは将来においてするかもしれないすべての権利,そして一般に何であろうと他のことが,全体として完全に,彼らの死まで彼らが常に余の王国内に居住していたかのごとくに,そして彼らの世継ぎがこの王国に生まれ,その住民であったかのごとくに,維持され,保持されることが余の意図である.この目的のため,その必要がある限りにおいて,彼らに資格,免除を与えることにしたものであり,本状により資格,免除を与える.よって,余は余の敬愛し,信頼する顧問官ら,高等法院,パリの記録室の構成員,同書に設立されている余の財務府の総裁およびフランス財務長官,そして関係する他のすべての余の官吏と判事に命令を与える.本状が登録されるよう,そして余の前記した孫たるスペイン国王,その合法的な婚姻において生まれる男子の子供,子孫が,本状に反するいかなることがあろうとも本状の内容を完全に平和裡に享受し,行使するようはからうべし.そのような〔本状に反する〕ことは,余の恩寵および権威により,上述したように,余は無効化することにしたものであり,無効化する.それが余の喜びだからである.そしてこのことが確固として未来永劫永続することとなるよう,余は余の印章を本状に捺さしめた.主の年一七〇〇年,余の治世第五十八年,十二月の月,ヴェルサイユにて発行.署名 ルイ.そして畳んだ上,国王の命により,フェリポー.そして緑の蝋の上に国璽をもって,赤と緑の絹のひもとともに封される.

登録され,国王の法務長官が,この日の裁決に従い,それらがその形式および趣意に従って遂行されるよう発言し,要請した.パリにて,高等法院において,一七〇一年二月五日.
   (署名)   ドンゴワ

〔第六条続き〕 今や前出の権利放棄(今後常に実際上,原理上の犯されざる法としての効力をもつ)によって,いかなる時点においてもスペイン国王自身も,その家系のいかなる者もフランスの王位を得るべく努めたり,その王座に昇ったりすることをせず,フランス側からの同様の権利放棄および同じ目的を目指す彼の地における世襲による継承順位の取り決めによって,フランスとスペインの王冠が互いから分断,分離され,前述の権利放棄およびそれに向けての関連する処置が有効であり続け,真に忠実に遵守され,それらが決して合一することができないよう,策が講じられ,決着された.それゆえに,最もやんごとなき英国女王および最もやんごとなきフランス国王は互いに,厳粛に,その王としての言葉のもとに,前述の権利放棄や前述した他の処置が完全に機能し得なくなるようないかなることも,彼ら,あるいはその世継ぎや継承者によってなされたり,あるいは他の者によってなされるのが許されたりすることは決してないことを互いに約する.しかしむしろ逆に,両陛下は合同した相談と勢力により,公共の安全に関する前記の基礎が永遠にゆるがされることなく続き,変更されずに保持されるよう誠実に,配慮し,努力を払う.さらに,フランス国王はその臣下の利益のために今後,スペインおよびスペイン領インディアスとの間の航海および交易について,故スペイン国王カルロス二世の治世において彼の地で行なわれていたこと,また交易に関わる他の国民や人々にも同時に同様にして完全に与えられ,認められること以上のものを得るべく努めたり,他のなんらかの用を受け入れたりしないことに満足し,約する.

第七条〔航海と通商〕
両陛下の臣民の間では,自由な航海と通商が実践されるものとし,それは以前の平時において,そしてこの先の戦争の宣戦以前にそうであったこと,そしてまた両国の間に本日締結される通商条約によって合意され,締約されることに準じるものとする.

第八条〔司法〕
通常の裁きの施行が両陛下の王国と属領を通じて復活され,再開するものとする.それにより両国のすべての臣民にとって,それぞれの王国の法,体制,制定法に従って権利,主張,訴訟を訴え,獲得することが自由にできるようになる.

第九条〔ダンケルク〕
フランス国王は,ダンケルク市の防備のすべてが完全に破壊され,港湾は埋め立てられ,港湾を洗うはたらきをする堰や塚は取り払われるようはからうものとする.それは前記国王自身の負担により,講和の条件がまとまり,調印されたのち五か月の期間以内とする.すなわち,海側の防備は二か月以内に,陸側の防備は前記土手とともに三か月以内に,そしてまた特に明記した条件として,前記防備,港湾,塚,堰は二度と修復されないものとする.しかしながら,それらすべての取り壊しは,フランス国王陛下に与えられるべきものがみな,あるいはその代わりとして等価物の形でその手に帰すまで開始されないものとする.

