リチャード3世関連小説

Red Rose of Anjou (Jean Plaidy, 1982)

イギリス王室にまつわる多数の歴史小説で知られるジーン・プレイディーによる「プランタジネット・サーガ」第13作.
ヘンリー六世妃マーガレットの生涯を軸に百年戦争末期・ばら戦争の発端からテュークスベリーの戦いまでを主に扱う.マーガレットはその過激な言動からよく悪女として描かれるが,本作でも必要以上に美化することはなく,友に対してはとことん尽くす一方,敵に対しては手段を選ばない性格ゆえに分別を失ってしまうという描き方をしている.ただ,ウェークフィールドの戦いの後,ヨーク公の首に紙の王冠をかぶせたことは「誰かが」やったということになっている.ボーフォート枢機卿,サフォーク公,サマセット公といった味方や,グロスター公,ヨーク公,ウォリック伯といった敵方も含めて,情勢の推移もマーガレットを中心にしながらもバランスよく叙述されている.
リチャード三世はエドワード四世の忠実な弟として何度か言及されるのみ.のちのリチャード三世妃アン・ネヴィルと婚約相手のマーガレットの息子エドワードとは,本作では互いに気に入っていたという設定になっている.一方,エドワード・オブ・ランカスターとヘンリー六世の死についてはエドワード四世の意向であったことを示唆している.
1. ルネ (p.1)
オルレアンがドンレミ出身の田舎娘によって解放されるころ,アンジュー家のルネにマーガレットが生まれた.そのころ,ルネはバールを相続して地位が上がり,フランス王シャルル七世のランスでの戴冠式にも招かれた.2年後には妻イザベルの父が亡くなってロレーヌを相続したが,ブルゴーニュの敵のアルマニャックに味方していたため,ブルゴーニュ公がサリカ法を盾にイザベルの相続を否定してイザベルのいとこアントワーヌに相続権があるとした.勝気なイザベルがロレーヌの明け渡しを拒んだために戦いになり,ルネは負傷して捕らえられてしまった.
だがアンジューの女は男よりもしっかりしている.ルネの母がそうだったし,妻イザベルも,その母マーガレットもそうだった.イザベルは娘たちを連れてパリの国王に援助を乞うことにした.得るものはなかったが,娘たちの世話役として連れて行ったアニェスは国王シャルル七世の気に入り,宮廷に残ることになった.
当のルネはもともと争いは嫌いな文化人で,虜囚となってもブルゴーニュ公らの肖像を書いて日々を楽しんでいた.ブルゴーニュ公はそれを気に入り,ルネとイザベルの長女ヨランドをアントワーヌの息子に嫁がせることや莫大な身代金の支払いなどを条件にルネは解放された.
イザベルの母マーガレットは身内の神聖ローマ皇帝にとりなしを依頼したが,ブルゴーニュ公はそれに怒り,ルネは息子たちとともに虜囚の身に戻らなければならなくなった.自分の干渉が招いた結果を気に病んだ義母マーガレットは間もなく亡くなった.イザベルは夫ルネの解放のために奔走しなければならず,マーガレットはルネの母ヨランドに引き取られることになった.
2. ヨランド (p.31)
マーガレットは祖母ヨランドのもとでアンジューで暮らすようになった.数年後,イザベルの尽力で身代金を支払ってもらった父ルネが自由の身になってやってきた.だが,ルネは兄の死によってナポリ王位継承権を相続しており,すぐ妻とイタリアに行ってしまい,マーガレットは祖母との暮らしを続けた.
シャルル七世はアニェスを愛人としたが,その感化を受けて国王らしくなっていった.ヨランドの娘でありその現実主義を学んだ王妃マリーもそれに不満はなかった.フランス国内でのイングランドの脅威も大きく減退していた.イングランドのボーフォート枢機卿が和平のためにフランス宮廷に来ていたが,ヨランドの薫陶を受けたマーガレットが宮廷を訪れたときには感銘を受けたようだった.
