リチャード3世関連小説

The Star of Lancaster (Jean Plaidy, 1982)

イギリス王室にまつわる多数の歴史小説で知られるジーン・プレイディーによる「プランタジネット・サーガ」第11作.
下記の第一部〜第三部の区分は原作にはなく便宜上のもの.「第一部」はヘンリー四世妃メアリーのロマンスとその生涯.「第二部」は亡命時代,リチャード二世の廃位,即位後の再婚や相次ぐ反乱を含めたヘンリー四世の生涯,「第三部」はハル王子として放蕩の名を馳せたが王位について態度を改めたヘンリー五世の,輝かしいが短い生涯を描く.
「第一部」「第二部」だけとしたほうがまとまりがよかったと思うが,歴史を女性の視点から描こうとする作者にとって,結婚前にほとんどの業績を上げてしまったヘンリー五世の生涯をキャサリン・オブ・ヴァロワの視点で単独の作品として描くのは無理があると思ったのだろう.
第一部
1. Encounter in the Forest p.1
ヘレフォード伯の莫大な資産を相続する見込みのメアリー・ドブーンとその姉エリナー.エリナーは,エドワード三世の子トマス・オブ・ウッドストックに嫁いで王族になっていた.エリナーとトマスは,財産の取り分を増やすため,メアリーを修道院に入れたがっていた.修道院で教育を受けていたメアリーは修道女の生活は性に合っていたが,まだ十歳と幼く,一生修道女として暮らす決心まではつかなかった.メアリーの保護者はトマスとライバル関係にある兄ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントなので,その点は安心だった(莫大な資産を相続するという立場上,母である伯爵妃のもとから取り上げられ,有力者の保護下にはいっていた).
そんなとき叔父・叔母のアランデル伯夫妻がメアリーを招待する.エリナーは第二子を妊娠中のため,同行できなかった.メアリーは夜に森に出かけて迷ってしまう.ヘンリーという年上の少年に出会ったが,さんざんからかうようにじらされた末に城まで案内された.驚いたことに,少年は,メアリーに合わせて城を訪問していたランカスター公の息子ヘンリーだった.
メアリーとヘンリーは楽しい日々を過ごし,結婚の決意もした.二人ともまだ幼かったが,ランカスター公は横やりが入る前に結婚させるつもりだった.
2. The Child Wife p.30
エリナーはランカスター公から結婚式の案内が届けられて仰天するが,トマスはフランスに行っており,どうしようもなかった.メアリーとヘンリーはケニルワース城で幸せな新婚生活を送るが,まもなくヘンリーは宮廷に戻らなければならなくなった.妊娠が分かったが,まだ十二歳にもならぬメアリーは死産してしまった.母が心配してやってきて,ヘンリーとメアリーを説き伏せてしばらくは妊娠しないようにすることにし,メアリーは母の城に移ることになった.
3. The Lord Harry p.53
三年が過ぎた.メアリーはヘンリーが訪ねてくるのが楽しみだった.ヘンリーは,メアリーの妊娠中,ワット・タイラーの乱が起こって九死に一生を得たことなどを話して聞かせた.同年のリチャード二世は,できもしない約束をして乱を鎮めた上で指導者を処罰するしたたかさを発揮した.だが,その後,寵臣ドヴィアにうつつを抜かすようになっていった.
メアリーも十五歳になり,夫とモンマスで暮らすことになった.
ジョン・オブ・ゴーントは愛人のキャサリン・スウィンフォードを妃同然に扱っていたが,正妻によるカスティリア王位継承権を主張してスペインに渡った.
メアリーは幸せな日々を送り,再び妊娠した.
トマスが訪ねてきた.ヘンリーと,リチャード二世の奸臣を除く計を練っていたのだ.だが,リチャード二世を廃してトマスが兄ジョンのいない間に王位を我が物にしてしまうことは避けねばならなかった.
メアリーは男子を生み,ヘンリーと名付け,父と区別するためハリーと呼ぶことにした.当初は弱々しかったが,乳母を買って出た村の女のおかげでみるみる元気になった.
その間,ヘンリー,トマスら訴追派貴族五名はリチャード二世に迫り,ドヴィアを排除することに成功した.