第十条〔ハドソン湾地方のイギリスへの返還〕
前記フランス国王は大ブリテン王国およびその女王に,ハドソン湾および海峡を,前記湾および海峡に位置するすべての土地,海,沿岸,川,土地とともに,永遠に完全なる権利のもとに保有されるものとして返還するものとする.そしてそこに属する,現在フランスの臣民に保有されているものは,陸上海上のいかなる区域であろうと例外としない.そのすべては,その地に建てられたすべての建物と同様に,現在ある状態において,そして同様にフランスがその地を奪取する以前と以後とを問わず建造されたすべての要塞は,本条約の批准の日から六か月以内に,あるいは可能であればより早くに,それを要求し,受け取るよう英国女王の辞令をもった英国臣民に,完全にして取り壊されていない形で,そこにあるすべての大砲および砲弾とともに,またもしあれば砲弾に見合う量の火薬とともに,そして通例大砲に付随する他の軍需物資とともに,きちんと真に引き渡される.しかしながら,ケベックの人々,そしてその他フランス国王陛下のあらゆる臣民は,陸路,海路を問わず,前記湾を出て,本条の上記で保留されているもの以外いかなる性質・条件のものであろうとすべての財産,商品,武器,所持品とともにどこへでも望むところに行くことができるものとする.しかし,両陣営とも,それぞれによってただちに指名されることになっている委員により,前記ハドソン湾とフランス人に帰属する土地との間に定められる境界を一年以内に決めることで合意している.イギリス,フランスいずれの臣民も,海路陸路を問わずその境界を越えたり,それにより互いに行き来したりすることは完全に禁止されるものとする.同委員たちはまた,同様にしてこれらの地域における他のイギリス,フランス植民地間の国境を記述し,決着する命令を受けるものとする.

第十一条〔平時の略奪等への補償〕
前述したフランス国王陛下は正義と衡平法の定めに従って,ハドソン湾と交易しているイングランドの会社に対し,その植民地,船,人員,商品に対して平時にフランス人の敵対的な侵入および略奪によってなされた損害について補償がなされるようはからうものとする.その算定は各当事者の要求によって指名される委員によってなされる.同委員たちはさらに,平時にフランスによって拿捕された船に関する,また昨年モンセラトと呼ばれる島においてこうむった損害に関する英国臣民の申し立てについても,そしてまたネヴィス島およびガンビア城の降伏に関して,またもし万一平時において英国臣民によって拿捕されたフランス船があればそのような船に関してフランス臣民のなす申し立てについても,そして同様に両国民の間に生起し,いまだ解決していないとわかったこの種のあらゆる紛争について調査し,両陣営に対ししかるべき正義が遅滞なく行なわれるものとする.

第十二条〔ノヴァスコシアなどの割譲〕
フランス国王陛下は,本条約の批准書が交換されるのと同じ日に以下のことを述べた厳粛にして正式な書状もしくは文書が英国女王に届けられるようはからうものとする.それにより,セントクリストファー島は今後英国臣民のみによって保有され,同様に,ノヴァスコシア別名アカディア全域は古来からの境界,そしてまた現在アナポリス・ロイヤルと呼ばれる都市ポートロイヤル,そして前記土地,島に付属するそれらの地域の他のすべてのもの,支配権,領主権,所有権,そして条約あるいは他のいかなる手段によってであれ獲得され,フランス国王,フランス王室,またその臣民の何人かがこれまでに前記島,土地,地点,そしてその住民たちに対して有していたあらゆる権利とともに,英国国王およびその王室に永遠に譲渡され,引き渡される.フランス国王陛下は現在前述のすべての細目を譲渡し,引き渡すものだからである.それは広いしかたと形においてであり,フランス国王の臣民は今後前記海域,湾,ノヴァスコシア沿岸で南東の三十リーグ以内のその他の地点,すなわち俗にセーブルと呼ばれる島を含んでそこから南西に伸びる沿海におけるあらゆる種類の漁から除外される.

第十三条〔ニューファンドランド〕
ニューファンドランドと呼ばれる島は,隣接する諸島とともに,現時点より以後,完全なる権利のもとに英国に帰属するものとする.その目的に向け,プラセンチアの町と要塞,そして前記島においてフランスの有するあらゆる地点は本条約の批准書の交換から七か月以内に,あるいは可能であればより早く,フランス国王によってその目的のための英国女王からの辞令を持つ者たちに割譲され,引き渡されるものとする.また,フランス国王,その世継ぎと継承者,あるいはその臣下はみな,今後いかなる時点においても,前記島および諸島,あるいはそれまたはそれらのいかなる部分に対しても,いかなる権利も主張しないものとする.さらに,フランスの臣民が前記ニューファンドランド島のいかなる地点でも防備を固めたり,木造の足場や魚を乾かすのに必要な通常の小屋以外の建造物を建てたり,あるいは漁や魚の乾燥に必要とする期間を越えて前記島に赴いたりすることは違法とする.しかし,フランス臣民が魚を取り,陸地においてそれらを乾かすことは,前記ニューファンドランド島でボナヴィスタ岬と呼ばれる地点から前記島の北端まで,そしてそこから西岸を下ってポワン・リッシュと呼ばれる地点までの部分でのみ,そしてそれらに限って,許されるものとする.しかし,ケープブレトンと呼ばれる島,またセントローレンス川河口および同名の湾にある他のすべてについては今後その権利はフランスに帰属し,フランス国王はそこにおけるいかなる地点または諸地点にも防備を築くあらゆる自由をもつ.