厳しい冬のある日,ヨランドは亡くなった.折しもルネとイザベルはナポリ王位を求める戦いをあきらめてフランスに戻ってきた.
3. 盗まれた肖像画 (p.50)
マーガレットにはブルゴーニュ公の甥のヌヴェール伯との縁談が持ち上がっていたが,中年であり,しかも我意の強いマーガレットには合いそうもなかった.だが,祖母の教育を受けたマーガレットは動揺は見せなかった.
そのころ,城に一晩の宿を求めたシャンシュヴリエという者が,イングランド国王ヘンリー六世がアルマニャック伯の娘との縁談のために肖像画を取り寄せていると話した.だが,シャンシュヴリエが去ったあと,ルネは自分が描いたマーガレットの肖像がなくなっているのに気がついた.シャンシュヴリエはイングランド王ヘンリー六世の密命を帯びていたのだ.
シャンシュヴリエはフランス兵に捕らわれてしまったが,国王シャルル七世に事情を打ち明け,イングランドとの和平を進めたい国王はシャンシュヴリエを解放した.
4. マーガレットとヘンリー (p.60)
イングランドのヘンリー六世はプランタジネット朝の多くの王とは異なり,宗教や文化を好み,フランスとの戦争は終わらせたがっていた.ボーフォート枢機卿やサフォーク伯もその考えだった.そこでフランス王の姪でもあるアンジュー公女マーガレットの肖像を取り寄せさせたのだ.
国王の叔父グロスター公は戦争継続を望んでおり,この猪突猛進型の叔父を国王は疎ましく思っていたが,カリスマ的な魅力で人気はあるのだった.グロスター公は国王とアルマニャック伯の娘との縁組を主張していたが,国王は画家を派遣したものの急がせなかった.
サフォーク伯が大使としてフランスに派遣されたが,戦況が優勢なフランスの要求は高かった.サフォーク伯が持ち帰ったフランス側の提案は,国王が望んでおり,重鎮ボーフォート枢機卿が賛成しているとあって,承認された.ナンシーで代理結婚が行なわれた.マーガレットにはデイジーの花の意味があるので,マーガレットは民衆からデイジーと呼ばれた.父とブルゴーニュ公との協定で幼いころヴォーデモン家に引き取られた姉のヨランドも同時に結婚した.
マーガレットの一行は,パリでの行事のあと,ポントワーズでイングランド勢力圏にはいり,マーガレットはそこで初めてヨーク公と会った.王位継承者でもあるヨーク公は慇懃ながらも尊大で,マーガレットは好きになれなかった.
その後マーガレットはイングランドに渡ったが,病になり,ヘンリー六世は従者のふりをして会いにきた.ヘンリーは導き甲斐のある人物で,マーガレットにはぴったりだった.ヘンリーもマーガレットを気に入った.ヘンリーはマーガレットの美しさと強さに惹かれ,それでいて華奢な体つきで守ってやるような気にさせられるのでなお気に入った.
マーガレットはボーフォート枢機卿やサフォーク侯(縁組取りまとめの功で昇爵していた)夫妻といった味方の存在に力を得て,グロスター公を敵視することを隠さなかった.一方,グロスター公はヨーク公と親密にしていた.グロスター公はヘンリー六世の叔父として次の王位継承者だったが,ヨーク公はヘンリー六世より上位の王位継承権があると自負していたのだった.
5. 変死 (p.97)
フランスとの休戦の交渉の段になると,フランス国王がイングランドにメーヌの放棄を求めていることが明確になった.グロスター公はそれを快く思わず,国王にフランスとの妥協を勧めるに違いないマーガレットが目障りだった.グロスター公はマーガレットがサフォーク侯と浮気をしているとのうわさを流した.フランス嫌いの機運も相まって,マーガレットの人気は消えた.グロスター公は議会に召喚されたが,その直後に急死した.マーガレットは仇敵の死を喜んだが,同じころ頼みとしていたボーフォート枢機卿も世を去った.
