ウエストミンスター条約(1674)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

ウエストミンスター条約:Treaty of Westminster
第三次英蘭戦争(1672-74)の講和条約.イギリスのチャールズ二世はフランスのルイ十四世のオランダ侵略戦争に荷担したものの,国内ではカトリックのフランスと同盟して同じプロテスタント相手に戦争を行なうことに批判が高まり,講和することになった.オランダは未曾有の苦境にあったが,まずまずの条件で講和することができた.

神の恩寵によりイングランド,スコットランド,フランス,アイルランドの国王,信仰の擁護者,等たる最もやんごとなく力ある君主チャールズ二世およびネーデルラント連邦の連邦議会の諸閣下の間の平和条約.ウエストミンスターにて一六七三/四年二月九/十九日締結.

第一条〔友好〕
今日より,大ブリテン国王陛下および連合諸州の連邦議会の諸閣下の間,そしてヨーロッパ内かその域外かを問わず,すべての地域,地点におけるすべての国民の間にどこに位置しようとも両者に従う土地,国土,都市の間に,そして身分を問わずその臣民,住民の間には,真実の,確固として侵されざる平和,連合,友好が確立されることが締結され,協定された.

第二条〔敵対行為の中止〕
上述の国王と前記連邦議会との間のこのよき連合が少しでも早く効果をもつよう,次のことが協定され,締結された.この平和条約の公表後ただちに,双方ともあらゆる敵対行為はただちに禁止され,いずれの陣営においても,互いを,また互いの属領や国民を悩ませ,攻撃し,戦い,略奪するためのいかなる辞令も,指令も,命令も,内密のものも公然のものも,直接的なものも間接的なものも,下されたり承認されたりすることはないものとする.むしろ逆に,両国の国民にはあらゆる平和的かつ友好的なふるまいが要請される.

第三条〔各地で敵対行為を中止する期日〕
しかし,各地点の距離はあまりにも異なり,それぞれの主権者からの命令や指令がその国民すべてに同時に届くことが不可能であることに鑑み,互いに対する敵対行為や武力行使を行なう期限を以下の通り定めることが適当と考えられるに至った.すなわち,浅海領域からノルウェー〔南端〕のリンデスネス岬までについてはこの条約の公表後十二日が過ぎたのちはいかなる敵対行為もしてはならない.浅海領域からタンジールまでの間では六週間の期間が過ぎたのちは,前記タンジールから赤道までの間では大洋上,地中海,その他の領域を問わず十週間後は,そして〔その他の〕世界各地においては八か月の期間後は敵対行為をしてはならないものとする.前述の期間後になされる敵対行為や武力行使は,以前の辞令,敵国船拿捕免許状またはそれに類するものを旗印としていようとも,違法なものと見なされ,その行為者は修復と賠償をする義務を負い,公共の平和の侵犯者として処罰される.

第四条〔海の主権〕
連合諸州の前記連邦議会は,以下に言及する海上において大ブリテン国王の旗に対して敬意を払われる権利をしかるべく認め,次のことを宣言し,合意すべきであり,ここに宣言し,合意する.前記連合諸州に属するあらゆる船舶は,軍艦であろうと他のものであろうと,単独であろうと船団であろうと,フィニステレ岬からノルウェーのヴァン・スタテン〔?〕の地の中点までの海域で大ブリテン国王に属するいずれかの船舶に出会った際には,それが単独であろうとそれ以上の数であろうと,大ブリテン国王陛下の国旗もしくはジャックと呼ばれる船首旗を掲げていれば,前述のオランダ船舶は,いかなる時点においてもいかなる地点においても連邦議会もしくはその父祖たちの船がこれまで大ブリテン国王陛下もしくはその父祖たちの船に対して行なってきたのと同じしかたで,同じ敬意をもって,旗を降ろし,中檣帆を下げるものとする.

第五条〔スリナム〕
スリナム植民地とそれに関して一六六七年に大ブリテン国王陛下のその地の総督ウイリアム・ビアムと連邦議会の指揮官アブラハム・キリニとの間で交わされた投降の文書は,その遂行において幾多の紛争の機会となり,このたびの陛下と前記連邦議会との間の行き違いの原因となるところ大であった.将来の過ちの種をいっさい取り除くため,前記連邦議会は本状により,前記大ブリテン国王との間で次のことに合意し,締約する.先に掲げた文書の諸条項がいかなる言い逃れや欺瞞もなく遂行されることのみならず,陛下は一人もしくはそれ以上の代理人をその地に派遣し,陛下の臣民のその地での状態を視察し,彼らがその地を出発する期日について調整できるようにする自由をもつ.陛下が一隻,二隻,もしくは三隻の船を一時に送り,その地で前記臣民や財貨,奴隷を乗せて運び去ることは合法である.その時点で連邦議会のその地の総督たる者は,イングランド人による土地の購入や売却,負債の支払い,財貨の交換に対して,その植民地の他のすべての住民の場合と異なる規定をする法を制定したり施行したりしてはならず,イングランド人も滞在中は負債の回収,負債の支払い,売買や契約の締結において,他の住民の間で通常行なわれているのと同じ法と特権を享受するものとする.そして大ブリテン国王陛下が連邦議会に対して,前記植民地の総督に前記イングランド人の出発を許し,前記船舶の入港を許すよう求める十分にして公式な文書を望んだ際にはいつでも,前記連邦議会はそのような要求ののち十五日以内に,大ブリテン国王陛下によってその目的のために派遣される人物に対して,彼の地での総督に,船舶が到着し,退去の意思があると断言する陛下の臣民が財貨と奴隷とともに出港し,陛下が指示する場所に輸送されることを認めるよう求める完全にして十分な文書と訓令を発行する.