第十四条〔住民の権利〕
本条約に従ってフランス国王によって割譲,返還される前記したすべての地点および植民地において,前記国王の臣民は一年以内に自分たちが適当と思ういかなる場所へも,すべての動産とともに退去する自由をもつものと明白に定められる.しかし,その地にとどまり,大ブリテン王国に臣従することを望む者は,英国の法が許す限りにおいて,ローマカトリック教会の習わしに従ってその宗教を自由に実践することができる.

第十五条〔先住民との関係〕
カナダその他に居住するフランスの臣民は,以後,英国の支配に臣従するインディアンの五族ないし五郡連盟に対しても,他のアメリカ先住民に対しても,いかなる妨害ないしいやがらせもしないものとする.同様に,英国の臣民もフランスに臣従あるいは友好関係にあるアメリカ住民に対し平和にふるまうものとする.どちらの側においても,彼らは交易のために行き来する完全なる自由を享受するものとする.また,それらの国土の先住民たちは,同じ自由をもって,英国臣民の側からもフランス臣民の側からもいかなるいやがらせや妨害も受けることなく,望むままにそれぞれの交易を促進するために英国およびフランス植民地に赴くものとする.さらに,誰が英国の臣民や友人であり,誰がフランスの臣民や友人であるか,またそうであるべきかは委員たちによって厳密かつ明確に規定される.

第十六条〔拿捕免許状の無効化〕
いかなる理由であれいずれかの側においてこれまでに認可された敵国船拿捕および返報としての拿捕免許状は,すべて無意味で無効で,何の効力ももたないものであり,そうあり続けるものとする.この種の免許状は今後前記両陛下のいずれによっても相手側の臣民に対して認可されることは,正義の執行の拒絶あるいは不当な遅滞についての明白な証拠が事前に示されない限り,そして敵国船拿捕免許状の認可を希望する人物の陳情が,要求されるそれらの免許状の対象となっている臣民の側の君主の名において駐在する公使に呈示され,示され,公使が四か月以内にそれを反証するための調査を行なったり,訴えられた当事者から原告に対する即時の補償を獲得することができるようにしたあとでない限り,ないものとする.

第十七条〔拿捕品の返却〕
いかなる場合に一方の陣営によって拿捕された船,商品,その他の動産が拿捕者の戦利品となり,いかなる場合に以前の所有者に返還されるかは,前記した締約国の間で去る八月十一/二十二日〔注:フランス語原文では新暦の二十二日のみ〕に成立し,その後四か月延長された休戦の条件のうちに明示的に規定されていることに鑑み,そのような場合には,前述の休戦の条件が完全に有効であり続け,そのような拿捕が英国領海,北海あるいは他のいかなる地点でなされようともそれに関係するあらゆる事項はそれの文面に従ってきちんと真に執行されることが合意された.

第十八条〔事故による和平崩壊の防止〕
不注意,無思慮,あるいは他の何らかの原因により前述の両陛下の臣民が,陸上,海上,水上を問わず,世界のどこかにおいて,本条約が遵守されない,あるいはそのいずれか特定の条項が効力をもたないようなことを犯したとしても,英国女王とフランス国王との間のこの平和とよき交流はそれによって中断されたり,打ち切られたりせず,それ以前の効力,有効性,拘束力をもち続け,その臣民だけが自らの行動に対して責任を問われ,諸国の法の定めと指示によって与えられる処罰を受けるものとする.

第十九条〔戦争再発時の国民への猶予〕
しかしながら,前記両陛下あるいはその継承者の間の水面下にあった不和がある時点で新たにされ,公然たる戦争に発展した場合であっても(そのようなことのなからんことを),両陣営の船,商品,そして動産,不動産を問わずあらゆる所有物で敵対側の港や属領にあった,あるいはとどまっていたものが没収されたり,他のいかなるしかたによっても害されたりはしないものし,断交の日から起算して完全に六か月が各陛下の前記臣民に認められ,その期間中に彼らは前述の物や他の所有物のいかなる部分をもその地から望むところへいかなる妨害もされることなく積み出し,あるいは運び,退避させることができ,自らもその地から退去することができるものとする.

