2006年8月31日、AIが人間の助力なしに17世紀の暗号を解読したとのニュースが発表された。
Geby Jaff (Vals AI), "Claude Fable 5.1 Solves the Cyphral Distich" (blog、2026-8-31)
長年謎だった暗号が解けた(さらにその真偽が論争になった)という点でも興味深いが、やはりAIが自律的に問題を設定し、アプローチも自分で考えて解いたという点のインパクトが大きい。2026年は間違いなく、歴史暗号の解読の転換点となるだろう。
解かれた暗号はスコットランドの作家・翻訳家サー・トマス・アーカート(Sir Thomas Urquhart)のCyphral Distich(サイフラル・ディスティック、暗号二行詩)として知られるもので、1653年のLogopandecteision(ロゴパンデクテイシオオン)という著作に掲載されていたとされる。
Urquhart (1653), Logopandecteision (Internet Archive) (暗号文なし), etext (暗号文なし)
Maitland Club (ed.) (1834), The Woorks of Sir Thomas Urquart (Internet Archive) (暗号文はp.417)
暗号文は64個の数字からなる次のようなものだ。
これは1899年のNotes and Queries(Internet Archive)で紹介され、2014年にはKlaus SchmehのブログCipherbrain(2014, 2019)でも取り上げられて議論された。
この問題をClaude Fable 5.1というAIは、人間の助力なしでほんの44分で解いてしまったという(解読発表はFable 5.1リリースの前日)。費やした176000トークンというのは、AI使用料金にすると推計で数ドル~十数ドルだという(AI革命)。
解読結果は次のようなものだった。
解読の鍵は簡単なものだった。この暗号文前には32個のproquiritationという章句があるのだが、暗号文のk番目の数字nは、k番目の章句のn番目の単語の頭文字を表す、というものだった。
たとえば11番目の数字70は、11番目の章句の70番目の単語knavishの頭文字Kを表すのだ。
このような数字暗号を与えられた場合、暗号解読者が普通に考えるのは、a=1, b=20, c=7, ...などと割り当てが決まっている換字暗号だ。場合によって一つの英字に複数の単語が割り当てられていたり、たとえば20=kingのように単語を表す数字があったりすることもあるが、今回のような数字の羅列では換字暗号を想定するのが普通の発想だ。
ところがAIが発見した鍵は書籍暗号だった。書籍暗号自身はよくあるものだが、その場合、11ページの70番目の単語なら11-70と表すなど、2つの数字がペアで表されることが多い(2段組みの場合は左欄、右欄を表す数字などが加わって3つの数字の組)。だから一見して書籍暗号だとぴんとくる。だが今回の場合、1番目の章句、2番目の章句…と順に使っていくことにしたため、一見、章句を指定する数字が不要で普通の換字暗号のように見えてしまっている。そのため、書籍暗号という発想にたどり着けなかった(2019年のCipherbrainのコメントでNargaが似たような発想をしているようだが)。
しかも、章句番号を明示しないことによって多表式になった。つまり、同じ3という数字でも、2番目の章句の3番目の語を指すならGだが、18番目の章句の3番目の語を指す場合ならRとなるなど、一つの数字でも場合によって異なる文字を表すので、3という数字が何らかの決まった文字を表すことが前提の換字で考える限り、解けるはずがなかったのだ。
AIはどのようにしてこのような発想に到達したのだろうか。普通ならAIが出す答えはブラックボックスなのだろうが、今回は2つの着眼点を挙げたらしい。
・暗号文は32個の章句の直後に掲げられており、アーカートは32という数字を強調していた("there can be no number like that of two and thirty … be pitched upon")。暗号文が各32文字の2行からなることを考えれば、これは意味深に思える。
・暗号文に付随する詩は、誠実な読者はその中に"his own heart's wishes, and the Author's minde"を見出すだろうと述べており、章句は繰り返し"is the desire", "wish", "hope of"といったことを述べている。
