歴史小説でたどる英国史(など)

The White Plume (Samuel Edwards)

イングランドの大内戦時に王党派の騎兵を率いて活躍し,王政復古後は提督,のち海軍トップにまでなるルーパート王子(チャールズ一世の甥でチャールズ二世のいとこ)(Wikipedia)の話.
大筋や個々のエピソードは事実に基づいているものの,ルーパートをヒーローとして描き出すために大胆に歴史をアレンジしている.特に第二次英蘭戦争中の1666年にオランダの港を焼き討ちにした「ホームズのたき火」にルーパートも参加して奮戦したことになっている一方,逆に翌年オランダ艦隊にイングランド本土が襲撃されたことなどは省いて,オランダ側に和を乞われたという展開になっているのはその最たる例だろう.そんなわけで,史実に忠実であることを求める向きにはお勧めできないが,フィクションと割り切れるなら,血気盛んな若者だったルーパートが多方面で活躍し,成熟した大人として若いチャールズ二世の復古王政を支えるというヒーロー物語として楽しめる.
終盤,若い女優ペグ・ヒューズとの関係が詳しく語られるが,私の癖で,最初はちょっと長すぎる脱線だと思っていたのだが,ペグとの仲が史実と知って思い直した.家庭の安らぎを求める英雄ルーパートの内心も本編の一つの軸となっているといえる.
第一部(p.7)
1638年,青年ルーパートは兄カール・ルートヴィヒがパラティン選帝侯位を取り戻すための戦いで勇敢に戦ったが帝国軍の捕虜になった.だが身柄を預かったクフシュタイン伯はルーパートの知性を認め,ルーパートもレイデンでの学業がいやだったのとは裏腹に,虜囚生活の間に知識を身につけた.叔父チャールズ一世の尽力もあって数年後に解放され,オランダで亡命生活を送っている母エリザベス(チャールズ一世の姉)のもとに戻った.
1641年2月,そのチャールズ一世が議会と対立してロンドンを脱したと聞いてドーヴァーに渡るが,謀反人を根絶やしにするとはやるルーパートに対し,チャールズ一世は事を荒立てたくなかった.王女メアリーのオレンジ公への輿入れに乗じて王室の財宝を国外に持ち出す王妃に同行するという名目で,ルーパートは体よく追い返されるのだった.
第二部(p.59)
だがイングランドでの内戦が不可避になると,ルーパートに渡英が要請された.ルーパートは弟モーリスとともにイングランドに渡る.リンゼイ将軍には受け入れられなかったが,独立して騎兵を募り,指揮することになった.制服をそろえる余裕のないルーパートの部隊は,白い羽飾りを印とした.ルーパートは宮廷人のようにお高く止まっていずに,兵に混じって自分の考えを説いて信頼を得,部隊を拡大していった.あるとき反乱軍に急を襲われたが,準備のできた少数の手勢で勢いをかって敵を潰走させ,名を上げた.
ルーパートは経験を積むとともに血気にはやる若者から戦略家に成長していった.また,優柔不断な国王や嫉妬から人の足を引っ張ろうとする取り巻きに辟易する一方,議会にも一定の国政参与を認めるべきという謀反人らの主張にも一理あることを理解するようになっていった.
第三部(p.127)
1645年,ネーズビーの戦いで国王軍は完敗した.ルーパートは正面決戦では負けるとわかっていたが,国王の命令でやむなく戦ったのだ.その後,ブリストルに立てこもったが,救援の見込みもなく,反乱軍がよい条件を提示してくれたので降伏を受け入れた.市を去るとき,包囲軍のフェアファックスとクロムウェルに会ったが,クロムウェルを嫌悪する一方,フェアファックスには共感を覚え,フェアファックスのような穏健派がクロムウェルのような強硬派に駆逐されてしまう前に和解すべきだとの思いを強くした.
ブリストル開城が非難され,国王のもとでは友人らが収監されていると聞いてルーパートは駆けつけた.兵も資金もなく,すでに国王は敗れていると力説して,自らの無罪と友人らの解放を勝ち取った.国王は現実を突きつけられて落ち込んだが,フランスからの援軍が来るまでスコットランドに身を寄せる決意をルーパートに打ち明けた.ルーパートは国王の命で,議会派の許可を得てオクスフォードで暮らすことになった.
