スペイン継承戦争関連小説:

サッカレー『ヘンリー・エズモンド』(Henry Esmond, 1852)

あらすじ
ヘンリー・エズモンドはカスルウッド(Castlewood)子爵に引き取られて小姓となるが、子爵は名誉革命(1688)で王位を追われたジェームズ2世を支持してボイン川の戦い(1690)での負傷がもとで世を去る。次代の子爵も決闘で落命するが、実はエズモンドが子爵家の正統な跡取りであると言い残す。子爵家に恩を感じるエズモンドはそのメモを握りつぶし[1-XIV]、スペイン継承戦争(1701‐1714)が勃発すると毎年のように出征する(ビゴ湾襲撃[2-V]、ブレニムの戦い[2-IX]、ラミイの戦い[2-XII];ウェイネンダール[2-XIII])。しかし、想いを寄せていた令嬢ベアトリクスの縁談を聞いて勲功を立てる気もなくし、モンス包囲戦で重傷を負って除隊する[3-I]。スティール[3-III]やスウィフト[3-V]に交わって文筆活動に専念していたが、その後ベアトリクスの婚約者の急死を知ったエズモンドは、何か大きなことをして気を引こうと思い立つ。そこで考えたのが王位僭称者ジェームズ・エドワードをイギリスに迎え入れることだった。
時は1714年6月、アン女王の命は長くはないものと思われていた。子のないアンの王位を継承するのはハノーヴァー家と定められていたが、ジェームズ2世の遺児ジェームズ・エドワードが王位奪回のチャンスをうかがっていたのである。
小説ではこのジェームズ・エドワードがカスルウッドの若当主フランクと年格好が同じでよく似ていることになっている。大陸にいたこのフランクが帰国の意図を伝えてきたことでエズモンドはある考えを思いつく。エズモンドは大陸に渡って話をつけると、帰国して古参の召使いなどを遠ざけて僭称者がフランクとして到着するのを待った。
ここから小説は史実から大きく離れてジェームズ・エドワードの渡英、アン女王との対面、ベアトリクスへの一目ぼれ、そしてアン女王薨去に伴う王位継承問題へと急展開して大団円に向かう。

(吉田一彦・友清理士『暗号事典』「サッカレー」の項目のあらすじ部分に若干加筆)


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革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜 inserted by FC2 system