これらのことから、暗号文の直前にある32個の章句に答えが隠されていると判断したらしい。
どうやらAIに与えた指示は、Cyphral Distichを特定して解かせたものではなく、単に未解読の暗号を解けと言っただけだったらしい。ただし、
(1)すでに解かれているものや、多くのもっともらしい解読が可能であるものは避ける
(2)超難問は避ける
という条件はつけた。それだけでAIはアーカートの暗号文を自ら選びだして解いたのだ。
問題を設定するまでに若干時間がかかったが、いったん問題を設定したら解くのはすぐだったという。
その間、人間の助力はなかった。(あらかじめ、Fableがこれまで解いてきた数学上の問題に比べれば簡単なはず、などといった激励は与えたようだ。)
Vals AIのブログは、問題を与えれば他のAIでも解けるかもしれないとしつつ、むしろこの問題が解けると見極めた点を評価している。
Vals AIのブログでは、解読文はand/landで韻を踏んでいること、王党派であったアーカートの立場と合致することからもっともらしいと述べている。(清教徒革命で父王を殺されたチャールズ二世は、王位奪還を目指して亡命先からスコットランドに赴いたが、1651年のウスターの戦いで大敗して再び大陸に逃れていた。)
もちろんそれだけでは解読の正しさの証明にはならないが、「k番目の数字nは、k番目の章句のn番目の単語の頭文字」という単純な規則で解読文を再現できれば、解読は正しいと思っていいだろう。難問とされた暗号の解読発表でよくあるように、あちこちに例外を設けてご都合主義的な読みをするような解読なら信憑性は低い。今回の場合、Vals AIのブログが挙げている1834年のテキストを使えば、特に数学やITの知識がなくても下図のように誰でも簡単に検証できる(私が自分で確かめた結果をpdfにまとめた)。
注意しなければならないのは、Internet Archiveにある1653年版では章句の順番などが異なっているということだ。この版を使えば当然正しい解読はできない。同趣旨のことは、すでに少なくともJozef Krajčovič(facebook 2026-9-5;同氏は2014年にCipherbrainにHans Jahrの名で情報提供したのだという)、kjfriedo (Bruce Schneierのブログでのコメント, 2026-9-10)、AI時短ラボ(2026-9-17)で指摘されている。
ブログ発表翌日に公表された批判(Reticuli)はKINGという語に関し、章句11にKで始まる語はないと指摘しているが、1653年版を使っているからだ。上図のように、1834年版を使えば問題なくKINGという語を読むことができる。
1834年版に基づけばFableによる解読が正しいのは明らかだが、問題はInternet Archiveで公開されている1653年版には暗号文はついておおらず、章句の配列も異なるので、AIの解読を再現できないということだ。
だが暗号文は捏造ということではなく、1653年版でもちゃんと暗号文が掲載されている版があるらしい。kjfriedo (Bruce Schneierのブログでのコメント, 2026-9-10)によれば、スコットランド国立図書館にある1653年版(H.32.a.39)はちゃんと暗号文がついていると記録されているという。
おそらく、Internet Archiveにある1653年版が最初のものだが、その後アーカートは章句の終わりに暗号文を掲載することを考え、必要な文字が出てくるように章句を並べ替えるなどして新たな1653年版を作り、その後者が1834年版のもとになったのではないだろうか。
(なお、2通りの1653年版のp.417を並べた写真をタイトルバックに使ったウェブサイトを見たが、写真はおそらく生成AIによるものだろう(記事はAI作成とあった)。)
Ekskybalauron(エクスキュバラウロン、通称The Jewel) (1652)(Internet Archive(暗号文なし);暗号文のある1652年版は上記kjfriedoがグラスゴー大学のASC (Archives & Special Collections) (Sp Coll Bi2-l.17)にあることみつけた)という著作にはCyphral Octastich(サイフラル・オクタスティック、暗号八行詩)という暗号文もある。AIはこれも同じようにして解読した。
