大法官ハイド,暗号の安全性を語る (1660)

大法官ハイドは若きチャールズ二世の亡命宮廷に従っていたとき,各方面との連絡には暗号を用いていた.王党派ジョン・バリック(John Barwick)との間に使った暗号を別稿(英文)で紹介しておいた.なお,ハイドは秘書の裏切りを恐れて長男のヘンリー・ハイドにイングランドに送る暗号をみな暗号で書かせ,そのためヘンリーは一日の半分を暗号化や解読に費やしたとバーネットが伝えている

このハイドが,王政復古直前の時点に,よくできた暗号で注意深く書けば解読される心配はないと述べた有名な手紙を紹介する.

その背景にあるのは議会はよって捕獲された王党派ランボールド,モードントらの手紙の暗号が解読されたという話が伝わってきたことである.

モードント氏という人の多数の手紙が捕獲され,そのうち三通がすでに解読されたとの報告がはいっています.捕獲されたのは12日か14日前ということです.
(Major Wood to Hyde, 3 February 1660; Lister, iii, p.84)
〔要旨〕手紙の事故については,解読のために議会派が使った人物は,我々に開示したとき,自らにとっての何らかの利益のために国王への奉仕を意図したのだと確信している.
(John Cooper to Hyde, ?3 February 1660; CClSP, iv, p.541-542)
〔要旨〕モードントと我々の手紙の捕獲と解読について話し合ったが,発表されているように技巧と長い研究によってなされたというのは疑問.完全に信頼できるブロドリック以外には自分の暗号表を筆写できるほど長い間他人に預けたことはない〔ブロドリックが自分の暗号を焼却しなければならなかったのでランボールドが自分のを貸した (Underdown p.301).解読者は,重要な手紙や固有名を含む手紙の真意を明かしたことはないし,これからもしないと言っている.
(Rumbold to Hyde, 7 February 1660; CClSP, iv, p.550)

ランボールドは暗号が解読されたというのが信じられず,ハイドも次のように,よくできた暗号で注意深く書けば解読される心配はないと考えていた.逆に言えば,よくできた暗号でも使い方がまずければ解読されてしまうことを認識していたといえる.(たとえば平文交じりで暗号を使えば前後関係から少しずつ暗号数字の意味がつきとめられてしまう.)

……ですが,この非常に長い手紙をまだ続ける必要があります.国務大臣ニコラスがバロン氏から報せを受けたとして伝えてくれた残念な情報のためです.ランボールド(William Rumbold)氏の暗号の写しが〔議会派の〕国務会議の手に落ちたので,その暗号はもはや使わないようにとのことです.ですが,暗号紙が私の手から離れたことはないことは断言できるので,考えられないことです.こちら側ではそのようなことはありえず,氏のほうでも注意を欠いていたとは考えられません.彼らが暗号解読の優れた能力を今のように吹聴するのはごく自然なことです.それについては,よくできた暗号で注意深く書けば誰も恐れることはありません.ただし,女子大修道院長を隠れみのにした去る金曜の私の手紙が無事氏のもとに着いたと知るまでは気が気でないので,もっと情報がはいるまでは,ランボールド氏に手紙を書くことは差し控えます.
(Hyde to Barwick, 10/20 February 1660; Life of Dr. Barwick p.491; 訳出箇所に対応するのはp.500〜; CClSP, iv, p.554)

暗号が破られないとすると,暗号表の漏洩が考えられるが,それもありそうもなく,ハイドとしても,事情がわかるまでは手紙を控えることしかできないのだった.

一方,ウォリスと親しいマシュー・レンから話を聞いた王党派ジョン・バリックは暗号が実際に破られたことを疑わなかった.

〔要旨〕暗号はオクスフォードの図書館に保管されている,ネーズビーで捕獲された国王の手紙を解読した人物の技巧によってみな解読されている.彼は自分が解読できない暗号法は知らないと言っている.彼と親しい友人がいるが,彼の性格上,買収は容易ではない.
(Barwick to Hyde, 13 February 1660; CClSP, iv, p.561)

ここで,オクスフォードの図書館に保管されている暗号解読した手紙(実際にはネーズビーの手紙は含まれていないという (Davys))の解読者というのは数学者ジョン・ウォリス(別稿参照)のことだが,ウォリスはべつに共和主義者というわけではなく,王党派とも接触していて,先の引用によると,買収には応じないながらも王党派に害意がないようなことさえ言ったようだ.

上記のバリックの手紙への返事が次であるが,ハイドはやはり暗号解読などできるはずがないとの立場を崩していない.(この間,2月15日付けでバリックの筆跡による部分的に解読された暗号の手紙の写しがランボールドによってハイドに送られた.(CClSP, iv, p.562)

