歴史小説でたどる英国史(など)

The Queen's Husband (Samuel Edwards)

ルイ十四世の侵攻からオランダを守り,名誉革命でイギリス王位についたオレンジ公ウイリアムとその妃メアリー二世の物語.
フランスの大軍を前に捨て身の洪水戦術でオランダを守ったこと,訪英して宮殿内で内輪で挙げた結婚式,名誉革命,そしてその後のアイルランドでのジェームズ二世との対戦といった大枠は史実の通りで,他にも随所で史実を使ってはいるが,具体的な状況設定や戦闘の経過などディテールは大幅に創作を交えている.
ウイリアムは,信念に基づき大胆な行動を取りつつも絶えず自分の行動に疑問を抱く内省的な性格として描かれている.特に「名誉革命」に乗り出すに当たっての心の葛藤は,必ずしも歴史的な状況には合わないが小説として読者を引きつける.終盤に詳しく描かれるボイン川の戦いでウイリアムが老将ションベルクに一目置く態度の描写も新鮮.
ウイリアムとメアリーとの関係では,使命が第一だが内省的なウイリアムがメアリーとのきずなを深めていくという展開が軸になるが,その過程で夫婦関係への言及まで効果的にからませている.
(語学的には,「余」を使うか「私」を使うかによる心情描写が何度か出てくるのが興味深かった.)
あらすじ
オレンジ公ウイリアムはオランダ共和制の指導者デ・ウィットのもとで厳しい監視下に置かれており,ブランデンブルク選帝侯から縁組を打診されたときも自虐的に現状を説明して断らざるをえないほどだった.デ・ウィットにフランスの傀儡に成り下がっていると苦言を呈しても,そのおかげでオランダは繁栄を謳歌していると反論され,自らは未経験な若者に過ぎないと思い知らされる.だがその数年後の1672年,徴税への反発を期にデ・ウィットは民衆に虐殺され,朝貢が止まることからフランスの侵攻は必至の情勢となった.
報せを聞いたオレンジ公ウイリアムは,集まった群集を前に抵抗を呼びかけると,軍指揮官のデイクフェルト,傭兵隊長のワルデックも同調してくれた.フィンステルウォルデでフランスの大軍を迎え撃つとき,ウイリアムは堤防を切る洪水戦術を主張した.あまりに陳腐な作戦なので見透かされるかとも懸念されたが,大勝を上げることができた.
その後の数年でオランダはフランスに対抗する同盟国を得ることができた.
側近のベンティンクに結婚を勧められても,新たな同盟を獲得するためでないと意味がないと渋るウイリアムだったが,イングランド王チャールズ二世の王弟ジェームズの娘メアリーは王位継承の可能性があり,イングランド国民もプロテスタントとの縁組を強く望んでいると聞いてその気になった.話がまとまってウイリアムは訪英したが,フランスの目をはばかって事前にメアリーに引き合わされることもなく,宮殿内のチャペルで結婚式を挙げた.十五歳のメアリーは,将来エリザベス女王のようになる夢を砕かれた上に,ウイリアムが同衾しようとしないのに傷ついたが,若年のことをおもんぱかってのことと知り,ウイリアムを愛するようになった.一方,ウイリアムはメアリーが成長するまで禁欲を貫くつもりは毛頭なく,露骨に色目を使うその侍女パメラ・バーリー〔歴史上のエリザベス・ヴィリアーズの役どころ〕に目をつけていた.
三年後の1680年.十八歳になったメアリーはあまり使わない宮殿を閉鎖して節約することなどを提案して,ウイリアムも感心したが,ウイリアムはパメラとの逢引に使っていたハーグ郊外の「森の家〔ハウス・テン・ボス〕」については維持すると言った.メアリーは傷心を隠して承知したが,ウイリアムは良心の呵責にさいなまれるのだった.
メアリーはパメラを国外追放にした.そのことを知ったウイリアムは怒るが,かたくなに自分の立場を主張するメアリーを見て,今さらのように美しく成長したことに気づき,メアリーを強く求めた.ウイリアムに愛されたかったメアリーは喜んだが,その喜悦をウイリアムは拒絶だと誤解し,自己嫌悪に駆られた.二人はその後,定期的に夫婦関係をもつようになったものの,相手の真情を知らずにそれ以外は冷淡な関係を続けた.
1685年,チャールズ二世が薨去してメアリーの父ジェームズ二世が即位して数か月後,メアリーのいとこモンマス公が反乱を起こして処刑された