AIが導き出した規則は、k番目の数字nは、kページのn番目の単語の頭文字を表す、というものだ。Jewelのページ数が284で、これが暗号文に含まれる数字の数285に近かったことからひらめいたらしい。AIの出力は、285個のうち44個は1~3語ずれていることを認識しているが、ハイフンを含む複合語や、&記号、段落番号、ギリシャ文字の数え方などで異同が出ていると考えているようだ。
これについては、やはりFable 5.1を使って私の未解読暗号のページの暗号を多数解読してくれたDaniel BourdeauがVals AIの規則を適用した結果を発表している。1652年版のページ番号には重複や抜けがあるらしいので、印刷されたページではなく、物理的に何ページ目かを使ったという。また、流通していた暗号文の転記は不完全なので、1983年版(Jack and Lyall (eds), The Jewel, Scottish Academic Press,p. 212)の画像から新たに自分でデジタル化したものを使った。
この検証でも、位置が一語ずれているものが若干あったものの、Vals AIの結果を再現できたという。(DistichについてはReticuliと同じ章句のテキストを使っているので当然否定的な結果になった。)
上記のkjfriedoも部分的に検証できたことを発表していた(Bruce Schneierのブログでのコメント; 2026-9-10)。
2026年は歴史暗号の解読にとっての転換点として記憶されるだろう。
これまでもAIを暗号解読に応用する研究はあった(私のブログ:2024-7-13、2024-7-19)が、それは暗号解読用のAIを開発するというものだった。それがここにきて、一般向けに提供されている汎用のAIに指示するだけで、あとはAIが考えてくれるというフェーズになったのだ(私が初めてそれを知ったのは2026-9-6)。
そのほか、解くべき暗号を指定したわけではないのに、「未解読の暗号を解け」という指示だけでAIが自分で解けそうな問題をピックアップできたことも注目に値する。
また、今回の解読とは別に、Vals AIの発表後1か月以内に私の未解読暗号のページに挙げていた暗号が次から次へと解読されていったのだが、AIが独自に解読したもののほか、刊行物やアーカイブの文書から解読文や鍵をみつけてくるということも多かった。どこまでが手作業でどこまでがAIの出力かは聞いていないが、AIは専門的な文献のみならず、アーカイブに保存されていて文字起こしされていない史料までも検索して、必要な情報を特定することができるらしい。古文書を含む膨大な文献を走査するAIの「粘り強い探索と文脈統合能力」が歴史研究における発見を加速することは間違いない(BrainDetox 2026-9-14)。
AIによるエニグマ暗号解読のニュースも飛び込んできたし(GIGAZINE, 2026-9-24)、数学でも「単位距離問題」「ヤコビアン予想」(朝日新聞2026-9-30 (Newtonとのコラボ記事))、ナビエ・ストークス方程式(朝日新聞2026-9-29)などの難問で成果を発揮しているという。
あらゆる面でAIの発達に圧倒されるが、2026年9月の私の一連のブログを見ていただいてもわかるように、AIが解読した暗号を暗号史の体系の中で位置づけるのはまだ人間の役割として残っている。それとて「暗号を解け」の代わりに適切な着眼点から人間がプロンプトを出せばかなり代替されてしまうだろうし、今回AIが自律的に未解読でありかつ解ける暗号をみつけてきたように、AIが自分でやるようになるのも時間の問題かもしれない。
あとはAIの結果を検証する務めがある。私が目にしたものはまともなものが多かったが、KRYPTOSのような有名な暗号では早くからいいかげんな解読の殺到が問題になっていたようだし(ブログ: 2025-11-22)、ヴォイニッチ手稿でも同様のことが指摘されている(出典なくした)。
これまでのAIの印象だと、難しい問題には堂々と間違ったことを言う難があった。新たな世代のAIとはいえ、ハルシネーションがなくなる保証はないのではないか。人間の役割が残るのは結構だが、AIの大量のアウトプットに人間の検証が追いつかなくなることは想像に難くない。それでも、AIで成果を得た人が、AIの出力を垂れ流すのではなく、一定の確認をしたうえで公表するようにしていけば、持続可能な形でAIの成果を研究の発展に取り入れられると信じたい。