オレンジ公の宣言(1688)

(歴史文書邦訳プロジェクト)

オレンジ公の宣言:Declaration of the Prince of Orange
オレンジ公ウイリアムが名誉革命に乗り出すにあたって,その正当性を主張した文書.イングランドの貴顕から来寇を要請されたオレンジ公ウイリアムは,兵を率いてイングランドに上陸するにあたり,その理由を述べた宣言を1688年10月10日に作成した.前半ではジェームズ二世による専制政治,特にカトリック支配のもくろみの事例を列挙し,後半で出兵理由を宣言する.
オレンジ公にとって名誉革命の目的はルイ14世に対抗する同盟にイギリスを引き込むことであったが,カトリックの神聖ローマ皇帝やスペイン国王とも同盟する必要がある手前,この宣言ではカトリックに対する寛容についても触れられていることが特徴である.

◆オレンジ公の宣言(1688.10.10)
法に則った権威によって確立された法律,自由,慣習が公然と侵害され,無にされるところでは,いかなる国家ないし王国の公の平和と幸福も保たれないことは万人に確かであり,明らかなことである.とりわけ宗教の変更が企まれ,法に反する宗教の導入が企まれるところでは.そのような場合,それに最も直接関係する人々はいやおうなく,確立された法律,自由,慣習,そしてとりわけ宗教および神の崇拝を保護し,維持しようと務めざるを得ない.そしてそのような効果的な配慮をするために,前記の国家ないし王国の住民はその宗教や市民権を奪われてはならない.このことは,国王や王室の,そして権威の座にあるすべての者の偉大さと安全,そしてまたその臣民,人民の幸福がこの上なく特別なしかたでこれらの彼らの法律,自由,慣習の厳密なる遵守にかかっているものであればなおさらに必要である.
これらの事情に鑑み,余はこれ以上宣言するのを控えることはできない.余にとって大いに遺憾なことに,現在国王の主たる信任を得ている顧問官たちはこれらの王国において宗教,法律,自由を転覆し,それらを良心,自由,財産のあらゆる事柄において恣意的な統治のもとに服属させた.秘密で間接的な方法のみならず,あからさまな公然の形においてもでもである.
これらの邪悪な顧問官たちは,このことを押し進め,なんらかのもっともらしい口実によって粉飾するために国王の適用免除権なるものを作り上げてそれを実践した.彼らの触れ込みによれば,この権限により,国王は,臣下の安全と幸福のために国王ならびに議会の権威によって制定された法律について,法に従ってその執行を停止し,ないしは適用免除をすることができる.そうすることにより,それらの法律を骨抜きにしてしまった.しかしながら,あらゆる法律は国王と議会との共同の合意によってのみつくられるのであるから,同様にそのようにして制定され,国民の公共の平和と安全ならびにそのあらゆる臣民の生命と自由を確かなものとする法律は同じ権威によってしか撤廃・停止されることができないことは何よりも明らかなことである.
国王は反逆罪や重罪の場合,犯罪者に課された罰を赦免してもよい.しかし,いかなる理由づけによっても,そのことからの類推で,反逆罪や重罪に関する法律の執行を完全に停止することができることにはならない.そのようなことがあれば,それは国王が専制的な絶対権力を身につけているということであり,臣下の生命,自由,名誉,財産は完全に国王の善意と喜びにのみ依存するもので,国王に服属しているということを認めることになる.これは国王が法律の執行を停止し,その適用を免除する権限をもっているという立場からの必然的な帰結である.
それらの邪悪な顧問官たちは,この奇妙で忌むべき原則になにがしかの箔をつけるために,事態を取り運び裁判官たちからこの適用免除権が王冠に属する権利であると宣言する判決文を得た.だが,国民全体の法律,権利,自由を国王の前に放棄して,臣下の安全のために制定された法律にあからさまに違反して,その気まぐれによって専制的に扱われるようにすることは,十二名の裁判官の権限を逸脱することである.この判断を得るために,それらの邪悪な顧問官たちは事前に裁判官たちの意見を調べ,良心からかように有害な判決文に同意しそうもない人物を追い出し,他の者はその部屋において入れ替え,ついには法廷内での交代によって,彼らはついにその判断を得ることになった.さらに,彼らは法律によってそのような役割につけることができないとされている公にカトリックの信仰を表明している者の幾人かをそれらの職務につけた.
