ジョナサン・スウィフト「今次の戦争の開始および遂行における同盟諸国および前政権の振る舞い」(「同盟諸国の振る舞い」)

Jonathan Swift, The Conduct of the Allies

●緒言

君主と人民の寵をすっかり失い,地主階級の多数とは別個の利害を表明してはばからず,それでいてこの期に及んで自派の風刺詩のほか一つとして理由を示すことなく和平に反対して騒ぎ立てる輩の熱意には感心するばかりである.これは金言として言っておく.理性あるいかなる人間も,ホイッグだろうがトーリーだろうが(ばかげた用語だが使わないわけにはいかない),今の状況で戦争を継続することに賛成するはずがない.賛成するとしたらそれは利益を得るためか,本国政界で党派に都合のいい何か新たな変転を期待しているのか,あるいは最後に,我が王国の状態について,そして我が国をその窮状に至らしめた原因について非常に無知であるとしか考えられない.利害の問題である最初の二つの場合については何も言うことはないが,最後の場合については民衆に忌憚なく公平な観点で語ることがきわめて重要であると考える.民衆がどのような状況におかれているか,血と財産の差配を幾年にもわたり信託した者たちによっていかなる仕打ちをされてきたのか,そうした運営の結果が自分たち,そして子孫にとってどのようなものになろうかということを説いて聞かせる必要があるのである.

著作または談話により戦争の運営において前政権のやり方およびヘールトライデンベルフでの協議〔1710年にオランダのヘールトライデンベルフで和平交渉が行われたが不成功に終わった;『スペイン継承戦争』p.279〕の進め方を擁護することを買って出た者たちは,我が国の指導者および我が国の軍の振る舞いおよび武勇を祝し,彼らが得た勝利および彼らが取った町を数え上げることに時間を費やしてきた.そうしてその者たちは,我が国および同盟諸国の使節たちがいかに重要な事柄を主張したか,フランスが受け入れるよう説得することにいかに苦労したかについて語る.だがこのいずれも,我が王国の正当なる不満にいささかなりとも満足を与えることはできない.戦争については,我が国の不満は,正当あるいは必要と言える以上の,担いうる以上の負担を我が国が負わされてきており,個人的な富および権力の昂進のために,あるいはある党派のより危険な計画を進めるために,この上なくひどい賦課を受けさせられてきたということである.この不満はいずれも,和平によって終わりにできたところであった.その上,戦争でも,我々にとってこの上なく利益になり,敵にとってこの上なく破滅的となったはずの分野が完全になおざりにされた.和平については,我々はまやかしの協議によって欺かれていることを不満とする.そのまやかしの協議において,交渉に当たった者たちは努めて,応じられるはずがないとわかっている要求をし,それによりあらゆる事項を安心してあたかも本気であるかのように突き付けることができた.

私が以下の論説において扱おうと予定するのはこれらの点と,現時において我が王国が知らされる必要があると考えたことである.私は,私が言及する事実においては間違っていないと,少なくとも,そうした事実から引き出される結論を弱めるほど重要な点では間違っていないと考える.

十年間が成功の連続のうちに過ぎてなお満足のいく和平を勝ち得ることができないという言い草は驚くばかりであり,このような前代未聞と思えることを前にしては,いかなる党派の者であれ,我々が不当に扱われてきたか,あるいは我々の勝利を存分に活用してこなかったのではないかとの疑念も出てくるというものである.どこに困難があるのかを知りたがるのも当然であろう.ゆえに,我々の現在の状況について,いつまでこの調子でやっていけるのか,現在および将来に対していかなる結果が降りかかるか,一部の人があれほど主張する実施不可能な点を除いた和平がほんとうに破滅的なものかどうか,あるいは戦争継続も同じくらい破滅的なのではないかどうか,検討するのが当然である.



同盟諸国の振る舞い

●戦争と講和の条件

賢明な君主ないし国家が戦争に携わる動機は,次のうちの一つまたは複数であると考える:何らかの野心的な隣国の大きくなりすぎた勢力に歯止めをかけるため;不当に奪われたものを取り戻すため;あらゆる政治的論客が許容する,受けた何らかの損害への返報のため;何らかの同盟国を正当な紛争において支援するため;あるいは最後に,侵略されたときに自衛するため.これらの場合においてはみな,政治についての論客は,戦争に加担するのも正当と認めるものである.この最後のものは,通常祭壇と炉辺のためと呼ばれるもので,我々が持てるすべてがかかっているので,いかなる出費も努力も大きすぎることはなく,したがって我々の最大限の力が行使されるべきであり,紛争は安全のうちに,あるいは全面的な破滅としてすみやかに決するであろう.だが他の四つについては,いかなる君主も共和国もかつて一定程度以上に携わったことはなく,前払いと負債によって自国の国力および資産を枯渇させるほど進めることは決してなかったことがわかるであろうと信じる.そうした手段は数年のうちに,そもそもそれを防ぐために戦争に突入した害悪から合理的に心配されうる以上に悪い状況に追い込むに相違ないものである.というのも,これは,蓋然的な推論によってもしかしたらそう見えるかもしれないものを取り除こうとするだけのために,間違えようのない真の破滅に突き進むことになるからである.

戦争が正当にして賢明な動機に基づいて行われるべきであるごとく,君主が戦争に突入するときに自らが置かれた条件を当然考慮すべきであるのはそれ以上に明らかである.国庫がいっぱいであるか,歳入に負債がないか,長い平和と自由な貿易によって人口が多く,人民が富んでいるか,人民が数多くの重税によって過度に圧迫されていないかどうか,過激な党派が君主の正当な大権に異を唱え,それにより国内にあっては君主の権限を弱め,海外では君主の評判を下げようと手ぐすね引いていないかどうかといったことである.というのも,これらすべての逆のことが現実であった場合,世界および君主自身の平穏を名誉と安全をもって守るために他の何らかの方法が残されている限り,君主はあえて平穏を乱すよう説得されることはまずないであろう.

戦争が正当な動機で開始されたとして,次に考慮すべきは,君主がいつ和平の申し出を受けるのが賢明であるかということである.これは私は,当初争われた点を敵が譲る気になった時点,あるいはその点を勝ち得るのが到底不可能であるとわかった時点,あるいはその点を最後には勝ち得る可能性はあるが,それ以上争いを続けることが当の君主とその人民を,現在その点を失う以上に悪い状態にする場合である.こうしたすべての考察は,戦争が多くの同盟諸国の連合によって運営されている場合には,一層重みを増すものである.同盟は,いくつかの当事国の間で多様な利害のうちにあまりに多くの予期せぬ事故に遭遇しがちなものである.

連合した戦争においては,どの当事国が当該紛争に最大の関わりをもつかを考慮すべきである.各国はそれぞれ個別の理由を有するかもしれないが,それでも一国ないし二国がおそらくは他国より関わりが大きく,したがってその国力に応じて負担の最大部分を担うべきである.たとえば,二人の君主がある王国をめぐって争う場合,良い通商条件を認めてくれるであろう君主の側に着くことが,認めてくれない可能性のある側に着くより利益になるであろう.しかしながら,自分がいかに熱烈にその大義を支持しようと,その君主こそがその戦争の主たる当事者であり,自分は正確に言えば介添え人にすぎない.あるいは,ある共和国が強力な隣国に蹂躙される危機に瀕していて,その隣国がやがて自分たちの貿易および自由についても非常に悪い結果をもたらしうる場合,その共和国の人民にに援助の手を差し伸べ,強力かつ安全な国境線を勝ち取るのを助けることは,賢明であるばかりか必要でもある.だが,むろんのこと,共和国の人民こそが第一にして最大の受難者であるはずなので,その人民が最大の重荷を担うべきである.家が火事になった場合,近隣住民みなは消火のためにバケツを持って駆けつけるべきではあるが,その所有者が真っ先に破滅するのは確実であり,隣戸の者たちが天からの雨,あるいは天候の静けさ,あるいは他の何らかの好都合な偶然によって被害を免れるのはありえないことではない.

しかし,もし戦争の帰趨にそれほど直接的に関わりのないいずれかの同盟国が主たる当事者以上の貢献をし,それどころかその国の国力に比してそれ以上の貢献をするならば,その国は少なくとも敵から征服されたものにおいて自国の分け前に与るべきであり,あるいはその国が浪漫精神に舞い上がってほとんどまたは何も期待しないとしても,主たる当事国は分け前の代わりに尊厳において埋め合わせをしてくれることを望んでもよかろう.そうした国々がその国の内政に口を出し,どの公僕を維持し,どの公僕を罷免するかを指図し,絶えずこの上なく理不尽な要求を迫り,ことあるごとに従わなければ同盟関係を断つと脅すなど,もってのほかと考えるであろう.

