『ロンドン・ガゼット』でたどる名誉革命


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見どころ:オレンジ公と対決するためジェームズ二世は軍勢をソールズベリーに集結させた.しかし,オレンジ公のもとにはせ参じようとする動きが始まっていた.

2400号

ロンドン・ガゼット


政府当局により発行

1688年11月15日木曜日‐11月17日土曜日

偽りの報道や情報防止のため,ガゼットは今後週三回刊行する必要があると考えられる.

ソールズベリー,11月14日

去る月曜日,コーンベリー卿は国王陛下の命令を受けたふりをして,ロイヤル騎兵連隊,ロイヤル竜騎兵連隊(卿はその連隊長),ラングストン中佐の率いるセントオールバンズ公爵の騎兵連隊に,この地からドーチェスターに向かわせた.そこで兵が休憩すると,さらにブリッドポート,アクスミンスターへと進んだ.士官の数名が陰謀を恐れコーンベリー卿に行き先を尋ねたところ,卿はホニトンの敵陣営をたたくと返答した.しかし,ロイヤル騎兵連隊および一部の竜騎兵の士官が猜疑心をつのらせるのを見て,自分に従う士官と竜騎兵とともにホニトンに去った.ラングストン中佐もセントオールバンズ連隊とともにそれに続いた.ロイヤル騎兵連隊および竜騎兵の残りは,長時間の行軍で疲れ切っており,かくも大規模な陰謀に幾分混乱していたこともあってブリッドポート方面に引き返した.国王陛下の軍勢の中将ファヴァシャム伯が昨日この地に到着した.
ソールズベリー,11月19日.ロイヤル騎兵連隊は士官,兵士ともすべてこの地に帰還した.ただし,中尉一名,少尉二名,若干の兵がいまだ不明.ラングストン中佐率いるセントオールバンズ連隊コーンベリー卿と竜騎兵の一部はまっすぐ敵陣営のあるホニトンに向かった.セントオールバンズ連隊の大尉サー・ヒュー・ミドルトンは脱け出して同様に帰還し,各中隊からの八名ずつで構成される前衛部隊を除いて竜騎兵はすべて脱けたと断言した.

そして裏切りによって敵陣営に導かれた士官や兵のうちで従おうとしない者は装備を奪われ,馬も取り上げられたとのことである.同連隊のスミス大尉は足が不自由なためこの地を離れなかった.ロイヤル騎兵連隊少佐のリトルトン少佐はたった今当地に到着し,前記連隊は十名も欠けていないと請け合った.兵たちの国王陛下への忠節がいかに堅いかを存分に示しているものである.セントオールバンズ連隊の兵五〇ほどが戻っている.ファヴァシャム伯は今朝,一隊をブランドフォードに送り,もう一隊をウォーミンスターに送った.

フィレンツェ,10月29日.当地の大公からバイエルン選帝侯への特命大使コルシーニ侯爵が昨日この地を発ってミュンヘンに向かった.厳粛にトスカナ太子の婚約者イオランデ・ベアトリーチェ姫の身柄を受け取り,この地にお連れするためである.到着は十二月の末になる見込み.彼女の家の官僚たちは来週出発し,バイエルンの国境付近のミッテヴァルトで姫を迎える予定.
ヴェネツィア,10月30日.コルフより到着した船によると,帰途にあるマルタのガレー船団に遭遇したとのことである.ネグロポントからの最新の情報は,総攻撃に向け準備万端整ったというもの.

ウイーン,11月4日.ベオグラードからの最新の書状がもたらした情報によると,カプラーラ将軍は再びセメンドリア訪問の予定.ウスラー少将はトルコ兵の襲撃から地元民の安全を守るため麾下の兵とともにいまだ展開中.トルコ兵の国境襲撃が続くため,帝国軍は軍の維持のための馬糧や食糧をその地で調達することができずにいる.テックレーがトルコ,ハンガリー兵の小部隊のもとにいることが



―裏面は手元にコピーがなく省略―



(C) 2004.6. 友清理士; 訳文の最終修正日2003.10.2
革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜   歴史文書邦訳プロジェクト   

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