1688年,イングランドから船員に身をやつしたラッセル提督がやってきて,ジェームズ二世に王子が生まれたこと,イングランドの主だった貴顕がジェームズの専制からの救済をオレンジ公に求めていることを伝えた.ウイリアムは考えた末に協力を約束するが,メアリーには秘密にすることを条件にした.父王への謀反に加担させないという配慮もあったが,夫か父かの二者択一を迫られて父を選ばないとの自信がなかったからでもあった.
11月にウイリアムの軍勢がイングランド南部に上陸すると,しばらくして協力者が集まってきた.だがジェームズ二世はウイリアムとの会見を拒否し,カトリックの子は国王にはなれないとの国法に反して生後まもない我が子をプリンス・オブ・ウエールズと宣言した.国王軍を率いるのは,10年ほど前にイングランドがフランス軍と同盟していた時期にワルデックを手こずらせたジョン・チャーチルだったが,チャーチルはウイリアムの側に寝返った.また,メアリーの妹アンも夫ジョージとともに(父王に断った上で)エクセターのウイリアムの陣営に到着した.ジェームズが逃亡したとわかり,ウイリアムは上京するが,ラッセルがジェームズを捕らえてしまった.怒ったウイリアムはジェームズを逃亡させた.ウイリアムはロンドンの民衆から大歓迎を受けたが,王位への野心を見せないよう,ホワイトホール宮殿にはいることも遠慮してセントジェームズ宮殿に留まった.
ウイリアムはイングランドの政治家に自分の必要性をさせる時間をかせぐためにメアリーの渡英を遅らせるつもりだったが,メアリーは年が明けると夫に会いたい一心で渡英した.議会は当初,メアリーを女王とし,オレンジ公は摂政にすると申し出たが,メアリーの思いがけない強い主張もあって,その日のうちに態度を翻して,ウイリアムはメアリーと共同で王位につくことになった.これを機に,ウイリアムとメアリーの気持ちを隔てていた壁はなくなった.
議会が休会になると,ウイリアムはオランダに戻った.メアリーも同行したがったが,ジェームズ二世につけいるすきを与える可能性があり,それは許されなかった.その間,メアリーは医師から子供が生めない体質だと診断を受け,苦悩のあまり,宴の際にあやうく青年貴族と危ない関係になりそうになった.二重に秘密を抱えてしまったメアリーは,ウイリアムが帰国してもなかなか言い出せなかった.
フランス軍がオランダ国境近くに集結していたため,イングランドも,ワルデックとマールバラ伯となったチャーチルのもと主力を送って待機した.だがその虚をついて,フランスの支援を受けたジェームズ二世がアイルランドに上陸した.宗教戦争を嫌っていたウイリアムだったが,カトリックの脅威と戦う名目で非国教徒のプロテスタントから新兵を募って送るしかなかった.だが老練なションベルク将軍はボイン川をはさんで対峙したまま動こうとしない.未熟な兵ではジェームズ二世はともかく,ローザン伯麾下のフランス軍にはかなわないと承知していたのだ.
だが事態が硬直すると国内で親ジェームズ二世感情が高まり,ウイリアムとしても戦果が必要になった.ウイリアム自らアイルランドに渡り,決戦を挑むことになった.ボイン川に到着したウイリアムは,渋るションベルクを押して決戦を決定するが,指揮はションベルクに任せ,自らはその指揮下で左翼を率いることにした.ジェームズ二世は早々に逃走したとの情報がはいっており,心おきなく戦えた.激戦の末,勝利したが,ションベルクは戦死した.
さらに,海上でフランス艦隊を破ったという報せがはいったが,被害は甚大だったという.ウイリアムは自分のために死んでいった多くの者のために暗澹たる気持ちになり,一夜,欲望に身を任せた.
アイルランドをマールバラに任せて帰国したウイリアムは,メアリーにそのことを話さずにはいられなかった.するとメアリーも,宴の日のできごとを打ち明け,自分も医師により子供を生めない体だと診断されて同じような気持ちになっていたのだという.
ウイリアムは,子がなくても思想や信条で世に貢献した人はいくらでもおり,自分たちに大切なのは自由を守るために戦うことだと話した.ウイリアムは初めて率直にメアリーに愛を告げた.それはメアリーが何より望んでいたことだった.



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