明白でよく知られたことであるが,陛下はイングランド,スコットランド,アイルランドの王位につくにあたり,あらゆる臣下に受け入れられ,いささかの反対もなかった.そのときにはカトリックの信仰を公に表明していたが,臣下が法律,権利,自由を妨げられることなく享受し続けること,そして特に法律によって確立されたイングランド国教会を維持することを約束し,戴冠にあたっては厳粛に誓った.同様に確かなことは,それらの権利と自由,そしてプロテスタントの宗教を保護するためにいくつかの法律がさまざまな時点において制定されてきた.多くの安全策のうちでも,とりわけ,教会上の地位を得たり大学の職についたりする者は,文官,武官を問わず公職につく者と同様,忠誠と至上権の誓いを立て,審査を受けることによってカトリック教徒ではなく,プロテスタントの信者であることを宣言することになっている.しかし,これらの顧問官たちは,教会上の職についても世俗上の職についても事実上それらの法律をみな無にし,廃した.
教会上の地位や役職のために,彼らは法律による粉飾がないばかりでなく,それを明確に禁じるほとんどの法律に反してある人数の委員会を設立し,あらゆる教会上の問題についての裁判管轄権と指揮権を与えた.その委員会には,陛下の国務大臣の一人で現在そのカトリック教の信仰を公にしている人物が含められ,現在も名を連ねている.その人物は,最初にその信仰を告白した際,すでにかなり以前からカトリックこそが唯一の真の宗教であると信じていたと宣言した.これらすべてのことから,プロテスタントの宗教が追い込まれている嘆くべき状況は明らかである.なんとなれば,イングランド教会の実務は今や明白に違法である委員会を受諾し,あらゆる法に反してそれを執行してきた人物たちの手に委ねられており,さらに今,その主要な委員の一人もプロテスタントの宗教を棄て,カトリック教徒であると宣言し,それによっていかなる公職につく権利も失っているからである.前記委員たちはこれまで与えられた指示に服従することを十分に立証してきており,彼らにとって最も都合のよいあらゆる企図を推進し続けるであろうことは疑う余地もない.そしてそれらの邪悪な顧問官たちは,教会上の位階を昇位させるのに,プロテスタントの宗教にまったく熱意がなく,その無関心を中庸というもっともらしい見せかけのもとに隠している人物のみとするよう意を配っている.前記委員たちはロンドン主教を資格停止にしたが,それは有徳な聖職者を,まず本人を召し出して自己弁護の機会を与えたり通常の手続きを遵守したりすることなく資格停止にするよう送られた命令に従うことを拒んだというだけの理由であった.彼らは〔オクスフォード大学の〕モードリン・カレッジのフェローによって選ばれた学長も,しかるのちにそのカレッジのすべてのフェローを追放したが,その問題を扱う法的な管轄権のある法廷に彼らを召し出したり,権限を有する裁判官による有罪判決を獲得したりすることもなかった.彼らの追放の理由として示された唯一の理由は,彼らが,それらの邪悪な顧問官たちの教唆によって推薦された人物を学長に選出することを拒んだことであったが,自由な選出の権利は疑うことなく彼らに属するものである.しかし,彼らはその自由保有権から法に反して追放された.これは,何人たりとも国法によらなければ生命や財産を奪われないとするマグナ・カルタの明文規定にも反するものである.そして今や,これらの邪悪な顧問官たちは,前記カレッジを完全にカトリックの管轄下においてしまった.上述したように,カトリック教徒がそのような職につくことは,国法によっても,カレッジの規約によっても不可能であるにもかかわらずである.これらの委員たちはまたイングランドのあらゆる尚書院長および大執事を彼らの前に召し出し,国王の良心の自由のための宣言〔ジェームズ二世の信仰自由宣言〕を読み上げた聖職者,そして読み上げなかった者聖職者すべての氏名を確認するように求めた.しかし,その読み上げは彼らの裁治権者である主教によって聖職者たちに求められたのではないのである.前記教会委員会の裁判所が違法であり,資格をもたないことは実によく知れわたっており,それがプロテスタントの宗教の転覆に資することは実に誰の目にも明白なものであり,そのためカンタベリー大主教でイングランドの首席主教,大監督たる尊師ウイリアムは,これが徳,学識,敬虔において著しい人物を抑圧する目的以外の何ものでもないことを見て取り,同委員会に席を連ね,協力することを拒んだのであった.