そしてグロスター公のような軽薄ではないヨーク公が残っていた.サフォーク侯の提案とマーガレットの口添えにより,ヨーク公はアイルランド赴任を命じられた.しかもサフォーク侯はグロスター公の遺産から利することができ,公爵に昇爵された.
6. ニコラス・オブ・ザ・タワー (p.113)
ヘンリーとマーガレットは幸せな結婚生活を送っており,ヘンリーにならってマーガレットもケンブリッジにカレッジ(クイーンズ・カレッジ)設立を後援した.だが,御料林での家臣の狩りを禁止するなど,国王に断りなく命令を下すことも多くなっていった.
フランスとの和平のため,マーガレットの説得もあって,国王はメーヌをフランスに割譲した.それにもかかわらず休戦が破られ,ノルマン人の征服以来イングランド領だったノルマンディーが失われた.サフォーク公やマーガレットへの批判が高まり,サフォーク公はロンドン塔に入れられた.サフォーク公妃アリスはマーガレットの親友でもあり,マーガレットはサフォーク公の解放を王に求めたが,議会が収監を決めたことは国王としてもどうにもできなかった.だが,国王は五年間の追放という形でサフォーク公をロンドン塔から出すことにしてくれた.
占い師がかつてサフォーク公は塔から出られれば生きられるが出られなければ死を迎えると告げていた.フランス亡命に向けサフォーク公が乗ろうとした船はセント・ニコラス・オブ・ザ・タワーという名だった.不吉なものを感じたサフォーク公が乗り込むと,捕らえられ,処刑された.船は国王の船だったが,アイルランドにいるヨーク公が手を回したのではないかと思われた.
7. ジャック・ケイド (p.127)
台所下働きだったジャック・ケイドは妊娠させた女を殺してしまったことで出奔し,ヨーク公の縁者モーティマーを名乗ってフランス遠征軍に加わった.だがイングランドにとって戦況は思わしくなく,もうからないとわかると帰国した.ケント州でエイルマーを名乗って医者となるが,思いがけず好調で名士の娘と結婚する.調子に乗って反乱軍を起こしてロンドンに迫り,国王や王妃への面当てと喜ぶ民衆に歓迎されたが,死刑を行なったりするに及ぶとロンドン市民は反発した.さらに,モーティマーを名乗ったことから本当のモーティマー家の関係者が調査を行ない,身元も割れてジャック・ケイドは指名手配された.結局みつかって護送される途中で死亡した.ジャック・ケイドの乱は終わったと思われたが,ジャック・ケイドはヨーク公を巻き込んでいた.
8. テンプル法学院の庭で (p.145)
アイルランドのヨーク公は,聡明で誇り高い公妃セシリーと,ジャック・ケイドの乱の顛末を話し合った.この乱は,国王,王妃に対する不満が高まっていることを示しているとの見方で一致した.国王は善人で慕われてはいたが,統治には向いていなかった.ヨーク公は,乱に関与していない申し開きのためと,アイルランド統治の資金について話し合うために,国王の許可はなかったがイングランドに向かうことにした.
国王はオーエン・テューダーと亡き母〔キャサリン・オブ・ヴァロワ〕との間の遺児の面倒を見ていたが,マーガレットは国王に代わって政治に精を出しており興味はなかった.マーガレットは愛情も憎悪もストレートに表に出し,それが美徳だと思っていた.国王を思いのままにするマーガレットの不人気は高まる一方だった.フランスでの軍事的失敗で責められているサマセット公エドマンド・ボーフォートが唯一の味方だった.
イングランドに上陸したヨーク公は国王に恭順の意を示し,疑うことを知らない国王は二つ返事で議会開会などヨーク公の要求を聞き入れた.あとでそれを知ったマーガレットは,ヨーク公を警戒しようともしないヘンリーにあきれ返る.
