アーバスノット『ジョン・ブル物語』 原著者まえがき

私が最初にジョン・ブルの一代記を書く役目を頼まれたとき,ジョンはこのようなことを言っていた.
「サー・ハンフリー・ポールズワース,あなたが正直な人間でおいでなのはわかっています.だからこそこの重要な役目をあなたにお任せすることにしたのです.どうか遠慮なく,真実を語ってください」
こうした敬すべき意向に添うべく,私は許可を得て彼が誰にも教えていない隠棲の場に訪ね,親しく話をさせてもらった.そのときのやりとりの記録いっさいは,東方の一部の君主の帝王記作者がやるように,しかるべき時機が来たときに開けられるよう,頑丈な金庫に入れた.べつに真実を言ったことで雇い主から首を切られると心配したわけでは決してないが,これが最も安全なやり方だと思ったのだ.私のジョン・ブル言行録はこれらの記録からまとめたものである.したがって,千年後の後世の者は,偉大な行動の背後に秘められた原動力について何も知らない衒学者の手になる膨大な年代記の中に真実を追い求める必要はない.そんなことをすれば惑わされるのがおちだと言っておこう.
信じがたいほどの労苦を払って,私は古代ならびに現代の歴史家たちの美文のいくつかを模倣しようと努力した.ヘロドトスの偏らない気性,トゥキディデスの厳粛,謹厳,厳格な道徳心,クセノフォンの博覧強記,ティトゥス・リヴィウスの崇高さと壮大さ.そしてポリビオスの散漫な文体を避けるため,ハリカルナッソスのディオニシオスおよびディオドロス・シクロスからかなりの文彩を借用した.タキトゥスのうわべだけの華麗さも務めて避けようとした.マリアナ,ダヴィラ,パオロ師は現代人で特に模倣しがいがあると思った人たちである.しかし,ジョン・バニヤンの『天路歴程』およびジョーゼフ・ホールの『テンター・ベリー』に限りなく負っていることを認めなければ不正直のそしりを免れないだろう.
このように励まされ,手本になる先人もあまたいたことを考えると,この大作をいかなる完成の域にまで高められたかは容易に想像できようというものだ.それが上下両院の無学な連中によって芽のうちに摘み取られることになってしまった.私が後世に大人物として名を残すのをねたんで,戦費調達の名目のもと,グラブ街の文人学区全体を一撃のもとに黙らせることで,自分たちの英雄の事跡を称えるはずのペンまで十把一絡げに縛ってしまったのだ〔一七一二年の印紙法〕.これほど大胆な行動に出る気になったのは,近々講和が結ばれるという見通しがあったからにほかならないと確信している.だが,かの有名な文人街に籍を置いた者を代表して,いくつか簡単な質問をするのをお許し願いたい.あの連中は講和とともに黄金の時代がくるとでも思っているのだろうか.反逆者の決起にはやった演説がなくなるだろうか.〔古代ローマの〕ケテグスとカティリーナはすっかりおとなしくなって,街には『危険な陰謀』について叫ぶ機会はなくなるというのだろうか.平和になれば豊かになって誰も追いはぎをしたり家に押し入ったりしなくなるとでもいうのだろうか.過てる預言者の夢想によって,まるで至福の千年王国が近いかのような過度の期待が世界にかけられているのが残念でならない.ああ,グラブ街よ!傑出した天才をあまた輩出してきたゆりかごよ!お前の没落はいかに嘆かわしいことか!イギリスの自由を大切に思う人間だったら,そなたの破滅を図るはずがない.現代のどの学園をもってしてもそなたの栄光にはかなうまい.甘やかされた徒弟とはにかみ屋の料理娘の情熱を謳った軽やかな田園詩でも別れる恋人たちの哀切な歌謡でも,あるいはホメロス風に高らかに苦難の英雄たちの戦略や困難な冒険,夜襲を記録したときでも,平和な市民の恐怖について強力な扉破りや巧みな錠前破り,鍛冶場で汗して働いて卑金属に女王の肖像を刻印するがすぐ肉やエールに化けてしまうヴァルカンの秘密の洞穴や洞窟を記述するときでも,あるいはそなたが単純な叙述に満足して執念深い復讐心のなせる残虐な行動や,街の娘たちが群がって耳を傾ける前で顔を赤らめて自分たちの受難を語る陵辱された乙女の訴えを語るときでも,そなたは忠実に物語をつむぐうちにも,この上なく厳粛な金言とこの上なく純粋な教訓とを混ぜ込んだものだ.自然の造化を探求し,得意になって記述する際にもそなたの眼識と洞察はいささかも減じるものではなかった.それはたとえ輝ける彗星の燃えるような尾や恐ろしい雷や地震の驚異の力や容赦ない水害を正確で際立った筆致で描いたときだろうと変わりなかった.
時にはマキアヴェリのような炯眼で国家の謀略,謀反人の反逆的な陰謀を暴き,歴代君主に賢者の助言を行なってきた.死刑執行人ジャック・ケッチとオールドベイリーの正義の味方の間の激烈な場面を描いていかに私たちの恐怖や憐憫をかき立てたことか.ホルボーン・ヒルを行進した民衆の勇敢さをいかに語ったか.神学的な懐の深さでもそなたの輝きはいささかも劣るところはない.死に瀕する重犯罪人に宗教上の助言を与え,安息日を破った者の罪悪感のとがめを記録した.ジョン・オーヴァートン〔さしえ版画家〕の絵や版画の気高い技術は今後衰えるのではなかろうか.豊かな創意工夫,適切な表現,正確なデッサン,神々しい態度,芸術的なコントラストが明暗の美によって高められてそなたの名高い作品に彩りを添え,うるさ型の大衆を驚かせるとともに喜ばせたあの技術が!さらば,力強い雄弁よ!気のきいた比喩,強烈な皮肉,端的な警句,生き生きとしたたとえ―みな永遠になくなってしまった!この代わりに我々は何を与えられるのか,わからない!あとのことは当の無学者が得々と話してくれるだろう.
読者にはどうかこの脱線を寛恕してほしい.この抑圧的で無体な税によってあまねくはびころうとしている無知蒙昧が近づきつつあることに,グラブ街の有為なる同胞に向けた追悼として必要なのだ.グラブ街で薫陶を受けられたことは私にとって幸運であった.その社会の知識人のうちにいくばくかの評価と栄誉は保っていたので,私はユトレヒトやレイデンの大学の教授たちから無償で学位を提供されてもそんな学位を取ることなどは見向きもしなかった.
さて,後世の人々がこれほど見事な歴史がどの時代に書かれたのかがわからなくならないよう(記しておかなければきっと議論の的となるだろう),未来の時代の知識人に伝えておくべきだと思う.本史は,ルイ十四世がフランス国王でその孫フィリップがスペイン王だった時代,イングランドとオランダが皇帝および同盟諸国と共同してこれら二君主に対する戦争にはいり,その戦争がマールバラ公爵の指導のもと十年に及び,オクスフォード伯の政権下で一七一三年にユトレヒト条約によって終結を見た時代に編纂されたものである.
当時,多くの人がジョン・ブルの物語,そしてその登場人物が風刺を含んだものだと想像した.筆者はそのようなことは決して認めたことはない.しかしながら,読者の想像力と好奇心を楽しませるため,ページ下部にこの物語の最も些末な部分について当時取り沙汰された風刺対象を印刷しておいた〔本訳稿では括弧内に訳注の一部として示している〕.



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