ジョン・オブ・ゴーントは,正妻との間になした娘がスペインの王位継承者と結婚することで手を打って帰国した.そして,息子ヘンリーに,リチャード二世の恨みを買ったはずだと言って,しばらく政界から遠ざかっていることを勧めた.ヘンリーはフランスの馬上槍試合に参加し,リトアニアでの異教徒との戦いにも参加した.
その間,ハリーに続いて,トマス,ジョン,ハンフリーと合計四人の男子に恵まれた.だが,ハリーは一度鞭でたたかれて以来,父のことを英雄視しながらも反抗的な気持ちを抱いていた.
4. The Last Farewell p.84
ヘンリーがリトアニアから持ち帰った熊をピットに入れて飼っていたが,ハリーがピットに降りてしまうという事件があった.ヘンリーは今度はたたくのではなく,自分の留守を守る家長としての自覚を促し,ハリーもまんざらでもなさそうだった.
メアリーは出産を恐れつつも,女子ブランシュを生んだ.
ジョン・オブ・ゴーントの正妻とリチャード二世妃が相次いで亡くなった.そしてメアリーは次の女子フィリッパを生んで亡くなった.リチャード二世とヘンリーは同い年で,いずれも幸せな結婚生活を送り,相次いで妻をなくすという似た境遇だった.
第二部
5. The Forget-Me-Not p.109
ジョン・オブ・ゴーントが貴賎結婚に対する反対を押し切ってキャサリン・スウィンフォードと結婚したが,これはむしろ好感をもって受け入れられた.一方,リチャード二世はまだ幼いフランス王家の娘と再婚した.
リチャードがすぐに世継ぎを生めない年齢の王妃を迎えたのを見て,ジョン・オブ・ゴーントは王位に近づいたのを感じ,ヘンリーにも諸国を旅するのはやめて国王の動向を注視するよう忠告した.
だがある事件があって,訴追派貴族の五人のうち三人が処罰を受けた.ジョン・オブ・ゴーントは慎重に振舞うようヘンリーに忠告した.そんなころ,国王が,オクスフォードで勉強していたハリーを宮廷に出仕させるよう言った.ジョン・オブ・ゴーントもヘンリーも警戒を隠せなかったが,従わないわけにはいかなかった.だがハリーは宮廷の生活を気に入った.
ヘンリーはヘレフォード公爵にされるなど厚遇されたが,同時にノーフォーク公爵にされたモーブレーと公の場で決闘する事態になると,国王は決闘を中止させ,ヘンリーに10年間(のち6年に短縮),ノーフォーク公には終身の国外追放を命じた.訴追派貴族五名のうち残っていた二名も処罰されたのだ.しかも,ハリーは宮廷に留め置かれることになり,事実上の人質となった.その数か月後,ジョン・オブ・ゴーントは世を去った.
ヘンリーはフランス宮廷に迎えられ,有力貴族ド・べり公が娘との縁談をもちかけ,リチャード二世に取って代わる可能性まで示唆された.だが,イングランドからソールズベリー伯が訪仏した直後,ド・べり公は冷淡になり,フランス王からも退去を言いつけられた.リチャード二世が手を回したようだった.
ヘンリーはブルターニュに身を寄せ,老ブルターニュ公の若い公妃ジョアンナ(ジョーン)とも親密になったが,公妃に懸想をしたとの讒言で殺されかかった友人もいたとのことで下手なまねは避けた.ヘンリーの息子ハリーとブルターニュ公の娘の結婚話が持ち上がったが,フランス王がより有利な縁組を持ちかけて,ブルターニュ公は受けてしまった.ジョン・オブ・ゴーントの死去を聞いたのはそんなころだった.しかも,リチャード二世は生前の約束に反し,ヘンリーが継ぐはずのランカスター公領を没収した.ブルターニュ公はヘンリーがランカスター公領,ひいては王位を力ずくで手にするなら援助を惜しまないと言ってくれたが,外国人兵をイングランドに入れることの愚はヘンリーもよく知っていた.リチャード二世の不人気が高まっていることをあてにすることにした.
アイルランドで反乱が起こり,リチャード二世は自ら赴き,人質のハリーらも同行させることにした.
ヘンリーはスペインに行くふりをしてイングランド入りすることを計画した.ジョアンナと別れを惜しみ,そこにあった花,忘れな草を紋章とすることにした.
リチャードはアイルランドに上陸したが,軍を率いるたちではなく,兵の士気は下がる一方だった.