第二十条〔イギリスの同盟国への補償〕
英国女王のすべての,そしておのおのの同盟国に対し,それらがフランスに要求する権利をもっている件について,公正にして妥当な補償が与えられるものとする.

第二十一条〔帝国の宗教の原状復帰〕
フランス国王は,英国女王の友情を考慮して,帝国と条約を結ぶにあたり,前述の帝国において宗教の状態に関するあらゆることはウエストファリア条約の趣意に従い,フランス国王の意図が前記条約に対していかなる変更もなそうとするものでもなく,そのようなものでもなかったことが明らかになるようにすることに同意する.

第二十二条〔個人的な補償〕
さらに,フランス国王は講和成立後ただちに,ハミルトン家に対してシャトルロー公爵領のことで,リッチモンド公爵に対して彼がフランスでなす要請のことで,そしてまたチャールズ・ダグラスに対して彼によって返還要求がなされるさる土地のことで,正義がなされるようはからうことを約する.

第二十三条〔捕虜の解放〕
英国女王とフランス国王の相互の同意によって,戦争中捕虜となった両国の臣民はいかなる区別も身代金もなしに,抑留期間中になした負債を支払ったのちに解放されるものとする.

第二十四条〔フランスとポルトガルの講和〕
本日神聖なるフランス国王陛下および神聖なるポルトガル国王陛下の間で結ばれる和平の条件のすべておよびそれぞれが本条約によって確認すること,そして神聖なる英国女王陛下は,それがより確かに,犯されることなく遵守されるよう,それを保証する任を引き受けることが互いに合意された.

第二十五条〔フランスとサヴォイの講和〕
本日神聖なるフランス国王陛下とサヴォイ国爵殿下との間に結ばれた平和条約は特に本条約に,その本質的な一部として含まれ,あたかもここに一語一語挿入されているのと同じようにそれによって確認される.英国女王陛下はそこにおいて約束された安全と保障の規定に,先に引き受けたものと同様に拘束される.

第二十六条〔スウェーデン,トスカナ,ジェノヴァ,パルマの参加〕
最もやんごとなきスウェーデン国王はその王国,属領,属州,権利とともに,またトスカナ大公,ジェノヴァ共和国,パルマ公爵は完全な形で本条約に含まれる.

第二十七条〔ハンザ同盟都市とダンツィヒ〕
両陛下はまた,ハンザ同盟都市,すなわちリューベック,ブレーメン,ハンブルクおよび都市ダンツィヒを包含することをよしとしたまい,その結果全般的な講和が締結され次第,ハンザ同盟都市と都市ダンツィヒは今後共通の友人としてそれらがこれまで協約によって,あるいは古くからの習慣により交易業において有していた古来の利権を享受することができる.

第二十八条〔その他の参加国〕
双方の合意によって批准書の交換前,あるいはその後六か月以内に指定される者はこの平和条約に包含されるものとする.

第二十九条〔批准書の交換〕
最後に,しかるべき形で作成された本条約の厳粛な批准書は,調印の日から起算して四週間以内に,あるいは可能であればより早く,ユトレヒトにおいて両陣営によって呈示され,相互にしかるべく交換されるものとする.

第三十条〔署名捺印〕
その証として,我々,下記の英国女王およびフランス国王の特命全権大使は我々の印章を本状の文書に捺し,自らの手によって署名した.ユトレヒトにて,一七一三年三/四月三十一/十一日.