そしてカトリック信仰を実践するための教会や礼拝堂,また男子修道院や女子修道院,そして特にイエズス会を明確に禁じるあまたの法律があるにもかかわらず,それらの邪悪な顧問官たちはその信仰の実践のためのいくつかの教会や礼拝堂を建設する命令を取りつけた.彼らはまたいくつかの修道院の建立を取りつけた.そして法をないがしろにして,若者を感化するために種々の場所にイエズス会の教団を設立したのみならず,修道会の一員を枢密顧問官にして国務大臣に昇進させた.これらすべてによって,彼らは,いかなる法や規則の制約も受けず,臣民や確立された宗教の名誉や財産を宣誓権力に服従せしめたことを明らかに示している.そのすべてにおいて彼ら〔邪悪な顧問官たち〕は教会委員たちによって奉仕され,支持されている.
彼らはまた世俗の事柄についても同じ方法を用いた.あらゆる統監,副統監,州長官,治安判事,そして公職にある他のすべての者について,審査法や刑罰法規の撤廃において国王に同意するかを調査する命令を取りつけたのである.彼らの企図に従うのを良心から潔しとしない者はみな追い出され,代わりに彼らのプロテスタントの信仰の安全のための甚大なる注意と用心をもってつくられた諸法の趣旨と執行をうち破るという彼らの企図により従順だと思われる者をつけた.そしてこれらの場所の多くにおいて,彼らは,法が欠格とし,その命令に顧慮しないことを臣民に保証している公然たるカトリック教徒をつけた.
彼らはまた既得権益をも侵害した.選出議員によって議会に代表を送る権利をもつ都市の大部分の特許状に目をつけ,それらを提出させることに成功した.それにより,これらの都市の行政官はそのすべての権利と特権を返上し,これら邪悪な顧問官の意のままとさせられたのである.そこでこの邪悪な顧問官たちはこれらの都市に,彼らが最も信をおける新しい行政官を配置し,しかもその多くにおいては法律による欠格にもかかわらずカトリックの行政官をおいた.
そしていかなる国家も善良で偏らない公正さの実施なくしては立ち行くことができず,それらにこそ人々の生命,自由,名誉,財産が依存しているにもかかわらず,それらの邪悪な顧問官たちはこれらを恣意的な絶対権力のもとに服属せしめた.多くの重要な案件において事前に裁判官たちの意見を見い出すべく調査し,自分たちの意図に沿わないだろうと判明した者を追い出し,その代わりに他のより安心できる者を,その能力にはいっさい関わりなくおいた.そして公然たるカトリック教徒を,法律によって不適格とされており,彼らよりいずるいかなる判決も顧慮する必要がないにもかかわらず,法廷に入れるのさえもはばからなかった.彼らはこの方針を突き進め,司法の通常の執行において他から受ける指令ではなく良心に従う姿勢を見せる裁判官を罷免するまでに至った.これにより,彼らが,身分や位階にかかわりなく臣民の生命,名誉,財産の絶対的な支配者たらんと企んでいることは明白である.また,大義の衡平や裁判官の良心などは全く顧慮することなく,何事においても裁判官たちを自分たちの意思と喜びに従わせる必要があり,それによりいまだ職にある他の裁判官や,放逐した人のあとにつけるが適当と彼らが考える他の人々を威圧し,それらの者に,いつでも彼らの恩顧にできるだけ逆らわないようにするにはどうすればいいか,そしてその種のいかなる過ちも誰であろうと寛恕されないことをわからせることを期待しているのである.これらの邪悪な顧問官たちの管理下にある裁判官たちによって,王国の幾多の場所で,あらゆる規則やあらゆる形の法に反して,被告側に自己弁護の機会さえ与えることなく,多くの血が流された.