●歴史的回顧

戦争一般についてのこうした考察から,ノルマン人による征服〔1066年〕以来,イングランドが関わってきた戦争の具体論に移る.豪族間の内戦でも,ヨーク家とランカスター家の内戦〔ばら戦争〕でも,貴族および郷士が大いに破滅し,新たな家系が勃興して古い家系が絶えた.だがいずれの陣営に費やされた資金も,国内で使われ,流通された.国が負債を追うことはなく,和平後はほんの数年の間に急速に正常に戻った.

同様のことは,あのチャールズ一世に対する邪悪な反乱〔ピューリタン革命〕についてさえ断言できる.政権を奪った者は大軍を維持して恒常的に支払いをし,スペインやオランダとほとんど絶えざる戦争をした〔『イギリス革命史』上・第1部第2,3章等参照〕.だが,その戦争は艦隊によって遂行したため,王国の富を枯渇させるどころかその富を大いに増すことになった.

我々の対外戦争は概してスコットランドまたはフランスに対するものであった.スコットランドは同じ島にあるので,資金を王国外に運び出すことはなく,長く続くことはめったになかった.フランスとの初期の戦争では,我が国はかの国において多大な属領を有しており,メアリー女王の治世までいくばくかの地歩を保持していたものである〔1558年に最後の地歩カレーを失う〕.我が国のその後の君主の一部はきわめて負担の大きい大陸遠征を行ったものの,臨時税と二〜三の十五分の一税であらゆる負債は清算された.その上,当時は我が国の勝利は栄光ばかりでなく,いくばくかの役にも立った.我が国は自国のためにのみ戦う慎重さがあり,自国のためにのみ征服する幸運があったからである.

チャールズ二世の治世のオランダ戦争〔『イギリス革命史』上・第2部第4章等参照〕は,きわめて腐敗した政府のもとで開始および遂行され,王家にとって大いに不名誉なことに,国王が議会の支援を最も必要としているときに議会を停会させ,あるいは対立させることによって,実際,国王を窮乏状態に保ったが,国民の上に負債を残すことはなく,国外に資金を持ち出すこともなかった.

革命〔名誉革命のこと〕に際して,ヨーロッパで全般的な戦争が勃発した〔『イギリス革命史』下・第2部参照〕.多くの君侯がフランスに対する同盟に参加し,かの君主の野望を食い止めようとした.ここでは,皇帝,オランダ,そしてイングランドが当事者であった.このころ,我が国において有利子の基金で何百万もを借り入れる慣習が最初に始まった.戦争は一年か二年の戦役で終わるはずとされ,背負い込んだ負債は臣民に重荷を負わせることなく,数年のうちに穏やかな税で簡単に返済できるとされた.だが,この便法を取り入れた真の理由は,王位が確固としていない新しい君主の安全であった.人々は,大きなプレミアムと高い利子によって出資するよう誘導され,金を預けた政府を護持することが人々の関心事となった.かくも忌むべき計画の立役者であったと言われる人物〔刊本の注釈によるとセーラム司教バーネット〕はその致命的な結果の幾分かを見るまで生きたが,その孫になっても終わりを見ることはないであろう.そしてこのよこしまな助言は当時の情勢と軌を一にしている.革命にほとんど,あるいは全く貢献しなかったが,騒々しさを誇り,ことがすんでから熱意を装う新参者が,借入金の受け手および基金の立ち上げ人になった功により宮廷で信を得るに至ったのである.こうした新参者は,地所を持つ紳士が自分たちの施策に加わらないのを見出すと,上記のような新たな資金調達法に飛びついた.やがては地主層と張り合えるような金融階層を創り出し,自分たちがその先頭に立とうとしたのである.

革命後の十年にわたる最初の戦争の根拠は,我が国に関する限り,フランスに前国王〔ウイリアム三世〕を承認させ,ハドソン湾を回復することであった.しかし,戦争全体を通じて海上はほとんど完全に無視され,毎年投じられた六百万の大半はオランダの国境を広げるのに使われた.それも国王が将軍であって提督ではなく,イングランド国王であるとはいえオランダ生まれだったからである.

ほとんど何の得るところもなく十年間戦ったのち,約十万もの人員を失い,二〇〇〇万もの負債残高を抱えたのち,我が国はようやく和平条件に耳を傾け,締結された講和〔レイスウェイク条約〕は帝国とオランダに大いに利益をもたらしたものの,我が国にとっては何ももたらさなかった.しかも,数年のうちにかの有名な〔スペイン〕分割条約によって行き詰まった〔『スペイン継承戦争』第1章〕.〔第2回〕分割条約によれば,ナポリ,シチリア,ロレーヌがフランスの領土に加えられ,あるいはスペイン人が条約承認を拒んでいることを理由にフランス王家が――まさに条約を処理している時点でいくつかの当事者にそうすると宣言していたように――条約を反故にするのをよしとするならば,フランスは〔スペイン〕王国全体への継承権を手にすることになる.そして結局はその通りになった.亡きスペイン国王が,自分の領土が自らの存命中にその同意もなく,他の君侯によって小刻みにされて分配されるのを不名誉と考え,それよりは王国全体をフランス王家の下の息子に遺贈することを選んだのである.そしてこの王子は,我が国およびオランダの両者によってスペイン国王として承認された.

●スペイン継承戦争への参戦の是非

たしかに,このたびの戦争に加わるとの意見は,教会派によって熱烈に反対され,教会派は当初は前国王にアンジュー公を承認するよう助言した.特に,当時教会派だったさる大人物〔ゴドルフィン〕は,一七〇一年十一月に国王に,国王陛下が自分の個人的意見と真っ向から対立する戦争に加わる決意なので,もはや仕えることはできないと告げ,職を返上したのである.もっとも,この人物はその後,自らが大蔵部の長となって内政を一手に仕切ることになると変心することになるのであるが〔ibid. p.53〕.その間,海外での施策は,その人物があらゆる絆により盛り立てることを約した人物〔マールバラ〕の手に委ねられることになったのであった.

我が国およびオランダによるフランスおよびスペインに対する宣戦布告は数日差の日付になっている.〔オランダの〕連邦議会によって公表された布告文では,まことに偽りなく,かの国に戦禍が迫っていること,あらゆる面で封鎖されていること,実際にフランス王およびスペイン王によって攻撃されていること,その宣戦布告は切迫した必要性の結果であること,その他同じ趣旨の他の表現が述べられている.オランダはあらゆる国王および諸侯等の支援を望んでいる.オランダのフランスとの紛争の根拠は,自国のみに関わるものであり,少なくとも他のどの君侯や国家より自国に直接に関わるものである.たとえば,フランスがレイスウェイク条約で約束した関税を認めるのを拒んでいること,前記条約に反してフランスに定住したオランダ系移民に対する過重な税,スペイン国王の遺書を受け入れ,同調しなかった場合の脅しを連邦議会に対してしたことによるフランスの分割条約違反,フランス軍によるスペイン領ネーデルラントの確保と,亡きスペイン国王の許可により守備隊の任についていたオランダ兵の追放,それによりかの共和国〔オランダ〕がスペイン領ネーデルラントは〔ハプスブルク家のカール〕大公に残されるべきと明記された分割条約に反して防壁を奪われたこと,などである.オランダの主張するところでは,フランス王が孫の名前を使いながらフランドルを自国の領土のように統治し,その地にオランダと戦うために多大な軍勢を送り,リエージュの市街および城塞を奪取し,ケルン大司教領のいくつかの地点をも我が物にし,ヴォルフェンビュッテルの国土に兵を維持してオランダをあらゆる面で封鎖しようとし,住民に覚書を提出させ,覚書の内容に従うのを拒んだら不利益な扱いをすると連邦議会を脅したのである.

〔アン〕女王の宣戦布告は大同盟を根拠としている.大同盟はフランス王の不当な王位簒奪と領土侵食に基づいており,提示されている例は,スペイン領の大半の保持,ミラノおよびスペイン領ネーデルラントの奪取,カディスの支配権獲得などである.そしてこれらの点について満足を与えるどころか,フランス王は女王陛下および諸王国に対する侮辱および挑発として僭称の皇太子をイングランド国王と宣言するなどした.この最後の件が我々がこの戦争において有する唯一の直接当事者となる争点であった.そしてこれすらフランスによって,国王は女王陛下を承認する意向があるとして明確に否定されたのである.

私が思うに,〔英蘭〕両国の宣戦布告から明らかなことは,イングランドはのちに大同盟に加わったプロイセンあるいは他のいずれかの列強以上にこの戦争当事者たるべきではなかったということである.オランダがまず危機にあり,フランス軍が当時まさにネイメーヘンの門前に迫っていた.だが我が国の宣戦布告で挙げられている不満は,最後のものを除いてみな,ヨーロッパのほとんどすべての君侯にとって,同じくらい,あるいはそれ以上の関心事である.