(捺印場所)ジョン,ブリストル,王璽尚書  (捺印場所)ユクセル
(捺印場所)ストラフォード         (捺印場所)メナジェ

〔アン女王の全権委任状〕
女王アン
神の恩寵により大ブリテン,フランス,アイルランドの女王,信仰の擁護者等々.本条を目にするすべての,そしてそれぞれの人にご挨拶申し上げる.昨年初頭にユトレヒトにて全般的な講和を構築すべく開催された会議は,余の希望や望みに反して生起したさまざまな障害によりこれまで十四か月以上もの長きにわたってきたが,全能なる神(交戦中の各当事者の胸により強く協和への愛を植えつけたまいた)の恩寵と恵みにより,それは幸いにも,かくもながく望まれ,ヨーロッパの平穏と福利のためにかくも必要であった終結に向かいつつあるようである.余は余のよききょうだいたるフランス国王との間で平和および通商の両方に関する事項につき互いについに調整を終え,これまで全権の肩書きのもとに余の最大の賛同とともに,この任務の遂行に努めてきた公使らが,より大いなる威光をもってこの最も有益な大業を終結させることができるよう,彼らに余の特命大使という名誉ある資格を与えることを適当と考えるに至った.ここに通知申し上げる.余は,尊敬すべき主教にして余が信頼し,敬愛する顧問官ジョン,ブリストル主教―ブリストル主教,余の王璽尚書,ウインザーの聖堂参事会長,最も高貴なガーター勲爵士団の登記官―そして余が信頼し,敬愛する卿にして顧問官トマス―ストラフォード伯爵,ウェントワース・ウッドハウスおよびステインバラのウェントワース子爵,レービー男爵,余の軍隊の中将,余の海軍省の第一委員,最も高貴なガーター勲爵士団の勲爵士,そして余のネーデルラント連邦の連邦議会の諸閣下への特命全権大使―の忠誠心,精励,経験,重要な事柄を運営する際の英知に格別なる信頼を抱き,両名を余の真実にして確かな,疑うことなき特命大使,委員,代理人,全権に指名し,就任させ,権限を与えた.それにより両名には,合同してまた個別に,都市ユトレヒトあるいは他のいかなる場所においても,前記フランス国王の側から遣わされた,十分な権威をもった,特命全権大使と会い,協議するあらゆる種類の権限,権能,権威,そしてまた一般および個別命令(ただし,一般は個別を損なわず,その逆もないものとする)を与えた.それにより両名は余と前記フランス国王との間の安全で永続的かつ名誉ある和平と友好の条件に関して交渉し,合意し,結論し,そして余のために余の名においてそのようにして合意され,結論されたあらゆることに調印し,そして結論されたことについて必要なだけの文書を作成し,それを交換し,互いに受け取り,そして一般に上述したような和平と友好の条件を作り上げ,決着するのに必要であるか,あるいはいかなる形であれ有用であると彼らが必要と判断するあらゆることを行ない,実行することができる.それは広いしかたと形においてであり,余がその場にいた場合,自ら行ない,実行するのと同じような力と効力をもつものである.余の女王としての言葉のもとに,余は,余の前記特命大使,委員,代理人,全権によって本条の効力により合同してまたは個別に処置され,締結され,調印されたすべてのあらゆることに,それが合意されたのと同じしかたと形において受け入れ,承認し,批准することを約束する.その証と確認のため,余は余の大ブリテンの国璽が余の手で署名した本状に捺されるよう命令した.余のセントジェームズ宮殿にて,主の年一七一二/一三年,余の治世の第十二年,三月の月の第二十四日発給.

〔ルイ十四世の全権委任状〕
ルイ,神の恩寵によりフランスおよびナヴァール国王,本条を目にするすべての人々にご挨拶申し上げる.誠実にして確固とした平和の再建に向けて余の力のあたう限り貢献できることは何でも惜しまずにしてきた.そして余の最愛にして親愛なるきょうだいたる大ブリテン女王も同じ望みを示し,かくも望ましい恵みに到達するためにユトレヒトにおいて開催されている会談がまもなくして幸いなる結果を生むであろうことを期待する余地があり,同様にその効果を推進するために全力を傾注することを望むものであり,余の最愛にして親愛なる卿ユクセル侯爵―フランス元帥,余の勲爵士団の勲爵士,ブルゴーニュ公領の中将―およびメナジェ氏―余のサンミッシェル勲爵士団の勲爵士―の能力,経験,熱意,そして余に仕える誠実さに完全なる信頼をおくものであるがゆえに,これらの理由と余をこれに向けて動かした他のもっともな考慮により,余は前記両名,ユクセル元帥およびメナジェ氏を任命し,命じ,代理とすることにしたものであり,ここに余の手によって署名された本状により任命し,命じ,代理とする.そして余の特命大使および余の全権として,余の前記きょうだいのしかるべき形の全権委任状を携えた特命大使,全権と協議し,交渉し,取り引きし,彼らがよしと見るような平和条約,条項,協定に合意し,締結し,署名する完全なる権限,委任状,個別命令を与えることにしたもので,ここに与えるものである.二人の一方が病気により,あるいは他のなんらかの正当な理由により不在の場合には他方が余が余自身の,そして余の臣民の相互の利益のために提案している平和の存続にとって望ましいであろう平和条約,条項,協定を協議し,交渉し,取り引きし,合意し,締結し,署名することを望むものである.そして余の前記特命大使および全権は,本条に含まれる以外のより個別的な命令を要求するようなことが何事かがあるであろうが,余の前記きょうだいとの交渉に関するすべてのことにおいて,余自身がその場にいたとしたらしたであろうと同じ権威をもって行動することができる.余は,国王の信義と言葉のもとに,前記ユクセル元帥とメナジェ氏あるいは前記した不在あるいは病気の場合にはその一方が本全権委任状の効力により規定し,約束し,調印するいかなることをも承認し,永遠に忠実であり続け,逐一履行し執行するものであり,いかなる理由であろうと,あるいはいかなる主張に基づくものであろうと決してそれに反する行ないをしたり,反することが行なわれることを許したりしないことを約束する.また同様にそれを批准する書状がしかるべき形で交付されるようはからい,それが作成される条約によって合意される期限内に交換されるよう届けられるようにはからうことを約束する.それが余の喜びだからである.その証として,余は余の印章を本状に捺さしめた.ヴェルサイユにて,主の年一七一三年,そして余の治世第七十年,三月四日.署名ルイ,そして畳んだ上に,国王の命により,コルベール.

