『イギリス革命史』目次
上巻
まえがき
第一部 チャールズとジェームズ
清教徒革命
チャールズ一世と議会の対立(1628-41)
大内戦・第一期(1642-47)
大内戦・第二期(1648-49)
国王の訃報とフロンドの乱(高等法院のフロンド)(1649)
王位奪還の試み(1649-51)
フロンドの乱と第一次英蘭戦争
フロンドの乱(貴族のフロンド)(1650-52)
フロンドの乱の終息(1652-53)
一六五三年の戦役(1653)
第一次英蘭戦争(1652-54)
チャールズのフランス出国(1654)
フランス・スペイン戦争
一六五四年の戦役(1654)
ケルンの亡命宮廷(1654-55)
一六五五年の戦役と英仏通商条約(1655-56)
チャールズとスペインの条約と一六五六年の戦役(1656)
英仏同盟と一六五七年の戦役(1657)
一六五八年の戦役と砂丘の戦い(1658)
護国卿体制の崩壊(1658-59)
イングランド侵攻計画とピレネーの和(1659)
マンク将軍と長期議会(1659-60)
放浪の終わり(1660)
王政復古
チャールズ二世(1660)
ヨーク公ジェームズの結婚(1660)
チャールズ二世の戴冠と結婚(1661)
常備軍(1660-62)
騎士議会(1661-65)
第二次英蘭戦争
西アフリカ・アメリカ(1664)
商船団襲撃(1665)
ローストフト(1665)
大悪疫(1665-66)
フランスの参戦(1666)
四日間海戦(1666)
ノースフォーランド(1666)
ホームズの襲撃(1666)
ロンドン大火(1666)
メドウェー川襲撃(1667)
ブレダ条約(1667)
カバル(1667-74)
愛人たち(1667-70)
三国同盟(1668-69)
ドーヴァーの密約(1670)
通貨
愛人たち(1670-71)
第二部 ウイリアムとメアリー
オレンジ家とオランダ共和国
オレンジ・ナッサウ家のウイリアム
オランダ独立戦争(1568-1648)
オランダ共和国とスペイン領ネーデルラント
オランダ共和制
ホラント州と総督の地位
デ・ウィットとウイリアム(1651-62)
デ・ウィットと第二次英蘭戦争(1662-67)
ルイ十四世の野望・遺産帰属戦争
マザランの布石(1659-61)
ヴェルサイユ造営と財政改革
遺産帰属戦争(ネーデルラント戦争・フランドル戦争)(1667-68)
三国同盟とエクス・ラ・シャペルの和(1668)
恒久令(1667-70)
筆頭貴族・国務評議会議員(1668-70)
ウイリアムの訪英(1670-71)
オランダ包囲網(1670-72)
大将軍(1672)
オランダ戦争・災厄の年
商船団襲撃(1672.3)
兵装
ライン川流域へ(1672.4-6)
トルハイス(1672.6)
ユトレヒト(1672.6)
洪水戦術(1672.6)
フランス軍への使節(1672.6)
総督就任(1672.6-7)
イングランドの使節(1672.7)
政変(1672.7-8)
第三次英蘭戦争
国庫支払い停止(1672)
信仰自由宣言(1672)
ソール湾(サウスウォルド湾)(1672)
審査法(1673)
ジェームズの信条
スホーネヴェルト(1673)
ゼーラント侵攻計画(1673)
テセル(ケイクダイン)(1673)
アメリカ(1673)
日本(1673)
ジェームズの再婚(1673)
ウエストミンスター条約(1674)
オランダ戦争・転機
ブランデンブルク選帝侯との同盟,神聖ローマ皇帝の援軍(1672)
ウールデン(1672)
シャルルロワ(1672)
氷上の侵攻(1672)
オレンジ公領(1672)
マーストリヒト(1673)
ナールデン(1673)
ブランデンブルク選帝侯の一時脱落,神聖ローマ皇帝との同盟(1673)
ボン(1673)
対フランス同盟(1673-74)
オランダ戦争・後半戦
フランシュコンテ(1674)
スネフ(1674)
フラーヴェ(1674)
ライン川方面――ジンツハイム,エンスハイム,トゥルクハイム(1674)
オレンジ公の地位(1674-75)
マース川流域――ディナン,ユイ,リンブルフ(1675)
ライン川方面――ザスバッハ(1675)
スヘルデ川流域――コンデ,ブシャン(1676)
ライン川方面――フィリップスブルク(1676)
ライン川方面――アルザス,フライブルク(1677)
スヘルデ川流域――ヴァランシエンヌ,カンブレー(1677)
ヘント,イーペル(1678)
ライン川方面――ストラスブール近郊(1678)
イングランドの動向(1676-78)
サンドニ(モンス)(1678)
ネイメーヘン条約(1678)
英蘭同盟
政略結婚(1670-77)
ウイリアムの訪英(1677)