というのも,この連合に最初に加わった国,最後に加わった国を問わず,各当事国の間で,相対的に我が国ほど,この戦争の帰趨がどうあろうと損得もなければ希望や恐れを得ることもない国はほとんどなかった.オランダは直面した破滅から自衛するために武器を取ったのであり,戦勝によって広大な国土およびフランスに対するよりよい国境を獲得することを提案した.皇帝はスペインの王国またはその一部を自分の下の子のために,主として我が国とオランダの費用で回復することを期待した.ポルトガル王は,フェリペがかの王国に対するスペイン古来の継承要求を新たにしようと企てており,かの王国は海に面しているほかはあらゆる面でスペインに囲まれているので二大海運国〔イングランドとオランダ〕によってしか防衛し得ないという情報を受けていた.このことが,我が国のほか国王カール〔スペイン王を名乗るオーストリアのカール大公〕が申し出た有利な条件とともに,かの君主をして同盟に参加する決心をさせた.サヴォイ公の誘惑と恐れはそれ以上だった:その方面での戦争についての主たる負担はイングランドによって供給され,利益はサヴォイ公に帰するのである.ミラノが征服された場合,規定によれば,サヴォイ公は,マントヴァ公に属するMontserrat〔モンフェラート?〕公領,アレッサンドリア〔Alexandria→Alessandria〕およびヴァレンツァ〔Valencia→Valenza?〕およびロメロ〔Lomellino→Lomello?〕の地方およびそれとともにポー川とタナロ川の間の他の土地,あるいはその代わりにサヴォイ公自身の公国に隣接するNovara地方からの等価物を,その方面において同盟軍がフランスから奪取するあらゆるものに加えて得ることになっていた.だが,サヴォイ公には,ミラノ公領に多くの兵を擁していて公国全体を容易に飲み込みかねないフランスに囲まれているという恐ろしい懸念があった.

残りの同盟国は純粋に補助金を得るために参加したものであり,そうした諸国は補助金のかなりの額を国庫に納めてしまい,自国の兵はすでにイングランドとオランダによって雇われていると申し立てて皇帝に部隊を派遣するのを拒んだ.

アンジュー公が分割条約を破ってスペイン王位を継承してしばらくしたころ,ここイングランドにおける問題は,平和を継続すべきか,新たな戦争を開始すべきかであった.前者に賛成する者は,我が国にのしかかっていた負債および困難を挙げて,次のような主張をした.我が国もオランダもすでにフェリペをスペイン王として承認している.スペイン人のオーストリア家への愛着およびブルボン家への嫌悪感は一部の者がうそぶくほど確かなものとしてあてにすべきではない.フランスが国王を我が国に押し付けようとしたのを我々が不当であるばかりか不遜であると考えたように,スペイン人も国王を彼らに押し付ける理由は我が国にはないと考えるであろう.それら二つの国民〔フランス人とスペイン人〕の気質と特徴は非常に異なり,おそらくはオーストリアの血筋の国王でなくフランスの血筋の国王のもとでもそうあり続けるであろう.だが,我々がアンジュー公を廃位する戦争を始めれば,間違いなく,当の戦争の進行および運営によって防止しようとするまさにそのこと,つまり二つの国民の間の利害の統一と愛情を実現してしまうであろう.というのも,スペイン人はフランス軍の支援を呼び込む必要があり,それはフランス人の顧問官をフェリペ王の宮廷に引き入れることになり,それは徐々に二つの国民をなじませ,和解させるであろう.国王カールをイングランドおよびオランダの軍勢によって支援すれば,国王カールは,異端ほど忌わしいものはないと考える新たな臣民にとって忌わしく思われるであろう.それによりフランスがスペイン領西インド諸島における財宝の主人となるであろう.先の戦争〔大同盟戦争〕では,スペイン,ケルン,バイエルンが我が国の同盟国であり,控えめに見積もって六万の兵力を共通の敵に対して投入しており,戦争の舞台となったフランドルは我が陣営にあり,大いなる武勇と振る舞いで知られる君主である国王陛下〔ウイリアム三世〕が全同盟軍の戦闘に立ったが,それでも戦勝を誇る理由はなかった.それが今回はこれら諸国は敵陣営にあり,六万の兵力を我が陣営から敵方にもたらしており,一六八八年に比べてこの戦争の開始の時点において我が方にとって十二万もの弱い兵力差となっている.それでいかにしてフランスに対抗できるというのだろうか.

他方,持論または何らかの個人的動機から新たな戦争への参加に賛成の助言をする者は,フェリペがスペイン王となることがイングランドにとっていかに危険であるかを,次のように主張した.かの王国がブルボン家の君主に従属している間は我が国は我が国の貿易のための安全保障も,ヨーロッパの均衡を保持するためのいかなる希望も得られない.孫が国王の肩書だけを有しつつ,祖父〔ルイ14世〕が事実上国王となり,世界王国の野望を追求するかつてない機会を得ることになるだろうからである.これらの議論および同様の議論が優勢となり,そのため時間をかけて結果を考えたり,我が国自身の状態を検討したりすることなく,我が国は性急に戦争に加わった.この戦争はこれまでに六〇〇〇万もの費用がかかっており,度重なる思いもよらなかった戦勝のあげく,我が国民およびその子孫は,同盟国のみならず征服された敵国よりも悪い条件に置かれてしまった.

●スペイン継承戦争遂行の問題点

この戦争全体の遂行において我々が演じてきた役割について,海外の同盟諸国および本国での支配的な派閥に鑑みて,これから個別に吟味しようと思う.それにより,単純な事実によって,国内の敵の愚昧,蛮勇,腐敗,野心によってこれほど長きにわたり,これほど恥ずべき仕方で搾取され,あるいは外国の友によってかほどの不遜,不正,忘恩をもって遇されてきた国はなかったということが明白になるであろう.

このことは次の三つの点を指摘すれば明らかとなろう:

第一に,あらゆる思慮ないしは常識に反して我が国はこの戦争に,補助としての役割のみ果たすべきであったところ,主当事者として参加した.

第二に,我が国は,開戦に当たって提案した目標を達するのに最も適さない部分〔大陸における地上戦〕の戦争遂行にあらゆる勢力を注ぎ込み,共通の敵を最も弱めるとともに,同時に自国をも富ませることができたはずの分野〔海上戦〕では何らの努力もしてこなかった.

最後に,我が国は同盟諸国が従うべき条約および協定のあらゆる条項を破って負担を我が国に押し付けるのを見過ごしにした.

●@主当事国となったこと

このうち,我が国がこの戦争に参加するのは補助としてのみにすべきであったという第一の点について,当時の我が国の状況を考えてみるがよい.かつてイングランドが参加したうちで最も長たらしく,費用がかかり,不首尾な戦争〔大同盟戦争〕を終えたばかりであり,我らも我らの父祖も聞いたこともない性質および度合いの重い負債にあえいでおり,郷士および人民の大半は心底戦争に倦み,和平〔レイスウェイク条約〕のことは,平和そのもののほか何らの利益ももたらさなかったにもかかわらず喜んでおり,軍勢を集めるとともに負債を返済する必要から膨れ上がった税を引き下げる当面の見込みもなく,基金および株の一種の人工的な富は十年前に公金を略奪していた者どもの手にあり,我が国政府のあらゆる部門に改革を必要とする多数の腐敗があった.こうした困難のもと,二十年間の平和と最も賢明な施政でも回復は難しかったであろうところ,我が国はフランスに対して宣戦布告した.だがそのフランスは,前述した先の戦争で我らが同盟の当事国であった列強〔スペイン,ケルン,バイエルン〕の参加と同盟によって強化されていた.そのような重みが天秤のこちら側から向こう側に移されれば,均衡にいかなる変化がされるに違いないかは明らかである.十年間の経験から,フランスはそうした追加勢力なしでも我々に対して持ちこたえることができることは明白であったのである.よって,人事における確率は相手方に強い勝算を与えるものであり,この場合,最も極端な必要性のもとでも,何があっても,いかなる国家も,戦争に携わるべきではないのである.我が国はすでにフェリペをスペイン国王として承認していたのであり,女王の宣戦布告でもアンジュー公のかの王位の継承を紛争の主題として取り上げてはおらず,問題はあくまでもフランス国王がスペイン王位を我が物のように支配することであった.すなわち,フランス国王のカディス,ミラノおよびスペイン領ネーデルラントの奪取,それに〔イギリス〕王位僭称者の公認という侮辱である.そのすべてにおいて,我が国はかの君主を,最後の件を除いて我が国に直接関係することでは批判していない.最後の一件にしても,実際ゆゆしき無礼ではあるが,戦争なしでも容易に是正できたかもしれない.というのも,フランス宮廷は王位僭称者を承認したのではなく,国王の称号を与えただけだと宣言したのである.国王の称号は,アウグストにその敵スウェーデンが認めたことがある.スウェーデンは〔北方戦争において〕アウグストをポーランドから追放し,スタニスワフを承認することを強いたのである〔1704年〕.

