【 】はシェイクスピアの『リチャード三世』での関連場面(幕−場)を示す.ただし,シェイクスピアの戯曲では歴史年代をあたかも数日のできごとであるかのように圧縮していることは言うまでもない.
《 》はジーン・プレイディー『リチャード三世を愛した女』の関連ページを示す.
1422  ヘンリー5世(「フランスの征服者」)没し,9か月の幼児ヘンリー6世即位
1445  ヘンリー6世とマーガレットの結婚《142-145》
1455  セントオールバンズの戦い(第一次)(ヨーク公リチャードがウォリック伯らの支持を得て挙兵,ヘンリー6世を破る)
1460  ウェークフィールドの戦い(ヨーク公リチャード敗れて,ヨークの城壁に首をさらされる)《12》
1461 2.2モーティマーズ・クロスの戦い(ヨーク公の遺児エドワード,ランカスター派を破る;オーエン・テューダー処刑)
2.17セントオールバンズの戦い(第二次)(ウォリック伯率いるヨーク派軍が戦闘に敗れるも,ヨーク公エドワードがロンドン入り)《19》
 エドワード四世即位《19》
3.29タウトンの戦い(エドワード四世率いるヨーク派がランカスター派を破る)《20》
1462  バンバラ包囲(7月にヨーク派が奪取;10月にマーガレットが近くに上陸して奪取;12月にウォリック伯が奪還)《21,27》
1464 4ヘッジリー・ムーアの戦い《43》
5ヘクサムの戦い(ランカスター派壊滅)《43》
5エドワード四世,エリザベス・ウッドヴィルと結婚《44,47》
1465 9ジョージ・ネヴィル,ヨーク大司教就任式
 ヘンリー6世,ランカシアで捕らえられロンドン塔に
1466 2エリザベス王妃,長女エリザベスを出産
 王妃の父,3月に大蔵卿に,5月にリヴァーズ伯爵に
1467 5ウォリック伯,フランス宮廷に派遣される《70》
6ジョージ・ネヴィル(ウォリック伯の弟),大法官解任《72》
 ブルゴーニュのフィリップ美公没《72》
1468 7マーガレット・オブ・ヨーク(エドワード四世の妹),ブルゴーニュ公シャルルと結婚《74,85-86》
1469 6ロビン・オブ・リーズデールの蜂起《93》
7カレーでイザベル(ウォリック伯の上の娘)とクラレンス公(エドワード四世の上の弟)の結婚《88》
7エッジコット[バンベリー]の戦い(エリザベス王妃の父リヴァーズ伯と下の弟討ち死に;上の弟がリヴァーズ伯に)《100》
1470 4ウォリック伯一家国外脱出《105-117》
7アンジェーの合意(ウォリック伯とランカスター家の同盟;下の娘アンとエドワードの婚約)《119,129》
9ウォリック伯,クラレンス公がイングランドに上陸《156》
 ヘンリー6世復位《156,160》
10エドワード四世亡命(アルクマールに上陸→ハーグへ;1471.1エールでブルゴーニュ公に会う)《156,158》
11エリザベス・ウッドヴィル,ウエストミンスターの聖域で初めての男児出産(のちのエドワード5世)
1471 3エドワード四世,弟リチャードらとともにフリシンゲンを出港し,イングランド北部に上陸《168》;ヨーク公として南下しつつ,ウォリックの町で王位を宣言;ウォリック伯は恭順を拒むが,弟クラレンス公はウォリックを捨てて復帰《169》
4.11エドワード四世ロンドン到着;ヘンリー6世捕虜となりヨーク朝復活へ【I-1】
4.14バーネットの戦い(エドワード四世の勝利;ウォリック伯敗死);同日,ウォリック伯の娘アン,マーガレット王妃らとともにイングランドに上陸《171》
5.4テュークスベリーの戦い(エドワード四世の勝利;ランカスター派の皇太子エドワード敗死)《174-》
5.21ヘンリー6世,ロンドン塔で没【I-2】《196》
1472  クラレンス公がアンを厨房女に身をやつさせロンドンに隠したのをリチャードが発見《230-257》
 クラレンス公,ウォリック・ソールズベリー伯位継承を認められる
1472?  アンとグロスター公リチャードの結婚【I-2】《277》
1473  アンの子エドワード生まれる《1476の説もあり》《282》;イザベルの子マーガレット生まれる《280,283》
 アンの母,修道院から解放される《289-290》
1474  イングランドとスコットランドの和睦
5アン(グロスター公妃)とイザベル(クラレンス公妃)の姉妹のウォリック伯の遺産相続問題解決
