第一章 訴訟のきっかけ
故ストラット卿〔故スペイン王カルロス二世〕の死後に私たちの近所で起こった激しい争いについては説明する必要もないだろう.牧師〔ポルトカレロ枢機卿〕とよこしまな弁護士が卿の地所をいとこのフィリップ・バブーン〔アンジュー公フィリップ〕のものと認定してもう一人のいとこサウス氏〔カール大公〕を大いに落胆させた一件のことだ.その牧師と弁護士が,バブーン家からたんまりと報酬をもらって遺書を偽造したと言ってはばからない者もいる.それはともかく,以来,栄誉と地所がフィリップ・バブーンのものであり続けてきたことは事実である.
ストラット卿の一族が長年にわたって広大な地所を保有してきたことはご存じだろう.手入れが行き届き,林もあり水の便もよく,石炭,塩,錫,銅,鉄といった資源もみな地所内にある〔西インド諸島などの植民地〕.だが不幸なことに,一族は執事,出入り商人,使用人に食い物にされ,多大な負債を負わされていた.同時に,贅沢な暮らしをやめられないため,最良の館のいくつかを抵当に入れざるを得なかった.二百年前のストラット卿の肉屋やパン屋の請求書がまだ未払いだとの話もあながち作り話ではないかもしれない.
フィリップ・バブーンが初めてストラット卿の地所の地主となったとき,出入り商人たちはそうした場合の慣例どおり,館に参上して挨拶をするとともにこれまでの引き立てについて説明した〔フェリペ五世のスペイン王即位にあたっての英国王ウイリアム三世とオランダ連邦議会の最初の祝賀の手紙〕.その筆頭は呉服屋のジョン・ブル〔イギリス〕と生地商ニコラス・フロッグ〔オランダ〕だった.両名は,ブル家とフロッグ家は長年にわたってストラット卿家に布地を納めてきたこと,両名とも正直でまっとうな商人であること,その請求書が疑惑をもたれたことはなかったこと,ストラット卿は暮らしぶりは高貴なで,ペンやインク,勘定台などで手を汚すことはしなかったこと,これからも先代にしてきたように誠心誠意対応するので両名の正直さをあてにしてもらってよいことなどを話した.若い地主はみな善意に受け止めたようで,満足した様子で先祖代々の立派なやり方を変えるつもりはないと言って両名を下がらせたのだった.