たしかに,フランドルにおけるかくもよこしまな隣接地域によるオランダの危機はその帰結において我が国にも大いに影響があるかもしれない.スペインがフランスの影響およびフランスの政治によって支配される場合,オーストリア家にとってのスペイン喪失はやがては我が国の貿易にもきわめて有害なものになるかもしれない.したがって,我が国の隣人を助けることは寛大で慈悲深いばかりでなく賢明でもあった.我が国自身を傷つけることなくそうすることも可能であった.というのも,オランダとの古い条約〔1678年;『イギリス革命史』上p.212-212〕により,我が国はかの共和国がフランスの攻撃を受けたときには一千の兵力で支援する義務を負っていたからである.そのフランス軍が,スペイン国王の死に際して,フェリペの名においてフランドルを手にし,オランダがフェリペを承認するまでオランダ守備隊の身柄を確保したとき,連邦議会が我が国駐在公使からの覚書によって要求したのは,前記条約の効力によって我が国が与える義務を負っていた一千の兵だけだったのである.私は,オランダはその支援だけで自国の国境を防衛することができるよう精力的に努力したであろうことにいささかの疑いも抱いていない.あるいは,たとえオランダが和平を強いられたとしても,王国の分割を嫌うスペイン人はみすみすフランスがフランドルを保有することを認めたりはしなかったであろう.当時,フランス人とスペイン人は,この戦争が創り出したような互いに対する愛着は抱いておらず,二つの国民の間で自然であったあらゆる憎悪と嫉妬が現れていたであろう.したがって,我が国がそれ以上進む必要は何らなかったのである.しかし,当時の我々の政治家は異なる見方をした.新たな戦争に着手しなければならなかった.それを助言したのは,徒党および支持者とともに戦争による唯一の受益者となる者どもであった.こうして皇帝,イングランド,連邦議会の間に大同盟が結ばれ〔1701年〕,それにより不平の種であるフランスからの危害が二カ月以内に修復されなかったら,当事国は全力をもって互いに支援する義務を負うことになったのである.

こうして我が国は二つの同盟国とともに戦争の当事者となったが,紛争におけるかの二国の関与は我が国よりはるかに高い割合であった.しかしながら,大同盟の文言からは,我が国があれほど膨大な費用を負担する義務を負った理由は見出せない.私がいつも聞き,読んできたところでは,その条約において理解される国の全力とは,君主が臣民から毎年集められる最大限であると解釈する.君主が国内だろうと国外だろうと抵当を入れたり借り入れをしたりすることを強いられるとしたら,それは本来はその君主自身の力でもその国民の力でもなく,個々人の資産全体である.王国の年々の歳入から集めることはできないので,君主は担保を出して手に入れ,利子を払うことができるのみである.この方法により,国の一部が他の部分のために質入れされ,償還される可能性はほとんど残っていないのである.

もちろん,先の戦争で契約された我が国の負債の支払いを中断し,地租およびモルト税を抵当に入れられた他の税とともに継続していたら十分であったろう.これらに若干を加えれば相当な額になり,賢明な運用をすれば陸海に十万の兵力を維持できたのではないかと考える.危惧される危機がほとんどなく,期待される利益もほとんどない同盟国としては全く申し分のない負担である.戦争が始まったとき,同盟国のいずれかがその前提で我々に加わることを拒み,我が国が毎年三百万ないし四百万の負債を抱えること(これが現実であった)を期待するほど理不尽であったことは思えない.というのもフランスが仕掛けてくるいかなる和平の申し入れも,戦争以上に我が国にとって破滅的であったはずがない.後世の人は,十年間の苦難のあとに,例のない国家の政治によって,毎年自分たちを担保にして戦争を維持した祖先の行動に,どんな精霊に取りつかれたのかと首をひねるであろう.それに,短い平和の間に,たまった負債の重荷を振り返って恐懼し,一様にそのきっかけとなった助言を非難し,粉砕された状況を修復するために何らかの対策ないし便法がないかと思案しているとき,その当の人々が,息つく間もなく,再び,同じ期間あるいはそれ以上にわたる,より危険な,非難すべきで高価な戦争を,何ら明白な必要性なしに開始したのである.個人の運勢にあっては,誰であれ毎年使い果たし,同じ出費を続ければ,毎年,以前よりも多量の土地を抵当に入れなければならず,負債が二倍,三倍となれば支払えない度合いもそうなることは明らかである.同様に,我が国はここ十年の戦争によって,先の戦争の二倍もの負債を被った.同じ割合でもう五年続けることができるとしたら,それはまる二十年分〔5年分×4(二倍の二倍)〕もの重荷になるであろう.この計算はあまりに簡単かつ自明であり,言及するのも恥ずかしいほどなので,後世の人は最初に戦争を助言した者はそれを考える分別か誠実さのいずれかを欠いていたと考えるであろう.

●A注力した分野

我が国はこの気前のよい仕方で我が国の国力および死活的な資産を浪費したのみならず,恥ずべきことに,その用途も,少なくとも戦争に乗り出した目的とは非常に異なった目的に,しばしば講和後にひどく後悔しかねない他のことを実現することに向けた.

我が国はこの十年間,戦争の戦力および戦費の全体を敵が我々に最も抵抗しうる分野に,我が国が自国の利益になる方法を提案し得ない分野に,我々の征服を拡大するのがきわめて不得策である分野〔大陸での地上戦〕に向けて,我が国にとって何百万もの節約にも利益にもなったはずの分野,我が国政府の永遠の金言が遂行することを教えている分野,最も早期に敵を弱体化させ,速やかな和平を推進するか我が国に戦争継続の力を与えるかしたはずの分野〔海上戦〕は無視してきた.

戦争継続を好む者たちは,目覚ましい勢いでの我が陣営の絶えざる成功を叫びたて,それを合理的に期待しうるより無際限に大きく考えている.十の輝かしい戦役が過ぎ去り,今やついに,病人のように,我が国はあらゆる種類の良い兆候が潰えようとしている.この戦争を助言した者たちは,我らが手にした成功を予期することなく,戦争が十年間続くことを想定していただろうか.それでいて同時に我が国の全力をフランドルに投入することによってフランスを追い詰め,スペインを屈服させる決意だったのだろうか.先の戦争のあと,我が国がそのような莫大な供給をかくも長期にわたって提供して,我々のみならず子孫までもを借金の泥沼に引きずり込まずにすむ状態にあると信じていたのだろうか.そのような奇跡的なことをしたあとまだフランスに我々の条件を飲ませる状態になく,運命の逆転なく進んだとしてもいつそうできるかもわからないとすると,物事が普通に進んだ場合,フランドル戦争の少なくともさらなる二十年間をおいてほかに何を予期せよというのであろうか?我が国の六百万の資金に対してオランダのために都市を一つ占領することが十分な見返りだと考えるのだろうか.都市一つの占領は戦争の決着をつけるには何の影響もなく,毎年の戦役ごとに同じ代価で都市一つを占領したとしてもフランスは痛くもかゆくもなく,さらに十二年だって持ちこたえるかもしれない.

私がこれを述べるのは決して軍やその指導者を誹謗するためではない.敵の戦列に突撃し,川を渡り,都市を奪取するのは多くの輝かしい状況を伴う行為かもしれない.だが,このすべてが何ら真の実のある利益を我が国にもたらさないとすれば,オランダの領土を増やし,我らが将軍の名声と富を増すためでしかないとすれば,どのような展開になろうとも,それはあるべき姿ではなく,我々の軍勢も資金も,敵を追い詰めることと,我が国自身への何らかの利益を図ることの両方のためにより効果的に用いることができるはずだと私は結論する.だが現実はずっと困難である.我々は何千もの命を失い,我が国の資産を使い尽くし,それも我が国自身の利益(それは常識的な思慮分別でしかない)のためではなく,中立的なこと(これも十分ばかげている)のためでもなく,おそらくは我が国の破滅に向けてである.これは完全な狂気である.我々は生きているうちに,我々自身の武勇の効果を,スペイン属領がアンジュー公の手にあることから想像されるあらゆる帰結よりも,一層顕著に感じることになるかもしれない.我が国は連邦議会のために立派な領土を征服し,連邦議会は自衛のために十分な兵を維持し,数十万の住民を投入するだろう.製造業を導入し,向上させるためにあらゆる奨励策が与えられ,それが生来の技量,熱意,吝嗇に加わって世界のあらゆる市場でオランダ人が我が国との価格競争に勝つことを可能にするであろう.