彼らはまた,司法権の行使をカトリック教徒の手にゆだねることによって民事訴訟のあらゆる問題を大いに不明朗にした.これらの判決文が下されたのは,どの程度の厳密さと正義をもってのことであろうか.それというのも,法によってカトリック教徒は司法のあらゆる職から除外されているのみならず,法的無能とされているのであるから,何人たりともその審判を認め,従う義務はないのである.そして彼らによって下される判決はそもそもすべて無効であり,効力をもたないのである.したがって,そのようなカトリックの裁判官の前で裁判にかけられたすべての者は,判決なるものを,私的で,権限をもたないなんらかの人物によるもの以上の効力をもつものでは全くないとみなして当然である.このような裁判官に裁かれることを強いられる臣民の立場は嘆かわしい限りである.このような裁判官は,顧問官が現職に昇進させたのであるから,放逐するのも意のままにできるものであり,これら邪悪な顧問官たちによって下された規則に何事につけ従わなければならないもので,決して合法的な裁判官であるとはみなされない.したがって,法の解釈においては,彼らの判決はみな,いかなる効力も有効性ももたない.顧問官たちはあらゆる軍隊内での職も同様に処置している.というのは,法によってカトリック教徒はそのようないかなる職につくことも禁じられているのみならず,特に武装されないことを定めているにもかかわらず,顧問官たちはこうしたことをないがしろにしてカトリック教徒を武装させたのみならず,海軍においても陸軍においてもこの上ない軍事上の重責に取り上げたのである.それも,外国人も本国人同様に,アイルランド人もイングランド人同様にである.すなわち,これらの手段によって,彼らは,教会問題について,国の統治について,そして司法の路線について支配者となるに至り,それらすべてを専制的で恣意的な権力に従属せしめており,今やそのよこしまな企みを軍隊の助力によって押し進め,それにより国民を隷属させうる立場にある.
イングランドにおける確立された宗教,法律,自由のこのような転覆の陰鬱な影響は,アイルランドにおいてなされていることを見ることによって,余の前により明確に現われる.彼の地においてはいっさいの政務はカトリックの手にゆだねられている.そしてすべてのプロテスタントの住民は日々,彼の地においてうち立てられた絶対権力によって当然懸念されるべきことを日々恐れている.それにより住民のひじょうな多数がその王国を離れ,その中の自分の財産を放棄することになった.一六四一年に彼の島に降りかかった残虐で血なまぐさい虐殺を覚えているためである.
それらの邪悪な顧問官たちは国王を説き伏せてスコットランドにおいて,国王は絶対権力を身につけており,あらゆる臣民は無条件で国王に従うべきであると宣言させた.それにより,国王はその王国の宗教ならびに法の両面において絶対権力を僭取した.それらすべてから,準備が整い次第,イングランドにおいて何が企まれているかは明らかである.
それらの重大にして耐え難い抑圧,そしてあらゆる法律の軽視は,その帰結として確かに予想される悲しい結果に対する不安とともに,臣下たちを大いなる,そしてもっともな恐怖を抱かせ,そして彼らをしてどんな国でも認められている合法的な救済を求めようとせしめた.だが,何もかも効果がなかった.そしてそれらの邪悪な顧問官たちの企みにより,あらゆる人々は,請願,〔議会での〕代表,または法律によって公式に認められている他の手段によってこの抑圧から自己を守ろうとしようものなら,生命,自由,名誉,財産を失うと懸念するまでになった.実際,カンタベリー大主教は他の主教たちとともにそのような扱いを受けた.国王に対し,尊敬に満ちた言辞でこの上なく謙虚な,法の制限数内の請願を奏上したところ(これは,かいつまんで言えば,これら邪悪な顧問官たちの教唆によって良心の自由のための宣言〔ジェームズ二世の信仰自由宣言〕を教会において読み上げる聖職者を任命するよう求めるべく送られた命令に従うことを拒んだ理由を述べたものであった),監獄に送られ,そののち甚大な犯罪を犯しでもしたかのように裁判にかけられた.彼らはその試みについて自己弁護をすることばかりでなく,審査〔法の宣誓〕を受けていず,したがって有罪とするのが利害にかなっているような,公然たるカトリック教徒の前に立つことを強いられた.そして彼らに好意的な意見を述べた裁判官はただちに放逐された.