第六条〔征服地の返還〕
このたびの不幸な戦争の開始以来,いずれかの当事国によって他方から奪取された,もしくは上記の敵対行為終了の期限の前に奪取される国土,島,町,避難港,城,要塞はすべて,ヨーロッパ内か他の地域かを問わず,この和平の公表の時点における状態のまま以前の所有者に返還されることが合意され,締結された.その時点以降,住民に対する略奪や防塞の破壊,奪取された時点で砦や城に属していた大砲や弾薬を運び去ることは禁止される.

第七条〔ブレダ条約〕
一六六七年に締結されたブレダ条約は,同条約によって確認されたそれ以前のすべての条約とともに更新され,この条約の条項のいずれにも反さない限りにおいて,完全に有効で,効力を持ち続けるものとする.

第八条〔海事条約〕
一六六八年にハーグで締結された海事条約は,今後の条約によって別の合意がなされない限り,この条約の公表後九か月の間存続するものとする.そしてその間に,新たな条約の検討が,下記の条項において東インド貿易について委ねられるのと同じ委員たちに委ねられるものとする.
しかし,その委員たちが最初の会合から三か月以内に新たな海事条約について合意できない場合は,その問題については,次の条項において東インド貿易の規定と同じしかたにおいて,最もやんごとなきスペインの摂政王太后の仲裁もあおぐものとする.

第九条〔東インド貿易〕
双方が貿易と航海を自由にして乱されることなく享受することが,両国の富のみならず平和にこの上なく重要であることに鑑み,貿易,とりわけ東インド貿易の公正な規制ほど両当事国にとって大きな関心事はない.しかし,問題の重さから双方の国民が満足し,安泰となるような確固として永続的な条項を作成するには多くの時間が必要であり,その一方で両当事国のみならずヨーロッパの大半における流血の現状はこの条約のすみやかな締結を必要としていることに鑑み,大ブリテン国王は連邦議会の希望を容れ,その問題の検討については両当事国から指名される同数の委員たちに委ねられることにした.前記連邦議会は指名した委員を,陛下によって指名される委員と交渉を行なうべくロンドンに派遣する.これはこの条約の公表後三か月以内とする.双方が指名する数は六名とする.その最初の集会の時点から三か月後になっても条約締結に関して成功が得られない場合には,双方の間での相違点は最もやんごとなきスペインの摂政王太后の仲裁をあおぐものとする.スペインは十一名の委員を指名し,残っている相違点に関し両当事国はその多数が決めたことに従うものとする.ただし,同委員たちはその最初の集会の日から六か月以内に裁定を下すものとし,その最初の集会は前記最もやんごとなきスペインの摂政王太后が審判者たることを了承したのち三か月以内に開かれるものとする.

第十条〔賠償金〕
最もやんごとなきスペインの摂政王太后が大ブリテン国王陛下に,前記連邦議会が講和成立時に大ブリテン国王陛下に対して八〇万スペインドルを支払うべきであることを保証したことに鑑み,前記連邦議会は前記八〇万スペインドルを次の方法によって支払うことを約束し,締約する.すなわち,四分の一はこの条約の批准書が互いに呈示されたのちただちに,残りは続く三年間に同額ずつ.

第十一条〔遵守と批准〕
前述した最もやんごとなき大ブリテン国王および前記連合諸州の連邦議会の諸閣下は,この条約において合意され,締結されるすべての各事項を誠実に,善意をもって遵守し,その国民および住民によってそれが遵守されるようはからう.双方とも,直接間接を問わず,そのどの条項にも違反せず,またそれが国民や住民によって違反されることを許しもしない.そして両者は,上に合意されたすべてのことを,それぞれの手で署名し,国璽によって印された十分かつ有効でしかるべき形で表現され,書かれた開封勅許状において批准し,確認する.そして本状の日付から四週間以内に(できればより早く)善意をもって,現実に,効力をもって相互に届け,もしくは届けられるようはからうものとする.

第十二条〔和平の宣言〕
最後に,前記批准書がしかるべく相互に呈示され,交換されたのちただちに,ハーグにおいて和平が宣言される.それは前記批准書の送達と交換がその地で行なわれたのち二十四時間以内とする.

ウエストミンスターにて作成.一六七三/四年二月九/十九日.


(C) 2004.5. 友清理士; 訳文の最終修正日2004.5
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