当初の規定に従った我が国からの四万の兵力供給は,皇帝およびオランダが提供する義務になっている割り当てに加えると,守備兵を除いて二十万近い軍勢となるはずであった.フランスがこれに対抗して投入しうるあらゆる勢力に立ち向かうに十分であり,我々は残りを共通の大義および我が国自身の利益の両方ためにずっとよく利用することもできたはずである.

スペインでの戦争の不手際〔『スペイン継承戦争』p.197,212,292,299等参照〕は我らが大臣たちがまんまと丸め込まれたためと言わねばならない.彼らは帝国宮廷によって,スペイン人がオーストリア家〔ハプスブルク家〕に強い愛着を抱いており,〔カール〕大公のもと一握りの兵がかの地に到着するや否や王国全体が決起すると信じ込まされたのである.我々はそのとおりにしてみた結果,皇帝が我々を欺いていたか自分を欺いていたかのどちらかであることがわかった.それでもかの地で我々は途方もない不利のもと,多大な戦費を投入して戦争を遂行した.一連の振る舞いおよびほとんど奇跡的な幸運によってもう少しでかの王国を保有できるところまでいった〔『スペイン継承戦争』p.157参照〕唯一の将軍〔ピーターバラ伯〕は,この上なく腐敗した運営のため,完全に無支援の状態に取り残され,ライバルたちのねたみにさらされ,強欲なドイツ人の施策のもと若く未経験な公子〔ヘッセン公子〕のきまぐれに裏切られ,最後には不満のうちに本国に召還された〔『スペイン継承戦争』p.197〕.それにより,我が軍はスペインでもポルトガルでも貪欲,不正あるいは変節の犠牲にされた.

常識的な思慮分別では,その戦争こそ,そのような勝機に乗じて最大限精力的に推進すべきであった.その王国の獲得こそが戦争継続の大きな点という建前だったことからすればなおさらである.あるいは少なくとも,その企図が実現不能であると判明した,というよりむしろ自ら実現不能にしてしまった時点で,あれほど高価なその遂行は続けず,我が軍をカタロニアで守勢に保ち,共通の敵を悩ませ,自らを利するためにより効果的な他の何らかの方法を追求するべきであった.

そして我々の前には,我が国の国力の最良の部分を投入する,名誉にも利益にもなるいかに高貴な分野があったことか.だがそれを我が国は英国(British)政策の金言に反して完全にないがしろにしてきた!私などは時折いぶかしんだものだ.我々の同盟諸国がある種軽蔑的な仕方で通例我が国をオランダとひとくくりにして使う二大海運国との呼称にもかかわらず,我らが海のことに思い至らなかったのはどうしたことだろうか.一部の政治家はスペインへの道としてフランドルを,他の者はサヴォイやナポリを示すなか,西インド諸島が一度たりと思い浮かばないというのはどうしたことか.これまでの半分の負担でフランドルにもとの四万の兵力を維持し,同時に艦隊および海軍力によってアメリカの南北の海でスペイン人を悩ませ,我が国以外の船舶による新大陸からの資金の還流を止めることができたはずだ.これこそ海運大国として我が国がするのに最も似つかわしいことである.これならそこそこの成功でフランスが和平を必要とし,スペインが〔カール〕大公を承認するまでに追い込むことができたであろう.だが我が国は十年間にわたって資金を大陸に浪費してきた一方,フランスは賢明にもペルー貿易のいっさいを独占し,船でリマに直行してかの地でほとんど価値のないフランス物品と交換に金銀のインゴットを入手してきた.これは現在におけるかの国民の多大な利点に加えて,将来にわたって,我が国に有益であったその貿易経路を他に向けてしまいかねないものである.我が国は以前は,カディスからスペイン領西インド諸島に送られる我が国物品と引き換えに,毎年カディスで莫大な金額を受け取っていたものである.このいっさいを我々は拱手傍観して失っており,妨げようとするいかなる試みもしなかった.例外といえば,ブリストルの一部の私人によるものだけで,その者たちは勇気と熱意の真の精神にかき立てられ,三年ほど前に自分たちの負担で準備した一握りの船舶でそれらの地域にこの上なく成功裏の航海をし,アカプルコ船の一隻を奪取し,二隻目ももう少しのところまで行き,文句のつけようのない富を満載して最近帰還した.それは我々に対し,公けの業務として同様の運用をしていれば,いかなることをなしとげられたかを示すものであった.フランスとスペインへの莫大な資金の還流を,我が手にすることはできないまでも,止めることは少なくとも容易にできたはずである.そして,戦争推進派が言うように,フランスが今困窮の極致にあるというのが真実だとすれば,あの富の流入が止められていたら今ごろフランスはいかなる状態にあっただろうか.

だが偉大なできごとはしばしば非常に小さな状況の上に回る.海がマールバラ公の本領でなかったのは我が王国の不運であった.さもなければ戦争の全力は間違いなく海上に注がれ,国にとって無限の利益となり,それは公自身の利益とも相携わっていたであろう.だがそれには非常に真実味のある反対がある.我が国が単独でそのような試みをしたとしたら,オランダが疑心暗鬼になったであろうし,もしオランダと共同してしたとしたら,オーストリア家が不満を抱いたであろう.これが近年の類型であった.それを我々の間に導入したのが誰であれ,その者たちは同盟諸国にも同調するよう仕込んでしまった.そうでなければ,想像しようもないではないか.戦争において同盟諸国が利益のいっさいを得ていながら二倍の負担を我が国に押し付けており,その一方で,我が国は同盟諸国のために地方や王国を征服するために自らを犠牲にしながら,自国にわずかばかりの利になる計画(それも共通の敵に対するもの)を,同盟諸国に疑念を抱かせ,機嫌を損ねる恐れから考えることができないなどと.私は恥ずかしながらこの反対論は事実だと認めるものである.というのも,ヒル氏の遠征〔ケベック征服の試み;『スペイン継承戦争』p.302,308〕計画は秘密にされていたものの,オランダとドイツではペルーに対するものだと疑われ,周知のように,オランダはあらゆるところで公けの不満を訴え,ウイーンの大臣たちは女王がそのような試みをするのは不遜だと話したのである.この計画の失敗が失敗したからといって(一部には不慮の嵐のためであり,一部にはかの植民地の一部の者の頑なさまたは背信行為のためである.そもそもこの計画はその者たちの救済のためにその者たちの懇願により計画されたというのにである),うまく協調のとれた,十分な勝算のある計画に対する反対論が成り立つわけでは全くない.

我が国がスペイン領西インド諸島で何らかの試みを意図していると思ったときに〔オランダ〕連邦議会が困惑を表明するのは奇異なことであった.というのも,我々の間では,我が国によってであれオランダによってであれその地域で征服されたものは征服国のものとなるとの協定があり〔大同盟条約第6条〕,この条項は我々の条約および規定のうち,私が想起できるなかで我が王国の利益にいささかなりとも配慮した唯一の条項であり,なかんづくまさにその理由により全くなおざりにされてきたのではないかと思う.これが厳しい見方だと思う者は陸海でのこのたびの戦争の運営全体を,すべての我が国の同盟,条約,規定および協定とともに吟味してみるがよい.はたしてその全体像が,英国(Britain)にもたらされる可能性のあるあらゆる恩恵または利益を妨げるべく,何か細心の注意および熱意が用いられてきたように見えはしないかどうか考えてみるがよい.

我が国の主要な同盟諸国からのこの種の扱いは他のすべての同盟諸国にも同じ手口を教えた.そのため我が国が補助金および年金でなかば維持してやっている小君主はことごとく,事あるごとに,我が国がどんな,いかに理不尽な要求であれ従うのを拒めば,兵を引き上げると言って(そんなことをすれば自国で略奪するか餓えるかするに違いないが)我が国を脅すつもりになっている.

●同盟諸国による負担の押し付け

第三の項目について,従うべき条約および規定のあらゆる条項に違反して同盟諸国が負担を押し付けるのを,我が国がいかにおとなしく看過してきたかを示すいくつかの事例を提示したい.

この大きな主題にはいる前に,我が国の条約の三つのうち,ある種の条項について若干の所見を述べさせていただきたい.これは,かの大臣たちがどの程度自国の真の利益,安全あるいは名誉を重んじ,また理解していたかを感得する助けとなるであろう.