そして,いかなる国王といえども,その権力がいかに絶大であろうとも,その行使において従来いかに恣意的で専制的であったとしても,臣下が丁重に尊敬を込めて,法の制限を越えないしかるべき数において,どうしても命令に従うことができないまでになった理由を提出することを犯罪だと考えた者はいない.それらの邪悪な顧問官たちは王国の貴族を,家臣はカトリックの治安判事の命令に従う義務はないと発言したというだけの理由で犯罪人扱いした.カトリック教徒は法律によってそのような職務に不適格とされていることからすると,その命令を顧慮する必要がいっさいないことは明らかなのである.このことは,人民が法律によって保証されている,生命,自由,名誉,財産についての安全策なのであるから,法に反して文官・武官を問わず公職につけられたカトリック教徒による恣意的な施政に服属せしめられることはないのである.
余自身ならびに余の大切にして最愛の妃はいずれも,国王に対する尊敬を込めた言辞により,これらすべての施政に対して抱いている深い遺憾の意を伝えようと努力してきた.そして余に対して伝えられた陛下の所望に従い,使節への口頭および書面によって審査法ならびに刑罰法規の撤廃に関する余の思うところを宣言した.余はそのとき,これらの王国の平和とあらゆる信条の臣下の間の幸福な協調が構築できる方策を提案し得たものと思っていた.しかし,それらの邪悪な顧問官たちはそれらの余の善意を悪く解釈し,あたかも余が王国の幸福と静穏を乱すことを計画しているかのように国王をますます余から離反させようとした.
これらの弊害すべてに対する最終的な救済策は議会を召集してそれらよこしまな顧問官たちの邪悪な慣行から国を取り戻すことである.しかし,これはまだ計画しようがなく,また容易に実現することもできない.それというのも,ひとたび合法的な議会が開催されれば,彼ら〔邪悪な顧問官たち〕はこれまでのすべての公然たる法律違反に対して,そしてプロテスタントの宗教および臣民の生命と自由に対しての陰謀と共謀の説明を求められるであろう.彼らはそれを恐れるため,@良心の自由という最もらしい口実のもとに,まず,プロテスタントのうちにイングランド教会の者と非国教徒の間に分断の種を蒔こうと努めた.その狙いは,等しくカトリックの抑圧から身を守ろうとしているプロテスタントを互いに口論状態に持ち込み,それにより自らの企みを実現するための何らかの利を得ようというものである.それは議会議員の選挙とその後の議会そのものにおいての両面に関してである.それというのも,彼ら〔邪悪な顧問官たち〕は,すべてのプロテスタントが互いによく理解し合うようになり,その宗教を保護することで協力しあっては,彼らがよこしまな目的をうかがうことが不可能となることを十分にわかっているからである.A彼らはまた,イングランドの各地方において,何らかの職にある,もしくはいくばくかの尊敬集めているすべての人物に,事前に,審査法および刑罰法規の撤廃に賛成し,議会の選挙においてはそれに賛成するような人物のためにのみ影響力を行使すると明言することを求めた.このようにしてあらかじめ〔服従を〕約さない者はあらゆる職から放逐され,こうした誓約を行なった他の者がその後任に据えられたが,その多くはカトリック教徒であった.そして,それら議会に代表を送る権利をもっている特権都市の特許状および特権に反し,彼らは,それらの自治体から選出されるすべての議席を確実にするのに必要と考えるような規約の作成を命じた.このことによって,当然の処罰を避けることを望んでいるのである.