結婚(1677)
第三部 王位継承の行方
排除法危機
ロンドン
カトリック陰謀事件(1678)
ダンビー失脚,議会解散(1678-79)
第一次排除法案,議会解散(1679)
人身保護法(1679)
モンマス公(1679)
国王危篤(1679)
モンマス公の無断帰国(1679-80)
粉桶陰謀事件(1679)
ホイッグとトーリー
第二次排除法案,議会解散(1680-81)
ジョン・チャーチル
第三次排除法案,議会解散(1681)
ルイ十四世の野望・再統合戦争
ルクセンブルク(1681-82)
ヴェルサイユ宮殿(1682)
再統合戦争(1683-84)
無議会政治
トーリー復権とホイッグの低潮(1681-83)
ライ・ハウス陰謀事件(1683)
アン王女(1683)
ジェームズ復権(1684)
国王の改宗(1685)
下巻
第一部 ウイリアム三世対ジェームズ二世
モンマスの乱
ジェームズ二世(1685)
アーガイル伯(1685)
モンマス公(1685)
セッジムーア(1685)
血の巡回裁判(1685)
専制
常備軍とカトリック問題(1685-86)
ヨーロッパ情勢――ナント勅令の廃止(1685)
アイルランド情勢(1685-87)
カトリック化政策(1685-87)
信仰自由宣言(1687)
選挙工作(1687-88)
信仰自由宣言と七主教裁判事件(1688)
世継ぎ(1688)
名誉革命
接触(1686-87)
対立(1687-88)
招請(1688.4-7)
ヨーロッパ情勢――プファルツ,ケルン(1686-88)
準備(1688.7-8)
執着(1688.7-9)
前夜(1688.8-9)
大同盟戦争勃発(1688.9)
挑戦(1688.9-10)
妥協(1689.9-10)
出港(1688.10)
再出港(1688.11)
トーベイ(1688.11)
エクセター(1688.11)
イーヴリンの日記(1688.10-11)
オレンジ公の宣言(1688.10)
ジェームズ二世の対抗宣言(1688.11)
離反(1688.11)
ソールズベリー(1688.11)
ポーツマス(1688.11-12)
交渉(1688.11-12)
第三の宣言(1688.12)
王妃と王子の出国(1688.12)
逃走(1688.12)
暫定政権(1688.12)
厳戒(1688.12)
帰還(1688.12)
二度目の逃走(1688.12)
ロンドン入り(1688.12)
権利宣言
仮議会(1689)
権利宣言(1689)
戴冠(1689)
名誉革命
恩賞(1689)
宮殿(1689)
英蘭関係(1689)
軍律法(1689)
寛容(1689)
スコットランドの革命
エディンバラ(1689)
キリークランキー(1689)
グレンコー(1692)
スコットランドにおける名誉革命体制
アメリカにおける名誉革命
ニューイングランド(1660-88)
ボストン(1689)
ニューヨーク(1689-91)
メリーランド(1689)
ヴァージニア,ペンシルヴェニア,西インド諸島
ウイリアム王戦争(1689-97)
アイルランド戦役
ジェームズの逆襲(1689)
英仏開戦(1689)
ロンドンデリー(1689)
ションベルクの遠征(1689)
政争(1689-90)
ボイン川(1690)
リメリック(1690)
ビーチー・ヘッド(1690)
コーク,キンセール(1690)
オーグリム(1691)
リメリック条約(1691)
政争(1691-92)
ジェームズ再起(1692)
ラオーグ(1692)
第二部 ルイ十四世との対決
大同盟戦争・前半戦
フィリップスブルク(1688)
大同盟(1689)
マインツ,ボン(1689)
ワルクール(1689)
フルーリュス(1690)
モンス(1691)
ナミュール(1692)
ステーンケルケ(1692)
政争(1692-93)
ラゴス湾(1693)
ネールウィンデン(1693)
シャルルロワ(1693)
議会政治
ホイッグ政権の成立(1693-94)
内閣
イングランド銀行(1694)
官職法案,三年議会法,出版自由化(1692-95)
ブレスト(1694)
死別(1694)
大同盟戦争・終盤
ナミュール(1695)
ジェームズ再起(1696)
金融危機(1696)
私権剥奪法(1696-97)
同盟関係(1694-96)
レイスウェイク条約(1697)
エピローグ
大使交換(1698)
ピョートル(1697-98)
軍縮(1697-98)
孤独(1699-1700)
新しい時代(1700)
大同盟(1701)
ジェームズの最期(1701)
ウイリアムの最期(1702)
参考文献
革命の世紀のイギリス〜イギリス革命からスペイン継承戦争へ〜