前回差し上げた手紙は先月二十日のものでしたが,私のランボールド氏との暗号の写しが彼ら〔議会派の国務会議〕の手に渡ったとの警告を受けて,それ以来郵便で手紙を出す冒険をする気になれませんでした.それ以後,七日,九日,十三日付けの三通を受け取っています.国王もこのそれぞれに対応して同じ日付の国王宛の手紙を受け取りました.我々の手紙が解読されて〔ランボールド氏の暗号と〕同じ問題が生じることを強く危惧しておいでとお見受けします.暗号解読は技巧によるものとしておいでですが,ランボールド氏の手紙と同様の貴方の手紙その他が解読されたとしたら,それももっともなことです.申し上げておきますが,私のところからは私の暗号のどれも写しが取られていないことは確かなので,海峡のそちら側で〔ハイドはブリュッセルにいる〕彼らの手に落ちる可能性があるとは思いませんでした. 貴方が〔暗号解読を〕信じていると聞かされるまで,たとえ悪魔であってもきちんと書かれた手紙を解読したり,100がサー・H・ヴェーンを表わす〔訳者の手元の記録ではハイド・バリック間の暗号で100はleなので,これは架空の例だろう〕ことを見出していくことは不可能だと確信していました. その技量をもつと称する者どものことはいろいろ聞いており,その幾人かとは話したこともありますが,みなはったりでした.それに,ネーズビーで発見された国王の手紙別稿(英文)参照〕にしても,解読された状態で発見されたものや,その手紙が書かれた暗号紙が見つかったもの以外が解読されたとは聞いたことがありません.〔議会派が〕刊行した書籍では,理解できずに暗号のままにされたものがたくさん〔Davys注:若干の固有名と議会派の刊行物での第9の手紙(国王の著作集では33と印されている)のごく短い一節だけ〕あったことをよく覚えています.彼らが暗号解読をできたのであれば,これら〔未解読にされた部分〕の説明もついたはずです.この点については,確認したいと思えば,自分で暗号を作るか,他のいくつかの暗号から10行ほど書いて,それを解読者に送ってみることです.そうすれば,自分で納得し,他の者にも納得させることができるでしょう.そうすれば,その件についてこれ以上やりとりするのは意味のないことになります.それまでの間は,最も安全な連絡法をさがさねばなりません.実際,私の手紙が届きそこねたことはあまりなく,ライト氏〔ランボールドのこと〕には女子大修道院長経由の連絡を使うよう説得しました.これで他の多くの手紙が非常に正確に私のもとに届いています.
(Hyde to Barwick, 27 February/8 March 1660; Life of Dr. Barwick p.503; CClSP, iv, p.578)

ハイドはランボールド本人への手紙でも,暗号が破られたとは信じられず,何らかの仕方で暗号表の写しが入手されたと疑っている.

〔要旨〕バリックと違って手紙が技巧によって解読されたとは信じられない.いかにして写しが得られたのかわからない.
(Hyde to Wright [Rumbold], 24 February/5 March 1660; CClSP, iv, p.571)
〔要旨〕いまだ暗号解読におけるこの達人のことが信じられない.
(Hyde to Wright [Rumbold], 1/11 March 1660; CClSP, iv, p.580)

バリックは,ネーズビーで捕獲された国王の文書を議会派が公表したものの中に未解読の暗号が残っていたという上記のハイドの手紙に対し,次のように応じている.

〔要旨〕暗号解読については以前の意見と変わらないが,その技術の限界は認める.オクスフォードの図書館の手紙と言ったのはその達人と親しいマシュー・レンから聞いたこと.ハイドが提案した数行ではテストにならない.
(Barwick to Hyde, 10 March 1660; CClSP, iv, p.598)

このマシュー・レンはバリックの伝記で言及されている人物で,それによると最初暗号解読を信じられなかった王党派のところにマシュー・レンがウォリスが解読した手紙の写しを持っていくと,自分が書いたとおりのものだったのでみな本当に解読されたことを認めたという.

次の引用によると,ハイドは,解読者がウォリスのことだと見当をつけたようだが,相変わらず暗号解読のことは信じられずにいる.(なお,ウォリスのことだとしたら「かつてケンブリッジにいて今オクスフォードにいる博士」が正しい.ジョン・ウィルキンズであれば「かつてオクスフォードにいて今ケンブリッジにいる博士」に該当し,クロムウェルの妹と結婚していたことで疑ったこともありうるという.

私は今では貴方の手紙に関し,貴方が暗号解読者について言っていることでそれほど心配していません.暗号解読者について,かつてオクスフォードにいて今ケンブリッジにいる博士のことであるとすれば,いくらか推測することができます.ですがそれでも,我々の手紙のどれかが解読されるなどとは想像できません.注意深く書かれていれば解読できないと確信しています.当地から送られたもので解読されたものについて聞いたことがありません.そちらからの手紙がそのような不幸に遭ったことはあまりなことです.貴方の暗号で書かれたものが同じ目に遭ったことがあったとおっしゃっていたと思います.それについてもう一度調べてみて,最悪の事例を教えてください.
(Brussels, 2 April 1660, Life of Dr. Barwick p.508)

暗号解読を信じないハイドも,ウォリスが王党派に害意をもたないことは信じたようで,次のように書いている.

〔要旨〕ライト[ランボールド]が疑っていない解読者の技術をまだ信じられない.同じ暗号を使い続ける.解読者は悪意がないようなので.
(Hyde to Hancock [Brodrick], 31 March/10 April 1660; CClSP, iv, p.631)

Underdownによれば,最終的には巧妙な贈賄で解読された手紙を回収してみて,ハイドはウォリスのことを過小評価していたことを認めたという.

参考文献

Life of Dr. John Barwick (Google)

Calendar of the Clarendon State Papers (CClSP), vol. IV (Internet Archive)

Thomas Henry Lister, Life and Administration of Edward, First Earl of Clarendon, vol. III (Google)

John Davys, An Essay on the Art of Decyphering (1737)

D. Underdown, Royalist Conspiracy (1960), pp.295-296



©2012 S.Tomokiyo
First posted on 25 October 2012. Last modified on 7 February 2013.
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