●ポルトガルとの同盟条約

我が国はポルトガルと二つの同盟条約を結んだ.攻勢同盟と防衛同盟である.第一の同盟はこのたびの戦争の間のみ有効であり,第二の同盟は恒久的なものである.攻勢同盟においては,皇帝,イングランド,オランダがポルトガルに対する当事者であり,防衛同盟では我が国と〔オランダ〕連邦議会だけである.

攻勢同盟の第一条では,大同盟がすでに述べたようにイングランドとオランダに両国がスペイン領西インド諸島で征服するいかなる領土も保有することを認めているのに,ここでは〔カール〕大公が亡き国王カルロス〔2世〕と同様に完全な形でスペインの属領を保有することに同意したことにより,我々は完全に切り捨てられていることが観察される.そしてさらに注目すべきことに,我が国はまさにこの条項をポルトガルを利する次の規定〔秘密条項第1条〕により破っている.その規定では,エストレマドゥーラ,ビゴおよび他の若干の地点については我々が敵から征服でき次第,国王カルロス〔3世〕がポルトガルに譲渡することに同意しているのである.これが腐敗と愚鈍のいずれから出たものか,これほどの愚行および矛盾を犯した当人こそもっともよく知るところである.

他の二つの条項により,(ポルトガルの船舶および沿岸の常任の護送船団および警備隊となる名誉のほか)我が国は敵の考えを読み,ポルトガル国王が侵略されたと空想するときは常にその言葉を受け入れることになっている.我が国はまた,ポルトガル国王に対し,敵がその属領のどこかを侵略する意図で用いる軍勢がいかなるものだろうと,それより優勢な兵力を提供することになっている.そして我々が敵軍の実態を知るまでは,どのくらいの兵力をもって優勢とするか,どのくらいなら侵略を防止できるかの唯一の審判者はポルトガル国王陛下であり,ポルトガル国王陛下は我が国の艦隊をどこであれ気の向いたところに,世界の最も遠隔の地に使い走りにでも送ることができ,また解放する気になるまでポルトガル自身の沿岸に待機させることもできるのである.これらの艦隊は同様に,国王が侵略を危惧する心境にあるときには,あらゆることにおいて,国王のみならず,国王の外国の属領における副王,提督,総督にも服さなければならない.私はこれは,征服された国民以外にかつて申し出られたことのない不名誉だと信じるものである.

恒久的に持続する,かの王室との防衛条約では,イングランドとオランダのみが当事国であるが,我が国の艦隊がポルトガルの沿岸および海外属領に張り付き,同じ服属状態におかれるよう,ほぼ同じ言辞で同じ気配りがされている.我が国と連邦議会は同様に,ポルトガルに対して我々の負担で一万二千の兵を提供し,我々は絶えず新兵補充をすることになっており,ポルトガルの将軍に服することになっている.

〔先述の〕攻勢的同盟では,我々が侵略されたときにポルトガルから支援を得ることには注意は払われなかった.だが〔防衛条約では〕この点では我々はより賢明になったようだ.というのも,かの国王は,我が国またはオランダがフランスまたはスペインのいずれかによって侵略されたときはその国と開戦する義務を負うのだ.だがその前に,我々がポルトガル自身が侵略されたかの場合と同じ陸海の兵力をポルトガル王に提供することになる.これは海運強国としては,突然の侵略に際しては,さぞや賢明かつ安全な選択であるに違いない.これにより,我が国の艦隊および軍隊を我が国自身の防衛のために利用する代わりに,我が国はそれをポルトガルの防衛のために送らなければならないのである.

第十三条により,ポルトガルが我が国に与えることになっているこの支援がどのようなもので,どのような条件に基づくかを教えられる.ポルトガルは十隻の軍艦を提供し,イングランドおよびオランダがフランスおよびスペインまたはスペイン単独によって侵略されたときは,いずれの場合でも,その十隻のポルトガル艦はポルトガル沿岸でのみ就役する.さぞ同盟国にとって有用で,敵にとって脅威となることだろう.

オランダがいかにしてこれら二つの同盟のそれぞれに参加するに至ったかを追及するのはあまり重要ではない.オランダ人は賢明にも決して条約を守らなかったからである.思うに初めから守る気などなく,現にそうしたように負担を我が国に押し付けるつもりだったのではないかと思う.

誰であれこれら二つの条約を始めから終わりまで読めば,ポルトガル国王とその大臣が座って自分で条文を作り上げ,それを同盟諸国が署名するよう送りつけたのではないかと想像するだろう.それらの条約の全体的な精神および調子はこの単一の点でのみ通っている.我が国とオランダが何をポルトガルのためになすべきかという点であって,何ら対価に対する言及がなく〔フランスとの同盟を捨てたという点が最大の対価というべきか?〕,例外の十隻の艦船も我らがその支援を最も必要としているときには自国の沿岸に張り付くよう仕向けられているのである.

●オランダとの防壁条約

グレートブリテンとオランダとの間の防壁条約〔『スペイン継承戦争』p.264〕は一七〇九年十月二十九日にハーグで締結された.この条約では,女王陛下もその王国も,第二条および第二十条で言及されている点以外には何らの利害も関心もない.第二条によって,連邦議会は王位継承法の擁護において女王を支援し,第二十条によってフランスが女王およびハノーヴァーの継承を承認し,王位僭称者をフランス国王の属領から排除すると約束するまで和平交渉をしないことになっている.

この第一のもの〔第二条〕については,イングランドでプロテスタントの王位継承が護持されることは確かに連邦議会の安全および利益になる.というのも,我が国が危惧するようなカトリックの君主は間違いなくフランスと組んでかの共和国の破滅させんとするであろう.それにオランダは,この点で改めて取り決めるまでもなく,共通の敵に対する条約または攻守連盟のいかなる部分にも縛られているので,我が国の王位継承を支援する必要がある.女王陛下は陛下の諸王国および人民の心を完全に平和裏に掌握しており,五千人に一人も王位僭称者の立場に立つ者はいない.そしてかほどにしっかり確立された権利を護持するためのオランダの支援が,防壁条約の残りの数多くの不当で法外な条項の対価といえるかどうか,世界に審判させるがよい.我が国の使節がそのような条件をオランダに申し出,オランダ人に我が国の議会法の保障者になってもらうよう懇願するなど,外から見たら我々の決着についてどんな印象がもたれるだろうか!承認するだけならともかく,保障によって我が国の王位継承を確かにするために外国勢力を呼び込むことは,政策の点からしても,良識の点からしても正しくないであろう.こんなことをしていては,我が国は,王国の状況からどんなに必要であっても,我が国の王位継承を変更することを,保障者である君主または国家の同意なしでは,我が国自身の立法府でもできなくなってしまう.

もう一方の条項〔第二十条〕については,我が国がフランスと結ぶことのできるいかなる条約にも付随するに違いない自然な帰結である.女王陛下を自身の属領の女王として承認することと,我が国自身の法による継承権の承認でしかないので,いかなる外国勢力も介入する口実はない.

しかしながら,連邦議会からのこれらの過分な利益に値するため,条約の残りの部分は完全に我が国がオランダのためにしてやることに割かれている.

このたびの戦争の基盤であった大同盟により,スペイン領ネーデルラントは回復され,スペイン国王に引き渡されることになっていたが,この条約により,かの君主は戦争の間じゅうフランドルには何も持たないことになり,講和後も連邦議会は約二十の都市およびその付属領の軍事指揮権を有し,また自分たちの守備兵を維持するためにスペイン国王から毎年四十万クラウンを得ることになる.それにより,オランダは沿岸部のニーウポールトからマース河畔のナミュールに至るまでフランドル全土の指揮権を有し,完全に,この地方の最も豊かな部分であるワース地方の支配者となる.さらに,オランダはスペイン領ネーデルラントにおいて,戦争の暗雲があれば,適当と思ういかなる地点にも守備兵をおく自由をもつ.結果として,オランダは,イングランドと断絶したときに,オステンドでもどこでも好きなところに守備兵を置くことができるのである.

こうしてこの条約により,オランダは事実上,ネーデルラント全土の支配者となり,気の赴くままに税を課し,通商を制限でも禁止でもできるようになり,アイルランドの恩知らずの手工業者やドイツ全土に散らばっているフランス人難民を誘致することによってその豊かな地方においてあらゆる工業,特に毛織物工業を確立するであろう.この工業が海外で高まるにつれ,イングランドの衣類産業人口は働き口を求めてそれを追い,オランダの低金利の助けにより,数年にしてフランドルは,我が国がかつてかの地から奪ったこの有益な産業を回復するかもしれない.そうすればイングランドの地主階級は羊毛の集散地を再び海外に確立することを強いられるであろう.そしてオランダは単なる運び屋の代わりに,現在世界の貿易の大半が行なわれているそれらの商品の原所有者となるであろう.そしてオランダが貿易を増進するにつれ,海上での勢力を拡大し,我が国の勢力が相対的に減退せざるを得ないのは明らかである.