そのうちフランスの支援の手はずが整ったとしてフランスに渡る準備が整えられた.娼婦に扮したフランシス・バード〔史実では1646年生まれで,ルーパートと付き合うのは後年のことらしい〕ら協力者のおかげで無事,フランスに到着し,ルーパートはフランシスと公然の仲になった.だが,疎遠だった長兄カール・ルートヴィヒから忠告され,フランシスが他にも愛人を取っていたことを知り,別れた.フランシスは妊娠していたが,ルーパートの子かどうかはわからないと認めた.
第四部(p.221)
イングランド海軍の一部が王党派に寝返り,他に適任者がなかったため未経験のルーパートが王党派海軍の指揮を取ることになった.スコットランドに裏切られた国王がワイト島で捕囚となっているのを助けようとしたが,イングランド海軍にはばまれてできなかった.8か月も海上をさまよっている間に,1649年1月,議会派が国王を処刑したと聞かされた.
ルーパートはイングランド経済に打撃を与えるために商船を襲っては積荷を奪って売り払い,王党派の資金源とした.イングランド艦隊との小競り合いでも多数の勝利を上げ,ルーパートは陸上のみならず,海上でも名声をものにした.だが1654年,西インド諸島で暴風にあって弟マウリッツが行方不明になり,艦隊も壊滅したのでフランスの亡命宮廷に戻った.
もともと嫌われていた母后ヘンリエッタ・マライアからいわれのない戦利品の着服を糾弾され,チャールズ二世やハイドのとりなしにも関わらず,宮廷を去った.長兄カール・ルートヴィヒは皇帝からプファルツ選帝侯位を認められいたが,ルーパートを歓迎しなかった.やむなくルーパートはハンガリーで軍の指揮官の地位を引き受け,異教徒相手に功績を上げた.その後,皇帝の許可を得てマインツで好きな研究生活に没頭した.
1660年,かつての部下がイングランド政府の使いとしてやってきた.共和派に寝返ったのかと警戒するが,王政復古が実現したことを知らされた.ルーパートにも海軍の建て直しが要請されるが,母后の執拗な性格を知るルーパートは,さらなる騒乱を見越して,訪英する気にはなれなかった.だが,議会派でも国王の処刑に反対したフェアファックスは処罰されなかったこと,チャールズ二世が議会を尊重する約束をしたことなどを聞き,母エリザベスを訪ねるために訪英することにした.
第五部(p.259)
イングランドに上陸したルーパートは群集から大歓迎を受け,宮殿に連れて行かれた.そして,甥の国王が,母后に対しても断固とした態度をとるつもりであることを知り,協力することにした.
国王らと劇場に出かけたとき,上演後のパーティーで娘のような若い女優ペグ・ヒューズが男にからまれているのを助けて家まで送っていった.誰しもルーパートが愛人をつくったと思ったが,ルーパートは紳士的に振る舞った.
オランダとの戦争が勃発する.出撃したルーパートは,自らは果敢に敵艦隊の中央を突破したものの,王弟ジェームズらの動きが鈍く,勝機を逃してしまった.その後,フランスもオランダ側に立って参戦するが,ルーパートがフランス艦隊を牽制している間,アルベマール公(マンク)がオランダ艦隊相手に奮戦し,海戦四日目,そこにルーパートも駆けつけて敵を退けた.
ルーパートはペグと愛し合うようになっていた.おかげで女優としての才能はそれほどでもないペグも人気が出た.
四日間海戦の被害を修復する間,ルーパートは小艦艇でオランダの海軍基地をたたくことにした.ホームズを指揮官とし,自らも加わってヴリーラントを夜襲して100隻以上のオランダ艦を焼いたが,自らも木片が頭に刺さって重傷を負う.
手術を受け,屋敷で静養する間,ペグは面会者を断り,国王さえも追い返した.ルーパートが静養している間に,オランダが和平を乞うてきて,戦争は終わった.
国王に回復の挨拶に行ったとき,訪英中のフランシス・バードに,息子が訪ねて行ったら会ってやってくれと頼まれた.今さらフランシスに今の生活を乱されるつもりはなかったが,ペグの勧めもあって会ったところ,若いころの自分に生き写しだった.放蕩を続ける母とは別れて一人でイングランドで学んでいた息子に対し,ルーパートは軍人としての教育を受けられるようにしてやった.
ペグはそんなルーパートの私生児を見て複雑な気持ちになる.自分もルーパートの子を身ごもっていたのだ.それを聞いたルーパートは,国王の許可も得て,爵位等の相続のできない貴賤結婚ではあるが,正式に結婚式を挙げる手配をするのだった.


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