テンプル法学院の庭園でサマセット公とウォリック伯(アン・ビーチャムとの結婚のおかげで莫大な財産をもつ伯爵位を得たソールズベリー伯の子)がフランスでの損失をめぐって言い合いになり,サマセット公は赤ばらを摘んでランカスター家の印とした.それを受けてウォリック伯はヨーク公の象徴である白ばらを摘んで,居合わせた者たちはそれぞれ支持するばらを手にした.白ばらのヨーク派はサマセット公を排除してヨーク公を重要な地位に付けることを求めていた.議会はヨーク公をヘンリーに世継ぎがない場合の王位継承者と宣言した.国王はヨーク派が白ばらを付けて議会に出ると聞いても,白ばらは以前からヨーク公の象徴だと一向に気にする風はなかった.一方,マーガレットはこれは宣戦布告だといきり立ち,自派に赤ばらを付けて対抗させる決意だった.
9. 国王の発病 (p.162)
赤ばらと白ばらの議会から二年が過ぎたが,サマセットの施政は頼りないながらも,王妃マーガレットのバックアップもあってヘンリー六世の王座は安泰だった.父ルネから母の訃報が届いた矢先,マーガレットの懐妊がわかった.だがまもなくして国王は原因不明の病気で寝たきりとなり,何にも反応しなくなってしまった.狂人であったとされる祖父のフランス王シャルル六世の影響かと懸念された.マーガレットは健康な男子を生んだが,国王はそれすらわからなかった.マーガレットは聖人の告解王エドワードの祝日に生まれたのでエドワードと名付けた.仇敵ヨーク公とセシリーの長男もエドワードだったが気にしなかった.
国王の回復の見通しが立たないなか,マーガレットは自分が摂政なり護国卿なりになるべきだと思っていた.マーガレットの母も,祖母もそうして政治を執り行ってきた.だが議会は王妃に権限を与えようとせず,ヨーク公が選ばれた.
ヨーク公は仇敵サマセット公を弾劾してロンドン塔送りにしたが,サマセット公も,ヨーク公に反旗を翻したエクセター公も捕らえたまま処刑しようとはせず,善政を施した.
マーガレットはコヴェントリーに移って国王の介護に専念した.発病から一年以上もたってヘンリーは回復したが,医師の勧めもあってすぐ政治の話を出すことは控えた.一刻も早くヨーク公を追い落としたいマーガレットではあったが,国王の病がぶりかえしては元も子もないのだった.
そんなとき,継父オーエン・テューダーが訪ねてきた.ヘンリーはオーエン・テューダーから乗馬を習ったものだった.オーエンと二人の息子,リッチモンド伯エドマンド・テューダーとペンブルック伯ジャスパー・テューダーはヘンリー六世とランカスター家に忠誠を誓い,マーガレットはそれを頼もしく見守るのだった.
10. セントオールバンズにて (p.187)
国王は帰京し,ヨーク公を解任してサマセットを復権させた.ヨーク公とウォリック伯,ソールズベリー伯はサマセット排除を求めて兵を挙げたが,マーガレットとサマセットは国王に軍を率いて出陣させた.
戦争を望んでいるわけではなく,息子エドワードにもそう言って聞かせていたヨーク公は,国王に王位を求めているわけではない旨の手紙を送った.だが,サマセット公は一通目は握りつぶし,二通目には,国王の意図をねじ曲げてヨーク派を反逆者と難じる返書を送った.これで戦闘は不可避となった.
セントオールバンズの町には国王軍が最初にはいって防備を固めたが,ウォリック伯が守備の手薄なところを発見して市街に突入し,ヨーク派の勝利となった.サマセット公は戦死し,国王も負傷した.ヨーク公は国王の王位は尊重しながらも政治の実権を握り,マーガレットは国王の看病と息子の養育に専念することになった.国王の傷は軽傷とわかったが,精神が弱くなっていることは明らかだったのである.
11. 友愛の日 (p.199)
マーガレットは復讐に燃えており,そのもとにヨーク派が集まりつつあった.テューダー父子もやってきた.ヨーク派はマーガレットを自分たちの指導者とみなすようになっていった.