原文はフランス語.翻訳にあたってのテキストはA Collection of Treaties between Great Britain and Other Powersの英語訳を利用したが,この英訳はかなりわかりにくい部分があり,随所でRecueil des Traites de la France の原文を参照した.



ユトレヒト条約(フランス・オランダ間のものの摘要)

第七条
フランス王,フェリペ五世,バイエルン選帝侯らはスペイン領ネーデルラントをオーストリア家の代理としてオランダに返還する.オランダとオーストリア家の間でオランダに与えられる防壁についての協定が成立し次第,オーストリア家に引き渡される.
上ヘルダーラントはすべての付属領とともにプロセインに.
ルクセンブルク公領またはリンブルフ公領において年価値三万エキュ相当の土地を公領に昇格させてユルサン夫人に与える.

第八条
フランス王はオーストリア家の代理としてオランダにルクセンブルク公領をシニー伯領とともに,またナミュール,シャルルロワ,ニューポールトを託す.

第九条
スペイン領ネーデルラント総督であったバイエルン選帝侯がもちうるすべての権利をオーストリア家の代理としてオランダに与える旨の証書をフランス王の責任で書かせる.ネーデルラントの主権者はオーストリア家となる.その証書は本条約の批准書が交換されるのと同じ日に英国女王に託される.
バイエルン選帝侯は神聖ローマ帝国における戦前の所領(上プファルツ以外)を回復され,第九位の選帝侯とされ,サルディニアとその王号を与えられるまでは,ルクセンブルク,ナミュール,シャルルロワの主権,歳入を保持する.〔※ラシュタット条約の結果,サルディニアとその王号は与えられないことで決着〕
その間,バイエルン選帝侯はルクセンブルクの付属領に七〇〇〇以下の兵を維持でき,オランダやその同盟国は兵を通過させたり滞在させたりすることができない.
バイエルン選帝侯はイルメルスハイム条約に関する補償がされるまではルクセンブルクの主権と歳入を維持する.

第十条
バイエルン選帝侯がルクセンブルク,ナミュール,シャルルロワを保持する一方,フランスは和平後ただちにこれらより撤兵する.同時にバイエルン選帝侯も(ルクセンブルク以外から)自らの兵および弟であるケルン選帝侯のために有している兵を撤兵するようにさせる.その間,それらはオランダの守備兵がおかれる.

第十一条
フランス王はメーネン,トゥルネー(トゥルネジ全域を含む)をオーストリア家の代理としてオランダに割譲する.ただし,サンタマン(付属領含む),モルターニュ(付属領含まず)はフランス領にとどまる.ただし,モルターニュに防備を施してはならない.
エピノワ公がアントワン〔トゥルネーの近く〕を回復される.ただし,これに関する権利を主張しているリーニュ家が裁判を継続することはできる.
オランダはこれらの領地をオーストリア家との協定が成立し次第引き渡す.

第十二条
フランス王はオーストリア家の代理としてオランダにフュルヌ,フュルネ・アンバ,クノック砦,ローとディクスマイデ,イーペル,その他の付属領では〔イーペルの西の〕ポペラング,〔イーペルの南でリース河畔の〕ワルネトン,コミーヌ,ウェルヴィク(この3都市についてはリース川のイーペル側=北側に限る)を割譲する.
フランスは防備や文書類に手をつけずにオランダに引き渡す.オランダはオーストリア家との協定が成立し次第引き渡す.

第十三条
リース川の航行はドゥール川が合流する地点〔コミーヌ付近〕より上流では自由とし,通行料などは課されない.

第十四条
ネーデルラントのいかなる部分も将来フランス王室に割譲等されることはない.

