見どころ:オレンジ公は無抵抗で上陸し,エクセターにはいったが,その様子がエクセターからの報告で伝えられている.また,ブリストルからは,オレンジ公に合流しようとして捕らえられたラヴレス卿のことが伝えられている. |
ケルン,11月12日.フランス軍はアンデルナハ付近で集結中.同盟軍はデュースブルク付近でワルデック侯の指揮下で野営を張った.そこから一〇〇〇の兵がこの地の守備隊の増援として期待できる.カッセルからの報せによれば,その国の議会はヘッセン方伯に新たな募兵を行なうために十万クラウンを与えた.ブランデンブルク選帝侯は突然クレーフェに到着予定. パリ,11月20日.今月四日,王太子がマンハイムの前に到着.五日,兵がそれぞれ配置についた.六日,元帥デュラス公爵およびヴォーバン氏が攻撃壕着手のために地勢を視察した.攻撃壕は二つつくることが決定された.一つはネッカー川方面から市街に対して,もう一方はライン川から城塞に対してである.ネッカー川にかかる橋はその川の氾濫によって壊れていたが,修復された.八日,攻撃壕に着手されたが,損失は五〜六名だけだった.九日,包囲軍は敵が放棄した堡塁に取りつき,昼ごろ市街に爆弾を撃ち込むのを開始した.ド・モルネー侯爵は大砲の直撃を受けて戦死.ほかにも若干の死者,負傷者が出た.その晩,ライン川沿いの攻撃壕は城塞の覆道から四十ヤード以内にまで,ネッカー川方面の攻撃壕は市街の覆道から四〜五ヤード以内にまで進められた.三十ほどの兵が戦死ないし負傷した.十日,二つの砲台(一方は大砲四門,他方は六門)が目標に向けて砲撃を開始した.同日,王太子はハイデルベルク市を見に行った.晩近くなって市街が降伏,翌日には城塞も降伏した.十三日,守備隊は武器と物資,大砲二門とともに退去した.そして十四日,王太子はフランケンダール包囲に向けてその地を発った. エクセター,11月12日.この地方のジェントリーは誰一人オレンジ公には近づいていない.下層民がいくらかその配下に加わることを望んだ.公には武器が提供された.大砲と砲架はほとんどトプサムで陸揚げが完了した.この町の家々はオレンジ公の軍勢でいっぱいになっている.去る金曜日,バーネット師が大聖堂でオレンジ公の宣言を読み上げ,昨日はそこで説教もした.そしてファーガソンは力ずくで我らの大集会場で説教した.彼らはこの市の市長や聖職者たちに強く迫ったが,みな立場を守り通した. |
ブリストル,11月13日.サイレンセスターからの情報によれば,装備も立派な六〇〜七〇の騎兵を率いてオレンジ公の元に向かっていたラヴレス卿が昨夜その町で民兵隊(ボーフォート公爵閣下の命令により召集されていた)の士官たちによって取り調べを受け,足止めされた.そして前記ラヴレス卿およびその一行の十三名は激しく抵抗したものの拘束され,その小競り合いで連隊付き少佐のロレッジ少佐―実に恰幅のよい男で善良な士官―およびその息子が死亡,その連隊の大尉のリー大尉,当州副統監一名,ウイリアムズなる中尉,そして六名ほどの一般兵士が負傷した.他の者がどのくらい倒れたかの情報はない.ボーフォート公爵は捕虜の処遇について国王陛下の指示を受けるまで捕虜を安全に閉じこめておくよう命じた. 広告 今月六日,クロイデン裏手のイースト・グリーンステッドの運搬人より絹のナイトガウンとペチコートが盗難.ストライプ柄のヘアクロス製で肌色で白黒の細い縞に金色の花模様,ガウンの裏地は全面銀織物で純白.ペチコートは***まわりに縞があり,九つの銀のレースがあり,そのうち四つは****がある.これらについて,取り戻せるような情報をロンドンのコヴェントガーデンのキングズ通りのジェレマイアー・キディー氏,または前記運搬人に通知した者には,三ギニーの報酬が支払われる. |