国王はグリニッジでの政治を離れた生活に満足していたが,体調が回復すると,マーガレットはヨーク公が北部に行き,カレー守備隊長になっていたウォリック伯がカレーに行って不在の時をねらって国王を帰京させた.突如ウエストミンスターの議会に現われた国王を見て,議会はヨーク公の護国卿の地位を返上させて国王の親政に復することを決めた.
マーガレットは亡きサマセット公への恩義から先代の息子のサマセット公を登用した.これには眉をひそめる向きもあったが,マーガレットは憎しみも人一倍だが,恩義も大切にするたちだった.
マーガレットはヨーク公を追いつめるためにウォリック伯をカレーにくぎ付けにしようとして,叔父のフランス王にカレー攻撃を勧めた.ここでもヨーク公憎さのあまり分別を見失っていたのだ.フランス艦隊はイングランドのサンドイッチを略奪してしまい,マーガレットの関与が明らかになるとマーガレットへの批判は一層強まった.
国王はいつになく強い態度で国内の融和を主張し,ヨーク公ら主だった貴族をロンドンに集め,和解を演出する行事を催した.この日は友愛の日と呼ばれた.
12. キングメーカー (p.217)
王の異父弟エドマンド・テューダーが急死したが,まもなく妻マーガレット・ボーフォートが男の子を生み,ヘンリーと名付けた.
マーガレットはヨーク公よりもウォリック伯を脅威に感じるようになっており,カレーから帰国した際に暗殺を企てたが失敗し,ウォリック伯はカレーに逃れる.ヨーク公,ソールズベリー伯は王妃が戦争の準備をしているとみてウォリック伯を呼び戻した.ウォリック伯は王妃と戦う決意をして帰国したが,部下たちはまだ国王と戦う気はなかった.
ウォリック伯はランカスター軍に出会うが戦いを避けてラドローのヨーク公に合流する.父ソールズベリー伯も一足先に着いていたが,ブロア・ヒースでランカスター軍と戦って息子二人が捕らわれていた.
ランカスター軍がラドローに迫る.国王を同行させたマーガレットの知略が奏功し,ヨーク派の士気は上がらず,有力な部下が寝返った.ヨーク公はセシリーと下の子らを残してウォリック伯,上の息子マーチ伯エドワード,ラドランド伯エドマンドらと脱出した.
ウォリック伯はヨーク公の覇気のなさに幻滅し,積極的な長子エドワードに国王の素養を見出した.エドワードは多くの国民と同様にウォリック伯を英雄視していたが,ともにカレーに渡って間近に見るにつけその意を強くした.
ウォリック伯はアイルランドで一度ヨーク公と話し合ってからイングランドに上陸して,四万もの軍勢を従えてロンドンに迫った.国王軍とのノーサンプトンでの戦闘ではランカスター派の有力貴族何人かを仕留めて勝利したが,ウォリック伯はヘンリー六世に恭順の意を示してロンドン入りした.その後,ヨーク公がやってきて初めて王位を請求した.ヘンリー六世は意外にも王位を手放す気になれず,存命中は王位を保証される代わり,次代はヨーク公に王位を譲ることに合意した.
そこに,北部に潜んでいたマーガレットが挙兵して南下してきた.
13. 紙の王冠 (p.241)
ヘンリー六世がヨーク公を王位継承者としたことを聞いたマーガレットは,息子に対する夫の裏切りだとみなした.ヨーク派の追いはぎに持ち物や馬を奪われたが,少年の手引きで脱出してウェールズのテューダー家に身を寄せた.テューダーがウェールズで,ノーサンプトンの戦いを生き延びたエクセター公が北部で兵を集める一方,マーガレットはスコットランドに赴いて,幼い王を後見する皇太后の協力を求めた.フランス王にカレーを提供してもいいつもりになっていたマーガレットは,協力の見返りにスコットランド国境のベリックを求める皇太后の条件も承諾した.