ヘンリーがウェールズに上陸したとの知らせに,リチャードは人質のハリーを城に幽閉させるが,流血は好まなかった.不当に没収された遺領の相続を求めるヘンリーのもとには参集する貴族が相次ぎ,予想以上の規模に膨れ上がった.リチャードは退位し,ヘンリー四世の代となった.
6. The Prince and the Virgin Widow p.151
ヘンリー四世はハリーをリチャード二世の妃だったイザベラと結婚させようとする.ヘンリーと同い年のリチャードに対して,イザベラは年回りはハリーとちょうどよかったが,イザベラは大切にしてくれたリチャードを愛するようになっており,ヘンリーやハリーを憎んでいた.父フランス王に呼ばれて帰国したが,祖国では母の王妃が王弟オルレアン公と浮気をしており,さらに再婚も考えられているらしく,暗澹たる思いになるのだった.
7. Hotspur p.174
ウエールズで反乱が起こり,ヘンリーはハリーの教育も兼ねてノーサンバランド伯の息子ホットスパーに預けた.ホットスパーは有能な軍人で,ハリーにもその兆しを認めた.だがホットスパーが投降した反逆者を許したのをヘンリーは認めず,誇りを傷つけられたホットスパーはヘンリーを憎むようになった.ウエールズと手を組んだホットスパーはヘンリー四世の軍と戦うことになったが,ホットスパーは矢に当たって戦死した.王位の維持のためには手段を選ばない気持ちになっていたヘンリーは,ホットスパーの遺体を四つ裂きにしてさらした.父ノーサンバランド伯は怒って復讐に燃えたが,やはり敗れて戦死した.
ブルターニュ公が亡くなり,ヘンリーは思いを交わして忘れな草を託した元公妃ジョアンナと再婚した.だがヘンリーは外国旅行の折に得たらしい奇病が発病した.癩病かと恐れたが,回復した.しかも,ウェールズに派遣したハリーは若年ながらもよくやっており,反乱も終息に向かった.
8. Isabella at the Court of France p.198
フランスでは王の発病の間の摂政としてオルレアン公が指名されていたが,その放漫な生活を指摘された王は,ブルゴーニュ公に変えた.ブルゴーニュ公は善政を敷いたが亡くなり,無畏公ジャンが新たなブルゴーニュ公となった.オルレアン公とブルゴーニュの対立は深まり,ブルゴーニュ公は和解すると見せかけてオルレアン公を呼び出して暗殺した.
リチャード二世妃だったイザベラはオルレアン公の息子と結婚したが,出産直後に亡くなった.
9. Prince Hal p.216
イングランド王妃となったジョアンナだが,現実は夢物語のようにはいかなかった.だが少なくともハル王子は母として受け入れてくれた.
王妃を賛美する詩を贈ったりしていた若いヨーク公のことをヘンリー四世は苦々しく思っていたが,王位継承のライバルであるマーチ伯を救出する企てに関わったことで捕らえさせた.その身柄をハリーに預けるが,ハリーの献策で数か月後に解放を認めると,思惑通りヨーク公は感謝の念を抱いたようだった.
ハリーは下町をうろついて下々の者と交わっていた.民のことを知る必要があると思っているのだった.
ハリーの家臣が裁判にかけられ,ハリーは王座部首席裁判官に釈放を求めて剣まで抜くが,首席裁判官は堂々と裁判官の権威を主張し,ハリーも自分の非を認めた.ヘンリーは,王位について以来,罪悪感と奇病に悩まされていたが,王座部首席裁判官と王位継承者に有能な人材を得たことで少し気持ちが和らいだ.
フランスでオルレアン派とブルゴーニュ派が対立し,ヘンリー四世はオルレアン派(リチャード二世の王妃の再婚先)だったが,ハリーは王の病中にブルゴーニュ支援の兵を送って勝ってしまった.復帰した王は怒り,ハリーの弟トマスをクラレンス公にしてオルレアン派支援の兵を送り出した.
だがまもなく王は没した.ヘンリー四世の生涯は苦難に満ちていたが,二度の結婚だけには恵まれた.
第三部
10. Oldcastle p.249
ヘンリー五世となったハリーは放埓な生活を改めた.
ロラード派が新たな頭目を得ているとカンタベリー大司教から聞かされるが,その頭目というのが,かつて下町の酒場で一緒に楽しんだジョン・オールドカースル〔シェイクスピアのフォールスタッフのモデル〕だった.ヘンリーはオールドカースルを呼んだが妥協する気配はなく,オールドカースルはロンドン塔に入れられた.