1475  イザベルの子エドワード誕生
 エドワード四世のフランス遠征《305》
8エドワード四世,ピキニー条約でルイ十一世と和睦《306-309》
1476 1マーガレット王妃(テュークスベリーの戦い以来捕虜になっていた),フランスに引き渡される《309》
12イザベル没《312》
1477 1ブルゴーニュ公シャルル没《312》
4アンカレット・トウィンホー処刑《323》
5トマス・バーデット逮捕《326》
6クラレンス公,ロンドン塔に【I-1】《326》
8ブルゴーニュ公女マリー,ハプスブルク家のマクシミリアンと結婚《339》
1478 1.15ヨーク公リチャードとアン・モーブレーの結婚式《326-327》
2クラレンス公,ロンドン塔で没【I-4】《338》
3スティリントンの投獄《339》
1480  スコットランド軍のイングランド侵入《342》
7/8ブルゴーニュ公妃マーガレット訪英《342-》
1482 3ブルゴーニュのマリー没《344》
5スコットランド遠征《345》
12アラス条約(フランスとブルゴーニュの和)《347》
1483 4.9エドワード四世没【II-2】《354》
4末リチャード,ストーニー・ストラトフォードで上京途上の少年王エドワード5世の身柄を確保《362》
5.4リチャード,少年王エドワード5世を擁してロンドン入り《362》
6.10リチャード,ヨークに派兵要請の手紙
6.13ヘースティングズ処刑【III-4】《375》
6.16ヨーク公リチャード(少年王の弟),聖域から出る《381》
6.16 or 176.22に予定されていたエドワード5世の戴冠式を11月に延期《382》
6.22エドワード4世とエリナー・バトラーとの事前結婚(エドワード5世私生児説)公表《388-》
6.25リヴァーズ,ヴォーン,グレー処刑【III-3】
6少年王エドワード五世廃位され,リチャード三世即位【III-7】《393》
7.6リチャード三世戴冠《395-399》
9ヨークで皇太子エドワード(リチャードとアンの息子)の立太子式《400》
ロンドン塔の2王子が殺害されたとの噂(Croyland Chroncleに記述あるが,一部地域との説も)
バッキンガムの造反【IV-3,IV-4】《410-》;リッチモンドの上陸作戦敗退【IV-4】《413》;リチャード三世は沿岸部のエクセターで凱旋
1484 1議会がリチャード三世承認
2ウイリアム・ハーバート,リチャードの庶子キャサリンと婚約(キャサリンの死で実現せず)
4皇太子エドワード・オブ・ミドラム(リチャードとアンの子)没《420》
1485  エリザベス・ウッドヴィルとリチャード三世の和解《428》
3.16王妃アン没
8.22ボズワースの戦いでリチャード三世敗死【V-3,V-4,V-5】
 ヘンリー7世即位【V-5】
1486 1.ヘンリー7世,エリザベス・オブ・ヨーク(エドワード四世の娘)と結婚;ランカスター家とヨーク家の統一【V-5】
1487  ランバート・シムネルの乱:クラレンス公の息子ウォリック伯エドワードを名乗るもストークの戦いで敗退;エドワード4世の妹エリザベスの子リンカン伯ジョン・ドラポール処刑
1491  パーキン・ウォーベックがアイルランドでエドワード4世の二男リチャードを名乗る
1492  英仏間のエタープル条約;ウォーベック,フランス宮廷を追われ,ブルゴーニュに
 エリザベス・ウッドヴィルの死
1495  ヨーク公妃セシリーの死
 ウォーベック,スコットランド宮廷に迎えられ,王族の女性と結婚
1497  ウォーベック,コーンウォールに上陸するも捕らわれる
1498  ウォーベック,脱獄失敗;スペインが王女キャサリンを皇太子妃にする条件として王位僭称者の排除を示したことで裁判に
1499  ウォーベックとクラレンス公の息子ウォリック伯エドワードの処刑
1501  リンカン伯の弟サフォーク,大陸で反乱を画策
1502  ジェームズ・ティレル,サフォーク伯の陰謀に連座して処刑;テューダー朝史観ではリチャード3世の命でロンドン塔の2王子殺害を手配したことを告白したとされる
1503  王妃エリザベス・オブ・ヨークの死




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