ヨーク公は正攻法で議会に自分の地位の確認を求めたが,議会も裁判所も結論を出せず,味方の大法官の裁定で認められた.だが国民の歓迎はなかった.ウォリック伯はヨーク公が性急だったと述べ,エドワードも同意した.ヨーク公はエドワードがすっかりウォリック伯に手なずけられているのを感じるのだった.
マーガレットの挙兵を聞き,ウォリック伯とエドワードがロンドンを守る間,ヨーク公と次弟ラトランド伯がヨークで態勢を整えることになった.だが,ランカスター派は思いのほか大勢力を集めており,戦闘の末,ヨーク公らはウェークフィールド近くのサンダル城で包囲されてしまった.いったんはウォリック伯とエドワードの救援を待つことにしたが,ヨーク公はウォリック伯とエドワードに助けられるのを潔しとせず,多勢に無勢を承知で打って出た.結果は敗北で,ヨーク公,ラトランド伯,ソールズベリー伯は戦死した.ヨーク公の首はヨークの市門にさらされ,誰かが紙の王冠をかぶせた.
14. マーガレットの勝利 (p.256)
父ヨーク公の死で自らがヨーク公となり,王位継承者となったエドワードは,モーティマーズクロスの戦いでテューダー軍を破った.ジャスパー・テューダーは逃れたが,オーエン・テューダーの運は尽き,処刑された.
マーガレットは南下したが,その兵の多くは略奪目当てで集まった兵たちだった.迎え撃つウォリック伯は,かつて戦功を上げたセントオールバンズを戦場に定めて待ち構えていた.火器やギリシア火薬という新兵器も備えていたが,マーガレットが予想外の方面から攻めてきたために大敗を喫してしまった.マーガレットはヘンリー六世の身柄を取り返して息子エドワードと再会させることができた.だが,ヘンリーを護衛していた二人は,ヘンリーの助命の約束にもかかわらず処刑させた.処刑を身じろぎもせず見守るエドワードを見て,マーガレットは息子は夫のような弱虫ではないと満足するのだった.
15. 運命を分けた決断 (p.271)
マーガレットはロンドンに向かうべきなのはわかっていたが,略奪目当ての兵たちをロンドンに入れるわけにはいかず,セントオールバンズに留まった.
一方,セントオールバンズで一敗地にまみれたウォリック伯はモーティマーズクロスの戦勝で意気が上がるエドワードと合流した.ヘンリー六世の身柄を失ったことで,国王を奉じつつ奸臣を除くという大義を失ったウォリック伯は,エドワードを国王に擁立することにした.略奪の恐れがなくなったロンドン市民は王者の風格のある若きエドワードの王位を歓呼で受け入れた.
マーガレットとの決着をつけるべくウォリック伯は出陣する.一方,ヘンリーはその日は聖日なので祈りで過ごすことにし,戦いには加わらなかった.タウントンの戦いはランカスター派の敗北となり,マーガレットは急ぎスコットランドに逃れた.エドワードはヨークにはいって亡き父らの首を手厚く葬らせ,エドワード四世の王位は当面安泰になったのだった.
16. 雌伏の年月 (p.283)
マーガレットは国王と別れての日々を思い返していた.
タウトンの戦いのあとスコットランドに逃れたが,事前の約束通り国境の町ベリックをスコットランドに引き渡すことになった.だがその後はスコットランド人は冷淡で,マーガレットは父を頼ってフランスに渡った.だが,父ルネはマーガレットの立場を理解はしてくれたが,援助はできなかった.カレーを餌にフランス王の協力を取り付けたが,その遠征は惨憺たる失敗に終わった.その後,イングランドとの交易を重視するブルゴーニュとの関係を懸念したフランス宮廷も,マーガレットの援助はできないと言ってきた.旧知の友の支援でイングランドに足場を築いたこともあったが,すぐウォリック伯の軍勢に奪還され,一時は森で迷ってヨーク派につかまりそうになった.スコットランドに逃れたマーガレットは,国王に別れを告げて大陸に渡ったが,ブルゴーニュ公にかけあっても相手にされず,父の所領バールに引きこもっていたのだ.