父王は争いを好まなかったが,ヘンリーはフランス王位継承権を主張して戦うことにし,父王の妃ジョアンナに息子ブルターニュ公に協力させるよう説得を依頼する.
一方,オールドカースルは脱走し,国王兄弟の命まで狙われた.オールドカースルからと思われる秘密の使者のおかげで危地を脱してウエストミンスターに戻ったヘンリーは,騒乱を収めることに成功する.ヘンリーは,オールドカースルが捕縛を逃れたと聞いて安堵する.
11. Agincourt p.268
ヘンリーは叔父らの慎重論もものともせずフランスに出兵した.アルフレールは容易に占領したものの,赤痢で多くの使者を出してしまった.そしてカレーに向かう途上,六千という少数の手勢でフランス軍の大軍とアジンコート(アジャンクール)の戦いで対戦した.イングランド弓兵の威力,大軍を生かせない戦場を選んだヘンリーの知略,ヘンリーが兵士に植え付けた自信によりイングランドは大勝利を収めた.その後,ヘンリーはイングランドに帰国した.
12. Death at Lollard's Gallows p.281
ヘンリー4世妃ジョアンナはイングランドで莫大な財を築いており,ヘンリー5世は戦費調達のためにそれに目をつけているようだった.まずいことに,ジョアンナの息子のブルターニュ公は英仏戦で中立を保ち,さらにリッチモンド伯としてイングランドで取り立てられていた息子アーサーはフランス側について戦い,ヘンリーの捕虜となっていた.まさかイングランド軍の勝利は予想もしなかったのだ.
ヘンリーはまた出征し,その間,留守を預かる弟ベッドフォード公は活動を再開したオールドカースルを捕らえて処刑した.
13. A Charge of Witchcraft p.295
ベッドフォード公はジョアンナの家臣二人が魔術を扱っていることを口実に詮議すると言ってジョアンナを捕らえて貴族宅に預けた.だが詮議のようなことは行なわれず,ジョアンナの財産を没収しただけだった.
14. Katherine de Valois p.303
イングランド王との結婚話があるフランス王の末娘キャサリン(カトリーヌ)はそれまでの十七年間の生涯を思い返していた.長姉イザベルはリチャード二世妃となったが,夫に先立たれて帰国し,オルレアン公の息子に嫁ぎ,舅オルレアン公がブルゴーニュに暗殺されたのでオルレアン公妃となったものの,出産を機に世を去っていた.
修道院にいたキャサリンは正気に戻った国王に呼び出されて宮廷に戻り,ヘンリーがキャサリンとの結婚を要求しているが,フランス王は要求が高すぎて飲めないと知った.だが王はまた病になり,トゥールに捕らわれていた王妃がキャサリンとともにフランスを救う意気込みで上京した.王妃はキャサリンをヘンリーに差し出すことで平和を勝ち取るつもりでキャサリンの肖像をヘンリーに送った.ルーアンを陥とす直前に肖像を受け取ったヘンリーは,初恋のリチャード二世妃イザベラの面影のあるキャサリンを気に入った.
ヘンリーは実際に会ってもキャサリンを気に入ったが,条件を下げようとはせず,いったんは和平交渉は決裂した.だがパリにも迫るヘンリーの勢いに,フランスはキャサリンを差し出し,現在の王の死後はヘンリーにフランス王位を譲ることを認めざるを得なかった.キャサリンも初めて見て以来ヘンリーが気に入っており,ヘンリーとの結婚を喜んだ.
15. Death of the Conqueror p.316
キャサリンはまもなく懐妊した.ヘンリーは占星術を信じてウインザーで生んではならないと言ったが,大陸に出征してしまったヘンリーへの腹いせに,キャサリンはウインザーで男の子を生んだ.知らせを聞いたヘンリーは,モンマスのヘンリーは治世は短いが多くを得る,ウインザーのヘンリーは治世は長いがすべてを失うという言葉を思い出していた.
キャサリンが大陸に会いに来たとき,ヘンリーは赤痢で苦しんでいた.多くの兵を死に追いやった病だ.同盟国ブルゴーニュ支援のために病を押して行軍を続けるつもりだったが,病には逆らえなかった.
ヘンリー五世は没し,幼いヘンリー六世の世となった.


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