エドワード4世とエリナー・バトラーの事前結婚:「王位簒奪」の正当化

リチャード三世は兄王エドワード4世の遺児エドワード5世を排除して王位についた.表向きの理由は,エドワード4世は王妃エリザベス・ウッドヴィルと結婚する前にエリナー・バトラーという女性と秘密裏に結婚しており,従って王妃との結婚は無効であり,その子エドワード5世は私生児で王位継承権がないというものである.当時から秘密だったエリナー・バトラーとの結婚は証拠が残っておらず,リチャード3世のでっちあげとする説は歴史家の間でも強い.(シェイクスピア版の『リチャード3世』もその線に沿っている.)
リチャード3世はこの秘密をエドワード4世の死後になって司教スティリントンから知らされ,スティリントンは6月8日に枢密院で証言し,9日に証人・証言書を提示し,議会に提出する段取りが取られたという(典拠確認中).また,この9日にはエリザベス・ウッドヴィルに聖域から出させる交渉も失敗に終わった日だという(典拠確認中).
リチャード3世擁護派は,1478年のクラレンス公ジョージ殺害の直後にスティリントンが一時ロンドン塔に入れられていたこととの符合も指摘する.(リチャード3世を擁護する小説3作(Plaidy, Penman, Bowen)はみな,スティリントンの口からジョージがこの秘密を知ったことが,エドワード4世がクラレンス殺害を決意したきっかけとなったとして扱っている.Penmanはクラレンスの認識についてひとひねり加えた扱いをしており,悲劇性を高めることに成功している.)また,リチャードが6月10日に突如ヨークに派兵を要請する手紙を送り,「王位簒奪」に向けて動き出したことも説明がつく.
たとえエリナー・バトラーとの先の結婚が事実だったとしても問題はある.エリナー・バトラーは1468年には世を去っており,それが1470年生まれのエドワード5世の王位継承権を妨げるものかどうかは,当時の教会法に関わる複雑な問題らしい.
当時の教会法にあっては,合法的な結婚の存続時に不義の関係を結んだらその後の結婚が妨げられるのだという.さらに,エリザベス・ウッドヴィルが事前結婚を知らなければよかった(=結婚無効は避けられた)が,だとしても,エドワード4世とエリザベスの結婚が秘密結婚だった(つまり「異議のある人は名乗り出よ」がなかった)ことでその主張もできないのだという.
こうした研究からすると,事前結婚が事実だとすれば,リチャード3世の主張は当時の教会法のもとで合法的であったことになる(それでも,教会裁判所でなく議会で事を運んだことに異論もあるが).結局,エリナー・バトラーとの事前結婚があったのかどうかという振り出しに戻るが,これは根拠なしとする見方が多いという.
「王位簒奪」の計画性
なお,リチャードの「王位簒奪」がどのくらい計画的なものだったのかという問題もある.もちろん,リチャード悪人説に立つテューダー朝の史家は,リチャードは前々から虎視眈々と王位を狙っていたとする.たとえばエドワード4世の死後すぐ(Plydore Vergil)とか,エドワード4世の存命中から(Thomas More)王位を我が物にするつもりだったという記述がそれで,シェイクスピアも最初から王位を狙っていたように描いている.しかし,エドワード4世の死後,少年王エドワード5世の身柄を確保してロンドン入りするまでのリチャードの行動は,ウッドヴィル派の不審な動きを考えれば突飛なものとは思われない.また,当初はリチャードの護国卿としての立場も受け入れられ,リチャードも少年王の戴冠式に向けて具体的に手を打っていたことなども考え,少なくとも当初はリチャードは純粋に少年王を盛り立てていく態度であったように思われる.
また,ヘースティングズを処刑するなどして動き出しても,すぐ少年王を廃位せず,いったんは戴冠式の延期を発表していることなどは,リチャードがぎりぎりまで王位につく意を固めなかったことをうかがわせる.
「結論」
エドワード5世の廃位はリチャードがエドワード4世の事前結婚を作り上げた疑いが濃厚だが,一方で国がしっかりした指導者を必要としており,現にリチャード3世の即位も少なくとも当初は広く支持された,ということのようだ.


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