カトリックの行政官によってつくられたすべての法令はそもそも無効であり,効力をもたず,選挙と開票が町のカトリックの州長官および市長のもとで行なわれた議会は合法的なものではあり得ないのであり,よって,権力と施政がそのような者に握られている限り,合法的な議会はありえない.そして,イングランドの統治の基本体制および古来の慣習によると,あらゆる議員選挙は完全な自由のもとに,いかなる強制もなく,選挙人に名を示してその人物を選ばせたりすることもなくなされる必要があり,こうして自由に選出された人物は,彼らの前にもたらされるすべての問題について,常に国民の福利を見据えて自由に意見を述べる必要があり,すべての事項において彼らの良心が命ずるところに従う必要がある.しかしながら,今,イングランドの人民は合法的に召集され,選出された自由な議会からの救済を期待することができない.しかし,彼らは議会が招集されるのを目の当たりにするかもしれない.その際にはあらゆる選挙は欺瞞ないしは強制によって行なわれるであろう.そしてそのような議会は,それらの邪悪な顧問官たち自身が十分安心できると思う人物から構成されることになろう.国の安寧や幸福といったことは一顧だにされることなく,彼らの指揮と利害に従っていっさいが取り仕切られることになろう.このことから明らかになってくることは,この同じ人々は先の議会の議員たちに迫り,審査法や刑罰法規の撤廃に同意させようとした.そして約束によっても脅しによっても議員たちにそのよこしまな計画に従うよう説き伏せることができないとわかると,その議会を解散に至らしめた.
しかし,何にも増して重大にして乱暴な仮説があり,余としても信じざるを得ない.それらの邪悪な顧問官たちは自分たちの悪の計画を実行に移し,それが効を現わすまでにより多くの時間を稼ぐため,共犯者を勇気づけ,善良なあらゆる家臣の勇気を奪うために,王妃が男子を上げたと発表した.王妃の見せかけの懐妊中ならびに出産が行なわれた様子において見られた実に多くの正当にして目に見える根拠からすると,あの見せかけの皇太子は王妃の子ではないとする疑いを,余のみならずこれらの王国のあらゆる善良な臣民が心底から感じずにはいられない.そして世界によく知られていることであるが,多くの者が王妃の懐妊および赤子の誕生の両方を疑った.それにもかかわらずそうした人々を満足させる,あるいはその疑問に終止符を打つためのことは何一つとしてなされなかったのである.
そして余の大切にして最愛の妃,そして余自身もこの問題には重大な利害関係をもち,また世界があまねく知るように王位に対する継承権をも有している.一六七二年にネーデルラント連邦共和国の議会がこの上なく非道な戦争によって侵略されたとき,イングランド人もまたそのあらん限りの力を尽くしてその戦争を終結させようと努力した.それも当時の政府にいる者に反対してである.そうすることによって彼らは宮廷の恩顧ならびに官職のいずれをも失う危険を冒したのである.イングランドの国民はかねてより余の大切にして最愛の妃,そして余自身に対して格別の愛情を示してきた.したがって,余としてもかかる重大事において彼らの利害を取り上げず,余にあたう限りの力を尽くしてこれらの王国におけるプロテスタントの信仰および法と自由を維持し,彼らに対して正統なる権利すべての享受を確保せずにすませることはできない.その遂行のため,余は実に多くの聖俗貴顕,そして多くの紳士ならびにあらゆる階級の臣民からきわめて熱心な懇請を受けている.
