リチャード3世関連小説

Anne Of Geierstein (Walter Scott, 1829)

「ばら戦争」という呼称を広めたとされるウォルター・スコットの小説(1829).ヨーク朝のエドワード4世の王位が確立して亡命したランカスター派のオクスフォード伯ジョン・ドヴィアがブルゴーニュ公の支援を求める旅をスイス史を背景として描く.
「ばら戦争」の呼称についてテキストを検索すると,たしかにthe wars of the White and Red Rosesという表現が1度だけ使われている.ただ,本作以前にも,1646年のパンフレットにThe Quarrel of the Warring Rosesというものがあり,ヒュームの『イングランド史』(1762)でもthe Wars of the Two Rosesの表現があるという.
●あらすじ
1474年秋のスイスで物語は幕を開ける.ランカスター派のオクスフォード伯ジョン・ドヴィアと息子アーサーはフィリップソンという名の商人に身をやつしてスイスを旅していた.マーガレット・オブ・アンジューのダイヤモンドのネックレスを持ってブルゴーニュ公をランカスター派に引き込む任務だった.
山中で嵐にあったところをウンターヴァルテン州の知事(Landamman, chief magistrate)アーノルト・ビーダーマンの家に避難する.アーノルトの父は貴族ながらスイス独立派に与した人物で,ビーダーマンが民衆派の知事を,弟アルブレヒトはガイアーシュタイン伯位を相続していた.ビーダーマンのもとに滞在していたアルブレヒトの娘アン(「ガイアーシュタインのアン」)とアーサーが恋に落ちる.
オクスフォード伯がブルゴーニュ公のもとに出発するとき,ビーダーマンも同行した.ブルゴーニュ公によるスイス人の扱いに抗議するためである.途中,ブライザハでブルゴーニュ公に仕えるアーチボルト・フォン・ハーゲンバッハに投獄されるが,ブライザハ市民の反乱のおかげで助かり,ハーゲンバッハはフェーメ裁判所(Vehmgericht)の命で処刑された.
ブルゴーニュ公の宮廷でオクスフォード伯はランカスター派への支援を訴える.だが,ブルゴーニュ公はスイス人からの申し入れを拒否して出征し,ナンシーの戦いで戦死した(1477).
オクスフォード伯親子はガイアーシュタインに戻って,アーサーとアンが結婚した.
●歴史上のオクスフォード伯ジョン・ドヴィア(1443‐1513)
オクスフォード伯はエドワード4世に仕えていたが,不興をこうむり,1469年にウォリック伯とともに亡命し,1470年のランカスター朝再興に貢献した.1471年のバーネットの戦いでも主力の一つを率いたが,敗れ,再びフランスに亡命した.1473年には小規模の兵力で何度かイングランド上陸作戦を繰り返し,コーンウォールの小島セントマイケルズマウントを占領した.国王軍の包囲に耐え続けたが,翌1474年初頭には助命を条件に降伏した.カレーの近くの城に収容された.(ちょうどこの物語の期間に当たる.)
リチャード3世即位後の1484年に脱獄し,ランカスター系のヘンリー・チューダーがボズワースの戦いでリチャード3世を破るのに貢献した.
唯一の息子ジョンは亡命中にロンドン塔で死去し,オクスフォード伯位は甥のジョンが相続した.

原文   要約

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