フランドルのすべての港は,オランダがスヘルデ川流域で賦課するのと同様の税がかけられる.スヘルデ川はオランダ側では閉鎖されることになる.こうして,他のいっさいの諸国はフランドルとの貿易から事実上締め出される.だがそのまさに同じ条項で,オランダはスペインの属領全体においてグレートブリテンまたは最恵国民と同じくらい優遇されることが言われている.我が国はオランダのためにフランドルを征服し,それでいてかの地での貿易に関しては戦争開始前より悪い状況に置かれている.我が国はこれまでスペイン国王の大いなる支えであり,オランダはほとんど何の貢献もしなかった.それでいてオランダはスペイン国王のあらゆる属領において我が国と等しく優遇されるのである.このすべてについて,女王は保障役という理不尽な義務を負わされており,オランダは講和前から所望の防壁および年四万クラウンを手に入れる.

この条約に署名した我が国の全権が一人だけ〔タウンゼンド〕であったことが注目される.もう一人〔マールバラ公〕については,そのような条約に手を貸すよりは右手を失ったほうがましだと言うのが聞かれたという話を私は聞いている.もし彼がそうした言葉をしかるべき時節に,海峡のこちら側でも聞こえるくらいはっきりと語っていれば,当時彼が宮廷で有していた信用を考えれば,祖国の名誉の多くを救い,自分自身にとっても利益となったこともありえたはずである.したがって,その話が本当であったとしても,口先だけのことだと考えようと思う.また,この条約に加入するにあたり,いくつかの非常に必要な状況が欠けていたのだが,この地の大臣たちは,自分たちのお気に入りの一人〔ホイッグのタウンゼンド〕が取りまとめたものを批准しないよりは,王冠の名誉および国の安全を犠牲にすることを選んだという話も聞いている.

●同盟諸国による協定遵守の実情――オランダの振る舞い

ここで,我が国の同盟諸国が,我が国と結んだそれらの条約およびそれに従ったいくつかの規定および協定をどのように遵守してきたかを考察する.

帝国,イングランドおよびオランダの間の大同盟により,我が国は他の二国を全力をもって陸海で支援することになっていた.この条約のあとの約定により,各当事国が戦争に対して貢献すべき割合は次のように調整された:皇帝はイタリアまたはライン川流域においてフランスに対して九万の兵を提供する義務を,オランダは守備兵を除いてフランドルの戦場に六万を,我が国は四万を提供する義務を負った.その翌年である一七〇二年には,マールバラ公爵は,増加として一万多い兵を募って,一層精力的に戦争を遂行することを提案した.議会はこれに同意し,オランダは同じ数を募ることになった.これは対等であったが,それは,我が国の割合がオランダより三分の一少ないとする先の規定に真っ向から反するものである.そこで承認にあたり,オランダがフランスとの間のあらゆる貿易,通商を断つべきであるという条件が付けられた.だがこの条件は決して果たされなかった.オランダはうわべだけの表明で,我が国の議会会期が終わるまで我が国を惑わせていただけだったのだ.そして翌年,その表明は,我が王国を満足させるいかなる理由も付すことなく,我が国の将軍と連邦議会との談合で撤廃された.次の戦役およびその後に続いた数次の戦役では,さらなる追加的な兵力が議会によってフランドルでの戦争のために認められた.新たな増派のたびごとに,オランダは徐々に自分たちの割合を低めていった.議会は女王に,連邦議会が協定通りに割合を遵守するよう申し入れてはと奏上したが無駄だった.それがもたらした唯一の効果といえば,オランダ人に,自国の部隊を名目上軍団とすることによって協定を逃れることを教えただけだった.オランダ人がしたのは,連隊数は保つが兵員および資金の五分の一を削ることだった.それにより今や事態はまさに逆転している.当初はオランダは我が国より三分の一多い義務を負っていたのに対し,あらゆる新たな募兵において,我が国はオランダより三分の一多く貢献したのである.

それに,オランダのために多くの都市を征服すればするほど,共通の敵を追い詰め,結果的に戦争を終結させる見通しが悪くなっている.それというのも,オランダは,都市が占領されるそばからその守備兵として自国の割り当ての兵を送り込んで平然としている.これはいっさいの守備兵ははっきりと除外していた協定に真っ向から反することである.これはいくつかの段階を経て,しまいには,現在,前線にはフランドルのマールバラ公爵の指揮下には英国(Britain)単独でその任のために維持しているほどの兵力すらないまでになり,ここ数年そんな状態が続いてきた.

マールバラ公爵は,敵の防衛線を突破してブシャンを奪取した〔『スペイン継承戦争』p.311〕ところで,膨大な兵,特に騎兵をリール,トゥルネー,ドゥエーおよびその間の地方に保つ計画を抱いた.冬の間,フランスの近隣属州すべてを悩まし,敵が武器庫を樹立することを阻み,よって翌春兵力を持続させることを阻み,敵がソンム川の背後に戻ることなくしては翌年の軍勢を集結することを困難にすることができるはずということであった.この計画を実施するためには,騎兵の馬糧,馬小屋の建設,兵士のための火とろうそくの調達およびその他の付随する諸係りのために途方もない費用が必要になる.最初の品目,馬糧については,女王にのみ属するものであり,女王はすぐ提供に同意した.だが,オランダは,公正に見れば完全にオランダに属する他の品目についても同様に女王陛下が分担に与るべきであると主張した.女王はこの重要な計画が失敗するよりはとそれにさえ同意した.だが,結局は失敗したことを我々は知っている.オランダが同意を拒んでいるうちに,提案した者でさえ実行に移す時機を逸したと思わざるをえなくなってしまったのだ.おそらくは,オランダに賦課金を払うフランスの属領が提出した賦課金の条約におけるある種の条項が,この計画をくじいた主たる原因であろう.この計画によって得られたはずの一つの大きな利点は,前述のように,敵が武器庫を樹立することを妨げることであった.そしてそれらの賦課金の条約の一条は,これらの地方の産物は自由かつ妨げられることなく通過すべきであるというものだ.よって,問題はこの短い点に帰着する:オランダがこのちっぽけな恩恵を失うべきか,それとも共通の大義がかかる重要性のある利点を失うべきか?

海上は我が国が我が国自身にいささかなりとも利益をもって戦争を遂行しうる最も有望な要素であるが,海上任務ではその負担の八分の五を担うべきであることが協定され,オランダが残りの三を担うものとされた.そして大同盟により,スペイン領西インド諸島で我が国またはオランダが征服する領土は征服国に属するものとされた.したがって,我が国のこの海上での同盟国は,陸軍において達成しなかったものを,艦隊において埋め合わせるものと期待されてもよかったかもしれない.ところが全くそうではなく,オランダは艦船でも兵員でも自国の割り当てを満たさなかった.言い換えると,わずかばかりのオランダ艦隊が時折現れたとしても,現れる以上のことはないのである.というのも,自国の商船を気遣い,自国の貿易を保護するため,オランダ艦隊はすぐ離脱してしまうのである.そして記憶に新しいことであるが,我が国の王位継承のこれらの保障によって,オランダは,何か月も地中海に一隻たりとも有さなかったというのに,自国の割り当て分を地中海に送り,〔英国本土〕侵攻の噂で我が国を警戒させたまさにそのときに我々には何も提供しなかったのである.そして去年,連邦議会に諫言し,役務のかくも重要な部分において協定を果たすよう求めるべくサー・ジェームズ・ウィシャートがオランダに派遣された〔1712年2月〕ときには,我が国に多大な借りのある共和国が与えるにはふさわしくない受け入れ方をされた.一言でいえば,それに甘んじる者にしかふさわしくない応対である

また,オランダがその資金援助を支払うのが常に遅いことも,我が国には少なからぬ不都合であった.そのため,支払の重圧は女王にのしかかり,陛下があまり厳密でないと責めまで負わされたのである.これさえ同盟諸国を満足させないことがある.というのも,一七一一年七月にスペイン国王〔カルロス三世を名乗るカール大公〕は翌年一月一日までの資金援助すべての支払いを受けたにもかかわらず,それ以降も資金不足をこぼしてきた.国王の大臣は,我が国が国王陛下にさらなる補給をしなければ,起こりうる事態についての責任は持てないと脅したのである.その実,国王カルロスはその時点では支払いを受けた兵数の三分の一も有していなかったのであり,有していた兵にしても給金や制服を支給されていなかったのである.