それゆえに,余はイングランドに渡ることを決心し,それにあたっては,それら邪悪な顧問官たちの暴力から神の恩寵により自衛するのに十分な兵を伴うことにした.そして余は,ここにおける余の意図が正しく理解されることを望み,そのためにこの宣言文を用意し,これまでに余をそれに駆り立てた理由の真の説明を述べてきた.余は今ここに宣言する.余の遠征の目的は,自由にして合法的な議会をかなう限りの早期に開くことにほかならない.そしてそのためには,議員選出の方法が古来からの慣習に反して制限されているこのたびの一連の特許状は無効であり効力をもたないものとされるべきである.同様に不正な形で追い出された治安判事は以前の職に復し,イングランドのあらゆる特権都市は古来からの定めと特許状のもとに戻るべきである.そしてとりわけ,偉大にして有名なロンドン市の古来からの特許状はやはり効力をもつものとされるべきである.そして議会の議員〔選出〕の詔書が法と慣習に従ってしかるべき担当官に向けられるべきである.そしてまた法律によって定められた資格を持つもの以外,何人たりとも選挙に参加したり,選出されたりすることはあってはならない.そしてこのようにして合法的に選出された議員は,何にも制約されることなく会し,着席するべきである.その上で上下両院は,自由にして十分な討議の末,審査に関する法律の確認および執行のために必要かつ適切と判断する法を用意することで合意することもできる.ないしはプロテスタントの信仰の安全と維持のために必要な法でもよい.ないしは同様にしてイングランド国教会とすべてのプロテスタント非国教徒の間のよい協調をうち立てるような法律を作成してもよい.ないしはまた,よき臣民にふさわしいように政府のもとに平和裡に暮らす意思があるすべての人々を,その宗教的な観点におけるあらゆる信条の者について保護し安全にするためとし,カトリック教徒さえも除外しないでもよい.ないしは議会の上下両院が国民の平和,名誉,安全のために,そして今後いかなる時にもこの国が専制政府のもとに陥る危険がなくなるために必要とみなすその他もろもろのことのための法でもよい.見せかけの皇太子の出生ならびにそれもしくは継承権に関わるすべてのことについての調査も,余はこの議会にゆだねることとする.
そして余のほうでは,この国の平和と幸福を獲得するためのもので,自由にして合法的な議会が決めることは何事においても同意することにする.なんとなれば,余がこの大業において目指しているのは,プロテスタントの信仰を保護すること,あらゆる人々を信条を理由とした迫害から守ること,そして国民全体がその法律,権利,自由を正統にして合法的な政府のもとで享受できることを確かにすること以外の何物でもないのである.
兵を帯びて現われるにあたっての,これが余の計画である.その遂行中,余の指揮下にある軍勢は徹底した軍規のもとに統率し,我が軍が行軍しなければならない地方の人々が兵士によって悩まされることがないようにする.そしてこの国の状況が許し次第,余が率いてきたこれらのすべての外国軍を送り返すことを約束する.
それゆえに,余はすべての人々が余を正しく判断し,これら余の行ないに賛同してくれることを願う.しかし,余はこの大業の成功について主として神の恵みを頼みとしている.それにこそ余は完全にして唯一の信をおくものである.
最後に,余に対抗すべく企むあらゆることに対抗して余のこの計画を実行するために,職柄を問わずあらゆる人々,この王国のすべての聖俗貴顕,すべての統監,副統監,そしてすべての紳士,市民,あらゆる階層の庶民に対し,助力に集まるよう招き,求めるものである.そうすれば自由にして合法的な議会において,国が専制政治と隷属のもとにおかれることの必然的な帰結であるあらゆる悲惨を防ぎ,そしてイングランド政府の国体を完全に覆しかねなかったあらゆる暴挙と無秩序を完全に是正することができるであろう.
そして同様に,国民が平穏な状態に至ったとき,スコットランドにおいてもその王国の古来からの国体を復活させるために,そして人民が気楽に幸福に暮らせるような形で宗教の問題を解決に導くために,そしてその地において長年にわたって行なわれてきた不当な暴力すべてを終わらせるために,議会が招集されるよう配慮することを,余は決意するものである.
余はまた,アイルランド王国をも,その地での決着が宗教的に遵守され,その地におけるプロテスタントならびにイギリスの利益が確保されるような状態にするために努力するものである.そして余は,可能なあらゆる手だてを講じて三つの王国すべてにおいて,人々がみな幸せな共同体をなして暮らし,調和し,そしてプロテスタントの信仰とこれら国民の平和,名誉,幸福が永続的な基礎の上に樹立されるような体制を実現するために努力するであろう.
ハーグにおける余の宮廷において自筆捺印して作成.一六八八年十月十日.
オレンジ公ウイリアム・ヘンリー


(C) 2004.6. 友清理士; 訳文の最終修正日2004.6.27
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