マーガレットは息子エドワードの養育のみを喜びとして七年が過ぎた.
一方,ヘンリーはヘクサムの戦いのあと,北部の味方の間を転々としてヨーク派の捜索を逃れる生活だった.その間,修道院で僧として過ごした月日はヘンリーにとっては至福の日々だった.だがついに捕らわれてロンドン塔に入れられ,ろくに世話もされずに放置された.
17. 決裂 (p.299)
ウォリック伯は権勢の頂点にあった.マーガレット支援を防ぐためにフランスとの友好を考えていたが,エドワードは森で出会った未亡人に恋していた.ウォリック伯がフランス王の義妹とエドワードの結婚の話を進めていたが,エドワードは会議の席上でエリザベス・ウッドヴィルと結婚する決意を告げた.ウォリック伯の面目は丸つぶれだった.王妃となったエリザベスのおかげでウッドヴィル一族は権勢を伸ばし,ウォリック伯はエドワードの代わりにヘンリーを王位に復させることを考えるようになった.
意を固めたウォリックは国王を面と向かって難詰し,居城ミドラムに帰った.そこには王弟クラレンス公ジョージとリチャードがいた.ウォリックが国王の行状への不満を述べると,兄王に執心のリチャードは聞いていられないと言って席を立った.野心的で陰謀好きなクラレンスは,ヘンリーを名目上の王位に復させ,マーガレットの息子は庶子として差し置いてクラレンスを王位継承者にするというウォリックの策略が気に入った.クラレンスとウォリックの上の娘イザベルとの結婚の話も進められた.
18. 王妃の悲嘆 (p.314)
マーガレットと息子エドワードは変化のない毎日を送っていたが,フランス王や父ルネからトゥールに来るようにとの通知を受けた.イングランド情勢が好転しそうだというのだ.
ウォリック伯が会いに来ると聞いたときは仇敵ウォリックに会うつもりなどないとにべもなかったマーガレットだったが,父ルネや姉ヨランドとその夫にまたとないチャンスだと言われた.息子の権利を奪っているという姉の捨てぜりふでウォリックに会ったマーガレットは,フランス王自らの勧めもあってウォリックとの同盟を了承した.
そしてウォリック伯の下の娘アンと息子エドワードの縁談にも最初は反発したが,若い二人は互いが気にいったようだった.マーガレットは息子の希望だと自分に言い聞かせて結婚を承諾したが,正式な結婚はヘンリーが王位を回復してからだとした.意外にもアンのことはマーガレットも好きになった.
ウォリック伯はエドワード四世が北部の反乱におびき寄せられたところを狙って〔1470年〕9月にイングランドに上陸し,10月にはヘンリーを王位に復させた.いったんオランダに逃れたエドワードは再びイングランドに上陸し,バーネットの戦いでウォリック伯を破った.
ウォリックの死を知ったマーガレットは息子の身を案じてフランスに戻って時機を待つことを考えたが,当のエドワードは戦う気だった.だがテュークスベリーの戦いはすぐ敗色が明らかになった.エドワード四世はランカスター側の皇太子エドワードを生きて捕らえさせたが,その不遜な態度に,顔をはたいた.それを合図にするかのように,皇太子は刺殺された.
修道院で嫁アンと待っていたマーガレットは息子の死を聞き,逃げる気もなくなった.エドワード四世は捕虜となったマーガレットやアンを連れてロンドン入りした.王弟リチャードはもはやマーガレットの希望はないと言ったが,エドワードはヘンリー六世が生きていることを指摘した.その晩,ヘンリーは枕で窒息させられた.
19. 終幕 (p.337)
五年後,フランス王が身代金を払ってくれてマーガレットはフランスに帰国できた.父ルネが城を与えてくれたが,もはや何の希望も持てなかった.数年後,巡礼で訪れた地でマーガレットは世を去った.


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