第十五条
オランダはリール,オルシー,ラルー地方およびラグルグ町,エール,ベテューヌ,サンヴナンを防備や文書類に手をつけずにフランス王に返還する.それらのうちフランス王がすでに手にしているものがあったとしてもオランダは代償を要求されない.戦争中すでに破壊されたものについての修復も要求されない.
エピノワ公がシソワン,ルーベを回復される.ただし,これに関する権利を主張しているリーニュ家が裁判を継続することはできる.

第十六条
領地の返還時の大砲や武器弾薬の扱いについて.
ルクセンブルク,ナミュール,シャルルロワ,ニューポールトその他全般については,カルロス二世の没時にそこにあった大砲,砲弾,武器弾薬も目録に従って同時に返還される.
リール,エール,ベテューヌ,サンヴナンについては攻略されたときにそこにあったものが返還される.包囲戦において損壊したため鋳直すために運び出されたり大砲についてはオランダは同じ口径の同数の砲によって補填する.
イーペルは大砲五十門および現在ある弾薬の半分とともに引き渡される.
フュルヌは本年初頭にあった大砲,砲弾,武器弾薬とともに返還される.

第十七条
批准書の交換後すみやかに撤兵を行なう.調印後ただちに陸上・海上・水上において停戦する.フランス,オランダの勢力圏下のみならずネーデルラントにおいても,いかなる交戦国間の戦闘も中止する.

第十八条
割譲される領土でフランスやオランダが行なっている徴収は批准書の交換の日まで続く.

第十九条
戦争中にスペイン領ネーデルラントの臣民によってなされた危害や損害については締約両国とも赦免する.返還・割譲された地域の臣民が報復を受けることはない.
本条約の第二条によってフランス,オランダの間で決められたことは,フランスとスペイン領ネーデルラントの間でも実行される.

第二十条
フランスとスペイン領ネーデルラントおよびフランス王によって割譲される地域の臣民は法と慣習に従って行き来し,売買などすることができる.
それらの臣民は一年間はこれらの地を去って移住するのも自由とする.

第二十一条
聖俗を問わず臣民や大学などは戦前の地位・財産・権利を回復される.

第二十二条
ネーデルラントのいくつかの州の納税区〔g´en´eralit´e〕における歳入は,フランス王が権利をもつ部分とオランダまたはオーストリア家が権利をもつ部分があるが,分配を決める委員会が任命されるものとする.

第二十三条
割譲される地域において戦争中に合法的に与えられた聖職禄所在地は現所有者のもとにとどまる.カトリック教はオランダまたはオーストリア家が引き継ぐ地域でも戦前の原状のままとされる.

第二十四条
オランダがスペイン領ネーデルラントやフランス王から割譲される地域において維持する兵によるプロテスタントの宗教の実践は,カルロス二世の時代にネーデルラント総督であるバイエルン選帝侯との間でつくられた規則に従って行なわれる.

第二十五条
フランスが割譲する地域の都市や住民はその諸権利を保持する.オランダがフランスに返還する地域についても同様.

第二十六条
ユイの市街・城・砦やリエージュの城塞にあるオランダ兵はオランダの費用において留まる.フランス王はリエージュ司教でもあるケルン選帝侯がそれに同意するようはからう.フランス王はまたケルン選帝侯領のボンの防備が破壊されるようはからう.

第二十七条
捕虜は無条件で解放される.ただし拘留中に捕虜がなした負債は返済される.

第二十八条
徴収は批准書の交換の日まで続けられる.

第二十九条
過去・現在のあらゆる権利の僭称は放棄する.

第三十条
通常の司法が開かれ,双方の臣民はそれぞれの地方の法に基づいてその権利を行使できる.
敵国船拿捕許可状はその発行が宣戦布告の前かあとかを問わず無効とする.

第三十一条
フランスとスペインの王冠が同一の王のもとに統一されないことが必要であり,大ブリテン女王の強い要請およびフランス王,スペイン王の同意に基づき,方策が見出された.昨年十一月にマドリードにおいて権利放棄の宣言がなされた.またスペインのコルテスによっても宣言がなされた.
フランスからのも同様に権利放棄がなされ,フランスとスペインの王冠は完全に分離した.


第三十二条
スペインやスペイン領〔西〕インドにおける通商と航海の利権について,フランスはカルロス二世の時代に享受していたもの,また他のすべての国に与えられる待遇以上のものは主張しない.
スペイン王がすべての国に利権を与えるというのでない限りスペインやスペイン領〔西〕インドにおける通商と航海はカルロス二世時代と同様とする.