●オーストリアの振る舞い

ここで,資金援助に関する別の一節に触れないわけにはいかない.外国人が我が国の手軽さについてどんな見方をしているか,いかに我が国の資金を自分たちが欲しくなったときにいつでも自由に使えるつもりになっているかを示さんがためである.女王は,協定により,年二十万クラウンをプロイセン軍に支払うことになっていた.オランダは十万クラウン,皇帝は新兵補充のための三万クラウンだけだが,これすら皇帝陛下は払ったことがなかった.〔皇帝の重臣である〕オイゲン公子がたまたまベルリンを通った時,ベルリン宮廷の大臣たちはこの点での善処を求め,殿下は非常に気前よく,この欠乏に鑑みて英国(Britain)とオランダが両国の間でその資金援助を七万クラウン増額すべきだと約束した.公子はこの約束をいかなる命令も権限もなしに行なったのである.オランダは当然のごとく承諾を拒んだが,当地のプロイセン公使は我が国宮廷に申請をして,我々がオランダでどのような決議がされたかを耳にする前に,我が国の負担分に同意するよう求めた.したがって,プロイセン国王陛下がこの戦争の終結時に,軍資金が戦争開始時より二万クラウン少なくなっているという先の戦争の終結時と同じ不平をこぼす理由はないであろうと期待される.

すでに述べたように,皇帝は規定により,共通の敵に対して九万の兵力を提供することになっていた.維持すべき艦隊がなく,皇帝の一族の権利において,この戦争で最も深くかかわっているからである.しかしながら,この協定はあまりにないがしろにされ,戦争のはじめから今日に至るまで,先の二人の皇帝はいずれも,イタリアでの一度を除き,自らの負担では共通の大義のために二万の兵力を有したこともなかった.その一度の例外では,帝国宮廷が努力を向けたのは,スペインや西インド諸島を自家に獲得することよりも,自分たちにとってより大切な点にであった.イタリア方面での試みに成功してしまうと〔『スペイン継承戦争』p.177〕,あらゆる危難を押して戦争を遂行しようとする我が国〔ホイッグ政権〕の盲目的な熱意を見た彼らはやがて,距離を置くための最も効果的な方便を見出した.軍隊に金を出すよりは,一人の人物に莫大な贈り物をし,それに見合った見返りを求めるほうが安上がりだということを容易にはじき出したのである.自国の利害を我が国に委ねるのが最善だと考え,それゆえ賢明にも帝国の戦いを我が国にやらせることにしたのである.

それに,いくつかの事例から,皇帝は,帝国自身が安全だと考えるときには,同盟国や諸国が従事している大義をいかに軽く見ているかが明らかになる.皇帝がハンガリーにおける不満分子と,皇帝の威厳にも利益にも全く不都合のない条件で和解してもよかったことが何度かあったことは十分よく知られている.だが皇帝はむしろ,哀れな民を完全に屈服させ,隷属させることによって,自らの私的な熱意のために同盟全体を犠牲にすることを選んだ.あえいでいた重圧から自らを解放するために民が武器を取らざるをえない事情は多すぎるほどあった.だが,人民の決起を皇帝は,フランスに対して用いるはずだった兵力のあまりに部分を協定を破って他に向ける口実としなければ気が済まなかった.

同盟諸国の共通の大義に対する皇帝の無関心,あるいは嫌悪のもう一つの事例は,トゥーロン〔『スペイン継承戦争』p.203〜〕の一件である.この計画は実は,我が国内地において漏洩された.漏洩したのは,ひとかどの偉人になる素質があると誰もが知っている人物であるが,賭けによって金を得るという卑しい欲得づくの目的に基づく遊戯における技量においても,少なくとも政治と同様に知られている.賭けは当時あまりに一般的な慣行であり,私の覚えているある商業界のさる紳士は,好奇心から交換所での賭け金の通りを調べたところ,その秘密に深くかかわっている一部の人々がその種の行為に関わっていたことを見出した.そのことは,舞台裏に通じた者でなければうかがい知りようのない諸都市について指定されたプレミアムに現われていた.しかしながら,この計画が恥ずべき行ないによって漏れたとはいえ,皇帝がまさにこの時期に一万二千ないし一万五千の兵力をナポリの確保に派遣するなどということがなければ,トゥーロン奪取はおそらく可能であっただろう.皇帝にとってはナポリ奪取のほうが自分の個人的かつ直接的な利益にかなう作戦なのである.しかし,同盟によるトゥーロン攻略が皇帝陛下の眼中になかったことは明らかであった.というのも,こうした不安材料があったとしても,オイゲン公子の反対がなければ試みは成功していたかもしれず,オイゲン公子の反対は,公子自身の判断によるものとは考えられず,帝国宮廷の何らかの政治的事情によるものと思われるからである.サヴォイ公は我々の軍が到着したらただちに敵を攻撃する考えだったが,テッセ元帥の兵が勢揃いすると,我々が当時いた条件でかの地を包囲しようとすることは茶番であった.トゥーロンが我が陣営の手に落ちていれば,フランスの海上勢力は多いに破壊されたことであろう.

だが上記のどれよりもずっと重大な事例として,我々が皇帝の帝冠を救い,弟〔カール大公はヨーゼフ一世の弟〕のスペイン王位を主張するためにあれだけのことをしてきたのに,皇帝が我が国や我が国の言い分をいかに軽視していたかは,ほんの数か月前の帝国宮廷の言動からわかる.イタリア方面で攻勢に出れば,フランス軍を大いに分断し,フランスの弱点を突き,スペインやフランドルにおける我が軍勢の前進を助けるであろうと判断された.この陽動を行なうことがサヴォイ公に提案され,それも,山のこちら側で冬営することによって夏の間の陽動だけでなく,冬も居座ることとされた.ただ,サヴォイ公がこの事業に乗り気になり,実行できるようにするため,二つの点を詰めておく必要があった:第一に,帝国宮廷と王侯殿下との間の紛争を終わらせることが必要であった.その紛争は,皇帝が条約のいくつかの条項を果たすのを拒んでいるという以外に何の理由もないものであった.それも,サヴォイ公がこの戦争に参戦した基盤となり,英国(Britain)とオランダが先帝レオポルトの要請により保証国となった条約である.この困難を取り除くため,ピーターバラ伯がウイーンに派遣され,そうした紛争の一部をサヴォイ公の満足のいくよう克服し,残りを和解に向けた軌道に乗せた.だが,その時点でヨーゼフ帝が薨去した〔1711年〕.この一大事に際し,サヴォイ公は,問題全体が決着したわけではなかったが,共通の大義が公の助力を要求しており,新しい皇帝が選出されるまでは公に対して条約を果たすことも不可能だったので,すぐさま自ら軍の先頭に立つ決意をした.それを可能にするために公が求めた唯一のことは,戦役終了までに帝国宮廷から八〇〇〇の兵の増援を受けるということであった.この提案をするためにホイットワース氏がウイーンに送られた.信頼できる筋の情報によれば,氏は,増援の妨げになるのがその気がないからでなくできないからであると見出した場合には,失敗するよりは,それら八〇〇〇の兵の行軍のために四万ポンドを申し出る権限が与えられていた.だが,氏が成功するどころか,帝国宮廷の大臣たちは,いかなる考察に基づいてであれ,具体的な金額を申し出る機会さえ与えず,女王の要求に応じることはできないと主張して即座にあらゆる希望を断ち切ったという.ハンガリーでの戦乱はその時にはもう終結していたので(『スペイン継承戦争』p.303),その古い口実を申し立てることはできなかった.挙げられた理由といえば,推測に基づくいくつかの一般的な理由ばかりで,繰り返すほどに化けの皮がはがれるたぐいのものだった.よって,引き延ばすだけ引き延ばして多くの取るに足りない言い訳をしたのち,帝国宮廷はこれっぱかりの適切な支援を完全に拒否してきた.これで,他の方面でずっと多くの軍勢ができるよりも,フランスを恐慌に陥れ,フランス軍により大きな兵を割かせる計画は破綻したのである.こうして,女王が冬季戦役のために四万ポンドを与える用意のあった八〇〇〇の兵がなかったばかりに,そして先に触れた,敵が武器庫を樹立するのを妨害するという,女王陛下が自分の分担ばかりかオランダが義務を負う分まで負担する用意があった計画を実行しなかったために,フランスの北と南で冬営する希望は潰え,戦争を最も長引かせるであろう方法が放置された.この戦争の全期間を通じて,我が国が,どんなちっぽけな君侯であれ,相手国をかほどの軽蔑的な仕方で扱った例がありうるだろうか.我が国が,本土侵攻が目前に迫った懸念があるときでさえ,我が国の支援が望まれたときに,負担できる範囲だとか義務の範囲などを問うたことが一度としてあっただろうか.

(続く)

革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜 inserted by FC2 system