王妃アンの「毒殺」

リチャード3世の王妃アン・ネヴィルは1485年3月16日,日食というあまりに劇的な舞台で亡くなった.唯一の息子は1年前に亡くなっており,リチャードは役に立たない王妃を毒殺し,若いエリザベス・オブ・ヨークとの結婚をたくらんでいると言われた.
ただ,要人の死に際して毒殺がささやかれるのは常のことで,政治抗争が熾烈な時代にあってはなおさらである.どちらにしても証拠はないが,リチャードによる毒殺は今日では信じられていないという.また,医師がリチャードのアンと床を共にしないよう助言したことはあったというので(Crowland Chronicle),アンが何らかの病(結核とされる)を患っていたのは確かのようだ.


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