第三十三条
オランダの安全のためには神聖ローマ帝国の平和が乱されないことが必要であり,フランス王は将来帝国との間で結ばれる条約において帝国内での宗教に関してはウエストファリア条約に従うことに同意する.

第三十四条
帝国との条約においてフランス王はラインフェルスの要塞とサンゴアールの町はそのすべての付属領とともにヘッセン・カッセル方伯のもとに留まることに同意する.ヘッセン・ラインフェルス公には適当な対価が支払われるよう仲介する.ただし,その地域でのカトリック教は変更されることがないものとする.

第三十五条
この条約に対して不注意などによる違反があったとしても,条約は存続し,事態の改善に努める.

第三十六条
フランス王とネーデルラント連邦共和国〔des Provinces-Unies des Pa¨is-bas〕の臣民の間の通商と友好を確かなものとするため,万一友好関係を断たれることがあった場合,双方の臣民は財産を売り,あるいは持って立ち退くために九か月の猶予が与えられる.

第三十七条
この条約に参加できる者.フランス王の側からは批准書の交換前または交換後六か月以内に指名した者.オランダ,イギリス,その他同盟諸国の側からは批准書の交換後六週間以内に和平の受け入れを宣言した者およびスイス連邦の十三州およびその同盟者.特にチューリヒ,ベルン,グラールス,バーゼル,シャフハウゼンとその同盟者,すなわちジュネーヴ共和国,ヌーシャテル,サンガル,ミュルーズ,ビール.同様にグラウビュンデン同盟.ブレーメンとエムデン.さらに要請に基づきオランダが認めたあらゆる王,諸侯,都市,町,個人.

第三十八条
この条約はフランス,オランダ両国において公式に登録される.

第三十九条
調印の日より三週間以内に批准書が交換される.



ユトレヒト条約(フランス・プロイセン間のものの摘要)

第1条
フランス王とプロイセン王の間で和平が結ばれる.

第2条
批准書の交換後すみやかにプロイセンはネーデルラントから撤兵し,〔まだ帝国との間に続いている〕この戦争の間フランス王に対して使わないことを約束する.

第3条
戦争中の敵対行為はすべて忘れられる.

第4条
双方の家臣,臣民は同じように赦免を与えられ,遺恨は抱かれない.

第5条
すべての捕虜は無条件に解放される.

第6条
フランスと帝国の間のウエストファリア条約は完全に有効であるものとする.

第7条
現在プロイセン王が占領しているスペイン領ヘルダーラントと呼ばれる上ヘルダーラントは,スペイン王から託された権限委任状に基づきフランス王によって永久にプロイセン王に割譲される.

第8条
同様にケッセル地方,クリッケンベック代官領がスペインからプロイセンに割譲される.
フランス王はスペイン王からこの本条と第7条に関する批准書を取りつけ,本条約の日付から二か月以内に届けることを約束する.
〔フェリペ五世によるこの両条項とプロイセンの王号を承認した別記条項の批准書の日付は一七一三年五月十三日〕

第9条
フランス王はプロイセン王がヌーシャテルとファランギンの主権者と認める.

第10条
プロイセン王〔先のオレンジ公ウイリアム三世のいとこ〕はフランス内にあるオレンジ公領,シャロン,シャテルベランの,またブルゴーニュ伯領〔フランシュコンテ〕内のすべての権利を放棄する.プロイセン王は亡きナッサウ・フリースラント公〔ウイリアム三世のいとこの子〕の子孫をこの公領への権利主張の件で対価と引き換えに満足させることを約束する.
住民は本条約の批准から一年の間は自由に退去できる.
プロイセン王が上ヘルダーラントにオレンジ公領の名称を与え,その紋章を保持することは自由とする.

第11条
イギリス女王および希望するすべての諸侯はフランス王とプロイセン王に本条約の保証を与えることができる.

第12条
本条約にはスイスの十三州とそのすべての同盟者,すなわちニューシャテルおよびファランギン公領,ジュネーヴ共和国,サンガル,ミュルーズ,ビール,ヴァレの七管区,グラウビュンデン同盟が含められる.

第13条
批准書は四週間以内に交換される.

別記条項
フランス王は自らとその継承者の名において,またフェリペ五世から託された権限委任状に基づきスペイン王とその継承者の名において,プロイセン王(Roy de Prusse)とその世継ぎ,継承者に国王陛下の称号を認める.
この別記条項に関し,フランス王はスペイン王の批准書を二か月以内に取りつけるものとし,これも条約本文と同じ効力をもつ.



(C) 2003.9. 友清理士; 訳文の最終修正日2007.9.16
革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜    歴史文書邦訳プロジェクト   
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